第4話

俺は野球が好きだったことなんてない。野球が好きなのは親父なんだ。親父は元巨人ファンで今は大谷に夢中。毎日毎日大谷の試合の中継だか録画だか知らねえが午前中はテレビに囓りついている。

バカじゃねえか。

大谷がいくら打とうが投げようが稼ごうがカミさんがデカかろうが、1つも親父の現実には関係ねえっつんだ!


小6の、最後の試合。

あれで俺は失敗した。失敗したっつうか、本当は俺に運があったのは小5の夏までだったと思う。元々、俺にセンスはなかった。親父に低学年からやたらとキャッチボールやら筋トレさせられてたので、少々タマが飛ぶだけで、まぐれ当たりの一瞬だけのエースだったんだ。

だけど、小6に混じって小5の俺がレギュラーになったことで、親父の野球熱は物凄くなってしまった。小5の時の試合がそこそこ見れたことで、小6の俺への期待はうなぎ上りだ。

だから、俺は小5の冬にめちゃくちゃ自主トレしたんだよ。もう、自分のピークが下がってきてるのがわかってたから。

信じられるか?小5でさ、もうピークが終わりかけてんだよ。それをたった11の小僧が悟って焦ってんだよ。

その頃の自分を思い出すと泣けてくる。

元々好きでもなんでもない野球をさ、好きだと大切だと思い込んで、親父の期待に応えようと親父を喜ばせようとさ、必死で謎のトレーニングを繰り返して。

スクワットだの走り込みだの腹筋だのさ、一体何の効果があったんだろうか?

とにかく筋肉でガチガチに固めた俺の体は、小6になったらピタっと伸びなくなった。なんだか膝も横に開く動きでズレるような感じになった。

故障だ。身長も伸びなくなり、小5までは少しばかりガタイのよさが目立ってた俺は、小6では段々周りの奴らに身長もスキルも追いつかれレギュラー落ちしそうな気配を感じていた。

親父は練習が足りない、基礎が大切だと繰り返して、部活後の自主トレを強要するだけ。膝が痛いといっても、成長痛だとか冷やしておけとかいうだけで、治療するという考えが無かった。近所の整骨院に月1、1人で通わせるだけでそれも保険が効かなくなったらいかなくていいと言われた。

どうなるかわかるよな。

今なら体ができてないない子供に負荷をかけすぎるのは怪我の元で選手生命が短くなるだけだって、知ってる人も多いだろう。

だけど親父はさ、「俺たちの時はこんなもんじゃ無かったぞ、甘えるな」とかなんとか本当に時代錯誤なんだよ。親父にとって高校野球部で県大会でベスト4までいった、その時のメソッド、仲間が最高で最強なんだ。

全員クソみたいな体育会系モラハラパワハラ集団だよ。それから50年たっても盆暮れ正月は集まってあの頃の話で酒盛りだ。

全員爺で3分の1くらいはいなくなっちまってるのにさ!

 また話がズレた。いつも野球のことを思い出すと怒りでワケがわからなくなるよ。

そう、俺の初夢は小6の試合、お情けで打席に入れてもらった俺が打てなくて、守備でもミスって負けたあの夏の最悪の日のことだ。

別に試合が負けるなんてどうでもいい。ただの小学校の部活だ。

そのあと、親父が勝手な自主練を学校の校庭ではじめて、他の子供も親も帰ってしまって、帰り際にコーチが親父にボソボソと、なんかもう帰ってくれ的なことを言って去って行ったあの夏の夕方。

素振り100回くらいやったのだろうか、イヤ1000回だろうか。覚えてないけど手にマメができて痛かった感覚が薄れていくくらいはやっていた。

親父が「もうやめるか」と何度も聞いてくるが

本当に止めていいのか、俺を試してるのかわからなくて「まだやります!」と叫んでずっと続けていた。本当はすぐやめたかった。素振りなんか意味ねえんだよ!野球自体が意味が無い!ただ厳しいだけで試合も楽しくない、練習も楽しくない、周りのバカどもとも話は合わない。

本当に疲れ切って、何でこんなことしてんだろうって悲しささえこみ上げてきた時、親父の何度目かの「もうやめるか、やめてもいいんだぞ」が聞こえてきて、思わず「はい」と言ってしまった。親父の求めている答えじゃ無いことはわかってた。

でもずっとずっとやめたかったんだ。素振りだけじゃない、野球も親父との自主練も。

親父の野球帽の下の目が一瞬ギラッと光った。

怒ってる。

ひと呼吸置いて「本当にやめていいのか」と低いトーンでもう一度聞いてきた。

俺は泣きながら言った。

「はい、やめます」

それがその時の素振りの自主練のことなのか、野球のことなのかハッキリと俺も親父も認識していなかったと思う。

親父は「わかった。じゃあもうお終いだ」とゆっくりと噛み締めるような言い方をした。

そうやっていつも子供を脅かしてコントロールしていたんだよな。はっきりと指示したり命令したりしないで、目線や言い方で言外に俺をビビらせて言うなりにさせていた。

その時、俺はそのことに気づいたんだよ。

「はい」とだけ、答えて親父に俺の覚悟をみせた。つまり、ここで俺は野球自体を辞めるって、方向性が定まったんだよ。

「いいんだな」

親父はまだ未練たらしく確認行為をしている。俺も後には引けなかった。何より本当に止めたかった。この意味のない時間を。

「はい」低いトーンでキッパリと答えた。

親父の顔は夕方の日差しと野球帽のツバの影でよく見えない。だけど今ならわかる。今まで自分の言いなりでがむしゃらに頑張ってた俺が、はじめて反抗したことでどうしたらよいかわからないくらい動揺してたんだろう。

親父は、息子と一緒に甲子園を目指す熱血お父さんというキャラを崩壊させられ、次の言葉が出なくなってしまった。

黙ったまま、俺を睨みつけ、その後、体を翻して歩き出そうとした。その足をとめ、俺のことを見ずにこう言ったんだ。

「お前はダメだ。これからなにをやってもダメだ。ここで負けるような人間は、これからも勝つことはない。もう終わりだ。」

そして帰って行った。

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