第2話


どれくらい歩いただろうか。

足袋に包まれたあんよは我ながら小さく可愛い。

今はさくら貝の様な爪を覆うその足先は少し土で汚れている。

寝起きしている洞窟は奥に深さはなくて何もないけれど、川には鉱物らしいものがごく稀にキラキラしており、それらは見つけるたびに拾っておいた。

のちのち、物々交換の材料になりそうだから。

山を降りてからも、現れたただただ続く草原を夜も朝も、あてもなくぽてりぽてりとひたすら歩き続け、たまにある木々の下で赤飯を炊き、大きな川の浅瀬で小豆を研ぎ、やがて見えてきたのは簡易な木の柵と、元いた場所で見たことのある羊の、あれの優に3倍は毛がモコモコしている羊らしいもの。

羊擬きが放牧されている土地だった。

元の世界でも、川の綺麗な場所を求めて転々としていたから、わりかし世の事は色々と知っているのだ。

羊飼いの若者が、道沿いの地べたに座って巻き煙草に似たものを吸っていた。

被っている帽子から見える髪色は明るい茶色。

瞳の色は森の水面のような美麗な淡萌黄。

ごく普通の人の様だ。

我に気づくと少しだけ驚いた顔をしたけれど、我自身にではなく、なにもない草原と道なき遠くの山の方から人が来たことに驚いている顔。

それと抱えている炊飯器にも視線を向けている。

珍しいのだろうか、珍しいのだろう。

もしかしたら、鈍器とでも思われているのかもしれない。

足を止めてみた。

けれど、我は相手から見れば、見た目はただの珍妙な格好をした幼子でしかない。

向こうは案外人懐っこい笑みを浮かべてくれ、

(ふぬん)

敵意はないと、鞄から葉に包んで更に風呂敷に包んで持っていた赤飯握りを差し出すと、更に驚いた顔をしたあとに若者は笑顔で受け取り、代わりに紙巻き煙草を3本も貰えた。

気前がいい。

隣を指差され腰を降ろすと、若者が人差しを指を上げふわりと小さな火が出た。

「ぬっ!?」

びっくりすると若者は笑った。

魔法とやらがあるのかこの世界は。

火を点けるかと首を傾げられたけれど、

「今はよい」

とかぶりを振り、小さな風呂敷に包んで鞄に仕舞う。

微かな匂いだけれど、この葉っぱはどうやら元の世界で言う煙草の葉ではない。

若者は珍しそうにおこわを眺めていたけれど、ぱくりと大きな一口

、首を傾げながら咀嚼している。

そして、

「○○○○?」

何か聞かれたけれど、残念。

言葉は何も通じない。

若者もそれを解っているのか、肩を竦めるだけ。

美味しい葉っぱは山に帰ってからのお楽しみにしよう。

火の問題はあるけれど。

立ち上がり、青年に手を振ってまた歩き出すとぽつりぽつりと木の家が見えてきた。

洗濯物も干してある。

田舎だけれども、建物はそう貧相ではなく、しっかり補修の痕もある。

横目で干してある洗濯物を眺めるけれど、鼻緒の生地になりそうなシンプルな布がない。

タオルらしき薄い布はあるけれど、さすがに勝手に盗るのも忍びなく。

もう少し先に見えている街中まで向かうことにする。

小さな川が見え、気持ちが弾む。

ちゃんと丁寧に作られた木の橋も掛かっている。

街らしい場所に近い川は石の橋に変わる。

畑が広がり、人もちらほらといるけれど、やはりこちらを、ちらと見るだけでそれは奇異な者への視線ではなく感じるのは好奇心。

服は農作業をしているため華美ではないけれど、そうくたびれても見えない。

街を覆う砦のようなものはなく、平和そのものだ。

道沿いに小さな店が現れ始め、この緩さなら物々交換できそうだと、街中ではなく、普段着や農作業に適した服を売る服屋らしき店の前に立つと、奥で服を繕っていたらしい、女将と思われる、それでも若い女性がこちらに気づくと、布や服を掻い潜りやってきた。

にこりと微笑まれ、長細くした布が欲しいと、身振り手振りで伝えると、何に使うか分からぬが、長細い布切れを見せてくれ、

「そう、それの」

指を差して、麻色と淡く染められた朱色を数本。

さすがにおにぎりではなく拾った石をいくつか見せると、一番小さな紺色の石を指先で摘み、お釣らしい銅貨をくれた。

何か話し掛けられるが、言葉は通じない。

ただ、来た方に指を差され、頷くと、大きな作業台を回り何か見繕う仕草、またこちらに出てくると、女将は我の頭に大きめに編まれた単純な丸い形の帽子ベレー帽、肩から膝丈までのポンチョらしきものを我に被せてくれると、炊飯器と籠を足許に置くように指を差し、その指を街に向けた。

街を見ておいでといわんばかりに微笑まれ、

(ぬぬ……)

少し躊躇していると、小さな革のきっと子供が履いていてサイズが合わなくなったであろう靴まで用意してくれた。

悪目立ちをしないようにとの配慮なのだろう。

その微笑みにはいくら目をすがめても悪意などは感じられず。

「……ぬん」

(では、ご厚意に甘えるの)

下駄から靴に履き直して、若い女将に手を振って歩き出す。

すぐに街の賑やかな雰囲気が伝わってきた。

ざわめきと人の匂いと、少し獣の臭いもするけれど、街に馴染んだ臭い。

建物は高くても2階建て。

石ではなく木の家がほとんどで、駆けていく子供たちも清潔な身形をしている。

そして文字の読み書きは当たり前ではないらしく、看板には分かりやすい絵でここが何屋かを教えてくれる。

(これは有り難い)

石とコインを↔️で現しているイラストの立て看板があり、開きっぱなしの大きな入り口から中に入ると、左右には珍しいものであろう大きめの石が飾ってあり、どうやら両替屋ではなく鉱石を売る方がメインの店らしい。

石に良くないのか店内は薄暗い。

人の良さそうないかにも好好爺そうな趣のお髭のおじじが、我の気配に振り返って、こちらに気付き少し驚く顔をする。

しかし、この小柄なおじじからも敵意も悪意なども感じない。

鞄から石をいくつか取り出して見せると、奥の鑑定机に招かれた。

椅子によじ登るとおじじが片眼鏡を掛ける。

そして満足そうに目を細め、少し大きめのコインを見せてくれてから、手書きで、鉱石の形や色とコインの大きさを描いて教えてくれる。

じっと眺めて覚えていると、石と交換した後に、その紙を畳んでコインと共に貰えた。

店を出る時に握手を求められ、それがこの街での挨拶らしいことを知る。

店は広場を囲むように街として機能するための店など一通り揃っているらしい。

ふと、小麦の香ばしい香りが鼻に掠める。

そう、元の世界ではわりと記憶に新しい匂い。

立ち止まり、色々な匂い、特に食べ物の匂いを辿ると、ここではモチモチした米ではなく粉、特にパンが主食らしい。

何か食べるもの、特に食べたことのないパンに似ているものを探しつつ、他の店も外からちらりと冷やかしてみる。

食堂やテラスのある茶屋らしき店もあるけれど、どこもまず素朴さが印象に残る。

ここにいる人間は皆が魔法を使えるのだろうか。

そうではないのだろうか。

どんな原理でどんな方法で使えるのか。

後付けも可能なのか。

考えながらも匂いを辿っているとパン屋らしい店を見付けた。

開きっぱなしの大きな扉から中に入る。

シンプルなパンが所狭しと並んでいるけれど、意外にも柔らかそうなパンもある。

店の若い男が出てきて、欲しい指を指すと紙に似た袋に入れてくれ、さっき換金したばかりの適当に小さなコインを若い男の手の平に落とすとコイン1枚で後は戻される。

隣のミルク屋らしい店で、瓶に詰められたバターと思われるものも買い、金物屋でスプーンを買い求める。

ホクホクしながら街から出て服屋に戻ると、女将は何か繕い中だった。

小さな椅子を出してくれ、炊飯器も籠も隣に置いてくれる。

手先で針を摘まんでいる。

しっかり手縫いで、繕い物の魔法などは特にないらしい。

そのまま店の中で若い女将の繕いを眺めながら、自分のように、どこかの世界からこの世界に紛れ込んでしまったものがいるのだろうかと考える。

この女将や街の人たちの若干の好奇の視線、さして余所者に対してのそう珍しくなさそうな対応を考えると、もしかしたらいるのかもしれない。

ふとこちらを見た若女将が炊飯器を指差して首を傾げるため、

「すいはんき」

と言ってみたけれど、小さく微苦笑するだけ。

発音すら出来ない言葉に変換されているのだろうか。


陽が暮れ始めた頃に繕いの仕事が終わり、我も帰らねばと、言葉が通じない変わりに世話になったと頭を下げて帰ろうとしたけれど、何か慌てたように引き留められた。

どうやらこれから夜に掛けて歩き出すことを危惧されているらしい。

両手で力瘤を作るポーズをしてみたけれど、通じないしこの見た目では確かに説得力もない。

ついておいでと、おいでおいでされ裏の家に招かれたけれど、かぶりを振って、家の隣の空いていそうな納屋を寝床にさせて欲しいと指差した。

我が人間の棲み家にも、団欒に入れないのは、ここ異世界でも同じ。

納屋のドアの前に腰を掛け、月が存在しない星だけは不思議と色とりどりに輝くこの異世界で、買ったパンにバターを挟み、ぱくっと噛み付く。

「ぬん♪」

(ふぬん、なるほど、美味の)

香りを裏切らない小麦の素朴さと、塩の混ぜられたバター。

(もっと買っても良かったの)

指先に付いたバターを舐めながら、今日は、街に着くことを優先したため、小豆を洗えていないなと思う。

明日はしゃきしゃきしたい。

小豆をしゃきしゃきしないと、自分が自分でなくなる気がする。

(小豆しゃきしゃきは我の「あいでんてぃてぃ」だからの)

納屋のドアの前に座り、パンをもぐもぐしている我の姿を、家の窓から伺う女将のシルエットが見えた。


早朝。

正確にはまだ陽が上りきらない薄暗い中。

納屋の棚に葉に包んだおにぎりを置いて出発する。

我が家と言う名の山の洞窟へ帰ろう。


畑を抜け、放牧地を抜け、橋が石ではなく頼りない木になってきたところで、昇ってきた明るい朝日を浴びながら、


「ふふん、ふふん♪」


しゃきしゃきしゃき、と小豆を洗う。

どうやらこの細い木の橋からして、こちらからあの街へ来る人間はほとんどいない模様。

馬車はおろか、人が3人並んでもういっぱいの幅しかないのだ。

あの青年が驚くはずだ。


「あーずき洗おか、人とって食おうか」

しゃきしゃきしゃき

しゃししゃきしゃき

「あーずき洗おか、人とって食おうか」

しゃきしゃきしゃき

しゃししゃきしゃき


「ふふん、ふふん♪」


歌いながら、ふと考える。

また、旅をしようかと。

元の世界では水の綺麗な川を探す理由があったけれど、この世界は水が綺麗で人も来ない。

旅をする理由もなかった。

けれど、元の世界同様、人の姿をしているせいか、我を見ただけで石を投げるような人間たちではなさそうでもある。

まぁもし、石を投げられたら小豆をぶつけ返そう。

相手は穴だらけになるけれど。

それに。

(魔法……)

そう、元の世界にはないあれが気になるのだ。

ぽてりぽてりとひたすら歩き続け、途中雨が降り、木の下で雨宿りをする。

雨水も驚く程に綺麗なものだ。

日中夜歩き続け、やがて行きにも通った深い森の中にまで辿り着いた。

またも通り雨に、我の背丈ほどの小さな洞窟を見付け、雨宿りさせてもらう。

「はふはふ」

炊いた赤飯をおにぎりにして熱々で食べながら。

指についた米を舐めとりながら考える。

まずは言葉と文字。

家代わりの洞窟を起点に今度は逆に行ってみようかと考えていると。

「……」

ふと目の前に、我の短い両腕では到底抱えきれない程度の大きさの枯茶色の、狸に似た生き物がこちらを見て立っていた。

狸に似ているのだけれど、我の知っているよりたいぶ大きいし、あの羊たち同様に毛の量が、ボリュームが、我の知っている狸より数倍はある。

エゾタヌキを、より身体も毛量も大きくさせたような。

気配の希薄さにも驚き、こちらを見ていると思った狸擬きは、正確には我の食べている赤飯をじっと眺めている。

「のの?」

「……」

「これも縁かの」

大きな葉っぱの上に赤飯おにぎりを置いてやると、警戒する様子もなく目の前にトトトと歩いてくる。

(の?)

そして意外にもその場にぺたりと座り込み、前足で赤飯握りを食べ出した。

(……器用の)

猫舌でもなさそうである。

(ぬ……)

珍しいものを見られたと思っていると、遅蒔きながら、匂いでやっと気づいた。

我のいるここ、この小さな穴蔵は、この狸擬きの寝床なのだ。

「のの、これは申し訳ないの」

この狸擬きからしたら、散歩か何かから戻ってきたら、自分の穴蔵に何かいるのだ。

住み処を追われる億劫さと辛さと面倒さは身を持って知っている。

「大変に失礼したの」

そそくさと荷物をまとめ背負い立ち上がると、しかし狸擬きは、

「……」

前足の爪で裾を摘まんできた。

「ぬ?」

そしてくいくいと洞窟の方に引っ張る。

(おやの)

どうやら雨宿りさせてくれるらしい。

この世界は獣すら優しいの。

「……では、もう少しだけお邪魔するの」

端により隙間を作ると狸擬きも隣にやってきて、ぴとりとひっついて身体を丸めた。

「ふぬ……」

(温いの……)

目を閉じると山の気配と狸擬きの気配が非常に近いことに気付き。

あぁ。

なるほど。

なるほどの。

この狸擬きは。

(主の……)

ここいら一帯の森の主。

長いこと、ここを守っている。

それでは。

(少しだけの)

お言葉に甘え狸擬きの身体に凭れると、少しの間、眠らせて貰うことにした。


どうやら我に、友達が出来た。

会話こそ出来ないけれど、簡単な意志疎通は容易に出来る。

狸擬きは、森を抜けるくらいまで、正確にはこちらの縄張りの辺りまで付いてきてくれた。

「それは早めに食べるの、多少我の力が籠っているため日持ちはするけれど、早めに食べた方が美味の」

別れ際に赤飯おにぎりを渡して手を振って歩き出す。

気づけばもう夜だった。

この世界の星の色は非常に賑やかでめるへんちっくである。

寝床にしていた洞窟に付いたのは夕方くらいだろうか。

馴染みある川でしゃきしゃきしたいけれど。

「のの、また雨の……」

梅雨は少なさそうだと思っていたけれど、そうでないのかもしれない。

人ではない故、少し先が見えたりもする。

空気で感じ取れるのは天気程度だけれど、雨はもう少し続き、そしたら気持ちのいい快晴が続く。

(では、晴れたら出発することにしようの)

何もかも分からず、何もかも手探りだけれど。

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