彼はこの日、旅をした

 私は学校から出た後、フラフラと公園の周りを歩いていた。今帰ったら親に何か言わなくてはいけない気がする。そして、それは私にはできない。


 だから、帰りたくない。


 行くあてもないので、ベンチに座る。見通しも何もない無意味な犯行。それをわかっていても、家には帰りたくない。


 だんだんと空は茜色に染まっていく中、少年は一人でベンチに座り思案にくれていた。自分がこれからどうすべきなのか。逡巡している自分の心を一つに定めようとした。


 だけれど、それは定まらない。


 自分は、家族を愛したいのだろうか。本当に愛したいと思っているのだろうか。そもそも、愛す資格はあるのだろうか。


すると、ある疑問が湧いてきた。


私はもうすでに家族に一員たり得る資格すらも失っているのではないだろうか。


 あの少年の言うように、家族と純粋に仲良くできたらいいのに。はっきりとした理由があれば、私は家族を愛すことができるのに。そのためならいくらでも努力するのに。

なのに私の家族は醜い。

 ▲


 もう5時か。どこかからか帰宅の時間だと知らせる歌が流れる。この地域はふるさと、だ。ふるさと。家族のいる場所。待っている場所。そんな場所、今の僕にあるんのだろうか。


 ぼーっと空の一点を眺める。カラスが群れをなし、電線から飛び去っていった。


 すると唐突に影がさした。視界が遮られる。なんだろうと思って視線を前に戻すとそこには巨漢の男が立っている。


「なっ...」


 思わずたじろぎ後退りしてしまう。だが、椅子に座ったままではうまく距離が取れない。退路のないことを認めて、開き直った。


「なんですか?何か御用でしょうか?」


 まただ。また挑発的な喋り方になってしまった。


「うん?特に意味はないよ。ただ、君が悩んでいる気がしたから少し話を聞こうかと思って」


 挑発に反応もせず、その男は応答する。その巨漢に見合わない、優しげな声であった。見透かしたようなその口調に既視感を禁じざるを得ない。


「は、はぁ。そうですか。特に悩んでいることはないのでお引き取りください」

「本当かい?頼ってくれてもいいんだよ。まぁ、知らないおじさんにいきなり話せってのもまた変な話か...」


 彼は落ち着いた声音でそう言いながら私の隣に腰を下ろした。やはり、既視感がある。この会話のやり取り。彼と赤坂の姿が重なる。


「本当に大丈夫かい?」

「大丈夫です!」


 強い口調でそう言うと私はその場から離れようと席を立った。だが、彼の言葉で引き止められる。


「私の話を少し聞いていってくれないかい?私ね、家族のことで少し悩んでいるんだよ」


 また、見透かされてしまう。本当にこの人たちはなぜこうも人の心の機微に敏感なんだ。


「今日ね、一番下の息子と喧嘩してしまったんだ。私の家は貧しくてね。祖父の残した借金を返しながらやっとのことで生活しているんだ。だから末っ子にはお兄ちゃん達のお下がりで我慢してもらってるんだけど。

 だけどね、それが嫌みたいで。着古した洋服をいっつも学校にきていくと馬鹿にされてしょうがないって言うんだ。だから新しいのが欲しいって。だけど、そんなお金がなくて。

 先が見えないこの生活に僕も嫌気がさしていたんだろうね。少し叱りつけようと思って、それにあいつが反抗したから喧嘩になったんだ」


「.........」


「だから、今から家にかえって子供に謝ろうと思って。ごめんねって。本当に申し訳ないことをしたよ」


「その、お子さんの名前を聞いても?」


「みのるだけど?」


「あなたの苗字は?」


「赤坂」


 そうか。赤坂。やっぱりこの父にしてあの子ありだ。どう足掻いても僕には目指せない、綺麗な家族愛だ。本当に美しくて、眩しい。

 だからこそ目を逸らしたくなってしまう。


「そうですか」


「うん。そうだよ。それがどうかしたのかい?」


「いや、特に何も」


「じゃあ君、なんで泣いているんだい?」


 泣いている?

 顔に手をやる。彼の言った通り、そこには一筋の涙が伝っていた。自分にはないものを見せつけられて、欲しくなって、だけど手に入らないものだと知っていて。


 その涙には醜い羨望しかなかった。自分の持ち合わせていないものを妬んで、悲しんでいた。


 あぁ。本当に自分が嫌になる。

 私は彼の問いに答えることなく踵を返して走り出した。


 時を告げる歌はもうすでに鳴り終わり空はだんだんと暗くなる。


 ▲


 私は、田辺海斗でいていいのだろうか。

 それが今、一番知りたいこと。

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