第3話
弓が耳のすぐ側を通過した。
反射的に上着の裏側に仕込んだ短剣を掴み、しかし握り締めたまま、何もせずネーリはテラスの手すりを蹴って下階に飛び降りた。
「飛び降りたぞ!」
「狼狽えるな! 下にも守備隊は展開してる! 上から射掛けろ‼」
耳に届いた、よく響く快活な声。
聞き覚えがある。
(イアンがまさか王宮にいるなんて……)
知らなかった。初対面の時王妃とはあまりいい出会いを出来なかったから、フランスの優遇に困ってると苦笑をしていた。それでも二国の指揮官は、駐屯地の火の側で、まあ俺たちは昔から宮廷晩餐会って感じじゃなかったからなと穏やかに笑い合っていたのだ。
でも彼は居合わせたのではない。
紛れもなく王宮の守備隊を指揮していた。
動揺をしている場合じゃない。自分の知らないうちにそういうことになったのだと理解し、すぐに覚悟を決めなければならない。
(フレディが……イアンのことを何て言ってたっけ)
下階の屋根に向かって矢が雨のように降り注いで来る。防ぐ術はない。あの矢よりも早く、射程の外へと逃れるしかない。ネーリは駆け抜けた。
「あんな足場のないところを! 動物みたいな奴やな……!」
イアンは側の守備兵から大弓を借りると、狙いを定めて引いた。
キリッ……、弦が震え、直後矢が放たれた。
ネーリは分かった。自分の首裏に向かって確実に飛んで来る軌道。
スペインのアラゴン家の末の王子の勇猛果敢さは、王家の中では最も名高いと言っていた。普段は年功序列を重んじる兄弟の中で、上の兄弟に容赦なくこき使われてると本人は笑っていたが、他国の将軍であるフェルディナントも、戦場でこいつは変わる、と言っていた。ネーリが今まで相手をしてきた、一般人を殴っているような警邏隊とは彼は違う。
本当の戦場を知り、戦士同士の戦いを知り、名を上げてきた本物の戦場の指揮官だ。
身を捻ってイアンの矢を躱す。他の兵の矢はネーリに当たらないと建物にぶつかって落ちて行ったが、イアン・エルスバトの矢は石の建物に突き立った。威力が、違うのだ。
仮面の男が鮮やかに矢を躱したことに、イアンは舌打ちをして弓を放った。
「あいつ……! 振り返りもせず躱したな。まるで背中に目があるみたいな奴や」
「もう射程は外れましたね」
イアンは小さな影が向かう先の塔を見遣った。
「あの先はあの塔で行き止まりや。あとは奥の湿地帯しか逃げ場はない。ただあいつはとんでもない飛び移り方するから、くれぐれも他所へ逃げられるなよ。あいつが戻って来ないようにここにも明かりを持って来て警備しておけ」
「団長はどちらに」
「どちらにってあいつを捕らえるに決まってるやろ」
「戦斧をお持ちしますか?」
「いや。剣で行く。あいつは早い。いくら俺でも戦斧ぶん回してもあいつ相手には分が悪いやろからな。急げ‼」
駆け出していくイアンの号令にすぐにスペイン海軍出身の守備隊たちが従いついて行く。こういう時、気心の知れた自軍の兵が守備隊にもいることは非常に大きかった。
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