第3話 アタック?
家に着くと、十七時過ぎだった。
制服のネクタイを解こうとしたら、スマホが鳴る。
『勉強、教えてほしい』
山本からだ。昨日、無理矢理連絡先を交換させられた。別に嫌ではなかったけど。
そんなことより、内容だ。今から?
「え、今から?」
『ダメなの?』
別にダメじゃないけど、さっき別れたばっかりなんだけど。
「じゃあ、着替えてからでいい?」
『制服のままがいい』
はあ? なんでだよ。
「なんで?」
『やる気出るから……』
なんかちょっと可愛いって思ってしまった。部屋の姿見を見ると、少し鼻の下が伸びていた。恥ずかしい恥ずかしい。
「分かったよ。どこで会う?」
『駅のファミレス。あそこなんか人少ないから』
「わかった」
解きかけたネクタイを結ぶのも億劫で、そのまま家を出た。
お母さんにどこ行くのって訊かれた気がしたけど、答える前に玄関のドアが閉まってしまった。後で事情を説明しないと。
ファミレスに着くと、すでに山本はいた。
彼も制服のままだった。けど、少しだらしなく着ている。美しい顔とスタイル抜群だからか、着崩した制服姿は、まるでドラマのワンシーンのような輝きがある。
(ちょっと、エロい……)
なんて恥ずかしい思考をしてしまったんだ……
男子を見て、こんなことを思うなんて。いや、これは山本がかっこ良すぎるからだ。そうに違いない。
シャツの上のボタンを外しており、鎖骨が見えている。ズボンからも少しはみ出している。
ネクタイも俺のように、ゆるゆるだ。
「お待たせ」
「あ、ありがとう。きてくれて」
「え、うん。だって……」
「行こ」
店内に足を踏み入れると、やはり客は少なかった。視界に入るのは、一人きりで座る老人の姿だけ。静まり返った空間に、小さな物音すら響き渡る。
理玖は迷うことなく店の最も端の席を選んだ。壁際に寄り添うような場所で、人目につきにくい。
わざわざこんな場所を選ぶ必要があるのか?
そう思いながらも、俺は黙ってその後を追った。彼の意図を探るように、そっと視線を落とした。
「何か食べる?」
「え、うん……。じゃあ、オムライス……」
俺はオムライスが好きだ。お腹も空いたし、ちょうどいい。食べたかった。
「可愛いね」
「な、何が?」
山本はフッと笑うだけで、それ以上は何も言ってこなかった。そして、問題集を机の上に取り出した。
「今日、これ教えて欲しい……」
そう言って見せてきたのは、英語の問題集。時制と書いてある。これは簡単だけどなと、思うが声には出さない。
「あー、これは過去の話かどうかを見て、動詞を変えるの」
「……」
「わかった?」
「……あの、柏原くん……」
「な、なに?」
「下の名前で呼んでいい……?」
「え、別にいいけど……。俺、空太だよ」
「じゃあ、空太。俺のこと、理玖って呼んで欲しい……」
「え、急にはむずいけど、頑張るよ」
「うん。ありがと……」
いやいや、学校の時と全然違うじゃないか。いつもは、クールで話しかけんなオーラが半端ないのに、少人数になると急によそよそしいというか、恥ずかしがっているように見える。緊張するのは俺の方なんだけど……
しばらく、英語の問題の解き方のコツを教えていると、山本は急に、横の空いているソファを叩いた。
「ここ……。来て欲しい……」
「え?」
やはりさっきから、アピールがすごい、気がする。いや、勘違いだろう。イケメンだから、そう思うだけだ。イケメンだから、そういうことをするんだ。
俺は素直に従って、山本の隣に座る。チラッと山本の顔を伺うと、嬉しそうに微笑んでいる。
ここは、フロアの構造上、個室のような造りになっているから、男子が二人横に並んでいても、誰にも見られない。隣の席に誰もいなければだが。
幸い、店内には、じい様が数名いるだけだったので、大丈夫だ。
山本からはいい匂いがする。香水かな? 柔軟剤か。普通の洗剤か。いや、山本の匂いだ。そのものがいい香りなのかもしれない。
「いい匂い……」
あれこれ思案していると、ボソッと思っていたことを言ってしまった。それを聞いたのか、山本は薄く赤色に染めている。恥ずかしいのか?
「この匂い好き?」
「え、うん……」
「これ、ヘアオイル」
ヘアオイルだとは思わなかった。いや、服からもいい匂いがするぞ。俺は、山本の匂いが大好きだ。
嬉しくなったのか、山本は、俺の右の太ももに手を乗せてきた。
「え……?」
驚きで手元が止まる。シャーペンの先がノートにポツリと黒い点を落としたまま、俺は硬直した。
「……あ、嫌?」
山本は、いつものクールな表情を崩さずに聞いてくる。でも、ほんの少しだけ眉が下がっていて、不安そうにも見えた。
「い、嫌じゃないけど……。」
正直、頭が追いつかない。
山本は数学の勉強を教えてほしいって言ってきたはずだ。それなのに、さっきから視線が妙に近かったり、腕が軽く触れたり、今度は太ももに手を置いてきたり——。
……これってどういうつもりなんだ?
「じゃあ、続き教えて?」
何事もなかったかのように言う山本。
(いやいや、無理だろ、こんなの!)
こんな状況で冷静に問題が解けるはずもなく、俺は内心で叫んだ。でも、山本の声は落ち着いていて、むしろこっちの動揺を楽しんでいるようにも見える。
モデル級のイケメンがこんな至近距離にいて、その手が俺の足に置かれてるなんて。冷静でいられるやつなんているのか?
俺の心臓は速くなるばかりで、息も浅くなってきた。
(なんでこんなことするんだよ……)
けど、嫌かと聞かれたとき、俺は「嫌じゃない」と言ってしまった。それが山本をさらに大胆にさせている気がして、余計に意識してしまう。
こんなかっこいい人に触れられるなんて、普通ならあり得ないことだ。
(それを、今俺は体験してる……)
興奮が抑えられなくなっていくのを感じながら、俺は震える手で問題を解くふりを続けた。でも、頭の中はもう数学どころじゃなかった。
「ねぇ……」
「な、なに?」
今度は何を言われるのだろう。あれこれ予想して、その返答を用意する。
「俺と……友達になって欲しい……」
「え?」
友達になって欲しい? いや、もう俺は友達だと思っていたから、その言葉は俺にとって少し心外だった。
「俺らってさ、まだ友達じゃなかったの?」
あんなことこんなことしてきたくせに、まだ友達じゃなかったのかという少しの怒りも込めて訊いた。すると、山本は今まで以上に嬉しそうに笑って、俺の腰に手を回してきた。
「ちょっとちょっと、何してんの……?」
「嫌ー? 友達だろー?」
「い、嫌じゃない……けど……」
「けど?」
急に山本は、馴れ馴れしくしてきた。もしかしたら、まだ友達として認識されていなかったから、よそよそしかったのかもしれない。それにしても、急に態度を変えてくるのは、こっちとして対応に困る。
「けどなに?」
しつこいよ。何もないって……
言いたいけど、山本に俺の体がいろいろ触られて声を出したら、変な声になってしまう。こんなことになるなんて……
「や、やめてよ」
山本を振り解くと、俺は立ち上がった。山本は、悲しそうにこちらを見ている。少しやりすぎたかなと思ってしまった。
「ご、ごめん。急にされたから……」
「いや、俺の方こそごめん。俺嬉しくなっちゃって」
俺は再び、山本の隣に座って、今度は俺の方から山本の肩に頭を置いた。山本は嫌そうにせず、俺を受け止めてくれている。
店内は、静かだけど、スピーカーからはBGMが流れている。
「1Dだ」
俺は、小学生の頃からワン・ダイレクションが好きで、昔からよく聴いている。だから、イントロ部分を聴いただけでわかった。
「知ってんの?」
「うん。この曲、今度の文化祭でやるんだよ」
どうやら、山本もワン・ダイレクションが好きみたいだった。二人で、しばらく好きな曲を語り合った。
俺が好きなのは、《No Control》だ。すぐにサビが来るし、そのサビもかっこいい。
山本が好きなのは、今流れていた《One Thing》らしい。理由は単純でかっこいいかららしい。安直な奴。
それから、二人で趣味の話をしあったりして、結局勉強は捗らなかった。
そして、文化祭の日に、山本が観に来てくれると言ってくれた。
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