第2話

 翌日、大学の講義を終えた俺は、ショウコに言われた通りサークル棟の一角に足を運んだ。彼女が所属している“広報系サークル”の部屋は、まるでオフィスのようにPCやら書類があちこちに並んでいる。


「おお、来たなカナメ! 待ってたぜ!」


 軽く顎ヒゲを生やしたサークル代表らしき先輩が、そう声をかけてくる。横にはショウコが立っていて、いつものジャケットにミニスカ姿が今日もキマっている。


「カナメ、紹介するわ。こっちがうちのサークル代表の椎名先輩。SNS広報の企画を牽引してるの」


「へえ、初めまして。俺、冴木カナメっていいます。ショウコさんに声かけられて見学を……」


「いやぁ、噂は聞いてるぞ。バイト掛け持ちで鍛えたコミュ力があるらしいな? 正直、人手が足りなくて困ってたところなんだ。ぜひ力を貸してくれ!」


 まさかこんなあっさり歓迎されると思わなかったが、どうやらサークル内ではSNSを駆使した広報活動をしているものの、運営トラブルが多発しているらしい。


「実はね、私たちのアカウントがハッキングされて、勝手に変な記事が投稿されたのよ。炎上寸前になったけど、なんとか停止には成功した。でもまだ危険は残ってるわ」


 ショウコは少し眉をひそめながら説明する。確かに、ハッキングなんて聞くだけで大問題だ。


「それはたしかに厄介っすね……。バイトでSNS販促の経験はあるけど、専門家じゃないからどう対応するかはわからないかも」


「ううん、とりあえず拡散した情報を打ち消す作業を手伝ってほしいの。カナメなら上手くやれそうだと思うわ」


 そこまで買われるとは思っていなかったので、俺は戸惑いながらも前向きに検討することにした。


 サークルメンバーは皆、PCを開いて修復作業に追われている。俺も「何かできることは?」と声をかけるが、どうやら専門的なプログラムとかはよくわからない。


「よし、ならカナメには情報拡散のノウハウを活かして、ポジティブな投稿や口コミを広げてもらおう! 悪評に負けないくらいの話題作りが必要なんだ!」


 椎名先輩がそう言って、俺に任せてくれた。


「マジっすか。口コミを作るって言っても、バイトでやってた程度ですよ?」


「いいんだよ。むしろ若者の自由な発想がほしいんだ。俺らだけじゃ固くなりすぎるからな」


 なるほど、サークル代表らしく柔軟な考えを持ってる人だ。ショウコもその横で頷きながら、俺に視線を向けてくる。


「じゃあ、私たちも早速作業にとりかかりましょ。時間がないのよ」


「オッケー、わかった!」


 こうして俺はサークルの一員(仮)として、トラブル対策に加わることになった。バイト先の知識を思い出しながら、ポップなデザインの投稿案を作ったり、知り合いのネットワークにシェアしてもらったり、少しでも“いいイメージ”を広げる。


 その一方で、サークル内はまるで戦場だ。部屋のあちこちで「まずい、エラーが増えた!」「くそ、またパスワードがロックされてる!」なんて悲鳴が飛び交い、切羽詰まった雰囲気に包まれている。


 ショウコもSNSマーケティングが得意らしいが、今回はハッキングが原因だけに焦りが見える。それでも懸命に指示を出し、仲間を鼓舞している姿がなんとも凛々しい。


「ショウコさんって、やっぱすごいな」


 心の中でそう思うと、ショウコが振り向いて、「何ボーッとしてんの。手動かしなさいよ」と小さく笑う。


「すみません! つい、頼もしいなーって思って」


「……そ、そう? まあリーダーやってるから当たり前だわ」


 口調はツンとした感じだけど、どこか照れ隠しのようにも見える。俺は思わずニヤけそうになってしまう。


 やがて夜も更けてきた頃、作業は一段落した。まだ完璧とは言えないが、これ以上の被害拡大は防げそうだという。


「やった……なんとかここまでこぎつけた……」


 ショウコがほっとしたようにため息をつき、椅子にもたれかかる。その顔には疲れが浮かんでいるけれど、わずかに達成感も感じられる。


 メンバーが手分けして後片づけを始めると、ショウコが俺のところに近寄ってきてヒソヒソ声で言う。


「ありがとう、カナメ。あなたが入ってくれたおかげで、少し勢いが戻ったわ」


 少しだけ顔を赤らめているように見える。俺も急に胸がドキリとした。


「いやいや、俺は大したことしてないっすよ。むしろショウコさんの指示が的確だったから動きやすかった」


「……そっか。じゃあ、これからもよろしく頼むわ」


 その一言が妙に心にしみる。俺たちの距離感がほんの少しだけ縮まった気がして、こそばゆい。


「はい、もちろん!」


 俺がそう答えると、ショウコはふっと小さく微笑んだ。ふだんキツめの口調をする彼女の、こういう素の表情が見られるとグッとくる。


 そしてひと通り作業が終わったころ、椎名先輩が手を叩いてみんなに声をかけた。


「よーし、今日はここまで! みんなありがとうな。あとは定期的にログイン履歴とか監視して様子を見よう」


 メンバーが「おつかれさまでしたー」とそれぞれ帰っていく中、ショウコと俺はサークル部屋の椅子に並んで座り、ちょっとだけ一息つく。


「ふう……明日からまた対策を続けなくちゃ。でも、やる気が出てきたわ」


 ショウコが肩を軽く回しながら言う。そのささやかな仕草も、俺には妙にドキドキしてしまう。


 なんでだろう。わずかの時間だけど、彼女と触れ合うと心のどこかがくすぐられるような感覚になる。


 そんな風に感じていると、ショウコが少し真面目な顔で口を開いた。


「ところで……あの海外インターンの選考、実はもう最終面接が近いのよ。受かったら半年は日本に帰れない」


「へぇ、そうなんすね……。それってやっぱ、すごいチャンスなんじゃないですか?」


「そうね。正直行きたい気持ちはある。でも、今のサークルも大事。中途半端に投げ出すのは気がひけるし……」


 ショウコの目が一瞬曇る。彼女にとってサークル活動は誇りなのだろう。でも海外インターンの誘惑も大きい。


「俺に何ができるかわからないけど、もしショウコさんが海外へ行くとしても、その前にできることを一緒にやりましょう。せっかく出会ったんだし、できる限り協力しますよ」


「……ありがとう。カナメ、ほんと不思議なくらい頼りになるわね」


 その瞬間、二人の間に一瞬だけ漂った静寂が、いつもよりも甘い温度を帯びている気がした。言葉にできない感情が、ほんの少しだけ混ざり合ったような。


 こうして夜も遅くなったサークル部屋。最後に戸締まりをして、俺とショウコは並んで外へ出る。


「じゃあ、私こっちだから。気をつけて帰りなさいよね」


 彼女が去っていく後ろ姿を見ながら、俺は思わず小さく呟く。


「なんだ、すげぇ気になる……」


 まさか昨日まで“そんなに絡みない人”だったショウコを、こんな風に意識し始めるなんて。自分でも変化に戸惑いつつ、でもどうしようもない胸の高鳴りを抑えられない。


 トラブル急募のサークルに巻き込まれて、なんだかんだ大変だけど……これはもしかすると、ひとつの大きな転機かもしれない。


 胸の奥に甘く広がる予感を抱きながら、俺は冷たい夜風の中、ゆっくりと自宅へ向かったのだった。


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