第5話

翌朝、心配そうな女将だけでなく大将と給仕の娘にも見送られ、宿を出た。

(どっちに行こうかの)

大まかな地図は好意で貰えたが、これがどの程度の寸尺のものなのかいまいちわからない。

山が描かれているからだいぶ大きな規模なのだろうが、この世界がどれだけ広いのか。

(のの……)

晴れた空に、蛇と鯨が飛んでいる。

そう言えば晴れた日しか見たことがないけれど、雨の日は雲の上を飛んでいるのだろうか。

「あーずき研ごうか♪」

ぽてりぽてりと歩き出す。

「どーこへ行こうか♪」

とりあえず、東に向かって来たため、また東へ向かうことにした。

始めに向かった小さな街へ向かう途中の何もない草原とは違い、

「のの?」

だいぶ先を歩いた辺りの南側から轍が東に向かって伸びているのが見えた。

偶然にしても良い道標を見つけ、狸擬きと顔を見合わせる。

轍に沿ってまた歩き出すと、途中から川沿いに道が並び、

「しゃきしゃきしゃき♪」

小豆を研いで、狸擬きがねだるため、風呂敷を敷いて赤飯を炊いてから、風が心地よく、のんびり昼寝をしてみたり。

「……?」

また延々と轍があるだけでひたすら人気のない草原が続き、夜になり、朝が来る。

日を数えることも、意味も見出だせず、淡々と歩く。

狸擬きがスンスン鼻を慣らし、隣を歩く我をちらと見たのは、陽が暮れてだいぶ経ってから。

赤飯おにぎりの催促かと思ったけれど、陽が暮れる前にもう与えている。

「……?」

狸擬きは先を眺め、真似してじっと先を窺うと、

あぁ。

夜空はまだ薄曇り。

けれど。

(遠くから雨の気配の……)

道は外れるけれど、少し高い木々が遠くに見え、そちらに向かう。

先に雨が降ってきたのは早朝。

「間に合ったの」

風もなく雨は木の下までは吹き込んでこない。

風呂敷を広げると、待ってましたと言わんばかりに風呂敷の上にごろりと横になる狸擬き。

その狸擬きの腹に頭を乗せて横向きに丸まり、雨の音の中、目を閉じてじっと耳を澄ませる。

遠くへ、遠くへ。

それでも。

人の気配はない。

大きな動物もいない。

先はまだ遠いけれど、特に問題もない。

しばらくの間、ぼんやりと弾かれる雨を眺めていると、下から、

「ぐるるるる……」

と聞こえて来たのは狸擬きの腹の音。

身体を起こすと、さすがにばつが悪そうな顔をしている。

「ご飯にするかの」

赤飯を炊き上げて、ふと、

(お茶が欲しいの)

と思い、そんなことを思った自分にびっくりする。

「なんの」

どこからの記憶だ。

人の名残?

今までは全くなかったのに。

「……?」

動きを止めた自分に、握り飯を食んでいた狸擬きがくっと顔を上げて、こちらを見つめてきた。

「これは……」

良いことなのか、悪いことなのか。

わからない。

わからないけれど。

(まぁ、よいよいのよいの)

場所か変われば心も変わる。

「水容れが欲しいの」

器も二つ。

「お主も温い飲み物が欲しいであろう」

指先から熱いお茶が出る魔法はないのだろうか。

目の前の狸擬きが前足で器を持って茶を飲む姿も見てみたい。

雨は昼過ぎに上がり、しかし轍は濡れている。

轍に沿って草むらを歩いていると、遠くから、きっとここまでの途中にあったもっと細い轍の道から来たであろう馬と馬が引く荷台の車輪の音。

人は1人。

(いや……)

荷台の後ろに、1人と、1匹。

大型ではない。

多分、狸擬き程度だと感じる。

隠れる場所もないし、じっと待っていると、割りと早い速度でこちらへ向かってくる馬車が見えてきた。

そのまま通りすがられても全く問題なかったが、2匹の馬を引く、いくつ位だろう、老人と言うには早いが中年は越えていそうな小柄な男。

半分くらい髭を白くした男は、顔の皺の割りに目の濁りのなさがより年齢を不詳にさせているのだ。

着ている服も新しくはなさそうだけれど、長旅に耐えられるような厚手のもの。

こちらに気付くと馬車を停めて降りてきた。

そして、なにやら聞いてきたけれど、さっぱりだ。

黙っていると、男は荷台を指差し、馬車の向かう方角へ指を向ける。

乗って行くかと聞かれている。

(そうの……)

鞄からコインを取り出すと、男は少し驚いた顔をしたが、頷きながら微笑むと、コインをポケットにしまい、ポンポンとポケットを叩く。

荷台へ回ると、男がひょいと抱き上げて荷台に乗せてくれた。

大小の木箱や筒のようなもの、大きな壺らしいものや椅子なども詰んであり、一番手前の左側にまた年若き、昨日まで世話になった青年と同じくらいだろうか、少しだけ背を低くした若者と、若者の前には、

(豚?)

がいた。

狸擬きも抱き上げてから荷台に置くと、男が戻っていく。

しかしすぐに戻ってきて、座布団、いやクッションを渡してくれた。

「ありがとうの」

礼は通じないが、男は手を振って今度こそ戻っていく。

尻にくっしょんを敷くと馬車が動き出したが、

(揺れない……?)

想像より全く揺れない。

不思議だけれど、快適は快適だ。

目の前の若者は腕を組み胡座をかいてしっかり寝こけていた。

これだけ揺れなければ眠ることも可能だ。

「お主も寝ておるのかの?」

感覚では、狸擬きと同じくらいと思ったが、豚擬きは毛量のある状態での狸擬きと同じ大きさなため、遥かに大きい。

『……?』

こそりと話しかけて見ると、豚はむくりと顔を上げて、寝ぼけ眼てでこちらを見てきた。

正確には足許で丸まってる狸擬きを。

しかし、狸擬きは顔を埋めて全く動きがないため、こちらを見上げてきた豚に、

「申し訳ない、起こしてしまったの」

謝ると、

『あら、あなたも私たちと同じ種族なの?』

落ち着いた声と共に小さくフゴフゴと聞こえてくる。

「いや、多分違うがの。話はできるらしいの」

『それは素敵、はじめまして』

「はじめまして。……おぬしたちはどこへ向かっている?」

『正確には解りかねます、ただきっと大きな街へ向かっているのだろうと言うことだけ』

大きな街。

乗らせてもらって正解だったかもしれない。

「なぜ、大きな街に?」

『他の仲間からの又聞きですけど、私たちのいた小さな村では、男は、希望があれば女でも、ある一定の年齢になったら、外の世界への旅たちが認められます』

「……口減らし的なものかの?」

『いいえ、うちは村と行っても家畜で割りと裕福な部類なんです、だからこそ外の世界を見て、新しいものを取り入れてこいと言える環境、らしいです』

家畜。

『私は仲間たちと一緒に育てられ、そこそこに成長すれば売られて食べられる運命でした。ただ、この人間の男の様に、飼育を任されるようになると、家畜の中から1匹だけ、肉として売られることから逃れられ、こうしてお供として生き長らえることができるのです』

「ほうほう」

『それを分かっていて、その、言葉は悪いですが、人間に媚を売る仲間もいましたが、私は家畜に生まれた身として生を全うする気だったのです』

フンと鼻を鳴らし、

『しかし、どうしてか、私がお供に選ばれました』

豚が振り返り、つられて顔を上げると、いつの間にか起きていた若い男が目を見開いて豚とこちらを交互に見ていた。

「□□□✕?」

目を見開いたまま何か聞かれたが。

「何を言ってるのか分からん」

「△△○□?」

「……」

返事をしないでいると、豚を見て何か話しかけているが、豚も、

『言葉が通じないのは不便でしかないです』

と大きな溜め息。

本当に。

豚は少しずつ、人の言葉を理解し始めてきたと教えてくれる。

唯一、付けられた名前だけは呼ばれた時にハッキリ聞こえたと言う。

(獣より我の方が言葉の難易度の解析度が遥かに高い)

まるでわざと解りにくく不便にしている気もする。

我の耳は、この世界に来るに当たり、他に「リソース」とやらを割き過ぎてうまく回らなかったのだろうか。

村を出てからだいたい7日程度して、この馬車と遭遇し、やはり馬車を引く男の好意で乗せてもらっているらしい。

「どうしてこの馬車があまり揺れないのかわかるかの?」

『?』

「いや、もっと揺れるはずではないか?」

『人間の持つ力のためではないのですか?』

あまりに当たり前過ぎる質問に戸惑ったらしい。

「自分には魔法がわからないであるの」

『まぁまぁそれは、……大小の差はあれど、人は皆が持っているものだと思ってましたけど』

ぬん。

「我は人ではないのだの」

幌が風に柔く揺れる。

『ではやはり、私たちと同族ですの?』

姿は大分違いますけど、と真剣な眼差しでごくりと喉を鳴らされ、

「くふふ、この世界にいるかは分からぬが、化け物の類いだの」

『ばけもの?』

「人でも動物でも虫でもない」

豚は小首を傾げ、

『妖精か、精霊様かしら?』

何とも小気味良い表現をしてくれる。

「馬車に拾われるまで、夜はどうしていたのだの?」

「なんと言うのかしら、棒を支えにして布を張って目隠しをして寝ましたわ」

ああ、天幕か。

青年の隣にある大きな大きな背負い袋の背後にある長い包みだと思われる。

『あなたたちは、どちらからいらしたの?』

「少し離れた山の中からの」

『山。……私たちを襲う悪いものがいるとは聞いたことがあります。でも、周りの山々にはいないから、きっと想像よりも遠くから来られているのね』

「道中では山は越えなかったかの?」

『ずっと平地でした、私たちより更に広い土地が必要とされている家畜たちがいましたが、それでも有り余る土地があるで、抜けるだけで4日は掛かったかと』

若者とこの豚の足ですら4日。

「どうやって、その、売り物の、肉などを運んでいるのの?」

さすがに元家畜を前にして言いにくいが、本人は気にした様子もない。

今は人と対等なお供だからだろうか。

「大爪鳥ですわ、……ほら、ちょうど飛んでいます」

「の?」

荷台に手を付くと、大きな鳥が天高く舞っている。

とても大きい。

大きく広げられた羽が目立つが、名の通り爪も大きいのだろう。

「おぉ、今まで気づかなかったの……」

『大爪鳥は、大きかったり重い荷は持てるのですが、長距離では飛べないのです、だから連なる山を2つ越える程度の村と村との行き来のみ』

山を2つ越えるだけでも相当だも思うのだけれど。

『山を越えた村、多分これから向かう村へ降り立つ所です』

それがあんなに大きく見えていると言うことは。

『えぇ、もう少しで街に着きそうですわ』

それは僥倖。

くっしょんに座り直すと、

「お主はあの大爪鳥とやらと話はできるのかの?」

純粋な疑問だったのだが。

豚は初めて少しだけ戸惑う様に目を伏せてしまった。

(の……)

何か悪いとこを聞いてしまったかと、質問の撤回の言葉を口に仕掛けたが。

『この少年に、お供だと選ばれた日から、大爪鳥などと、話せるようになりましたわ』

それは。

『えぇ、今まで一緒にいた仲間の言葉は、もう何一つ解らなくなっていました』

残酷な話だ。

豚は少し切なげに微笑むと、

『こちらの、私と少しだけ似通っているこの方は、お話はされないのかしら?』

狸擬きは丸まったまま微動だにしない。

「無口での」

『まぁ、せっかく話せる相手がいるのに勿体ない』

「静かな方が好きだから悪くはないの」

『あら、お喋りし過ぎたかしら?』

「とんでもない。色々聞けてとてもありがたかったの」

『こちらこそ、……もう街に着いてしまうのは少し名残惜しいわ』

(あぁ……)

本当だ。

本当に。






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