第4話
締めきられた大広間では、音楽隊の演奏に合わせて貴族たちが再び踊り直してはいたが、
王妃は二階の桟敷にいた。取り巻きの女性たちも今は他所へやったらしく、護衛二人だけ側に置いて、不機嫌そうな空気で、窓の外を見ている。
ラファエルが入って来ると、振り返って見据えてきたが、やはり彼に対しては他の人間のように冷たくあしらうようなことはなく、入っていらっしゃい、と言うような仕草を見せた。やって来てラファエルは優雅に一礼した。
「イアン将軍の警備は万全のようですよ。じきに賊も捕まるでしょう」
「そう……」
王妃セルピナは窓の外を見遣った。
その空気にラファエルは少し意外な気がした。
確かにこの気位の高い王妃なら、自分が事実上支配するヴェネト王宮に賊に侵入されるなど、腹立たしいと思うだろうが、入ったものは仕方ないのだ。警備も万全であるのだから、あとは捕まえればいいだけである。ほっといて踊りましょう、と気にするのも癪であるというような感じを出すのかと思ったが、いつも豪気な王妃が押し黙っている。
ラファエルは彼女を見た。
「ご心配ですか?」
王妃がフランスの貴公子を見上げる。
「それは、各国から身分の高い客人もいらっしゃっていますから」
ラファエルは青い瞳を瞬かせてから、にこ、と微笑む。
「確かに。しかし人はここに集まっているのですから、心配ないでしょう。あのスペイン将校の戦歴に任せて大丈夫だと思いますよ」
王妃は窓辺に寄り掛かった。
「……貴方は本当に、こういう時でも随分落ち着いていられますのね、ラファエル。御覧なさいな。下の貴族たち。城下で暴れ回っている殺人鬼が城に侵入したと聞いてすっかり怯えてしまっているわ」
確かに、踊りは踊っているが、みんなどこか上の空でざわざわとしている。
「昔から暢気な子供だと言われて来たもので。しかし、身分の高いご令嬢たちが、野蛮な侵入者に怯えるこのは仕方ないと思いますよ」
「そうね。折角の夜会が台無しだわ」
数秒沈黙が落ちた。
「陛下がご心配なのでは?」
「え?」
王妃セルピナがもう一度ラファエルを見る。
他意はなかったのだが、彼女があまりに分からない、という顔をしたのでラファエルは首を傾ける。
「こんなところから出られず。しかし妃殿下と殿下に万が一のことがあってはなりません。
病床の陛下がご心配でしょう。よろしければ、私が見てまいりますが……」
数秒後、ああ、と王妃は妙に明るく頷いた。
「よろしいのよ……ラファエル様。確かに陛下の御身は心配ですが、最上階の部屋に賊が近づくことは絶対に不可能ですわ。翼を持つ者でも無い限りね。警備も、私が信頼する者達にしっかりと任せてありますから、その心配はありません。お休みになっていることは祈りますけれど。城に賊が入ったなどと陛下のお耳に入ったらご心労になります」
ラファエルはその時、何か違和感を感じたが、その時は何かは分からなかった。
「西の塔の方に追い込んだとさっき聞きました。じきに捕まるでしょう」
西の塔はヴェネト王宮の最西端だ。それより西には湿地帯しかない。
王妃を安堵させるためにそういったのだが、彼女はすぐ、寄り掛かっていた身体を起こした。
「なんですって、西の塔に……」
「妃殿下?」
王妃はすぐに身を翻した。
「ロシェル! ロシェルはいる⁉」
「参謀は警備の様子を確認するために外にお出になられています」
「……」
「妃殿下? どうなさいました?」
「その賊――まさか、【シビュラの塔】に近づくつもりでは」
ラファエルが息を飲んだ。王妃の口からその名を聞くのは、初めてだった。
そもそもヴェネト王宮は公に、まだ【シビュラの塔】が自分たちの所有物であることすら認めていないのだから。
「妃殿下」
そう一言呟いた彼女の顔が青ざめているように見えて、ラファエルは声を掛ける。王妃は手を差し出したラファエルの顔を見た。
「ラファエル。貴方は私の敵ですか?」
フランスの貴公子は突然切り付けられた言葉に、目を瞬かせる。
――その時、ラファエル・イーシャという青年の持つ最大の魅力が、ごく自然に言葉を口から導き出していた。彼はこういう時、打算的にならない。
自分でも考えることすら出来ない時間の中で、どうしても答えを出さなくてはいけない時ラファエルが見せる素の反応が、フランスにおいてこの貴公子が社交の場で、どのような相手からも思わず愛される、その理由だった。
ジィナイース・テラは、人から問われた時の返しが魅力的な少年だった。聡明さが物を言うというより、利発な閃きによって紡ぎ出された言葉や表情が、何とも相手の心を惹き付ける。ラファエルも彼に惹き付けられた一人だ。
だから、人間というものは、腹の底で何かを考えるばかりではなく、例え何も考えずに出した言葉だとしても、美しく、魅力的でなければならないのだと彼は知った。彼が誰に対してもとにかく否定ではなく肯定から入るようになったのは、それが理由だった。
ジィナイースと別れて十年の時が経ち、彼を慕う少年だったラファエルは青年になった。
彼と再会し、会った時、彼に愛されるような人間でありたいと願い続けたから、彼は周囲の人間にも優しくしようと決めた。
「私が敵であるかは、妃殿下がお決めになることです」
ラファエルは穏やかな声で言った。
「私はこの地において、両陛下、殿下の臣下という立場です。
貴方が味方になれというのならそうであるし、
敵になれというのならそうあります。
私が選ぶことではありません。妃殿下。
私はもう貴方の臣下なのですから」
王妃セルピナは押し黙った。
本当は敵などとんでもない味方でございますとひれ伏した方が良かったのかもしれないが、とラファエルは内心苦笑する。
この王妃が「敵か?」などと聞いて来た以上「ハイ」という返事を求めていないことだけは分かった。敵になるつもりはないのだという気持ちだけは、伝えたつもりだ。
外したかなあ、と暢気にラファエルが思った時である。
「……そうね、確かに。貴方の言う通りだわ。では、ラファエル・イーシャ。
私は貴方に、私の最大の味方であることを命じます」
「拝命いたしましょう」
ラファエルは優雅に腰を折った。
「早速、賊を追って参りましょうか?」
「いいえ。貴方には戦うことを求めているわけではないのです」
「? は……。私はてっきり……」
ラファエルは戦えないが、王妃が戦えと命じれば剣を抜いて戦うしかないのだ。
「私と一緒について来て下さい。本当ならばロシェルを連れて行くのですが今は騒ぎで捕まりません」
「はい。勿論お望みとあらば供をいたしますが……どちらに?」
「城を出るのです。本当は他国の人間など近づける場所ではないのですが……ヴェネトの人間さえ、近づかせない場所なのです。聡明な貴方なら、もうお分かりねラファエル」
さすがに、は息を飲んだ。
一瞬、ネーリの顔が過ったのは、命を懸けて彼が成そうとしていたことが、自分の手の届くことになりそうだったから。しかしラファエルはその欲を上手く自分の中に隠した。
「かしこまりました。道中何事かあった場合は、拙い私の剣ですが、命に代えても妃殿下の為に戦いお守りしましょう」
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