第6話

大きな街の気配。


人も多い。


けれど、澱みは少なく、絶えず流れている活気のある空気。


狸擬きがやっと顔を上げ、寝惚け眼で見上げてくる。


赤飯おにぎりのご所望か。


「もう少し待つの」


「……」


むぅと言わんばかりに目を細めたが、やはり街の気配に気づいたらしく、ひょこりと耳を立てている。


「大事なお供と話をさせてくれてありがとうの」


驚いた後は、何だか楽しげにこちらと豚を眺めていた年若い青年に礼を伝えておく。


少し困った顔で首を傾げられ、言葉は通じないけれども。


いつの間にか轍の道も広く、向かいからも馬車がテコテコやってきている。


人を乗せる馬車の乗り合い場ではなく、貨物用の少し離れた広場には馬の水飲み場があり、荷卸しをする男たちが他の馬車の荷物を降ろしている。


荷台から芝生に飛び降り、こちらに回ってきた馬車の男に礼を伝えると、ニコニコしながら何か言われた。


首を傾げると、渡したコインを落としたポケットをポンポン叩いた後に、コインを取り出し、コインを返してくれた。


「……の?」


いいんだよと言うようにうんうん頷き、


「あ、ありがとうの……」


ありがたく甘えさせてもらう。


降りてきた青年も含め、周りの人間の好奇心や稀有な視線をそこまで感じないのは、やはり荷物に混ざり人が乗るのは珍しくないのだろう。


それよりも、我の黒く長い髪やこちらではかなりとんちきに当たる巫女装束が少しばかりの興味を惹いているのは解る。


こちらはこちらで色々な疑問が浮かぶ中で、とみに強く感じるのが、馬が多くいる割に、


(糞尿の臭いが極端に少ないの)


荷馬車の馬の多さに比べ、地面に落ちてることもなく、そこら辺も元の世界と何かしら違うのだろうか。


青年と、青年に抱き抱えられて荷台から降りる豚に手を振り、狸擬きと共に先に歩き出す。


もしかしたらまた街中で会うかもしれない。


先日、数日滞在した小さな街からはどれくらい離れているのか。


この大きめの街は石畳みに石の建物が多いけれど、建物の背は低く良くて2階建てがいいところ。


空気も乾燥しており、気候からして違う。


「ぬん……?」


改めて地図を見ると、以前の街、村か、村からそんなに離れていないと思ったけれど、どうやらそうでもないらしい。


子供の足でも夜通し、月の半分程度も歩けば、そこそこに結構な距離を稼げていたらしい。


石の建物が行儀良く碁盤の目の様に並んでおり、色々な店を冷やかしたかったけれど。


立ち止まって眺めていると、もにもにと狸の肉球がふくらはぎに当てられ、


「わかったの」


まずは宿屋だ。


識字率はやはり低いらしく、大きく絵の描かれた大きな看板がありがたいし、宿屋は宿屋でちょこちょこと固まってくれており、探しやすい。


始めに見つけた手前の宿屋は、何だかこう「らぐじゅありぃ感」が漂っており、ドアの前に立っているドアマンまでいる。


そのドアマンは、我に気付くと、それでもにこりと微笑んで愛想良く手を振ってくれたが。


風呂にも入っておらず、川で小豆洗いのついでに身体を流しただけの決してキレイとは言えない自分と、更に連れは獣なために退散。


2軒目は、食事のマークにバッテンが付いており、雰囲気的に商業人やあの馬車の男たちが泊まるような簡易宿屋らしい雰囲気。


3軒目も同様で、この街へ来る商業人の多さが窺える。


奥へ奥へ向かうと、食事のマークに丸が、猫足の風呂のマークに丸がある宿が見つかり、更に狼らしい絵に○があり、開きっぱなしの木の扉から顔を覗かせて見ると、6畳ほどのちんまりとした受付の広間に、また人のよさそうな小柄な老人がおり、我の姿に気付くと、丸眼鏡をくいっと上げて、少し驚いた顔をする。


しかしそこにあるのは驚きだけ。


お断りの様子はないため中へ入っていくと、こちらの小ささに老人の方が受付から出てきてくれ、宿泊客とも理解してもらえたらしく、しゃがみこんで片手に持っていた案内板を見せてくれた。


ベッドと食事を指差してコインを見せると、1枚はそのまま手のひらの上。


狸擬き分は少し割引らしい。


離れた土地といってもこの辺りの枠組みではまだ同じに値するのか、文字も数字も同じなのが大変に有難い。


食事のマークの数字を指差され、


(6時とな)


頷くと、老人が先に立って、右の階段を上がっていく。


付いていくと振り向きながら、


「○○□?」


何か聞かれたが分からない。


「言葉が通じない」


と答えると、老人は気にした様子もなく先へ上がり、一番手前の部屋のドアを開いた。


ここも土足禁止。


以前の宿と同じように足拭きの水の入った桶と布切れ。


部屋は少し狭めだけどベッドもテーブルもあるし、窓に目隠しがあるのは、小道を挟んだ向かいにも建物があるからだろう。


天井を見上げると、


(ふぬん……)


蜜柑位の四角い石のようなものがランプ籠に包まれ、ゆらゆらと橙色に光り揺れている。


熱は持っているのだろうか。


ここの街の街頭はどうなっていたかの?


いや、まだ明るく灯りは点いていなかったはず。


老人が部屋のドアへ向かったが、手の平で何か待てとでも言うような仕草をして、ドアを開けたまま出ていく。


「?」


狸擬きの足を拭いてやり少し待っていくると、平たい木の箱に薄いカルタ位の大きさの板が縦に並べられたものと、そして、多分こちらの世界の子供用の絵本らしいもの。


どちらも年季が入っているが、絵本に関してはそもそもの紙質が良くないのだろう。


白黒に近いものだ。


箱を置いた宿の老人は、板を1枚取り出し、表にはきっとこちらで言う平仮名に相当する単語が2つ3つ彫られており、老人が何か話しながら裏を見せてくれ、その文字の名前のフルーツらしきものが彫られている。


見せられた絵本も、どうやら子供向けのこの辺りの歴史の教科書といったところだろうか。


(のの……)


どうやら、文字の勉強道具、遊び道具としてこれらを好意で貸してくれるらしい。


「大変にありがたい。感謝するの」


老人はこちらの言葉も分からないだろうが、にこりと皺皺の顔に更に皺を寄せ、ゆっくり手を振って部屋を出ていく。


こちらは言葉は話せないが、案内板の文字や数字が多少読めるため貸してくれたのだろう。


これはきっと老人の子供か、孫の物だろう。


「ふんふん♪」


早速カルタ的な板を手に取ろうとしたが、つんつんと裾を爪で引っ張られ、引っ張った狸擬きが不満顔でこちらを見つめている。


「おっと、すまぬ」


忘れていた。


洗っておいた小豆を炊飯器に流し込み、スイッチを押す。


狸擬きは小さく鼻を鳴らして炊飯器のそばに踞る。


炊けるまでの間、板を1枚1枚取り出しては捲っていく。


(ふぬ、ふぬ)


見知らぬ食べ物もあるけれど、元の世界ではあれに近そうだのと思うものも多い。


長細い真っ直ぐな先端がまるっこい棒。小さな突起がいくつも付いているイラスト。


「……きゅうり、かの?」


文字と絵を記憶させる。


そういえば。


きゅうりと言えば河童を思い出す。


何度か相撲もとったけれど、どこへ行ったのやら。


妖怪にしては珍しく人懐っこかったから、あるいは見世物小屋にでも連れていかれたのかもしれない。


息災であればよいが。


「……」


元いた場所はもう天狗すら長年不在の山と山の間の渓流で、10数年の単位で他の妖怪と会うこともなかった。


山を越えた場所にある人里はとうに廃村になり、ただ静かで、ひたすら小豆をしゃきしゃきしていた日々。


人間と一度会ったのは、


(いや、あれば別の場所の)


また数十年単位で昔の話だ。


板を掴んだまま物思いに更けていると、


ピーッ


と小気味良い音で炊飯を知らせてくれる炊飯器。


しゃもじで掻き混ぜて、息を吹き掛けながら赤飯を握り、のっそりと起き上がり伸びをしてぺたりと座り込む狸擬き。


2つの肉球を見せながらこちらに2本の前足を伸ばしてくる狸擬きに赤飯おにぎりを与えると、まぐまぐ食べ始める。


残りも握って葉の上に置いていると、腹が減ってきた。


しかし、夕食は頼んでいる。


「全部食べるのは駄目の」


念押しすると、なぜだと尻尾で床をぱしぱし叩く。


「お前、何もしとらんの」


「……」


「ただ我に付いてきては寝ているだけの」


「……」


無言のくせに、しかし不満の空気だけはしっかり放っていて笑ってしまう。


「ふふ、まぁ文句があるなら何か言ってみろの」


狸擬きは更に尻尾で床をポスポスと叩き。


「ん?何、……護衛?護衛だと申すかの?」


そうだったのか。


狼からこやつ等は平和主義で戦わぬと聞いていたが。


(護衛……?)


首を傾げていたけれど、そろそろ食事の時間。


葉で握り飯を包み、小さな風呂敷に包んでから部屋を出ようとすると、護衛と宣った手前か狸擬きも付いてくる。


他の部屋に客がいるのは気配で分かるが、部屋から出たのは自分だけ。


外にも食事の出来そうな店は少し歩いただけでも多くあったから、皆外で済ませたり、すでに済ませた後なのだろう。


食事どころは受付の裏に位置し、我の予想は当たっているようで、食堂はほぼこの宿の家族と共有の様な八畳ほどの広さで、テーブルも2卓、椅子がそれぞれ4脚ずつあるだけ。


一応は生活感は隠しており、厨房は見えないように扉にカーテンらしき布が掛かっている。


飾り気も何もない部屋を眺めていると、あの人の良い老人ではなく娘らしき子が出てきた。


やはりにこりと微笑んでくれながらテーブルを勧めてくれ、自分が初めて立ちっぱなしなことに気づいた。


椅子によじ登ると、少し歪みのある濁ったコップに微かに薄いきなり色の飲み物を出された。


狸擬きには木の器で水。


仄かに甘い蜜の香り。


(蜂蜜水かの?)


甘味は旨味。


こくりと飲んでみると、


「ぬふん」


(美味、美味)


林檎の蜜のような甘さ。


「うん?」


狸擬きが顔を上げて鼻先をこちらに向けている。


「……」


我は大人だから仕方ない。


「行儀良くの」


ぺたりと座り込んだ狸の両手にコップを持たせてやると、器用にコップを持ち上げて飲んでいる。


「……お主といると美味なものの取り分が減るの」


「……っ」


不満を滲ませてみるとビクッと固まる狸擬き。


だけれど。


「……」


「の?『我がうまそうに食べるから』と申すのか」


そうか。


確かに、こちらに来てから、元の世界でより遥かに色々なものを食べている。


ふと思う。


「お主は、こう、葉を頭に乗せて人には化けられないのかの?」


「???」


どうやら化け狸の類いではないらしい。


運ばれてきた料理は、木の平たい皿のわんぷれーとで、色々乗っている。


狸には、やはり木の実が床に置かれた。


「……」


不満いっぱいの空気に。


「後で握り飯をやるから」


「……」


狸擬きは空のコップをこちらを渡すと、了解したと言わんばかりに足許で丸まった。


わんぷれーとには、


(焼いた肉の塊に濃い色のソース、濃いオレンジ色の卵のオムレツだろうか、丸いパンに、煮込んだ野菜、それに見知らぬ黄色いハート形のフルーツ。


皮らしきものに包まれている感じからして葡萄に似ているのだろうか。


「ぬぬん」


(どれも美味の)


フルーツはそのまま食べられ、みかんの様な葡萄のような味がした。


美味しかったけれど。


(足りぬの)


部屋で赤飯を炊けばいいかと思っていると、給仕の娘がやってきて、空の皿に何かを盛るジェスチャーをしてくる。


おかわりがあるのかと頷くと、皿が下げられ、新しい皿で同じものをもう一皿出てきた。


(おや、気前がいいの)


両手を合わせて再びいただきますをし、尻尾を床にペタペタ叩きつける狸擬きを尻目に、楽しい夕げが続く。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る