つま先

森下 巻々

(全)

 彼女は、お酒に酔うと、屡々、僕を馬にする。四つん這いにさせて、その上に跨ぐのだ。「うま、うま、うま」。子供みたい駄々をこねて、僕を四つん這いにさせる。僕は、嫌々に観念したような顔をして、畳の上に掌と膝を突く。今朝は、これを初めて見る客人もいて、目を丸くしているのが分かった。僕は、その視線に躰を熱くさせながら、彼女にお臀を突き出す。「ほら、もうちょっとこっちッ。乗れないじゃない!」。彼女が叩いた僕の腰は、鈍い音を放った。「さあ、さあ、歩きなさいッ」。僕は、お重も徳利もある黒い卓の周囲を、のそりのそりと四つん這いで進み始める。「あーら、今日は、お嬢様も、随分お元気で」。食事を持って来た彼女の婆やが、二人を見て、目を細める。僕は、ほかにも周囲の視線を感じながら、左右の腕と脚を交互に動かす。僕の視界には、畳の目と、その先の赤い柱と、ときどき端に入ってくる彼女の美しい、つま先だけがある。僕には、周囲の声が聞こえなくなってくる。無音の空間の中で、この恍惚が何時までもいつまでも続くかのように感じている。

   (令和七年 元旦 午前十時十五分「保存」)

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つま先 森下 巻々 @kankan740

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