天太玉命神社

 正月の宴の翌々日、本日は少し遠くまでお出掛けします。

 目的地は天太玉命神社あめふとたまのみことじんじゃ。秋田様の忌部氏いんべうじが祖とする天太玉命あめふとたまのみこと様を氏神とする神社です。

 お屋敷から3時間くらい歩いた場所にありますので、朝出発すれば昼前には着きます。しかし先方で用事を済まそうとすると帰りは日没後になりますので、今夜はこちらの世界に来てドキドキワクワクの初外泊です。一泊二日の小旅行なので護衛の人はもちろん、私の世話係として家人の源蔵さんと傘持ちのお姉さんが同行します。

 道は途中から整備されていて、歩きやすいので順調に進みました。舗装されている訳でもなく道幅も現代の生活道路くらいの狭い街道ですが、道を整備してくれた先人の苦労のお陰で、私達は獣道の様な危険な場所を通らずに済む訳です。

 これは飛鳥時代だけでなく現代でも同じ事ですね。先人の努力には十分な敬意を表しましょう。


 なむなむなむなむ……

 と考えていたら到着です。予定より少し早く着きました。お爺さんは幼女がいるから多少遅れるだろうと思っていた様です。疲れて歩けなくなった私のために源蔵さんをお供に連れてきたくらいですが、今の私には疲れた脚をリフレッシュする不可視ステルスの光の玉を脚に施す事で、疲れ知らずに歩けるのです。

 このまま鍛えて鍛えて鍛え抜いて、パワーで負けないマッスルかぐや姫を目指すのもいいかも知れません。


【天の声】頼む、止めてくれ。


 天太玉命神社あめふとたまのみことじんじゃ、実は二度目の訪問です。私が現代にいる時、かぐや姫所縁の神社である讃岐神社に行った時、足を延ばして天太玉命神社へお参りに行きました。電車とバスを乗り継いで1時間くらいで到着しました。

 記憶にある現代の天太玉命神社は、都会の中にひっそりとしたたたずまいをしていましたが、目の前にある天太玉命神社は周りに不似合いなほど荘厳で、緊張感すら感じるピリッとした空気に包まれています。

 飛鳥時代において人々にとって神社とは、自身の運命を委ねる心の拠り所であり、万物に宿る神々への畏れの対象でもあり、日常生活において罪を裁く裁判所の様な場所ですらあります。司法のない世界で宗教とは絶対的な価値観を持っていて、帝や有力な豪族が瓊瓊杵尊ににぎのみことの天孫降臨の際に従って天降った神々の子孫であるのも人々にとって神の威光が絶大であった証左でもある訳です。


【天の声】早口ヲタクチョウになっているぞ。


 いけない、いけない、つい力が入ってしまいました。

 秋田様は天降った神々の一柱である天太玉命あめふとたまのみこと様の系譜にあたる尊いお方で、この地方の有力者一族の一員であります。にも関わらず、秋田様は決して偉ぶらず、私の様な子供にも気さくに接してくれる優しい師匠です。


 あ、秋田様が出迎えにきました。


造麻呂みやっこまろ殿、良くぞ参られました。

 姫様、変わりは無いかな?」


「萬田様には大変お世話になりました。おかげでまだまだ未熟ではありますが舞も形になる程には上達しました。新しき年が良き年となりますよう、お祝い致します」


 暗記していた新年の挨拶を一気に読み上げました。


「はっはっは、姫様は会う度ごとにご成長されてますな。次に会う時には私なぞ近寄りがたい程の見目麗しい女性になっているかも知れませんね。

 いや、昨年はこちらこそお世話になりました。おかげで何時にない楽しい年が過ごせた事にお礼申し上げます。迎えの準備が出来ております故、ごゆるりとして下さい」


 本当に秋田様は腰の低い方です。


「(小声) 造麻呂みやっこまろ殿、少し宜しいかな?」


 秋田様がお爺さんに何か言ってるみたい。

 夕飯の相談? 取り引き? お土産の書物しゅみのほん


 ***** 別室にて *****


造麻呂みやっこまろ殿、申し訳ない。姫様に聞かれたくない話なので席を設けさせて頂きました」


「娘に聞かせたくないという事は、娘の事についてかの?」


「ええ……、萬田朗女まんたのいらつめを舞の師として讃岐へ派遣したのですが、五日後に帰ってきた彼女はまるで別人の様になっておりました。外見みかけ中身せいかくもです。

 彼女が言うには、姫様の事を天女だと言っています。それだけでしたら気に留めるほどではありませんが、彼女の口……あの歯が治っていました。

 姫様が治したと言うが、それは誠でしょうか?」


「……信じるかどうかは秋田殿に任せよう。その通りじゃ」


「一体どうやって?」


「ワシも娘に怪我を治してもろおた。娘には不可思議なところが多々ある。

 出生すら不明じゃが、天女であったとしたらむしろ納得するくらいじゃ。

 本人は否定しているがの」


「私は姫様にとって造麻呂殿の所でのびのびと過ごす事が幸せである事を知っております。しかし、天女様を囲う事が不敬に能わないかと言っている者もおり、姫様を造麻呂殿から取り上げようと考える者も出てきております」


「忠告、痛み居る。ワシらの可愛い娘じゃ。一人の父親として、娘には天女としてではなく女としての幸せを願っておる。

 それにな、最近は娘と婆さんとワシの三人の生活がこの上なく心地よいのじゃ」


「よく分かります。私も姫様との時間は至福ともいえる楽しみです。しかし当面の間、風当たりが強くなるとお思い下さい」


 ◇◇◇◇◇


 神社を訪れる有力者を集めた歓迎の宴の席で、私とお婆さんが並んで座っている所へ忌部首いんべのおびと(※)のトップの方がおいでになりました。

 (※全国の忌部氏を統率する伴造氏族です。)


 国の祭事を司る氏族として国の中枢にいる方で、同じく国の祭事を司る氏族の中臣氏、後の藤原氏に匹敵する勢力を持っている方だと思います。


「其方が国造麻呂殿の新たに養女となった娘かな?」


「初めてお目に掛かります。讃岐国造麻呂さぬきのくにのみやっこまろが娘に御座います」


「歳は幾つかな?」


「八才になりました」


「秋田の話では賢い娘であると聞いておるが?」


「未熟者には勿体無い過分な評価に御座います。その様に思われているのなら、それは秋田様のご指導の賜物で御座います」


 何となく尋問されている気分です。


「ここに来れば毎日、書に囲まれた生活が送れるがどうかな?」


 やっぱり……。隣に座っているお婆さんの目にも緊張感が漂っています。


「見た目の通り私は幼子に御座います。無償の愛情を私に下さる父様、母様の元を離れる事は耐え難き事に御座います」


「ふむ……造麻呂殿は非常に情深き養父であるのじゃな。

 いや、あれこれ聞いたな。ゆっくりとされよ」


 ふー、スゴイ圧です。

 お爺さんは秋田様とお話し中でお部屋にいないし、幼女が国の偉い人と一対一で話すのって何の罰ゲームでしょうか。

 最後のあの言葉はスカウトっぽかったです。書物には興味がありますが、巫女になるため竹取物語の世界にやってきたのではないので、丁重にお断りしなくてはなりませんね。お爺さんが戻ってきたら相談しましょう。

 いざとなったら秋田様に助けてってお願いするとしましょう。


 ◇◇◇◇◇


 その夜、天太玉命神社あめふとたまのみことじんじゃの近くのお屋敷のひと部屋をお借りしてお泊まりです。お爺さん対お婆さんと私とで枕投げ大会をしたかったのですが、周りの雰囲気が妙な感じなので大人しくします。

 お屋敷にいたなら今頃は内風呂でゆっくり湯船に浸かっている時間なのですが、今日は我慢です。

「やっぱり我が家が一番」なのは飛鳥時代でも同じですね。


 ……あ、お爺さんが帰ってきました。だけど少し疲れている様に見えます。


「ちち様、お疲れ?治す?」


「おぉ、娘よ。その様に見えるかの。大人の付き合いで少し気苦労があるだけじゃ。」


「じゃ、気苦労を治す」


 私は精神疲労を癒すイメージを載せて光の玉をお爺さんにそっと当てました。


「おぉ、娘よ。効果はてきめんじゃ。すごく気が楽になったぞ」


 表情を見ると、完全に取り払われたみたいには見えません。たぶん私には言えない国造くにのみやっことしての気苦労があるのでしょう。


「ちち様、宴の席で忌部首いんべのおびとの偉い方が来た。少しお話しした。」


 お爺さんの眉間に皺が刻まれます。


「娘よ。何て言っておったか?」


「私の事を褒めてた。褒めすぎ。あと、ここに来ないかと言われた」


「な……何と答えたのじゃ?」


「ちち様、はは様から離れたくない、と答えた」


「そ、そうか。そうじゃな。ワシもそなたと離れ離れになりたくはないぞ」


「ちち様、嬉しい」


 お爺さんは少し考えて、言いました。


「明日は夜が明けると同時に出立しよう。

 粗方の用事は終わった。残りはまた来て片付けるとしよう」


 隣ではお婆さんが心配そうな顔をしています。


「早く寝る。はは様、一緒に寝ましょう?」


「そうだね、明日は早そうだから寝るとしようかね」


 就寝の準備をしようとしたところに戸の向こう側から声がしました。


造麻呂みやっこまろ殿、お寛ぎのところを申し訳ないですが、お話があり参りました。

 宜しいですか?」


 秋田様の声です。


「ああ、構わんよ。どうぞお入り下され」


「お邪魔する」


 いつもの朗らかな様子の秋田様らしくない、うかない表情です。


「実はですな……」


 何か言い難そうな様子です。チラチラと私の方を見るので、おそらくは私が関係していそうです。なので私の方から切り出しました。


「秋田様、私は構わない。遠慮なく仰って」


「姫様、かたじけない。実はですな……昨日来た来客の中に讃岐造麻呂さぬきのみやっこまろの娘子の舞が見事だったとやたらと褒め称えていたのがおりまして。

 それを聞いた氏上うじのかみ様が、

『今宵は弓張り月にて、舞を奉納するに相応しい。聞けば萬田郎女まんたのいらつめの指導を受けたと聞く。その見事な舞とやらを我々も是非とも観たい』

 と申しまして、早い話が『今すぐ来て舞え』と言っております。

 おそらくは舞とは口実で、姫様をそのままずっと留めおくつもりでいる様子です。もし逃げるのなら手助けしたいが如何でしょうか?」


「何と!そこまで事態は切羽詰まっておるのか?」


「話せば長くなりますが、天女と噂される姫様を囲い込む事で自分のお立場を確固たるモノにしたいのだと。姫様の賢さと見目麗しさを見た氏上様は、例え天女でなくとも一向に構わないみたいです」


「なりふり構っている場合では無さそうじゃ。今すぐここを出よう」


 お爺さんに焦りの色がハッキリと出ています。


「ちち様、秋田様。逃げたところで何も解決にならない。

 秋田様にご迷惑が掛かる。だから舞えと言うなら舞う。

 私を敵に回すとどうなるか教える」


「娘よ……」

「姫様……」


「大丈夫。はは様も心配しないで」


 お婆さんは何も言わず私をギュッと抱きしめて、静かに涙を流して私の覚悟を聞き入れてくれました。


「秋田様、筆と墨をお願い」



(つづきます)

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