#9
我が家には……と言うか、俺達姉弟の間には一つの鉄の掟がある。
曰く、「飯時前のお袋は絶対に怒らせるな」だ。
考えてもみてくれよ。普段から説教の長いお袋だぜ?
飯の準備前、あるいは準備中に怒らせたら、一体どれだけの被害を被ることか……。
少なくとも朝飯が昼飯に、昼飯が晩飯に、晩飯が明日の朝飯になることは確定……うちのお袋は余裕で一昼夜説教し続けられる程にタフな人だった。
「はぁ……いただきます」
そんな掟など知る由もないメイが、早速やらかしてくれたらしい。時刻はすでに夜の九時を回っていた。
今回は親父の取り成しもあってか説教に費やされた時間は三時間程……うん、短くてよかったな、メイよ。
「まったくいい迷惑よね? あなたが白帝の娘であろうが何であろうが知ったことじゃないけれど、こちらの生活ペースを乱さないでくれるかしら。言っておくけれど、家ではあまりはしゃぎ回らないでちょうだいね? わたくしの前ではしゃいでいいのは愛らしい少年達だけよ」
「う、うぅ……す、すみません」
姉貴の刺々しい口調に、ただでさえ塩らしいメイは一層項垂れる。
言っておくが姉貴よ。平然と門限を破ったあんたがこうして飯を食えているのは、お袋がメイの説教に熱中していて気付かなかったおかげだぞ。普段なら門限破りは晩飯抜きなんだぞ。
「少年と言うたらお主、また近所の幼稚園で許可もなく園児達と遊んでおったそうじゃな、真金よ。一体、貴様は何度言えば……」
「そ、そうそう、そう言えば
お袋の怒りが自分に飛び火したと見るや否や、ここにいない兄貴……金剛院護銅に擦り付ける姉貴。何たる暴挙……いや、どこの家庭も似たようなものか。
ちなみに今更ながらに我が家の構成を説明しておくと、漁師の親父と専業主婦のお袋、それに二つ年上の姉貴に引き籠りがちな一つ年上の兄貴、それに俺の五人家族だ。お袋は妖怪、座敷童だから俺達姉弟は半妖ってことになるな、うん。
だが、別に多くの漫画や映画であるような「半妖は純粋な妖怪や人間から虐げられる」と言うことはない。
むしろ、この島では人間と妖怪の恋なんて日常茶飯事……そこまで珍しくもなかった。道を歩けば十人に一人は半妖に行き当たるくらいだ。佳賀里もそうだしな。
「あ奴ならば相も変わらず自室に籠っておる‼ まったく護銅にも困ったものじゃ‼ 飯くらい家族揃うて摂れと申しておろうに……。若かりし頃の旦那様は何を置いてもいの一番に食堂に現れ、積極的に手伝いを買って出られる好男子であったぞ? お主らも少しは若かりし頃の旦那様を見習わんか‼」
「だ~っはっはっは~っ‼ なんだ、そりゃ‼ この芸人、なかなか面白ぇじゃねぇか‼」
……うん、お袋には悪いが、当の親父は未だにソファーで酒を流し込みながら一人笑い転げている。とてもそんな話信じられたものではない。
「旦那様も‼ いつまでそのような場所で酒を飲んでおるつもりじゃ‼ 早々に飯を済ませぇい、いつまで経っても片付けられんじゃろうが‼」
「へいへい、ちょっと待て。この芸人のネタが終わったらそっち行くからよ? ……だ~っはっはっはっはっは~っ‼ そりゃねぇだろ、おい‼」
どうでもいいが、親父はお笑い番組が好きだ。俺に言わせりゃ最近は素人レベルな芸人ばかりでちっとも面白いとは思わないが親父は違うらしい。
更に本当にどうでもいいが、親父の笑い声はとにかくうるさい。軽く地響きすらも起こす程にとにかくうるさい。近所から苦情が来ないのが不思議なくらいだ。
「はぁ……若かりし頃の旦那様は……」
更に更に本当の本当にどうでもいいが、お袋の口癖は「若かりし頃の旦那様は」だ。どうやら、今の親父はお袋の惚れた当時の姿からかけ離れているらしい。
……多分、勘違いなことは秘密だ。憧れの存在が夫になったせいだってことは黙っておこう。
「そう言えば、ごたごたしてて忘れてたが、なんで十五歳のお前が五百年前に活躍してた《白騎士十二神将》のこと知ってんだよ、メイ? お前が生まれた時点ではとっくに神界追放されてたんじゃねぇのか?」
「まあ、追放と言っても形だけだからな。今でも父上の騎士であることに変わりはない。定例会議は五年に一度あるし、たまに王宮に遊びに来ることもあるしな。……来なくてもいいのに、刀次郎おじ様以外」
……最後の一言、本気で言ったよな、今。そんなにやり難いか、最強の騎士達が相手だと。
「……んっ? な、なあ、銀河?」
「あぁん、何だよ?」
心の底からの深い溜息を吐いたメイが、再度頭を持ち上げると同時、何かに気が付いたらしい。俺に身を寄せて小声で尋ねてきた。
「あ、あの人、誰だ? 今、突然現れたよな?」
「あの人って……」
メイの指差す先、俺達が食事を摂るテーブルからカウンターを挟んだ先、キッチンのシンク前だ。そこには先程まではなかったはずの一人の影が。
「ああっ、兄貴だよ、兄貴。……っつうか、いつの間に入って来た」
そう、シンクの前に立って食べ終えたらしい食器を洗っていたのは、俺の兄貴、金剛院護銅。忍でもある兄貴は、常に気配を遮断してひっそりと現れてはひっそりと消えていく。
肩に掛かるくらいの真っ黒な髪と、姉貴にも似た鋭い中にもどこか知的に感じられる瞳が印象的な人物だ。
「うふふっ……護銅、少しいいかしら? こちらにいらっしゃいな」
「……なんだ?」
何を思ったか怪し気な笑みを浮かべた姉貴が兄貴のことを呼ぶ。兄貴がテーブルの傍まで歩み寄るのを待って、姉貴はメイを手で示した。
「彼女、今日から我が家に居候を始めることになった白明明よ」
「えっ? あっ、は、初めまして」
「……そうか」
いや、そうかって……流石にリアクション薄すぎないか、いつものことだが。
そして姉貴よ。なんであんたが紹介するんだよ、メイのこと。
「ちなみに言っておくと、かつて、パパやママが仕えてた白帝の娘なの」
「……そうか」
「しばらくはこの家にいることになると思うから、あなたもよろしくしてあげなさいね?」
「……そうだな」
それだけ返した兄貴は、くるりと踵を返すと自室に向かって、
「い、いやいやいや、ちょっと待てぇい⁉」
歩みを進めようとしたところで、メイに肩を掴み止められた。
「……なんだ?」
「なんだじゃないですよ‼ 流石に反応悪すぎません⁉ もっと他に何か言ってくれてもいいんじゃないですか⁉」
「……そうか?」
……ちなみに一応言っておくと、兄貴は「なんだ」と「そうか」と「そうだな」以外の言葉も喋れるぞ、普通に。極端に口数が少ないだけだ。
「ん、んんっ……よ、よし、ではこちらから改めて名乗ってやるとしようぞ、喜べ人間‼」
どうしても何か言わせたいのか、メイはバサッとマントを翻しふんぞり返った。
と言うか、食事中にマントを翻すな、埃が舞うだろうが。
「されど‼ されど、ゆめゆめ油断してくれるなよ、人の子よ? 我が真名を最後まで聞いて命があると思うでないわ‼ 我が名は数多の闇より這い出でし世界の覇者‼ 麗しき終末の堕天使……」
「週末の堕天使……? 今日は日曜日だ。週の初めだ」
「いや、そこか⁉ しかも、意味違うし、よりにもよってツッコむとこ、そこなのか⁉」
は、初めて成立した会話がこれか……。流石にこれはメイが不憫に思えてきた。
「ど、どうせなら「堕天使」の方にツッコんでくださいよ? か、格好いいでしょ、堕天使? 私、堕天使なんですよ?」
「……分かった」
「いや、分かったって、信じるなよ⁉ 白帝の娘だって言いましたよね、真金さん? 白虎ですよ、白虎‼ 中国の神獣の一つ、白虎‼」
メイよ、お前は信じてほしいのかほしくないのか、どっちなんだ。
「……白虎? 堕天使じゃないのか、数多の闇より這い出でし世界の覇者麗しき終末の堕天使は?」
「「我が名は」って言ったが、それ全部名前なわけじゃない、肩書です肩書‼ 変なところでツッコむから大事なところまで辿り着いてないんですよ‼」
ゼェゼェと肩で息をしながら、メイは倒れるように力なく椅子に座る。
うんうん、お前の苦労はよく分かるぞ、メイ。
親父にしろお袋にしろ姉貴にしろ、うるさいのが多い我が家の中でも、兄貴だけは唯一、物静かなタイプだ。だが、同時に最も空気が読めず、話が通じないのも兄貴だった。
「え、え~っと、護銅さん、だっけ? じゅ、順番に説明しますよ? 私の種族は白虎で名前は白明明……白帝の娘です。ここまではOK?」
「……ああっ」
「そ、そうですか。それでここからが重要なところですが……よいか、人の子よ? 今までの前提条件は忘れてくれるでないぞ? その上で心は‼ 心は堕天使‼ 数多の闇より這い出でし世界の覇者‼ 麗しき終末の堕天使……と、ここまでが肩書な? それで真名はエルストリア・ディ・グランハウザーだ‼ どうだ、分かり易いであろう?」
「……そうだな、え……える? える~……うん、エルーダ」
「勝手に略さないでください‼ ちなみに最後の「だ」はただの語尾です、名前に含めない‼」
そこまで丁寧に説明する必要あるのか。
と言うか、丁寧に説明すればする程に恥ずかしいと思うんだが、脳内設定を。
「……なるほど……心は堕天使、か。俺みたいだな」
「は、はあ……? ご、護銅さんも中二病なのか?」
「いや、違うと思うが……」
……自分が中二病な自覚はあったんだな、お前?
「……堕天使……堕ちた天使……落ちこぼれ……」
ぶつぶつと連想ゲームの如く呟いた兄貴は、最後にふっと自虐的に口元を吊り上げて括った。
「……所詮、俺は護銅だからな」
それだけ残すと、今度こそ止まるつもりはないのだろう。自室に向かって居間を後にしていく。
兄貴の背中を黙って見送ったメイは、心底不思議そうに捻った首を俺に向けてきた。
「……な、なあ、銀河? 最後のあれ、どういう意味だ?」
「ああっ……「所詮、俺は護銅だからな」ってあれか? たまに兄貴が呟くが……俺もよく意味は知らん」
「あら、弟のくせに何も分かってないのね、あの子のこと?」
「ん、んんっ、ま、まあその~何じゃ……」
「だ~っはっはっは~っ、俺らもよく分からん、あの言葉‼」
気恥ずかし気に咳払いをしてから手を上げるお袋に続いて、豪快に笑い飛ばしてテーブルに近付いた親父が自席に腰を下ろす。
「はぁ……銀河だけじゃなくてパパやママまでとは……。ここまで子供のことを理解していないなんて、一家崩壊も近いのかしらね?」
呆れたように溜息を吐く姉貴だが、説明してくれるつもりはあるらしい。前髪の毛先を弄びながら、まあ、いいわ、と続けた。
「あの子のあの言葉は……一言で言うなら自虐よ。護銅……つまり、銅を護る。金と銀に続く銅……三番目をね? 早い話が自分はどんなに頑張っても「永遠の三番手」と……「弟にすら劣る無能力者」と罵っているのよ」
「あ、ああっ、なるほどな……」
あの一言にそんな深い意味があったとは……。ネガティブな一面があることは知ってたが、そこまで卑屈に考えてたんだな、兄貴。
確かに親父の力を受け継ぐ俺やお袋の血が濃い姉貴と違って、兄貴は無能力者……これと言って、特別な力は持っていない。半妖の場合、通常はどちらかの力が強く遺伝するものだが、兄貴は両親どちらの力もまったく受け継いでいなかった。
と言うか、前から気になってたが、なんで兄貴が「銅」で俺が「銀」なんだ? 普通逆じゃないか?
「まあ、それはそれとして……」
メイと兄貴の会話中も、一人意味深な笑みを浮かべていた姉貴。ここに来てその表情を一層濃くした姉貴は、メイに小馬鹿にしたような視線を向ける。
「如何かしら? 話の通じない相手と会話する気分は? 堕天使だの何だの……訳の分からないことをのたまうあなたも傍から見ればあんな感じよ?」
「い、いや、あそこまでか⁉ 自分で言うのも何だが、私そこそこ話は通じる方だと思うぞ⁉ 常識ある堕天使だと思うぞ⁉」
似たようなものじゃないか。まあ、天然でやってる分、兄貴の方が質は悪いのかもだけど。
だがな、姉貴よ? 話が通じないのは少年愛を語るあんたも変わらんと思うぞ。
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