恋という名のクレイジーなやつ

清瀬 六朗

第1話 「チャーリー」の年越し(1)

 店のなかには七十五歳以上の「ろう」と二十一歳以下の「にゃく」を除く老若ろうにゃく男女なんにょ性的少数者含めて三十何人かがいて、「六十」からのカウントダウンに声を合わせていた。

 おお晦日みそか

 浅草あさくさの、ちょっと南の外れ、細い道に面した、四十年前にはおしゃれだっただろうビル。

 その地下にある店「チャーリー」で。

 「じゅいち! じゅう! きゅう! はち! なな! ろく! ごー! よん! さん! にー! いち!」

 かんかんかんかんかんかんかんかんかんかんかんっ!

 スタッフのピーちゃんが、得意げにふんぞり返って、トマト缶で作ったカウベルを打ち鳴らす。

 全力で。

 たぶん、ちょっと早い。

 カウントダウンの後半で明らかに走ったから。

 だが。

 「おめでとー!」

 「新年おめでとー!」

 「よめれろぉー」

 だれだよすでにが回ってないのは!

 「コンぐるぁチぇエーショおぉン!」

 だれだよ英語でが回ってないのは!

 スパークリングワインとか、スパークしないワインとか、ビールとか、ウォッカとか、あとだれかがどこかから持ち込んできたらしい謎の酒とか、酒でない炭酸の飲み物とか、酒でも炭酸でもない飲み物とか、そのグラスがちゃりっちゃりんと高い鋭い愛らしい音を響かせる。

 多少、走ったにしても、もう年は越しているだろう。

 自分も頬がまっ赤になっていることがわかる。

 坂村さかむら憲悟けんごは、口をゆがめてニヒルの笑ったつもりだ。

 ピアノの前に座り、鍵盤に指を下ろす。

 低音をじゅうぶんにスイングさせて前奏を聴かせる。

 店のなかの連中がしずまらないまま、右手でメロディーをたたき出す。

 最初は、おとなしく、美しく、流れるように。

 それを聴いて、

「ひょーっ!」

としか書きようのない奇声きせいが上がる。それに

「いぇーい!」

という声が応じ、グラスを置く音があちこちでして、少し遅れて拍手が響き渡る。

 曲はCrazyクレイジー・ Littleリトル・ Thingシング・ Calledコールド・ Loveラヴ

 クイーンというイギリスのバンドの、一九七〇年代とか、そのころの歌らしい。

 憲悟は詳しいことは知らない。

 ジャズしか聴かない、店ではジャズしかかけない、とか、そこまで頑固ではない。

 だが、いかんせん、ジャズやジャズ系のフュージョン、一部のクラシック以外の音楽については系統的な知識というのがない。

 まったくない。

 去年だったか

「クイーンってバンドの曲だって話だが?」

と紹介すると、子どものような若い男のアイルランドフィドル弾き上月こうづき恒爾つねじ

「ああ、『ボヘミアン・ラプソディ』の?」

と聞き返され、正直に

「あー、わからん」

と答えたら、まわりにいた六人ぐらいにいっせいに驚かれ、思いっきりバカにされた。

 それでも、この曲は、この店で、新年の一曲めに演奏する曲と決まっている。

 歌詞は知らない。

 曲名だけで気に入った。

 「恋という名のクレイジーなやつ」

 やや意訳。意訳だって何だってかまうものか。

 この店が憲悟のものになってからずっとこの曲でやって来たんだ。

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