第3章:心震わす時

 花農園への旅から数日が経ち、結の中で何かが確実に変化していた。作業台に向かうとき、ふと七緒の笑顔が浮かび、心が落ち着かなくなる。


「結さん、最近、表情が柔らかくなりましたね」


 志水の言葉に、結は少し慌てた。


「そう、でしょうか?」


「ええ。まるで、春の陽だまりに包まれているような」


 その表現は的確だった。七緒という存在は、確かに結の心に暖かな光をもたらしていた。


 その日の午後、いつものように「Blooming Days」を訪れた結は、珍しく七緒の姿が見当たらないことに気づいた。


「あら、結さん。七緒なら、奥で特別な注文のアレンジメントを作ってるわ」


 店のスタッフが教えてくれた。結は少し躊躇したが、奥へと足を進めた。


 作業スペースで見つけた七緒の姿に、結は息を呑んだ。真剣な表情で花と向き合う彼女は、いつも以上に美しく見えた。


「あ、結さん!」


 気づいた七緒が顔を上げ、はにかむような笑顔を見せる。


「邪魔をしてごめんなさい」


「ううん、来てくれて嬉しいです。実は、ちょっと行き詰まっていたところで……」


 七緒の前には、白とピンクを基調としたアレンジメントが置かれていた。


「ウェディングブーケの依頼なんです。でも、何か足りない気がして」


 結は七緒の隣に立ち、花々を眺めた。


「このピンクのバラ、もう少し内側に入れてみたら? そうすることで、花嫁の心のときめきを表現できるかもしれない」


 七緒は目を輝かせ、結のアドバイス通りに花を動かした。


「素敵! まるで、秘密の想いが花の中心で輝いているみたい」


 二人は顔を見合わせて微笑んだ。その瞬間、何かが空気中で震えているような感覚があった。


「結さん……私、言いたいことがあるんです」


 七緒の声が少し震えている。


「なに?」


「今度の日曜日、うちでお茶でもしませんか? お花のアレンジメントも教えられるし……」


 結の心臓が大きく跳ねた。


「ええ、喜んで」


 その返事に、七緒の頬が薔薇色に染まった。


 日曜日、結は七緒のマンションを訪れた。玄関を開けた途端、心地よい花の香りが漂ってきた。


「お部屋の雰囲気にぴったりね」


 リビングには、さりげなく活けられた花々が置かれ、北欧調の家具と見事に調和していた。窓から差し込む陽の光が、部屋全体を柔らかく包んでいる。


「お茶を入れますね。結さんの為に、特別なブレンドを用意したんです」


 七緒がキッチンへ向かう後ろ姿を、結は見つめていた。小さな背中に秘められた強さと優しさを感じる。


「はい、どうぞ。ローズヒップとカモミールのブレンドなんです」


 差し出されたカップから立ち上る香りは、まるで七緒そのもののよう。甘く、優しく、そして心を落ち着かせる。


「美味しい。七緒さんのセンスが光るわ」


「えへへ、結さんに褒めていただけると嬉しいです」


 二人は向かい合ってソファに座り、静かにお茶を楽しんだ。時折目が合うと、どちらともなく微笑み合う。


「あの、今日は花のアレンジメントも教えていただけるんでしたよね?」


「ええ! 実は、結さんの為に特別な花材を用意してたんです」


 七緒は立ち上がり、冷蔵庫から花材の入った箱を取り出した。


「これは……」


 淡いピンク色のバラ。先日、花農園で見つけた品種だった。


「結さんと一緒に見つけた花。私、すぐに注文しちゃいました」


 七緒の顔が赤くなる。結の心臓も、大きく跳ねた。

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