パート4: 「料理人の哲学」

夜も更け、店内に残る客は夕ともう一人だけだった。カウンターに肘をつきながら、夕はグラスの水を揺らしている。その仕草に気を取られるわけでもなく、高雄は淡々と厨房の整理を進めていた。


「美味しいだけじゃなくて、きっちりしてる。」

夕が突然そう言った。高雄は顔を上げずに道具を片付け続ける。


「それがあなたらしいってことなんですか?」

彼女の声は軽かったが、その質問にはどこか切り込むような鋭さがあった。


「……料理は技術だ。」

高雄は手を止めずに答える。その言葉には揺らぎがない。


「技術か。」夕はグラスをくるりと回し、液面が不規則に波立つのを眺めた。「でも、何か込めたりはしないんですか?気持ちとか、想いとか。」


高雄は今度こそ手を止め、静かに彼女を見た。少し切れ長の目が一瞬だけ、奥底の感情をのぞかせたようにも見えた。


「そういうものは、余計だ。」

淡々とした声だったが、その一言が彼の中にある深い何かを隠しきれなかった。


彼の頭の中にはかつての情景が浮かび上がっていた。修行時代、師匠から叩き込まれた言葉が今でも脳裏に残る。


「料理に心を込めるだと?そんな不安定なもの、客に食わせる気か。料理は安定していなければならん。」


高雄はその教えを疑わずに受け入れた。そして、常に安定した技術を追求することで、他の何もかもを押し流してきたのだ。


「きっちりしていれば、それでいい。」

高雄は呟くように言い、調理台を手拭いで拭き始めた。


「ふうん。」

夕はそれ以上何も言わなかった。ただその目に、興味とわずかな困惑が浮かんでいた。


「もう遅い。」

高雄は静かに言い、客がいない時と同じ無表情で夕に視線を投げた。


「ああ、そうですね。」夕は立ち上がり、肩をすくめた。「おやすみなさい。」


彼女の後ろ姿が階段を上る音が消えた時、高雄はもう一度調理台を見た。


「込めるだと……。」


その言葉が、彼の頭の中にしばらくこびりついたままだった。

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