7「未だ道中」
おかしい。
そう確信したのはネオンと名乗ったその女と三度打ち合った後だった。
いや、その疑念を抱いたのは彼女が開戦と同時に一歩前出た瞬間だったが、剣を交えるたびにその疑念は確信へと変わっていった。
――弱すぎる。
身体強化も、使ってくる魔術の規模も、剣術のレベルも……
全てがヨハン以下。
いや、比べる次元にないほど下位だ。
「はぁ!」
俺に攻撃を当てられていないことに焦ったのか、ネオンは上段に振り上げた刀身より渾身の一撃を放ってくる。
隙を晒し過ぎている。腹を裂いて奴の裏へ抜ければ俺の勝ちだ。
「ふざけてるのか?」
魔力障壁を剣へ宛がう。
聖剣の光によって接触からコンマ二秒ほどで魔力障壁は無効化されるが、その間に発生した衝撃によって斬撃の角度がズレ、速度が落ちる。
そこへ俺の剣の刀身を絡ませて聖剣を打ち上げた。
「っ……やるね」
自分の手首をさすりながらそんなことを宣うネオン。
「本気を出す気がないのか? それとも本当にそれがお前の本気なのか?」
切っ先を向けながら煽る言葉を続ける。
後者であるなら納得しよう。
だけど前者なら、許さねぇ。
「私たちは、どうして戦わなくちゃいけないんだろうね?」
「どういう意味だ? ここは闘技場だぞ」
「私は暴力が嫌いだ。どうして皆はそれを至上のものみたいに扱うんだろう。それを知りたくて私はここに居る。君は、暴力で問題を解決することが本当に正しいことだと思うかい?」
「問題を解決する方法に正悪なんかあるか」
「あるよ。話し合いでも取引でも優しさでも、問題は解決できるんだから。流血を伴う方法を敢えて選ぶなんて悪でしょ」
「違うな、重要なのは過程じゃなくて結果だ。問題を解決できたってことが成功で、解決できなかったってことが失敗だ。お前がどう思ってるなんてどうでもいいけどな、暴力ってのは歴史上もっとも多くの問題を決着させてきた手段だ。その事実から逃げるってことは、問題を先送りにしてるだけじゃないのか?」
「じゃあ私は多分、血が流れること自体を問題視してるんだね」
「かもしれねぇな。けどそれでしか解決できない問題があった時、お前に選べるのは『誰が流血するか』だけだ」
ヨハンは自分を選んだ。
歴代の聖剣所持者は、俺が知る限り全員が自分を選んだ。
この女はまだその域へ到達していない。
だから聖剣の本来の力を引き出せていないのか?
「自分以外が傷つくのが嫌ならお前は俺と戦わなくちゃいけない」
手段と結果。
それがずっと昔から反転している俺の言葉がこいつに響くのかは分からない。
けど、俺が八度の生涯を経験して知る限り、これが戦いの意義だった。
「子供と話してる気がしないよ」
「お前だって子供だろ。何歳だよ?」
「十四。君よりは大人だよ」
クソガキじゃねぇか。
「ちなみにその剣を拾ったのはいつだ?」
「え? なんで拾ったって知ってるの? 確か二年前かな」
二年か。それじゃあ全部を引き出すには至らないか。
「そうか。ならもう質問したいことはないし、答える気もない。俺が勝って、この勝負は終わりだ」
魔術も剣術も俺には遠く及ばない。
少なくとも、それが今のネオンの実力だ。
だったらこれ以上戦っても無駄だろう。
錆びた直剣を振り上げ、ネオンへ駆ける。
この剣なら魔力を込めなきゃ打撃にしかならないだろう。
腕でも足でもへし折って、戦闘不能で俺の勝ち。
そう思って剣を振り下ろした。
「いや――」
ガキン、と金属音が響く。
ネオンの手には聖剣が握られていた。
聖剣に込められた転移術式だ。
「まだ終われないな」
その技は使えるのか……?
いやそれだけじゃない。聖剣自体が放出する
「確かに君の言う通りなのかもしれない。私はまだ結論を出せるほど成長していない。全霊で戦えるほど物を知らない。君は私より年下なのに随分意志が固いね。奴隷ってそんなに達観してるものなの?」
「俺は俺だ。立場も生まれも利用するべきもので、俺の本質とは関係ねぇ」
「そうか。そうだよね……」
どうしてだろう。
どうして、この女は笑っているのだろうか。
口角を上げたその姿は悪魔のようにも見える狂気を孕んでいて、俺を見据えるその瞳は玩具を見つけた子供のように残虐だった。
「私は知りたい。強さとはなんなのか。戦いとはなんなのか。私が成すべき正義の在り様とはなんなのか。そして――世界を平和にする方法を!」
「そんなもん俺が知るかよ」
「少なくとも強さの神髄は知ってるでしょ。だって私より強いんだから」
打ち合った瞬間俺の剣が弾かれる。
身体強化のギアも一段階上がった。
「やればできんじゃん」
魔力障壁三枚を高速展開。
だがさっきより割られる速度が速い。
魔力を同時に割断可能な最大容量が増えてる。
あの光が強まった効果か。
「私もびっくりしてるよ」
しかしコンマ数秒の時間は稼げた。
それだけあれば俺も身体強化の強度を上げて、弾かれた剣を再度振るえる。
術式は付与しない。付与しても斬られるだけだ。
聖剣の面倒なところは殆どの魔術を無効化できること。
聖剣の弱点は無効化できる魔術は刀身に触れた魔術だけってことだ。
「
渦巻く炎を掌に集約させて相手に叩きこむ。
自爆必至なため結界系統を強めに作用させて自分への効果を強く妨害する必要がある。
しかし、一点に凝縮したこの魔術をモロに食らえばその破壊力は『火球』の上を行く。
片手しか使えない状況だったから術式合成で蒼炎を使うことはできなかったが、それでもこいつ程度なら吹き飛ばす威力はある。
俺の剣を押し込むことで奴の剣を縫い止めてある。
さぁ、どう受ける?
「聖光移動」
剣に宿っていた光がネオンの体内を移動して、左手を輝かせる。
輝く掌で俺の
「マジか……」
素手で、俺の魔術を止めやがった……
しかもこれは……
「聖剣の光は魔を祓う。触れさえすれば君が纏う強化の魔術も奪い去れる」
俺の身体強化が剥がされていく……
このままだと単純な腕力勝負で負ける。
「さぁどうする? このまま力任せなら私の勝ちだよ」
既に掴まれた左手が悲鳴を上げ始めている。
腕力じゃもう勝てない。
身体強化もどんどん弱まって行ってる。
あと数秒、身体強化が完全に消失すれば俺の拳は砕けるし、鍔ぜる剣も押し切られる。
やるしかねぇ。
俺の最強をお前に叩きつけてやる。
「終奥――」
「なにそれ……やっば……」
どういう直感か知らないが、俺の体内の魔力の動きを把握したらしい。
龍の如く蠢く大量の魔力の奔流。
それは、強化されたとは言ってもヨハンには全く及ばない今のこいつの光で無効化できる容量を大幅に超えている。
『終奥・龍太刀』は全身の魔力を体内で螺旋状に回転させることで超強化して斬撃に乗せる技。
だがこの状況なら撃ち放つことは難しいし、そんな必要はない。
刹那的に俺の身体強化の係数は『終奥・龍太刀』によって高められた魔力に比例して向上する。
「うぉぉらぁぁ!」
左手に力を入れ、その腕を握り返し、放り投げる。
「嘘でしょ……」
空中で逆様になり、目を見開いたネオンに向けて俺は剣を構え直す。
中断していた魔力操作を再開。
剣の構えと同時に魔力を回す。
「空中じゃ回避はできんぜ」
「たんま!」
「無理だな! 強さを知りてぇなら、この一閃を越えてみろ! ――龍太刀!」
ヨハンは龍の肉体を持った俺の龍太刀すら切り裂いた。
その聖剣の本来の力を使えば、この一撃すら無に帰せるということだ。
弱い聖剣所持者を倒したって意味がねぇ。
早く強くなれ。早く極めろ。
戦いが嫌いなんて言ってる時点で、お前には危機感が足りてねぇ。
俺の最強の一閃は大地を切り裂き、大量の砂埃を巻き上げて会場を埋めた。
態と外すなんてことはしない。
確実にブチ当てた。
真面に食らってれば死んでる一撃のはずだ。
だけど――
「ねぇ、殺す気?」
「知らないのか? ここでの死亡は全部事故死扱いで自己責任だ」
ネオンは俺の龍太刀を耐え切っていた。
「それに死んでないんだからいいだろ」
光が残滓になって消えて行く。
その光に混ざるのはネオンの聖剣の光と、俺が放った龍太刀の魔力だ。
単純な『聖光』だけなら、それを強める『聖光剣』だけでは俺の龍太刀を完全に割断することはできない。
そんなことができたのは、ヨハンが見せた聖剣の奥義だけだ。
「良かったじゃないか、少しは強くなったんだろ?」
「そうだね。聖剣にこんな力があるなんて知らなかった。
因縁ね、そりゃ俺が抱いてるんだからあの剣もそういう風に思ってるのかもな。
それでもヨハンには未だ遠く及ばない。
たった一発でネオンの魔力は底を尽いている。
もう一発はない。
まぁ、それは俺も同じことだが……
「まだやるか?」
「いや、やめておくよ。君も私も魔力が残ってない。単純な剣術勝負で私が君に勝てる道理がないってことは流石に分かる。それに、君を見ていてなんとなく分かったんだ。多分私はあの足蹴にされていた子供一人救うだけじゃ満足できない。だから今は降参するよ、より大切な戦いをするために」
「そうか、それでいいと思うぞ。自分って奴を理解して、もっと強くなってくれ。そうしたらもう一回戦ってやる」
両手を上げてネオンが降参を宣言した瞬間、ドッと会場が湧いた。
ネオンはこのビルドラムで第十位の剣闘士だった。
ならば、それを打倒した俺もまたその練度の剣闘士であると認められたことになる。
だけど俺は別に名声や名誉が欲しい訳じゃない。
喝采も歓声も必要ない。
目立ちたい訳でも、成し遂げるべき使命がある訳でもない。
ただ力が欲しいだけだ。
何も言わず、何も応えず、俺はただコロッセオの選手入場口へ帰る。
「ねぇ、私一緒に旅をする仲間を探してるんだけどさ、どう?」
俺の背中にそう声を掛けてきたネオンに俺は後ろ手を振って答える。
「悪いが断る。俺はまだここでやりたいことがあるんでな」
聖剣は確かに興味深い魔道具だ。
しかし俺にはどうにもあの聖剣を使えるような気がしない。
歴代の所持者を見ていれば分かるように、あれは強い善性を持ってして初めて使えるものだろう。
なら、俺には絶対無理だ。
だから今はその解明よりも、この場所でより強い相手と戦う方を優先したい。
◆
「よくやったな、ネル」
選手入場口からつながる通路で待っていたベルナが俺にそう声を掛けてくる。
「あれはこの都市で九番目に強い剣闘士だった。だが今日からはお前が九番目の剣闘士だ」
「これであんたの地位も少しは上がるのか?」
「そうだな。奴隷商としての知名度以上に、ファミリー内での発言権や次期ボスになれる可能性も上がっただろう」
この街では強い剣闘士は象徴で広告塔だ。
より強い剣闘士の使う武器はよく売れる。
より強い剣闘士が使う宿の部屋は埋まる。
より強い剣闘士を奴隷に持つ奴隷商の奴隷はよく売れる。
そういう場所だ。
ベルナが所属するエニシングプレントファミリーはこの街で最も巨大なマフィアであり、その資産総額はこの街の領主すら超える。
六人の
ベルナの奴隷産業は元々上位の利益を出していたが、それでも幹部の中で一番ということはなかった。
しかし、俺という広告塔の存在はベルナの地位を上げていくだろう。
それに、他の
なら、より強い剣闘士を保持しているということが跡目争いにも大きく影響する。
簡単に言ってしまえば、俺が他の幹部連中に
「俺を捨てなくて良かっただろ、ベルナ?」
「どうだかな。これで私は他の幹部や街の有力者にも目を付けられることになった。商売繁盛と引き換えだとしても、心労は増えるというものだ」
「俺が負けそうな奴が居るのか?」
「居るんじゃないか? 私は魔術師だが戦闘方面はからきしでな、戦いぶりを見たところで実際やり合ってどっちが勝つかなんて検討も付かんよ。お前の方こそ、今戦った少女より強い人間が九人居るとして、全部に勝てるつもりなのか?」
「それはやってみねぇと分からねぇな。けど負ける気はねぇよ」
「まぁ期待しておくよ。私の奴隷として恥じぬ戦いをしてくれ。それで、どうする?」
「どうするって?」
「ご褒美だよ。それなりの働きだからな、多少の我儘は聞いてやるさ」
そうだな……
ベルナを見ながら考えていると、無意識に視線が胸部に吸い寄せられていく。
「はは、お前のように生意気で達観している奴でも子供は子供なんだな。母親でも恋しいのか? それとも、もう性に目覚めたのか?」
クソ、精神が肉体に引っ張られてる。
本能的に母性を求めてるらしい。
この身体、物心つく頃には奴隷で母親なんて顔も知らねぇから、そういう方向に拗らせてんのかもな。
けど、理性で抑え込める範疇だ。
「剣だ。この鈍らじゃ次の闘いで持つか分からない。できるだけ上等な奴が欲しい」
龍太刀を二度も使ってる。
それに付与もして戦った。
魔力で耐久力を補完する形でなんとか耐えてはいるが、そもそも最初から斬撃性能がほぼ喪失してる武器だ。
ネオンよりも強い剣闘士を相手にこの武器のまま完勝できるとはとてもじゃないが思えない。
「分かった。それじゃあ今から行くか」
「良い店でも知ってるのか?」
「これでも私は商売人だぞ? 自分の活動する街の良店くらい全ての分野で把握している」
◆
ベルナに連れていかれたのは、寂びれた雰囲気のある武器屋だった。
「いらっしゃい。ってなんだベルナか、久しぶり」
「この前は裏試合に招待してくれてありがとよ。って、そっちはあの時めちゃくちゃな試合を見してくれたガキじゃねぇか?」
店に入ると俺たちを出迎えたのは一組の男女だった。
どうやら店主はこの女エルフの方らしい。
エルフを見ているとリアを思い出す。
あいつは今どこで何をしているんだろうか……そんな疑問が頭を過ったが、リアにとって俺は死人でしかないんだから心配するのもお門違いかと納得した。
男のドワーフの方には俺と同じ首輪が見えた。
ドワーフというのは人間の三分の二ほどの身長の種族だ。
しかし人間よりも筋肉が付きやすい特徴があり、文化や風土的に金属の扱いに一日の長がある。
「やぁ二人共、今日はこいつの武器を造ってほしくて足を運ばせてもらった」
「へぇ……そりゃ難しいこと言うじゃねぇか、ベルナの嬢ちゃん」
「どういう意味だ? ベフト」
ベフトと呼ばれたドワーフの方に投げかけたベルナの問いに答えたのはエルフの女の方だった。
「いいかいベルナ、私たちは戦士の剣や盾やそれ以外の武器を造ったことがある。私たちは魔術師の杖や魔本を造ったことがある。しかしね、剣を使う魔術師の武器を造ったことなんてないんだ」
剣を使う魔術師か。
確かに俺は魔術の方が得意だ。
二百年以上の研鑽を費やした魔術に比べて、剣術の鍛錬はまだ百年にも届いていない。
それに直近の龍の記憶はかなり魔術に寄ったものだしな。
「なるほど。だからできない……と?」
「「そんなこと言ってない(ねぇ)」」
「はは、そうだろうな」
声を重ねて同じことを言った二人に微笑しながら、ベルナは金の入った袋を机に置いた。
「金に糸目を付ける気はない。これ以上必要になるなら都度言ってくれ。頼むよ、私はこの街で二人以上の武器屋を知らないんだ」
「最初から誰も嫌だなどと言っていないだろう」
「そうさなぁ。こんな面白そうな仕事断るはずがねぇ」
奴隷と主とは思えない笑みで互いを一瞥した二人の表情は、強敵を前にした剣士にも、未知へ挑まんとする魔術師にも見えた。
「じゃあ坊主、こっちに来な。まずは採寸からだ」
「あぁ、よろしく頼む」
「可愛げないなお前。まぁあれだけの闘いができるんだから生意気なのも仕方がないか」
「あんたもな」
ゴン! と脳天に拳が降ってきた。
「別に私はそういうのを求めてないんだ」
「俺もだよ」
「ははは、こいつはこの小僧の一本だな」
「やめろベフト、お前に言われると傷つく」
「別に俺は思ってねぇよ。ソナはエルフってことを差し引いてもいい女だ」
何故か採寸をしながら俺を挟んでイチャつき始めた二人を見て、ベルナが腹を抱えて声を出すのを耐えているのを見ながら……
一時間ほど採寸と俺の要望を聞いて貰って、その店を後とした。
「本当にあの二人が街一番の鍛冶屋なのか?」
「エルフの魔術適性とドワーフの鍛冶技術はどちらも高水準だ。けれど彼等は協力しない。種族仲が最悪だからな。そんな状況で彼等は一緒に店をやっている、その意味と、その苦難が分かるか?」
「苦難ね……」
「ドワーフもエルフもこの街にはそこそこ暮らしている。彼等は互いが嫌いだから互いがいるあの店には行かなかったし、あの店の評判を悪くする噂を立てた」
「だが、奴隷になったことでそうじゃなくなったって訳だ」
「自分から奴隷になりたいなんて言われたのはベフトが初めてだったよ。エルフはドワーフでも奴隷ならばと店に行くようになり、ドワーフは同族の奴隷を憐れみ店に行くようになった。それでもな、あの二人の愛情は本物で奴隷というものがその関係を存続させているんだ」
確かに俺もあそこまで仲の良さそうなエルフとドワーフは見たことない。
それに、奴隷と主という関係にはとてもじゃないが見えなかった。
「少し喉が渇いたな。これであの店のイチゴジュースを買ってきてくれ」
そう言ってベルナは金色の硬貨を一枚差し出した。
「別に俺は奴隷だからな、言うことは聞くがちょっと多すぎるんじゃないのか?」
この街で使われている王国硬貨は全部で五種類。
金貨は一番上の価値を持つ。
ベルナが言った店の客は皆銀貨と銅貨で会計をしているのが見える。
金貨なんてあれば、ベルナの注文するジュースなんて三十杯近く買える。
「そうか? まぁお釣りはお前にやるよ。私はあの展望台で待ってるから買ってきてくれ。私の奴隷だろ?」
「はいはい」
ベルナが展望台へ向かうのを見ながら俺は店先の窓口に並ぶ。
五・六人の会計が終わり俺の番がやってくる。
「イチゴジュース一つ」
「金貨一枚だ」
「は?」
俺の倍近い身長の店員は、俺を見下しながら手を差し出す。
「前払い」
「随分高いんだな。他の奴等は同じものを買っても銀貨数枚しか出してなかったと思うんだが?」
「だってお前奴隷じゃん」
首輪を見て、男は吐き捨てるようにそう言った。
「文句があるなら買うなよ。それとも俺を殴るか? 言っとくが、殴り合いになっても犯罪者になるのはお前だけだぞ」
「なるほどな」
「は?」
だから金貨を渡された訳か。
ベルナの意図に納得しながら、俺は金貨を相手の手に置いた。
「ほら。これでいいんだろ?」
「ッチ、お前どこの金持ちの奴隷だよ。揉めてもめんどくせぇしな、ほらよ」
問題なく飲み物を買い終えた俺はベルナが待っていると言っていた展望台に向かう。
向かっている途中、やけに下りてくる人間が多かったが気にせず上に登った。
展望台にはベルナしか居なかった。
「悪いな。私は奴隷商としてもマフィアの幹部としても名と顔が売れていてな、こうして私が来るだけで普通の奴等は避けていく」
「別にどうでもいい。ほらよ」
「あぁ、それ飲んでいいぞ」
「なんなんだよお前……」
不満を隠す気にもなれず愚痴を零す俺をベルナは笑って見ている。
少しムカつきながら俺はジュースに口を付けた。
あっま……
「ネル、こうして普通に喋れる男と外を出歩くのも久しぶりだ」
「十歳相手に何言ってんだお前。男娼にでも行ってろ」
「本当にどこでそんな言葉覚えたんだお前。つうか行ったこともないわ」
柵に腕を置きながら街を見下ろす静かな瞳を見ていると、チラリとベルナが振り向いて俺と目が合う。
「この街をどう思う?」
「強い奴にとっては都合のいい街だと思うよ。剣闘士として名を馳せれば金も名誉も手に入る。けど、全部失った奴には最悪な場所だろ。住民の殆どが当たり前に奴隷を虐げていいと思ってる」
別に剣闘士には限らない。
マフィアの幹部とか、商会の会長とか、貴族とか。
そういう色んな意味で『強い奴』には都合のいい街だ。
なんせ人すら簡単に手に入ってしまうのだから。
「奴隷という品はこの街を起点に急速に国中へ広がってる。法の加護すらない彼等の人生は、地獄だ」
「それはただ売り買いしてるだけの商人が言えることなのか? 奴隷を体験した訳でもないだろ」
「いいや、体験したことはあるさ……」
静かな声色。無表情に街を見下ろすその瞳。
そんなベルナからは揺らめく炎のような熱を感じた。
「そんな私が隷属術式を会得して、今や奴隷を売る立場にあるというのは笑える話だろう?」
確かに、元奴隷が今や数千数万の奴隷を扱う奴隷商でマフィアの幹部をやってると言うのなら随分な下克上だ。
だけど……
「大事なのは過程じゃなく結果だ」
結果的に世界最強になれないのなら俺の全生涯に意味がないのと同じように……
「お前にとって今の立場は結果なのか? それとも過程なのか?」
「そうだな。お前がこのまま勝ち続ければ私は結果を手に入れることができるだろう。けど迷っているんだ。その結果が本当に正しいのか」
ベフトやソナのように奴隷という制度があって良かったという例もある。
だが、殆どの場合、奴隷は不幸を生んでいる。
ベルナがこのまま奴隷商として大成し、マフィアのボスになり、奴隷という品を広げ続ければ、それは不幸を蔓延させることになってしまうのではないか。
そういう悩みなのだろうか。
「お前、そんな気持ちでマフィアの幹部とかやってたのかよ。思ったより純情なんだな」
「うるさい。小僧の分際で茶化すな」
「小僧だと思ってないからこんな話してくれてるんだろ? だけど悪いな、俺に言えることなんてなんにもねぇよ。俺は自分の人生を何に捧げるのかはもう決めてある」
「へぇ、それは興味があるな。なんなんだ?」
「世界最強」
俺がそう言うと、無表情だったベルナの口角が少し上がった。
「不遜で馬鹿みたいだ。けど、嘘ではないということはお前の目を見れば分かるよ」
「俺は正しいとか間違ってるとか正義だとか悪だとか、そういうのは他人の都合だと思うんだよ。大事なのはそれが悪事かどうかじゃなくて、自分の
奴隷とか貴族とか、そもそも階級とか種族とか、俺に言わせればそんなのはどうでもいいことだ。
俺はいつまでも俺なんだから。
「確かにそうだな。私は今までそのために生きてきたんだ。その情念は消え去ってはいない。お前の言う通りだな。私は決めたよネル、だから頼む」
「あぁ、俺はお前の奴隷なんだから、お前は偉そうに命令してろ」
ジュースを飲み干してそう言うと、ベルナは手すりから離れ俺を真っ直ぐ見る。
そのまま歩み寄って来て、両手を広げ、俺の身体を包み込んだ。
「勝て」
負けてもいい。が、負けてはいけないに変わる瞬間がある。
それは大抵は自分の命が危機にある状況だった。
けれど、人生とは面白いもので
リアや、リンカや、ヨスナのように。
俺の今世は、まずは奴隷という身分から解放されることを目的にしている。
サブの目標は多くの剣闘士と戦って自分の実力を高めること。
結局、どれだけベルナに願われようが俺の目的がこの二つであることは変わらない。
けれど、そうだな……
つうか……
「苦しい」
「あぁ、悪かったな」
「おい、やめろなんて言ってねぇ」
「ふふ、そうだな。仕方ないから、ご褒美の前払いだ」
全く、この身体には苦労する。
もっと撫でろ。
◆
三日後、俺には新たな剣闘士との戦いが組まれた。
この街でも十本の指に入る強さを持っていたネオンを倒した事で対戦依頼が殺到したようだ。
ネオンは倒せない。
けれど俺なら倒せるかもしれない。
暫定的に十位以内に入る俺を倒せば自分が十位以内。
そんな思考回路の馬鹿どもからやってきた対戦依頼の全てを、俺は承諾する。
そしてその全ての闘いに勝利した。
三十一戦三十一勝。
三カ月後、俺はビルドラムの剣闘士序列で第四位になっていた。
「ネル……第三位との戦いが決まったぞ」
「ベルナ、そろそろもう少し寝心地のいい牢を用意して欲しいんだが?」
「そうだな、考えておくよ。それで本題に戻るんだが……」
なんだ。ベルナがやけに焦ってる。
「棄権するべきだと思う」
「へぇ、なんで?」
「最近この街にやってきて、お前より早く第三位まで上り詰めた無敗の天才。高位の魔術と熟練の剣技を修めている。つまり、お前の上位互換だ。名前をリアファエス・ステラクセルロディア・ブライドリグレ・アーテリアスライティア。数百年を生きたエルフだよ」
どこかで聞いたことのあるような名前だと思った。
随分と昔のことなのに、その顔は数秒で脳内に蘇った。
そうか……リアか……
あいつ、そんなに強くなったのか……
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