#8

 金剛院家のリビングへと案内された私は、二、三度咳払いをして喉の調子を整える。

 見つめる先はリビングの扉。できるだけ音を立てないように慎重に慎重に扉を開いていく。

 本当なら吹き飛ばして堂々名乗りを上げたいところだが、流石にこれからお世話になるお宅をいきなり破壊するのもな。

 あっ、ちなみに《エスペランサ》とか言う事務所の扉は吹き飛ばしたが、あとでちゃんと直したぞ? くっ付いてればいいんだ、くっ付いてれば。

 さて、静かに扉を開いたところで……、

「ク~ッフッフッフ~ッ‼ 卑しき人の子よ‼ 我が名は……」

「あぁん?」

 ……思わず扉を閉めてしまった。だって、私の名乗りに一人のおじさんが振り返ったんだもん、物凄く怪訝そうに。

「んっ? どうしたんだよ、メイ? 早く入れよ?」

 ど、どうしたのかって? よくぞ聞いてくれた、銀河。じ、実は……実はな、

「おうっ、遅かったじゃねぇか、お前ぇら? 刀次郎から話は聞いてるぜ? 遠慮なく入んな、メイの嬢ちゃん?」

「な、ななな、なんでぇえ⁉ なんでこんなところに《不動将軍》がァアアアア⁉」

 そう……リビングのソファーにどっかりと腰を下ろし、枝豆片手にビールを煽る(しかも、瓶のまま)おじさん……。テレビで野球中継なんか見ながら一喜一憂するどこにでもいそうな気のいいおじさん……。この方こそ《白騎士十二神将》が一人、《不動将軍》こと金剛院鉄仙てっせんさん……って金剛院⁉

「え、え~っと……も、もしかして、銀河って……」

「なんだ、やっぱり親父も《白騎士十二神将》の一人だったんだな?」

「お、親父ぃい⁉ 銀河って《不動将軍》の息子なのか⁉ って言うか、さらっと受け入れ過ぎじゃないか、お前⁉」

「……ぶっちゃけ、二鶴木のおっさんよりは親父の方が「将軍」って感じだしな? むしろ、他がどんなのでもおっさんよりは「将軍」っぽいだろ?」

 ぽ、ぽいって……どんな判断基準だよ、それ。おじ様に失礼だろうが‼

「だ~っはっはっは~っ‼ しょ、「将軍」っぽいって‼ 刀次郎よりは「将軍」ぽいっておめぇな‼ だ、だがまあ、違ぇねぇやな‼ あいつは妙に人間臭ぇところがあるもんなぁ‼ だ~っはっはっはっはっは~っ‼」

 何がそんなに面白いのか《不動将軍》……もとい、鉄仙さんは膝をバシバシ叩きながら腹を抱えて笑い転げる。

 この人は昔からそうだ。な、何と言うか……一言で言うなら、豪放磊落? 障害物なんて気に留めないどころか、むしろ、気が付きもせずに我が道を突き進むタイプ?

 二メートルを超える高身長に金色の短髪と無精髭、鎧の如く鍛え上げられた分厚い筋肉……確かに見るからに歴戦の猛者って感じではあるかもだけど……。

「あ~っ……俺、宿題あるから部屋に戻るぜ? メイのこと頼むぞ、親父?」

 そう言い残した銀河は、一人そそくさとリビングを後にしていく。

「えっ⁉ あっ、じゃ、じゃあ、私も……」

 ちょっと待て、銀河⁉ いきなりこの人と二人っきりにしないでくれ、お願いだから⁉ わ、私、この人のこと苦手なんだが⁉

「おうおうっ、任せときねぇい‼ こっち来いや、メイの嬢ちゃん?」

「い、いや……でもあのその~……そ、そう、せっかく美味しくお酒飲んでるのに邪魔しちゃ悪いですし」

「気にするこたぁねぇやな‼ 若ぇ嬢ちゃんに酌してもらえる機会なんざ滅多にあることじゃねぇ‼ 何なら、お前ぇも一杯やっとくか?」

「いいい、いいえ、ご遠慮しておきます⁉ わ、私未成年ですから‼」

 手と首を全力で振り回して拒否する私の気持ちなんてお構いなし。ドシドシと恐怖の足音と共に歩み寄って来た鉄仙さんは、私の肩に無遠慮にも腕を回してきた。

「なんでぇ連れねぇなぁ? 俺なんかガキの時分からやってたぜ? 酒だけに避けちゃ通れねぇ道ってなぁ‼ だ~っはっはっはっはっは~っ‼」

 うっ⁉ お、お酒臭い⁉ そして、声がでかいし駄洒落は寒い⁉

 こ、これだから苦手なんだよ、この人は‼

 お願いだから戻ってきてくれ、銀河⁉ お前、絶対分かってないだろ。友達(?)の家で父親と二人きりって言うのがどれだけ気まずいか……。

 でも、鉄仙さんはそんなことまったく気にも留めてないんだから逆にやり難い。

「それにしても随分とまあ久しぶりじゃねぇか? 最後に会ったのは……確か、三年前の定例会議の時か? 元気にしてやがったか?」

「は、はい……お陰様で」

「そうかそうか。そいつぁ結構結構コケコッコーっつってなぁ‼ だ~っはっはっはっはっは~っ‼」

 そのままソファーへと強制連行された私は、まったく面白くもない駄洒落に一人爆笑する鉄仙さんにされるがまま、肩をバシバシ叩かれる。

 う、うぅ……なんで私がこんな目に……。誰でもいい。銀河でも真金さんでも奥さんでもいいから戻ってきてくれよぉ。……い、いや、真金さんはちょっと遠慮したいところだが。

 と言うか、この島に来てからつくづく不運続きじゃないか、私? 夜の学校では宣誓を邪魔された挙句、たっぷり三十分にも及ぶ説教、《エスペランサ》の事務所では銀河には襲われるし、流されるまま変な契約書(雇用契約書らしいが)にサインさせられる。居候先の自宅に付いたら早速ショタコン全開の毒舌お姉さんに絡まれ、今度はお酒臭いその父親にまで絡まれる……。

 どこに行った、私の堕天使としての威厳よ⁉

「……うだ。……そうだよ……そうだ‼ 私は……私は堕天使なんだ‼」

「あぁん? どうしたぁい、嬢ちゃん?」

 再び堕天使としてのプライドを取り戻した私は、鉄仙さんの腕を払い除け、すくっとソファーから立ち上がる。

「不敬であるぞ‼ 我が名は……」

「ぶふっ⁉」

 背中のマントをバサッと翻した時だ。これから、さあ声高に名乗りを上げるぞ、と言う時に、何やら不穏な声が。まるで飲み掛けのお茶を噴き出したかのような、頭を後ろから殴られたかのような声が聞こえてきた。

「……き……き……き……」

 それはどうやら、私が翻したマントが顔に張り付き、思わず上げてしまった声らしい。マント越しに怒りにプルプルと震える幼女の姿がよく分かる。

 ふふんっ、しかし、貴様のような小さき存在が怒りを抱いたところで、我には……、

「う、うげっ⁉」

 しかしあろうことか、幼女は張り付いたマントを引っ張り、私の首を絞めてきた。

 幼さ故の過ちか……覚えておくがよい、人は首が締まると苦しいのだ。マントを引っ張ってはいかんぞ、マントを。

「貴様何をしてくれるかァアアアア⁉」

 咄嗟のことに対応が遅れ、マントに引き摺られるまま前のめりに倒れ込んだ私に、眉尻をきっと吊り上げた幼女が怒鳴り散らす。

「う、うえぇえ⁉ せせせ、《聖域将軍》~~~⁉ なんであなたがこんなところにぃい⁉」

 ……いいや、幼女と言う表現は不適切か? だって、まったく幼くないからな。それどころか見た目幼女、実際は数百歳と言う典型的なロリババア。

「……久しぶりじゃのう、メイ? 泰然殿やお凛は元気にしておるか?」

「ははは、ひゃいぃいいい⁉ そそそ、それはもう⁉」

 口調はまだ穏やかなのに、ジロッと一睨みされただけで即座に正座を決め込んでしまう私。

 私にとって刀次郎おじ様含めて二人を除く《白騎士十二神将》は全員苦手な相手だ。そんな中でも、もちろんその度合いに違いはあった。

 一、二を争う程に苦手な相手……そう、それこそまさしく《聖域将軍》と謳われた眼前のロリババア、人形町童子わらしさんだ。ちなみに座敷童の妖怪だ。

 十代前半にしか見えない低身長に幼い顔立ち、腰まで伸ばした黒い髪……銀河の姉、真金さんも幼さを残してはいたが、更にそこから五、六歳若返らせた感じだろうか。着物に割烹着と言う和装が妙に似合う。

「あぁん? 何でぇ、童子? 今日はまた随分と買い込んできたじゃねぇか? ガキ共の誕生日だっけかぁ、今日は?」

 童子さんの足元に置かれた買い物袋一杯の食材を見て、鉄仙さんが怪訝気に首を傾げる。

「誕生日ではないわ。旦那様のところにも刀次郎から連絡があったのじゃろう? 今日からしばらくメイを預かってやってくれと。せっかくじゃ、今日くらいはもてなしてやらんでもないと思うたが……」

「あっ、そ、それはありがと……って、ええっ⁉ だだだ、旦那様ァア⁉ ももも、もしかして、お二人は……」

「うむ‼ この儂こそが旦那様の生涯の伴侶にして、銀河達三児の母‼ 人形町改め金剛院童子じゃ‼」

 左手の薬指に輝く結婚指輪を堂々と示しつつ、童子さんは力強く宣言してみせた。

 ま、まさか、お二人が……って、別にそこまで意外でもないか? 何故なら童子さんは昔から鉄仙さんにぞっこん……を通り越して、最早病んでた程だったもんな。

 鉄仙さんに他の女……たとえ、同じ《白騎士十二神将》でも親し気に話し掛けようものなら、負のオーラ全開で藁人形を取り出してたっけ?

 座敷童が藁人形に五寸釘を打つって……何だか物凄く効果ありそうだよな。

「……それはそうとメイ~? お主は何故我が旦那様の隣に座っておったのじゃ~? それも随分と楽し気に話しておったの~、う~ん?」

 えっ……ちょ、ちょっと待て。どうしてこのタイミングで再現するんだ、凄くいい笑顔で? その矛先は……ま、まさか、私じゃないよな⁉

「ご、ごご、誤解です⁉ 誤解なんです、童子さん⁉ こここ、これは鉄仙さんが無理矢理⁉ で、ですよね、鉄仙さん⁉」

「あぁん? 無理矢理って……俺に酌すんのがそんなに嫌だったのかぁ、嬢ちゃん?」

「いいい、いえ、滅相もない⁉ それはもう喜んでお酌させて頂きますです、はい‼」

「ほ~う……喜んで旦那様に酌をの~? そうかそうか……お主はそんなに我が旦那様を誑かしたいか?」

「そそそ、そんな⁉ そんなわけないじゃないじゃないですか⁉ だだだ、誰がこんな酒臭いおじ様に……」

「なんでぇ、もしかして俺のこと嫌ってんのか、お前ぇ? だ~っはっはっは~っ、結構結構‼ それならそれで構やしねぇよ」

「まま、まさか⁉ 嫌ってなんていませんよ⁉ ええっ、尊敬してます‼ 尊敬できる男性だと思ってます‼」

「だ、「男性」と……尊敬できる「男性」と思っておるのじゃな? まさか、お主が我が旦那様をそのように見ておったとはの~?」

 あ、あぁん、もう⁉ 私にどうしろって言うんだ、この状況‼ この夫婦やり難いんだが、本当‼

「ん、んんっ……まあ、そのようなことはよい。年甲斐もなくちと嫉妬に駆られてしもうたのう」

 一度、咳払いをして気恥ずかしそうに居住まいを正した童子さんは、しかし、冷静さを取り戻したのも束の間。再び、先程よりも数段鋭く瞳を吊り上げる。

「時にメイよ……」

「ははは、はい~~~⁉」

 ……私がどうして《白騎士十二神将》の中でも、特にこの人を苦手としてるかって?

 微妙にヤンデレ入ってるから? もちろん、それもある。

 だけど、この人を苦手な最大の理由は……、

「あれ程言うて聞かせたであろうが‼ 目上の相手に対しては最大限の礼儀を以て接するようにと‼ それを何じゃ、先程の態度は‼ 儂らが年長者であることを除いても、居候先の家主に向かって礼儀を示した態度と申すか、あれが? だいたい、お主は昔からそうじゃった‼ 誰に対しても堕天使じゃの深き闇じゃの訳の分からんことをほざいて周りに迷惑をかけておったな? いい加減、現実を見んか、痴れ者が‼ お主は堕天使でも何でもない‼ ただの白虎……神獣じゃろうが‼ お主がそのような世迷言をほざく度、父君たる泰然殿の尊厳は損なわれておるのじゃぞ‼ そもそも、お主は泰然殿の長子としての自覚を持たんか‼ 人の上に立つ存在ならば……」

「は、はい……はい、まったくその通りでございます」

 理由は単純明快……とにかく説教が長い‼ 長過ぎるからだ‼

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