8「蒼天の巡り」


 ずっと昔の熱情など忘れて然るべきで、

 死人を想う心など脇道へ捨て置いて、

 ただ自己の昇華のためだけに心体を動かし続け、


 そうすべきだと考え続けて……


 そうしていったい、どれだけの時が流れたのだろう。


 私の中にあるその記憶は、未だ少しの綻びもなく、少しの風化もしていない。

 魔術の理解を深めるほどに、剣技の研鑽を積むほどに、あの人の顔が頭を過る。



 私は憶えている。


 その剣閃の絶景を、水龍を切り裂いた一撃を、あの人の最期の顔を――



 ◆



「東方より出でるその者、王有迷宮付属騎士養成高等学校四十六期主席卒業という偉業を持ってしてその剣才を示し、エルフの中でも名高いアーテリアスライティア家の名が示す通り卓越した風魔術によって闘場を舞う。長命なる武人ひしめくその中で、一際輝く両才を持つその者こそは、エルフの里の族長補佐にして里一の力を誇る英傑――リアファエス・ステラクセルロディア・ブライドリグレ・アーテリアスライティア」


 吟遊詩人が余興として読み上げるその歌と共に、その女は闘技場へと姿を現した。


 剣闘士順位第三位。


 しかしそれはこの女がこの街に来てから一月ほどしか経っていないからであり、相応の回数しか立ち合いを行っていないことを加味する必要がある。

 ようするにこの女は、この街で今一番熱い剣闘士だ。


 しかしこの女が一月で行った五度の勝負の相手は、全て一桁代の順位を守る剣闘士であったことも、この女が極めて短時間で三位の地位に付いた理由に含まれる。

 元々の名声があればベルナが奴隷を使ってネオンを焚きつけたようなせこい真似をしなくても、対戦を受けてくれる相手は多いってことらしい。


 剣闘士には似つかわしくない淡い青色のドレスを纏い、翡翠色の宝石が宛がわれた髪留めによって輝くような黄金の髪を一つへ纏めて背に垂らす。

 宝石のような青い瞳は聡明さを内包し、静かにたたずむその姿は見る者全てを魅了して、その在り様は誰もを気圧すほどの覇気を纏っている。


 帯刀した細剣レイピアは鞘を含めた全身が銀色の輝きを放っていて、柄の部分には髪飾りと同じ緑の宝石が三つ埋め込まれていた。


「一月くらい前にこの街にたまたまやってきた時にお前を見て驚いたわ。直ぐに滞在を決めて剣闘士として大会にエントリーするくらい」


 リアの瞳は『精霊眼』と呼ばれる特殊なものだ。

 本来は卓越した魔力操作によって会得できる魔力の可視化を先天的に実現する。

 そしてその精度は、俺の知る限り後天的に会得できる魔視より格段に高性能だ。


「魔力の質も流れの癖も、そして名前すらも、全部同じだった。それに実際に見た訳じゃないけど、お前は三カ月前の試合で観客の誰もを魅了するような絶技を使ったと聞いたわ。それを見せなさい」


 バレかけてる。

 けどまだ確信がある訳じゃなさそうだ。


 別にバレたところで問題がある訳じゃない。

 触れ回ったりするとは思えないし。

 だが、今のリアは昔のリアとはまるで違う。


 吟遊詩人の呼び込み文句にもあったように、エルフの里でも屈指の実力を持っていて、ベルナが言っていたように俺と同じかそれ以上の剣技と魔術を扱うことができる。


 そんな強者だ。


「使わせてみろよ」

「そうね、そうするわ」


 吟遊詩人が下がったのを確認して、試合開始の合図となる鐘の音が響く。

 その瞬間、リアは静かに、あり得ない言葉を口ずさんだ。


「――終奥」

「……は?」


 ハッタリじゃねぇ。

 魔力の動きがいつか見た師匠のそれに極めて近い。


 ふざけんな。

 完成形は一度しか見せていない筈だ。

 なのに精霊眼に写った魔力の流れや、そして俺が会得のために見せた未完成だった魔力の流れを記憶して、それを模倣して完成させたってのか?


 やばい。まともに受けたら終わる。

 打ち合うのは今更無理だ。もう猶予がねぇ。


「ッチ」


 魔力障壁を前面展開×3。

 浮遊術式を起動。

 あの剣技の飛来速度は分かってる。

 飛行でも身体強化でも回避は不可能。


 だけど斬撃という形状であるなら、魔力障壁で衝撃をいなして流し切れる。


 だが、奴を見ていると俺の龍太刀とは明らかに構えが違った。

 まるで矢を引き絞るようなその構えは……


「――龍突」


 違う。斬撃じゃない。これは――


「刺突……だと……?」


 龍のようにうねるその魔力の奔流は斬撃ではなく延長する刺突という形を取って、魔力障壁の五分の一ほどを削り取りながら俺の横を掠めて行き、闘技場の壁に激突した。

 魔力で強化された壁であるにも関わらず、その刺突を受けたコロセウムの壁には蜘蛛の巣状のヒビが入っていた。


 外した……?

 違げぇ。この野郎……態と外しやがった……


「さぁ、今度はお前の番よ?」


 薄く笑みを浮かべながら、そう宣うその口と態度は俺の若返った沸点を軽々と越えていった。


「テメェ、マジで泣かすからな」

「どうぞ、ご勝手に」


 新調した剣を抜き放つ。

 魔力が浸透しやすいこの剣は付与魔術を効率良く乗せることができる。


 この三カ月勝ち続けたことでベルナからの待遇もかなり改善された。

 十分に飯を食って自己治癒術式を継続的に使用することで栄養失調は改善。

 暇な時間を使って魔力もそれなりに鍛えた。

 体格はどうにもならないが、俺の総合能力は龍と張り合うまでは行かなくとも、前々世の冒険者だった頃を越えている。


「術式合成――【蒼炎球】!」


 指先に灯す五つの蒼い炎を勢いよく投げれば、それはリアを囲い込むように飛んでいく。


「火球の魔術……」


 俺の魔術をその精霊眼で見つめながら、そう呟くと同時に五つの魔力障壁が俺の魔術の延長線上に展開され、全ての蒼炎球が阻まれ爆発する。


 ここまでは計算通り。

 発生した煙に紛れるように一気に身体強化の段階ギアを上げて突っ込む。


「馬鹿ね。私の目は特別なの、幾ら霧に紛れても光じゃなく魔力を捉える私の目からは逃げられない」


 霧の中にも関わらず、それを目視しているような振る舞いでリアは己の細剣を引き絞る。


「そこね」


 風属性の付与術式を纏った刀身が『空』を突く。


「えっ、なんで……」

「馬鹿はお前だ」


 炎属性幻影術式『陽炎』。

 召喚した炎を精密に操作することで空間を歪める。

 この術式は、性質上『魔力の影』を形成することができる。


 煙を撒いたのは魔力の性質すら見抜くその魔眼の感覚を狂わせるため。

 良く見られれば陽炎と俺の魔力の質の違いは見抜かれるだろうからな。


 煙の中であれば通常の視界は潰され見える魔力の性質にも歪みが生まれる。

 その歪みで性質や動きの違いを誤魔化した訳だ。

 そして俺が上に跳んだ動きすらも煙が隠した。


 完全な意表。

 それにリアは突きを放った直後だ。

 俺の攻撃に全うな対応ができる訳もなし。


「付与――【蒼炎】」


 蒼い炎を纏った刃でリアの肩を掠め、落下と共に大地へ突き立てる。


「お前……態と外したわね?」

「これで嘗めた分はチャラだ」

「意趣返しって訳? 生意気……」

「お互い様だろうが」

「確かにそうかもね。【膨風衝撃エアバースト】」


 内から外に弾くように展開された風の術式によって、俺の身体が吹き飛ばされる。

 ただ衝撃力は強くても殺傷力はそれほどでもない魔術らしく、距離を取るために発動されたようだ。


 風に逆らわず距離を離して着地した俺とリアは、互いに剣を構え直す。


「それじゃあどっちが身の丈に合ってないのか決めましょうか?」

「そうだな」

「――【風魔纏伏エアリアル】」


 全身に風を纏い、その足は大地より離れる。

 しかし支えを失っている訳ではない。

 まるで空を踏みしめるように、その歩みは上っていく。


 俺の浮遊魔術より戦闘適性が一つ上の段階にある魔術だ。

 あれと浮遊魔術を使った俺が剣戟を交わせば、確実に足場のない俺が負ける。

 制空権は完全に奪われた。


 近づけば踏ん張りで負け、距離を取れば――


「【拡嵐刃エアブレイド】」


 刃に集束した風を斬撃と共に飛ばす。

 カマイタチのように斬れる風は龍太刀ほどの威力はないが、防御無しで食らえば人間程度は真っ二つになる威力をしてそうだ。


「身体強化【爆】」


 通常の身体強化の魔術が持つ攻防速のバランスを敢えて崩し、加速力だけを突出させるリンカが得意としていた魔術を発動させる。

 六度目でリンカに教えた魔術で、獣人に比べれば最高速度は落ちる。

 しかし、この魔術の真価は加速力じゃなく『切り返しの速度』だ。


 飛来する風の刃を避けながら、足裏で魔力を爆発させた高速機動で風の刃から逃げる。


 刃が地面を抉り傷を造るが、魔力感知による先読みと俺の切り返しがリアの剣速を越えてるから攻撃は当たらない。


「ジリ貧ね。魔力量も魔力の減少速度も私には嘘偽りない真実が見えてるのよ。それにその無呼吸運動がいつまで続くか……。何もかも、先に尽きるのはお前の方よ」


 分かってんだよそんなことは。

 この身体じゃ百年以上鍛えたエルフに魔力量で勝てる訳はない。


 だからこれは最初から時間稼ぎだ。


 龍太刀は全身の魔力を練り上げる性質上他の魔術と併用できない。

 魔力の逆流現象を起こせば別だが、あれは諸刃の剣過ぎて使った時点で魔力障害になり実質的に負け確だ。


 だが、この魔術なら他の魔術との併用も可能。


天馬の加護ペガリレス……」


 それは術式の効率を向上させる効果を持つ【詠唱】。


「詠唱術……? そんな古典的なやり方が通用するとでも思って……」


 そこまで言いかけて、リアはハッと目を見開いた。


 戦術に古いとか新しいとか言い出す奴は本質を理解してない。

 場面に対して適しているか、それこそが戦術の強さを決定する唯一の要因だ。


 今この状況、縫い留められてるのはお前の方だ。

 お前は俺に斬撃を放ち続けるしかないのだから。

 それをやめて俺の詠唱を中断させるために自分から近寄って来るなら剣技で対抗できる。


 龍太刀の発展形であろう【龍突】は、別の魔術と併用できない。

 つまり、リアが浮いてる限りあの剣技が使われることはない。


千の夕凪サイレス 真色の風鈴フロンティア


 術式の処理量を削減する【詠唱】。

 術式に込められた属性効果を増加させる【詠唱】。


 俺が重ねることができる最大詠唱数は三つ。

 それぞれの詠唱が次に実行する術式を強化した結果、俺の魔術は通常の倍以上の規模を持つ。


「行くぞリア」

「お前は私をそう呼ぶのね……いいわよ、来なさいネル」


 回転する蒼い炎を前方へ噴き出す。

 たったそれだけの魔術であるにも関わらず、俺の記憶の再現性がその術式に龍の性質を与えたことで、人の身では余りある火力と範囲を実現したその魔術の名は。


「――【蒼炎龍咆】!」


 詠唱により三重の強化が施されたことによって、爆発力が超強化された俺の魔術はコロセウム内を蒼で満たした。


「【風昇流サイクロン】」


 俺の炎がリアが発生させた竜巻によって頭の向きを変え、天へと昇っていく。

 竜巻の中で大量の酸素を吸収し巨大化していく炎は竜巻の天井に到達した後、噴水のように空へと噴射される。


 人々へ舞い散る頃には、一つ一つが雪のように小さくなり果てた蒼い灯の殺傷能力は微々たるものとなっていて、それがビルドラムの街全体へと降り注ぐ。


「ねぇ、こんなのどう考えてもお前のような子供が習得できる次元の魔術じゃないわよ。まして奴隷が会得できる訳もないし、会得してたなら奴隷になんてなる訳がない」


 最もな意見だな。

 魔術の習得には時間がかかる。

 最初に覚える最も簡単な魔術でも一月ほどの修練と勉学が必要となる。

 俺でも、俺のような子供が大規模な魔術を使っていれば中身を疑う。


「人が生き返らないことなんて分かってる。でも馬鹿みたいに都合よく期待してしまうのよ。使ってよ。証明してよ。本人なんだって、本当なんだって……ねぇ、お願いだから……!」


 掌に落ちた小さな蒼い火種を見つめ、握りしめ、リアは煌めく瞳で俺を見る。


 俺は……


 別にバレたくなかった訳じゃねぇよ。

 リアが次の相手と知った時から、リアにならと……

 ただまぁなんつーかさ……


「終奥……」


 ちょっと……恥ずかしかっただけなんだ。



 ◆



 私は憶えている。


 その剣閃の絶景を、水龍を切り裂いた一撃を、あの人の最期の顔を。


 その子供が彩るそれは、正しく、もう見ることはできないのだと絶望したあの光景と瓜二つで――



 ◆



「――龍太刀」


 それは俺が覚えた剣技の極意。

 何度も、何十回も、何百回も振るい、そして修めた剣聖の再現。

 おそらく、この世でその技を使えるのはもう俺とリアしか残っていないだろう。


 それだけ希少で、故に申し分ない本人証明だろうよ。


「あぁ……やっぱり、そうなのね。【風牢壁エアロック】、【風牢壁エアロック】、【風牢壁エアロック】、【風牢壁エアロック】……【風腕エアリム】」


 風によって形成された盾の魔術を俺の龍太刀は易々と貫通していく。

 発生した四つの防壁全てを突破したその斬撃に、リアは風を纏った手を伸ばした。


 超高速で渦巻く風を纏ったとはいえ、幾ら風の防壁で軽減したとはいえ、その程度で龍太刀の威力は殺しきれない。


 俺の斬撃はリアの風の魔術に食い込んで、その腕に渦巻くような斬痕を残した。


 ドレスの袖が破れ、白い肌に赤い螺旋状の模様が走り、傷口からは血が滴る。


「避けれただろ今の」


 風の防壁の魔術で龍太刀の滞空時間は増していた。

 それだけの猶予があればあの空に立つ術式で逃げられたはずだ。


「避けたくなかったのよ」

「ドMじゃん」

「黙れ馬鹿」


 飛んできた風の刃を魔力障壁で防ぐ。


「ネル、色々聞きたいことがあるの」

「だろうな」

「でもその前に、今の私を知って欲しいから」

「随分強くなったみたいじゃん。【終奥】を会得してるなんて思ってもみなかった」

「ネルが居なくなって分かったのよ。大切なものはちゃんと自分で守らなくちゃいけないんだって。だからもう、お前に騎士になって欲しいなんて言わない。お前に助けて欲しいなんて願わない。今度は私がお前を助ける番」


 俺の首輪を見るリアの魔力がどんどん膨張していく。

 終奥以外にも、あの練度の風魔術以外にも、まだ何か強さを持っているとでも言うのだろうか。


 そんなもの、見ないで置ける訳がない。



「……断絶空創【風雲幻想大界域エアリアル・ファンタジア】」



 呟くようなその詠唱は、まさしく魔術の極致だった。


 ――魔術師とは奇跡を扱う者なんだから『あり得ない』とか『不可能』とかそういう思考回路は邪魔でしかない。


 俺はヨスナにそう教えた。

 ならば魔術師の最終到達点とはどこなのか。


 この世界に存在するあらゆる法則を捻じ曲げる大罪人まじゅつしは、何を持ってして完了するのか。


 その答えは至極簡単で、しかし実際にその実行は神業の領域へ立ち入る行為。

 稀代の天才がたゆまぬ努力の果てに成し遂げる異例の偉業。


 結界系統術式の最終到達点。


 それは……


 ――世界ルールを奪い、己の世界ルールとすることだ。


「もうこれは想像以上とかそういう次元じゃねぇな……」


 リアの後に転生した冒険者の人生が四十年弱。

 龍の人生が六十年弱。

 そしてこの身体で十年。


 誰の身体にも宿っていない時間や十歳以下で死んだ生涯なんかを加味して長めに見積もっても百五十年は経っていないはずだ。


 たったそれだけの時間で……


「……何をすればここまで強くなれるんだよ?」


 もうこの世界にコロセウムの様相は全く存在していなかった。

 周囲に見えるのは青空だけ。

 俺自身どうして、どこに立っているのかもよく分からない。

 上も下も右も左も前も後ろも、全てが『空』だ。


 おそらく空間に存在する気体かぜの全てがリア一人に完全に支配されている。

 そして、この空間には気体かぜ以外は存在しない。

 文字通り息の根を握られたこの状況に対する打開策を、今の俺は持っていない。


「ネル……その、ええっと、改めて、久しぶり……」

「なんでちょっと気まずそうなんだよ?」

「いやだって、百年ぶりだし……二人きりだし……」

「さっきまでも別に観客が居ただけだろ」

「誰かに見られてるかどうかで変わるでしょ」

「俺は変わんねぇよ。だからリアも昔と同じ感じでいいぞ」

「は? 何それ私が昔と変わってないって言いたいの?」

「言っとらんやろがい」


 リアは手で口元を隠しながら「ふっ」と噴き出していた。


「ピーピー泣いてた昔に比べればちょっと上品になったんじゃね?」

「ちょっ、思い出すなそれ。お偉いさんと一緒に居ることが増えたから勝手に身についただけよ」

「そういや吟遊詩人がエルフの里の族長補佐とか言ってたっけ? 結局族長にはならなかったんだな」

「柄じゃなかったのよ、最初からそんなになりたいとも思ってなかったし。でもネルが居なくなった後で思ったのよ」

「何を?」

「何よりも強く在りたいって、そうすればお前は死なずに済んだんだから……」

「心配かけたな。見ての通り、ちょっと見てくれは変わっちまったけど俺は無事だ」

「……本当に、生きてて良かった」


 言葉を紡ぐ度にリアの表情は歪んで行く。

 眉間に皺を寄せ、まるで涙を堪えるように変化しているその姿を隠すように、リアは俺の首筋に顔を埋めて両手を首に回した。


 どうしていいか分からない。

 というよりは、何もするべきではないのだろう。

 俺は何度転生してもリアに会いに行こうとはしなかった。思いもしなかった。

 居場所の検討は付いていたはずなのに。


 そんな俺がリアへかける全うな言葉など持っている訳もない。



 三十秒ほどして落ち着いたのか、


「な、なーんてね……冗談よ冗談。血つけてごめんね」

「いや……」


 両手を上げながら張り付けたような笑顔を浮かべ、リアは俺から離れた。


「それで教えてよ。なんで生きてるの? そんな姿でさ……」


 話題を逸らすように質問を始めたリアは、まだ少しぎこちない表情をしていた。


「俺は転生してるんだよ。今は八度目で、合算すると大体四百歳くらいかな」

「そうなんだ……」

「……結構衝撃の事実発覚させてる自覚あるんだけど、あんま驚かないのな。お前の倍くらい歳くってるだろ?」

「まぁそうね。でもさ、学園で会った時の私って七十歳くらいだったから、逆に五十以上年上の友達とか嫌じゃないのかなってちょっと心配してたの。今更歳の差が逆転しても困りはしないって言うか……寧ろ安心したって言うか……」

「そんなこと考えてたのか。全然気が付かなかった」

「お前察し悪かったものね。でも私にそんなこと言って良かったの? それってお前の大切な秘密でしょ?」


 どうして言ったのかと問われれば、『秘密にする理由がない』以上の理由は思いつかない。

 敢えて言う必要はなかったはずだ。

 きっとリアは深くは追求してこなかっただろうから。


「言っても問題ないと思った。それにお前に嘘なんか言いたくなかった。それ以上はないな」

「そう、なんだ……」


 俺はリアにリアの騎士にならないかと誘われた。

 その誘いに多分の好意が含まれていたことは俺にだって分かる。


 けれどあれから百年。

 俺はリアの元へ行かなかった。

 リアからしてみれば『断られた』のと変わらない。

 だからこんなによそよそしいんだろう。


 だけど確かに今同じことを言われてたとしても、俺の答えはイエスじゃない。


 どこの誰がどう望もうが、俺の願いは変わらない。


 いや、これも逃げだな。


 本当にリアを大切に想うなら最強を捨てるべきだ。


 本当に最強を求めるならばリアを利用するべきだ。

 こいつはこんなに強い魔術師になったんだから。


 どっちつかずで、半端で、優柔不断な回答に俺は逃げようとしている気がする。


「でもなんでお前、奴隷なんかやってるのよ?」

「なんでか……そうだな。……俺は自分の弱さが許せなくて、誰にも負けないくらい強くなりたくて、それだけが俺の満足で、だから転生して、だから奴隷で……だから……」


 自分でも何を言っているのかよく分からない。

 手段と目的が入れ替わっている俺の理屈は、きっと他者へ語って理解される類のものではないと思う。


 というかそもそも、そんな俺の芯がリアに再開したことでブレ掛けている。


「分かった。大丈夫よ、私はネルの邪魔はしないから。だからそんな悲しそうな顔をする必要はないわ。最初から分かってたのよ、お前の満足そうな死に顔を見た時から……きっと私は、アルクスに嫉妬していたの」


 アルクス……俺を殺した水属性の龍を使ってたエルフか。


「だから今度は私がお前を満足させてあげる。その為の力は得た。だから身体で理解しなさい。お前を喜ばせることができるのは――万夫不当の私だけだと」


 数歩下がり、リアは細剣を抜いた。


 あぁそうか……お前はどこまでも、俺と対等であろうとしてくれるんだな。


 弟子リンカやヨスナではなく、主人ベルナでも、聖剣モノでもない。


 お前は生涯を繰り返す俺と対等な、たった一人の存在だ。


「いつか必ずこの恩は返すよ」

「私は長命種エルフでお前は不滅なんだから……この先も、何度だって、また巡り合いましょう。今はそれでいいわ」



 この蒼天の絶景を俺は未来永劫忘れないだろう。


 魔術の深淵を……魔術の最奥を……至上の魔術を……


 精霊眼という才覚を有し、長命を持つ彼女が研鑽を積み重ねて至ったその極点を……


 リアが浮かべた慈愛に満ちた天使のように優しい表情を……


 俺は記憶に、魂にすら刻み込む。


 いつか必ずその魔術を超えるのだと――己に誓って。

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