買い物ブギ

佐倉千波矢

買い物ブギ

 マルゼン・マートは、千鳥かなめ御用達のスーパーマーケットである。

 三階建ての大型店舗で、衣類や服飾品や雑貨なども扱う量販店だが、彼女が利用するのはもっぱら一階の食品と日用品の売り場だった。たいていは学校帰りに、夕食の材料を調達するために寄るからだ。

 駅から自宅への帰路に面しているので都合がよい。品揃えが豊富で、生鮮食品の質と鮮度は悪くない。店内は明るく清潔感のある印象で、店員の接客態度もそこそこだ。高校に入学して以降は、ほとんどここですませるようになった。

 すでにいまでは店内の詳細な商品配置はもちろん、曜日ごと週ごとに安売りされる商品の傾向、よく買う品物の底値、夕方のタイムサービスの開始時間、割引シールが貼られる時間、などなど、しっかり把握している。

 今日は第三金曜日。

 かなめは店の入り口で、さっと記憶を走査した。

 金曜日は肉が特価。周期的に、今日はたぶん鶏肉のはず。よし、今夜のメインは照り焼きチキンに決定。

 第三週だからデイリー食品が五パーセント引き。明日の朝のお味噌汁はスタンダードに豆腐とネギにしよう。朝食の友、納豆も忘れずに。

 偶数月の第一金曜というと、やった、冷凍食品が四割引き。小分けされた総菜は、お弁当の隙間埋めに重宝する。冷凍ピラフもいくつか欲しい。温めるだけならソースケにもできるだろうから、家に持って帰らせよう。

 マルゼン・マートの入り口から、風防室を抜けて、買い物カートに歩み寄るまでの間に、かなめの頭の中をそれだけの事柄がよぎった。

 クラスメイトで、近所の住人で、荷物持ちで、ついでにカレシの相良宗介は、いつもどおりむっつり顔のまま無言で隣を歩いていた。カート置き場まで来ると、言われる前にさっさとカートを一台引き出し、カゴをセットする。荷物持ちにもすっかり慣れたものだ。

 かなめは自分の躾が行き届いていることに自己満足した。数ヶ月前に初めて一緒に来たとき、警戒しすぎて逆に挙動不審で店員の注意を引き、尾行されていると彼が勘違いしたのも、今となっては楽し……くはないが想い出の一つだ。

 野菜売り場を進みながら、ふと腕時計を確かめると四時四五分だった。

 金曜日の放課後は、生徒会の仕事で遅くなることが多いので、いつもなら割引シール付き商品狙いになる。だが当のシールがまるで見当たず、ようやく時間の違いに気が付いた。今日はたまたまこれといってやることもなかったので、早々と下校したのだ。

 この時間ならタイムサービスを狙える。かなめは握り拳を作ってほくそ笑んだ。

 タイムサービスは五時からだ。金曜のサービス品はたしか卵か牛乳のどちらか。両方とも切れているからちょうどいい。

「千鳥、なにやら生き生きとしているな」

「そう?」

「この状態が『魚心あれば水心』か」

「……それをいうなら『水を得た魚』よ」

 かなめは、手にしていたダイコンで突きを入れようかと思ったがやめておいた。食べ物を粗末に扱うべきではない。彼の勉学意欲を削がない方がいいだろう、という配慮も少しはあった。

 野菜売り場の途中まで来たところで、唐突にかなめが立ち止まった。

「忘れてた。ちょっと戻るわよ」

 くるりと向きを変えて、言葉どおり入り口の方へと引き返していく。即座に宗介もカートを方向転換させた。

「どうした千鳥」

「今月からポイントカードが変わったのよ」

「ポイントカードというと、支払い前に君がレジ係に手渡すプラスチック製のカードだな?」

「そうよ。でも今度はペットカードになったの」」

 この店のポイントカードは、これまでのプラスチックカードから、ペットタイプのリライトカードに変更されていた。プラスチックカードはポイントがレシートに書かれるが、リライトカードはカードにじかに書かれるためわかりやすい。また、薄いので財布に入れるにもかさばらない。かなめは丁寧に説明してやる。

 半年は旧カードも有効で、切り替えを急ぐ必要はなかったが、思い立ったら即実行の性格がかなめをサービスカウンターに向かわせる。

 カウンターの向こう側にいた若い女性に用件を告げたところ、記入するようにと申込用紙とボールペンを渡された。住所欄を埋めようとして、ふと思いつき、用紙を少年の前へとスライドさせる。

「ついでだからあんたも作りなさいよ」

「必要なかろう。俺がこの店に一人で来るなど滅多にないぞ」

「たまにはあるんでしょ? だったらポイントがもったいないじゃない。ほら、ここ住所書いて!」

 かなめには基本的に無条件降伏となる宗介は、結局ボールペンを受け取った。住所を記入する。

 だが、続けて名前を書いていたときだった。携帯電話が呼び出し音を発した。デフォルトのままの電子音は、宗介の携帯だ。彼は即座にボールペンを置き、電話に出た。

 英語での応答を耳にした途端、かなめは自分の機嫌が四五度くらい傾いたのがわかった。こちらに背を向けた宗介から視線を外す。

 カウンターにのっている書きかけの申込用紙を眺めた。名前の欄には「相」の文字だけがぽつんと書かれている。手持ち無沙汰さからボールペンを取り上げ、その続きの「良」の字を書いた。

 一度手を止めて少年の様子を窺った。今から職場に向かうのだろうか。大きな溜め息をつきながら、無意識に右手を動かした。

「……あ!」

 手元から注意が逸れていたのがいけなかった。見事に書き損じている。

「やだ、あたし、なにやってんだろ」

「どうした?」

 いつの間にか宗介が傍らに立っていた。

「べ、別に……」

 かなめは慌てて手元の紙を裏返し、右側にいる彼から遠ざけるために左側に押しやった。

「それより電話は? 仕事、行くの?」

「いや、緊急呼集ではない。整備について意見を聞かれただけだ」

「ふうん」

「安心しろ。この週末は君と一緒にいる」

「そっ」

 安堵感で頬の筋肉が弛むのを感じたが、かなめは相変わらず気のない素振りをする。

「お客様、こちらをどうぞ」

 声を掛けられて振り向くと、カウンター越しに女性がペットカードを差し出している。

「え?」

「これまでのポイントはこちらに移し替えました。ご確認ください」

 カードの表面に視線を落としたかなめは、途端に焦った様子でそれを受け取った。

「……ど、どうも」

 どうやら宗介と話をしている間に申込用紙が回収され、カードが作成されてしまったようだ。受け取ったそれをそそくさと財布につっこんで、カウンターを後にした。

「千鳥」

「な、なによ」

「どうかしたのか?」

「どうもしてない」

 妙に慌て気味のかなめの様子に、なにかと鈍い宗介でも不思議に思った。

「千鳥?」

「だからどうもしてないったら」

「いや、蛍光灯を購入するのだろう? 売り場を過ぎてしまうぞ」

 確かにそのとおりだ。様々な形と大きさの蛍光灯がずらりと陳列されている棚の前を歩いていた。

「あ……りがと。気が付かなかったわ」

 二人は立ち止まって物色する。ちょうど目に付く段には「特価」と手書きのポップが貼ってある。購入予定のドーナツ型も含まれていた。

「千鳥、これが一番安いぞ」

「却下。それはダメ」

 少女はすげなく首を横に振った。

「理由は?」

「こういうものは、安けりゃいいってもんじゃないの。買うならこっち」

 彼女が手に取ったのは「パルックプレミア」という商品だった。廉価品より二割ほど高い価格である。

「値段は高くても、寿命が長くて省エネタイプだから、差し引きすればこっちの方が得なの」

 宗介は首を傾げる。

「そういうものか?」

「そういうものよ」

 かなめは商品をカゴの中に収めた。

「予備も購入しておいてはどうだ?」

「買い物ってのは必要なものを必要なときに必要な分だけするの。それが無駄遣いをしないためのポイントよ。覚えておきなさい」

 そのまま奥へと進み、洗剤売り場を通りかかった。いつも使用している洗濯洗剤に、またも「特価」とある。買う予定ではなかったが、一応値段を確認した。

「安っ! これは買わなきゃ。お一人さま一個限りか。でも宗介がいるから二個買えるわね。や~、あんたが一緒にいてよかったわ」

 解釈によっては、彼の存在価値が「液体アタック(詰替用)」一個分にしか相当しないと言ってるようにも取れる。もっとも宗介は言葉を額面どおりに受け取るタイプなので、気にすることはなかった。

 かなめはアタックを二個、カゴの中に入れた。

「必要なものを必要なときに必要な分だけ購入するのではないのか?」

 揚げ足を取るつもりはなく、純粋に疑問に思った宗介が尋ねる。

「洗剤は毎日のように使うでしょ。買い置きしたってすぐになくなっちゃうわよ。でも蛍光灯なんて、一度取り替えたら何年ももつじゃない。そういうものはその都度買った方がいいわけ」

 なるほど、と宗介は納得した。常々買い物がヘタだと評されていたが、かなめはこういった点について述べていたのか。

「おっと、そろそろ時間だわ」

 腕時計をちらっと見て、五時五分前を確認した途端、かなめがいきなり小走りになった。

「千鳥?」

 宗介は慌てて追いかけた。だが買い物客の多くが同じ方向に向かっている。進むに連れて人工密度が増して、カートを押す彼は思うように動けなくなった。

「そこにいて!」

 指示に従い、宗介は端の方へカートを寄せた。視線だけでかなめの後を追う。少女は巧みに人波をかきわけて快進撃を続けた。幸い彼女は身長が高い方で、周囲が女性ばかりだったのもあってわりと目立ち、なんとか見付けられる。

 行く先には人だかりができていた。

「五時から当店恒例のタイムサービスを始めます。本日のサービス品は卵! 卵です。LLサイズ一パック税込み九八円。お一人様一パックでお願いします。新鮮卵が一パックなんと九八円! 先着一〇〇名様限り」

 店内に男声のアナウンスが響いた。人だかりの中心にいるマイクを握った若い男が発しているようだ。それに引き寄せられて主婦と思しき女性客が続々と集まってくる。

「ただいまよりタイムサービスを始めます!」

 マイクを握った若い男性が宣言する。その声が消えないうちに、いきなり前方が戦場になった。卵の争奪戦である。

「…………」

 前方の光景の凄まじさに宗介は圧倒された。たとえカートがなかったとしても、これ以上近づくなどできるわけがない。

 昼休みの陣代高校でも、パンを巡って同様の争いが毎日起こるが、レベルが違う。陣高の様子を蜜に群がる蟻に例えるなら、こちらは獲物に群がる肉食獣としか言い様がなかった。

 二〇秒後、群れから離脱したかなめを確認し、宗介は心底安心した。

「無事か、千鳥?」

 少年の心配とは裏腹に、少女は卵のパックを掲げて見せた。

「やったね! 二パック確保!」

 戦場から意気揚々と生還したかなめは、戦利品をカートにそっと入れた。髪はほつれ、制服のブレザーは乱れ、リボンタイは崩れているが、実に満足げだ。

 少女の逞しさに、宗介はただ感嘆するしかなかった。

 卵戦争が終わった頃には、別の場所にやはり人だかりができ始めている。こちらは詰め放題をやるようだ。今日の商品はキュウリである。大勢の主婦と思しき中年女性が、ビニル袋にぎゅうぎゅうに押し込んで競い合っていた。

 宗介は、すぐ横の少女に顎と視線でそちらを示した。

「参加しなくていいのか?」

「あれはいいの。買い物ってよりは、娯楽みたいなもんだから」

「そうか」

「漬け物でもつくるならともかく、ウチは二人だけだから、キュウリが何十本もあったって冷蔵庫の中で腐らせるのがオチよ。ソーセージなんかのときはちょっとやってみたいかなって思うけど、そのためにわざわざ行列に並ぶなんてばからしいしね」

「ふむ」

 かなめは人差し指をピッと立てた。

「それに、さっき言ったでしょ! 必要なものを必要なときに必要なだけ、よ」

 真剣に講釈するかなめは、以前テレビ番組で見たカリスマ主婦とかいうタレントを宗介に思い起こさせた。

 あらかじめメモしてきたリストの品物がすべてそろうと、二人はレジスターへと向かった。ここでもかなめは先行してさっさと四番レジに並び、宗介を手招きする。

「三番の方が並んでいる客が一人少ないぞ」

「人数だけじゃなくて買ってる量も見なきゃダメよ。あっちは二人目も三人目もカゴの中が山盛りでしょ。あれじゃ会計に時間かかるから、品数があまり多くない人ばかりのこっちの列のがいいの」

 小声でこそこそとやりとりしているうちに、順番が回ってきた。隣では三人目がまだ会計中だ。確かに四番レジで正解だった。

「ポイントカードはお持ちですか?」

 レジ係の中年女性がマニュアル通りに尋ねてくる。

 かなめは、先刻カウンターで手にいればばかりのカードと紙製のカードを一枚ずつ差し出した。

「買い物袋も持参してます」

「かしこまりました」

 ペットカードはカードリーダーに通され、紙のカードにはスタンプが一つ押された。その二枚はすぐに持ち主の手に戻った。

 支払いは宗介の担当だ。彼が千鳥宅に入り浸りになって間もない頃、生活費は自分が出すと言いだしたことがあった。かなめが断っても珍しく意見を引っ込めないので、話し合った結果、一緒に買い出しに行ったときに、その代金を払うということで折り合いを付けていた。

 宗介が釣り銭とレシートを受け取っている間に、かなめは買い物カゴをサッカー台に移動させた。カゴの中の品物をキャンパス地のトートバッグに移し替えていく。

 半分ほど終えたところで、カートを置きに行っていた宗介が戻ってきた。彼からレシートを受け取り、かなめはさっと目を走らせる。

「よし、予算内。レジのミスもなし」

 残り半分を買い物袋に移していた宗介が、思わず感嘆の息を漏らした。

「なんというか、徹底しているな」

「そりゃね、毎月の生活費は決まってるんだから、上手にやりくりしないと」

 宗介は、かなめの親友である常盤恭子が、

「最近のカナちゃんて、主婦道を驀進してるね」

 と言っていたのを思い出した。

「主婦というのはそこまでするものなのか?」

「……あたし主婦じゃないんだけど」

 少女の表情が微妙な感じに変化した。咎めているようにも、拗ねたようにも見える。その理由は宗介には見当もつかなかったものの、引っかかったのが「主婦」という単語であるのは察した。

「家庭生活の管理運営担当者を主婦と呼ぶのだろう?」

「まあ、そういう意味でなら、そうだけど」

「うむ、君は実に立派な主婦だな」

「ななななにバカなこと言ってんのよ!」

 少女はあからさまに狼狽えた。宗介には、相変わらずそれがなぜなのかわからない。

「さっさと帰るわよ」

「了解」

 外に出るとすでに街灯が灯っていた。だが通りにはまだ、夕暮れ特有の赤みを帯びた淡い光が残されている。

「日が暮れるの、早くなったね」

「そうだな」

 二人は並んで歩きだした。宗介は買い物袋を提げ、かなめは蛍光灯だけを抱えている。家路を急ぐ人々の中、二人の歩調だけがのんびりとしていた。

「千鳥、さきほどレジスターで使用したカードだが」

「うん?」

「ポイントカードというのは、購入金額に応じてポイントが付き、毎回加算されるのだな?」

「そ。一〇〇円ごとに一ポイントつくの」

「なんのためにポイントをためるのだ?」

「えっ、いままで知らなかったの?」

「以前君に尋ねたとき、そのうち説明してくれるという返事だった」

 言われてかなめも思い出した。たしか店員を尾行者と勘違いした宗介に機嫌を損ねていて、質問にはぞんざいに答えただけだった。

「そうだったわね。……え~と、ポイントは支払いのときに一ポイントを一円としてお金代わりに使えるのよ」

「理解した。では、紙のカードは?」

「あれはお店のビニル袋をもらわなかったらスタンプを一つ押してくれるの。スタンプが二〇個たまると店内で使える五百円の買い物券と交換できるのよ」

「そうか」

「次でちょうど二〇個になるわね。今度寄ったときには買い物券に替えてもらって、フードコートでアイスクリームでも食べようね」

「ああ」

「ミズキには『買い物袋を持ち歩く女子高生なんてありえない』とか言われたけどね」

 かなめは肩をすくめて苦笑した。

 宗介は、恭子の言った「主婦道」とやらが、なんとなくだが理解できたような気がしてきた。

「君は高校生であっても主婦だからな」

「はいはい、それはもういいから」

「そういえば疑問に思ったことがもう一つあった」

「なに?」

「ポイントカードに記載されていた会員名が『相良かなめ』になっていたのはなぜだ?」

「えっ?」

 立ち止まったかなめの顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。

「あんた気が付いて──。いや、あれは、ほら……あんたの名前を書こうとしてなんか間違えちゃって捨てるつもりだったのにその前にお店の人が作っちゃってだから仕方ないのよ!」

 しどろもどろになりかけてから一転、一気にまくし立てた。勢いに気圧された宗介は思わず一歩身を引く。

「っていうか、ソースケ! あんた、わざとなの?」

「なにがだ?」

「だからさっきから主婦主婦って」

「君が何を言おうとしているのかわからん。それよりも千鳥、顔がひどく赤いぞ。発熱したのだろうか」

「違う! あんたってなんだってそうなの」

「『そう』とは何を指しているんだ?」

「もういい」

「しかし、千鳥」

「黙りなさい!」

 そっぽを向いたまま歩き出したかなめの斜め後ろを、忠犬よろしく宗介は付き従った。

 どうやらまた怒らせてしまったらしい、と密かに溜め息をつく。途端に心配事がひとつできた。果たして今夜の夕食は馳走してもらえるのだろうか?

 だが、それをかなめに質問するのは憚られた。口にしたが最後、寝室からも閉め出されるだろう。それだけはなぜかはっきりとわかった。

 真横に並び、そっと様子を窺うと、少女の視線がちらっとこちらを向いて目があった。怒りは消えていた。それどころか、なぜか困ったような照れたような表情をしながら、微苦笑を浮かべた。宗介は完全に面食らった。

 やはり彼には、オトメゴコロなどまるで理解できないのだった。


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