第7話

翌日の朝、早めの朝食を終えて一人空手部の朝練へ参加する為に家を出た。

凛子は、朝ごはんと弁当の後片づけで遅くなるので、授業に間に合うように家を出ると言っていた。彼女は結局、綾瀬先輩の誘いは断り空手部には入部しなかった。綾瀬先輩は、結構強引に勧誘したが凛子が首を縦に振ることはなかった。学校で忍術を使わないように言った俺に気を使っているのかもしれないと思うと少し申し訳ない気持になった。

もしかすると、本当は凛子も空手をやってみたかったりするのかもしれない。彼女の学生生活を邪魔する権利は俺には無いのだ。



「あれは何だ?」色々な事を考えながら、いつもの通学路の途中、何かに蹴躓く。改めて確認をすると、道の真ん中に大きな黒い物が横たわっていた。人だ、人が倒れている。まさか、行き倒れなのか。


「すいません、大丈夫ですか!?」俺は慌てて駆け寄る。朝早い為か人通りは無い。俺が通らなければ大変な事になっていたかもしれない。


「う、ううう」黒く長い前髪で顔が半分以上隠れていてよく解らないが、女性のようである。お腹を押さえて苦しんでいる。車の事故にでも巻きこまれたのかと思ったが、どこも怪我はしていないようだ。


「お腹が痛いのですか?救急車呼びますか!」どうやら、急な腹痛に襲われたようだ。苦しみ方が腎症ではない。俺はスマホを取り出し119を押そうとしたが制止される。


「待って…、違うの…」か細い声で訴える。やはり長い髪の毛のせいで彼女の表情は全く読めない。しかし、その声からして酷く苦しいようだ。


「でも…、そんなに苦しそうなのに」彼女の意思を尊重する。仕方ないので俺はスマホを自分のズボンのポケットにしまった。


「お腹が、お腹が…」やはり、苦しいようだ。口元が苦痛で歪んでいる。


「だから救急車を」もう一度、ポケットに手を突っ込みスマホを掴み、救急車を呼ぼうする。


「待ってください…。私は、お、お腹が空いているだけで…」少し恥ずかしそうな素振りである。やはり、表情は読めないって…。


「えっ!?」彼女が何を言っているのか俺には理解できないでいる。相変わらず苦しんでいることだけは解る。


「昨日の朝から何も食べていなくて…」少し泣いているようにも見える。


「腹が減って…、苦しかったのか…」何だか少し安心する。しかし、相変わらず苦痛で嗚咽を漏らしている。腹が減っただけでここまで苦しめるのは、才能かもしれないと思った。


食べ物の持ち合わせは、凛子が作ってくれた弁当だけであった。仕方がないので鞄から弁当箱を取り出すと彼女に渡した。


「こっ、これは!?」彼女は飛び上がると、弁当箱の蓋を開けた。


「ちょ、ちょっと、道の真ん中では!あそこの公園のベンチで食べれば…」ここまで言ったが、既に弁当箱に箸を伸ばしていた。


ベンチに移動し、二人で腰掛ける。


「いただきます!」既に食べていたような気がするが、口の端からヨダレを垂らしている。


「どうぞ」今日は、昼飯抜きだなと少し落ち込んだ。学食でパンでも買おうかと思ったが、財布を持ってこなかった事に気がついて愕然としてしまった。


「とても美味しい、お弁当でした。これはあなたがお作りになられたのですか?」


「そんな訳無いよ。これは…、家族が作ってくれたんだ」凛子の笑顔が頭に浮かんだ。なぜか、少し申し訳ない気持が押し寄せてくる。


「ありがとうございました。このご恩は決して忘れません」なんだか織物でも織りに来そうな勢いである。


「いや、そんな大袈裟な…」両手を振って辞退する。


「いえ、あなたは私の命の恩人です。ぜひお名前を教えてください」食い下がってくる。俺は改めて固辞する。


「いや、それより俺、朝練あるんで、これで行くよ」一連の出来事で忘れていたが、空手部の朝練には完全に遅刻の時間であった。俺は立ち上がると、彼女から逃げるように公園を後にした。きっと、綾瀬先輩に怒られるに違いなかった。


「本当にありがとうございました。!私の名前は猿渡静です!きっとこのご恩はお返し致します!」遠くで叫ぶ猿渡の声が聞こえた。まあ、社交辞令位に考えておく。


そして猿渡に渡した弁当箱を返してもらうのを忘れた事を、道場に到着してから気がついたのであった。


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