第3話

 翌週、広報サークルは来るイベントに向けて企画会議のラッシュだ。しかも、ハッキング被害を受けた分を取り戻そうと必死で、どのメンバーも気合が入っている。


「……というわけで、チラシとSNS配信を同時にスタートさせるプランでどうでしょう?」


 俺が提案した案を、ショウコが真剣な表情で目を通している。彼女はサークルのリーダー格だけあって、細かい指摘を次々と返してくるが、それだけ完成度が高まるというものだ。


「ここはもう少しターゲットを絞って発信しないと、拡散がバラけちゃうわ。方向性を揃えないとね」


「なるほど……さすがっすね」


 褒めたつもりはないけれど、気づけば自然と感嘆の言葉が漏れる。それくらい的を射た意見で、俺は学ぶことが多い。


 そんな中、元野球部で声の大きい友人、桐生コウヘイもサークル部屋に顔を出した。


「よーっし、気合いだ! お前ら今日は徹夜覚悟だぞ!」


 彼はビールの缶やらスナック菓子を山ほど抱えている。どうやら夜通しで作業する気満々のようだ。


「ちょっとコウヘイ、飲み会じゃないんだから……」


 ショウコが呆れ顔で言うが、コウヘイは気にせずガハハと笑う。


「まあいいじゃんか。作業しながらつまめば集中力も上がるって!」


 そして、夜半近くになると、サークルメンバーもヘトヘトになりながらもアイデアを出し合い、ようやく一段落のところまでたどり着く。


「よし……結構形になってきたな。あとは細かい修正を明日以降にすれば大丈夫そうだ」


 俺がそう言うと、ショウコも「うん、ここまで来れたのは大きいわ」と小さくガッツポーズをする。


 ところが、そんな和やかな雰囲気の中、コウヘイが突然余計な一言を放って空気を乱し始めた。


「ていうかさぁ、ショウコ先輩とカナメって最近いい感じじゃね? 俺、イチャイチャしてるとこ見ちゃったんだけど?」


 その場の全員が一斉にこちらを振り返る。ふざけて言ったつもりなのだろうが、俺もショウコも思わず言葉に詰まる。


「ちょ、何言ってんだよコウヘイ……」


「へぇ? そうなのかしら。なんか二人、一緒にいること多いし」


 他のメンバーの冷やかしの目が刺さる。ショウコは目を丸くして、ちょっと顔を赤らめている。


「バッ、バカ言わないでよ。あくまでサークルの仕事で一緒にやってるだけだわ」


「そ、そうだよ。別に変なことは……」


 そのあまりに慌てた様子が、むしろ二人の間の雰囲気を怪しくするわけで、コウヘイは「にやにや」と楽しそうな顔をしている。


 するとショウコが「いい加減にしなさいよ!」と一喝。仕方なくコウヘイは「はい、すみません……」とシュンと黙った。


 しばらくして、日付を跨いだ深夜。企画会議を終えて解散したあと、ショウコはふと俺のところへ小声で話しかける。


「……カナメ、もしよかったらちょっと荷物持ち手伝ってくれない? 今、家に資料を持ち帰って整理するつもりなの」


「もちろん。こんな時間だし、一人じゃ大変でしょ」


 サークル部屋からダンボール箱をいくつも抱えて、ショウコの家へと向かう。夜のキャンパスを歩くと、静まり返っていて、外灯がやけに明るく感じる。


「わぁ、重い……ごめんね、私の分まで持たせちゃって」


「平気っすよ。筋トレだと思えば楽勝楽勝」


 そんな何気ない会話をするうちに、ショウコの家の前に到着する。都会の小綺麗なワンルームらしく、玄関からして洗練された感じがする。


「……ありがと。ここでいいわ。あとは私が中に運ぶから」


「いや、ちゃんと中まで運ぶよ。重いし」


「そう? じゃあ……ちょっとだけお願いしようかしら」


 部屋に入ると、ショウコの私生活が垣間見えて少し緊張する。家具はシンプルで白を基調として、整然としている。意外ときちんとした生活感だ。


「ここに置いてくれる? よいしょ……」


 俺がダンボールを下ろして一息つく。すると、ショウコもぺたりと床に座りこんでしまい、「はぁ、疲れた」と小さく呟いた。


 その姿を見ると、普段の気丈な彼女からは想像しにくいほど無防備に見えて、思わず胸がキュッとなる。


「ショウコさん、大丈夫? 飲み物とか……」


「いいの。ちょっと、座り込んでるだけだから。でも……ありがとう」


 しばし沈黙が続く。時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる中、俺はどう言葉をかけたらいいか迷っていた。すると、ショウコがぽつりと声を漏らす。


「……最近、あまりにいろいろあって疲れちゃった。ハッキングだのイベント準備だの。海外インターンもあるし、正直、頭がパンパン」


「そりゃそうだよ。めちゃくちゃ多忙じゃないですか。でもショウコさんって、リーダーとしてすごくみんなを引っ張ってる。それは本当に尊敬っす」


「ふふ、そんなことないわ。私だって弱音くらい吐きたいし、休みたい。けど、周りには強気な態度しか見せられないのよね……」


 珍しくしおらしい声色の彼女。俺は思わず隣に腰を下ろし、その肩にそっと手を置いた。


「……俺はショウコさんの弱音、全然アリだと思いますよ。リーダーが少しぐらい頼ってくれたっていいじゃないですか」


 そう言うと、ショウコは少しだけ視線を下に向けて、黙ったまま俺の手に触れた。柔らかい温かさが、ほんのりと伝わってくる。


「カナメ……ありがとう。なんか、あなたには本音を言いやすいわ」


 耳元でそんな言葉を聞かされたら、ドキッとしないわけがない。二人の距離はいつの間にか近づいていて、自然と顔が近くなる。


 俺は心臓の音が自分でもわかるくらい高鳴っていた。けれど、ここで動くべきなのか迷う。そんな俺の迷いを察したのか、ショウコが小さく首を振って少し笑う。


「……ごめん、変な雰囲気になっちゃった? 今日はまだ、そこまでは……ね」


「う、うん、そうだね……! ごめん、俺も、なんか意識しちゃって……」


 そう言いあうと、二人とも顔を赤らめて照れ笑い。ギリギリの距離感で、でもまだ一線は越えない。俺たちはその場で何とも言えない甘酸っぱい沈黙を共有した。


 ショウコがそっと俺の手を握りしめ、「カナメ、ほんとありがとう」と一言。俺はそれだけで胸が熱くなる。


 そしてその夜、俺は完全徹夜で資料整理を手伝うことになったけど、不思議と疲れなんて感じなかった。むしろ、こうやって支え合える関係が、すごく心地いい。


 深夜の企画会議と荷物運びを経て、俺とショウコの仲はさらに一歩進んだ気がする。もしかしたら、このままイベントが成功したら本当に恋人同士になってしまうのかもしれない。そんな予感を抱きながら、俺はショウコの「ありがとう」の言葉を胸に刻み、夜明け前の街を後にした。

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