6「弱者隷属」


 ここは戦士と鍛冶師の街『ビルドラム』。


 戦士はより強い武器と防具を求めるものだ。

 鍛冶師はより良い装備を造るために、その目で直に戦いを見ることを望んでいる。

 故に、この街には世界で一番の賑わいと巨大さを誇る『コロセウム』が存在する。


 しかしそれは煌びやかな最高位の剣闘士が果たし合うための場所であり、例えば奴隷などは血を求める観客の要望に応えた飼い主の意向によって、地下にある金網でできた牢のような囲いの中に猛獣と共に詰められる。


 奴隷に人権は存在しない。

 ここは人が憧憬を抱く闘いの場ではない。

 それは人が流血を見て愉悦を感じる殺し合いのために存在する非合法アングラな『地下闘技場』だ。


 今日日、十歳になったばかりの少年は震えることしかできなかった。

 目の前に居るのは巨大な猛獣。

 東洋では『雷迅獅子』と、西洋こちらでは『レグルス・ボルト』と呼ばれる雷を纏った獅子である。


 ただの少年にそれに対する術など存在する訳もない。

 これは予定調和でマッチポンプ、最初から結果の確定している地獄なのだ。

 客たちは熱狂する。

 今目の前で少年の命が奪われようとしているその異常が、彼等に興奮を覚えさせる。


 ここはそんな変態の群れ場だった。


「グル――」

「ひっ」


 今から少年は死ぬだろう。


 一切の抵抗もなく終わるよりは、無様に抵抗してくれた方が客の熱狂も高まるという意味で渡された錆びかけた鉄の剣はある。

 しかし、銀級の冒険者でも複数人で当たるようなその魔獣を相手にそんなものが通用するなんて、奴隷の主も、観客も、敵の魔獣すら思ってはいないのだ。


 爪に切り裂かれ死ぬのだろうか。

 牙に噛み千切られて死ぬのだろうか。

 それとも高圧電流とも遜色ない威力を発する体毛の静電気を浴びて感電死か。


 観客はその瞬間を待ち望んでいる。

 少年から舞い散る鮮血を。

 少年の身体が焼かれて発する焦げた匂いを。


(もう無理だ。そもそも僕の人生は生まれた時から終わってるし、希望とか夢とか、生きる意味なんか何にもないけど……痛いのはやだよ)


 少年がガタガタと手足を震わせながら、そう考えたその瞬間――その声は頭に響いた。



 ◆ 【じゃあ、俺に代われよ】



 記憶と記憶が融合していく。

 二種類の記憶は一つの人格として集束する。

 そしてその主導権は、たった十歳の子供ではなく何百年という時間を生きた魔術師に寄るのは必然だった。


「十歳で死にかけてるのは、流石に初だな……」


 俺が宿った人間が十歳未満で死亡した場合でも、俺の魂は次の肉体を探し始める。

 だが、どんな肉体でどんな状況に転生したとしてもそれは必ず俺の糧になるはずだ。

 どんな状態にも最強のヒントはあるはずだし、単純に時間がもったいない。


雷迅獅子レグルス・ボルトか、腕慣らしには丁度いい」


 目の前に居る魔獣を見つめれば、獅子は雷光を放って俺を威嚇していた。


 しかしこの程度の魔獣なら剣術だけでも倒せる。

 だが、未だ俺の腕はカチカチと震えていた。


「なんだよ。怖いのか?」


 潜在的に刷り込まれた恐怖の感情。

 奴隷の身分に生まれ、今の今まで絶望の中でしか生きたことのないこの身体は、どうやら生物的な上位種に逆らう機能を喪失しているらしい。


 けれど、逆に言えば弊害はその程度だ。

 五体満足。大怪我も特に無し。

 精神が壊れてる訳でもない。

 軽い栄養失調はあるし魔力も常人の半分程度……

 前世のドラゴンと比べると、矮小にも程がある雑魚い身体だ。


 ――だが、相手がこのレベルなら問題は何もない。


「終奥・龍太刀」


 この魔獣は俺にとっては雑魚だ。

 実際にぶっ殺して、それを理解しろよ。


「ル――?」


 俺が斬撃を放ったことにすら気が付いていない様子で、獅子は左右に身体を分かたれる。

 纏ったいかずちなど魔力による遠隔攻撃なら関係なかった。


「え?」

「何したんだ?」

「どういうこと?」


 剣聖の一撃が見えなかったのは魔獣だけじゃない。

 周囲に居る観客も俺が何をしたのか理解できた奴は少ないだろう。


 困惑の声を背負いながら、俺は網の外にいる『飼い主』に視線を向ける。


「見ての通り終わった。開けてくれよ?」



 ◆



 ヒュンと風を切る音がするのと同時に、俺の身体に鞭が叩き込まれる。

 バシッッと音を立て、もう幾つになるかも分からないミミズ腫れが生じる。


 薄暗い地下牢の中で天井から伸びた鎖に吊るされた半裸の俺に向かって、男は呼吸を荒くしながら力の限り鞭打ちを繰り返す。


 しかし魔道具でもないし、魔術師でも戦士でもない人間の振るう鞭だ。

 魔力で強化している俺の身体を裂くほどの威力はない。

 ただ少し痛いだけだ。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 繰り返される動きがどんどん鈍くなっていき、鞭を振るう方が先に根を上げた。

 膝に手を置いて体中から汗を滴らせている。


「何を勝手にやめている?」

「す、すいやせん姉御……」

「ッチ、もういい。下がれ」


 地下牢の外からこちらを見ていた赤毛の女は、苛立ちを隠そうともせずに鞭を振るっていた男を睨みつけ退室させた。


 地下室には俺とその女だけが残される。

 彼女は腕を組みながら、その暴力的な胸囲を持ち上げ牢の中へ入って来る。


雷迅獅子レグルス・ボルトをどうやって殺した?」

「見てただろ? ぶった斬ったんだよ」

「ふざけるな。お前は自分の値段を知っているのか? あの魔獣の値段を知っているのか? 私が被る損失を理解しているのか? あれはお前などが殺していい魔獣じゃなかったんだ」


 憤怒の形相を俺に向けるこの女は、名前をベルナ・ミカグラ。

 表向きは奴隷商ということになっているが、この街の裏を仕切るマフィア『エニシングプレントファミリー』の幹部アンダーボスの一人だ。


「損失? 逆じゃないのか? 俺を安く手に入れられたんだから雷迅獅子レグルス・ボルトの値段を考えたって余裕で得だ」

「つまり、あれは偶然ではなくお前の実力だったと?」

「あの状況で偶然魔獣が死んだと思ってるのか? めでたい脳味噌だな」


 俺がそう吐き捨てた瞬間、ベルナの拳が俺の腹に突き刺さる。

 無論、そこらの奴に殴られたところで魔術によって肉体を強化している俺に傷を付けられる訳もないが……


「カハッ……! お前、魔術師かよ……」


 如何に術式で強化しようが、元が弱ければ強化できる範囲も少なくなる。

 齢十ということもあるが、栄養失調と魔力不足であまり高威力の術式は使えない。

 龍太刀も金網のリングをぶっ壊すつもりで放ったのに、結果は魔獣一匹斬っただけだったしな。


 相手が魔術師にもなると、流石に耐えられる痛みの限界を超える。


「自分の立場を理解するまで、私が拷問の続きをしてやろうか?」

「損得勘定が好きなら俺をここで壊すデメリットをお前は理解できるはずだろ。なぁ、用心棒でもなんでもしてやる。だから、この首輪外してくれねぇか?」


 隷属術式。

 主に操作系統に属するこの術式は、他者を強制的に術者の意志通りに行動させることができる。

 それが込められた魔道具が俺の首には嵌められている。


 おそらくこの術式を込めたのはこいつだろう。

 記憶を取り戻した直後から術式の解析は行っていて、既にそれは完了している。

 破壊しようと思えばいつでも破壊は可能だ。


 だが、それをすると俺は脱走奴隷という扱いになり国から指名手配される可能性がある。

 隣国に逃げる手もあるが、手間を考えると首輪の破壊は最終手段だ。

 この女を納得させて正式な手続きで奴隷から解放されたい。


「外すはずがないだろう? それにな、私に生意気な口を利いた下っ端は組織内では粛清対象だ。奴隷なら罰はもっと厳しくなる」

「なんだよ、火炙りにでもされるのか? けどいいのかよ、損失がもっと増えるぞ?」

「ここまで生意気な奴隷は初めてだ」


 転生術式がある俺の死は他人よりも少し軽い。

 けれど死んでも叶えたい目的が芽生えることはあっても、死んでもいいなんて思ったことはない。


 だから、殺されるくらいなら首輪を壊す。

 そう思っていたが、ベルナの提案は意外なものだった。


「お前は奴隷のままだ。そのまま私がマッチメイクする相手を倒し続けろ。勝つ内は殺さないでおいてやる」


 ここは戦士と鍛冶師の街『ビルドラム』。

 数多の剣闘士が最強を巡り争い合う人間の闘いの中心地。

 俺にとってはとても好都合ロマンチックな場所だ。

 そしてベルナが相手を斡旋してくれるというのなら、その誘いを断る理由はない。


「いいけど、条件が一つある」

「お前、自分の立場を自覚しているのか?」

「してるさ。だから俺が地下の闘技場で敵無しだった時には、ちゃんと表のマッチメイクもしてくれよ?」

「ははっ、いいだろう。だが、裏世界の闘技場は致命が当たり前。到底お前が生き残れるとは思えんがな」


 加虐的な笑みを浮かべながらそう言い残して、ベルナは地下牢を後にしていった。


 誰も居なくなった地下牢で鎖と足枷を魔術で溶かし千切ってから床に寝っ転がると、すぐに睡魔が襲ってきた。


 この身体は脆弱だ。

 まさか、転生初日で魔力切れを起こすとは……


 次の試合までにこの状態での戦術を考案しておく必要があるな。



 ◆



 その三日後、すぐに俺は新たな決闘場へと駆り出された。


 前に魔獣と戦った金網リングよりもっと広く、もっと観客も多い。

 しかしそこはまるで周囲の人間の顔が良く見えないように設計されたかのように薄暗い場所であることは変わらず、趣味の悪そうな爺さん婆さん共が、魔術で強化されたガラスの外にある観客席より俺たちを見下ろしている。


 今日の相手は単瞳巨人サイクロプスという単眼の巨人だった。

 人型ではあるが知能はゴブリンにも劣る。

 優れる点としては、やはり五メートル越えの巨体から放たれる大地を爆ぜさせる威力を持つ攻撃力だろう。


 しかし、嘗めてるのか?


 冒険者組合の定める魔獣等級に置いて、単瞳巨人サイクロプス雷迅獅子レグルス・ボルトと同じ四等級の魔獣とされている。

 強さの面で見ればこの二種は大した差はないってことだ。


 今更、雷迅獅子レグルス・ボルトを一撃で倒した俺に充てる敵とは思えない。


 様子見のつもりか?


「ふざけてるのはどっちだよ……」


 ガラスの向こうからこっちを見るベルナと視線が交差する。


 この三日でこの身体にも少しは慣れた。

 震えも収まっている。

 生憎と武器は錆びた剣一本だが、相手がこの程度なら負ける道理はない。


「付与――【溶鉄】」


 この術式は切れ味を増す効果を刀身へ付与するが、鉄を高温にする仕様上武器を酷使しすぎる性質がある。

 けど、この錆びた剣なら丁度いい。


「ォォォォォォ!」


 単瞳巨人サイクロプスが俺へ向けて叩きつけてくる拳の軌道を魔力障壁でずらし、真横に落ちた腕を『溶鉄』を付与した刀身で輪切りにする。


 紫色の血が舞うのと同時に加速術式を起動。

 舞い上がった砂埃で姿を隠し、背中側へ回り込む。

 そのまま両足の健を削ぎ、膝を付かせる。

 背中を駆け上がり、後頭部から目玉に向けて剣を突き刺す。


 そのまま横に切り抜いたところで、単瞳巨人サイクロプスは完全に生命活動を停止した。


 ベルナの方へもう一度視線を向けると、彼女は薄く笑みを浮かべていた。

 それを確認した次の瞬間、闘技場内に五つの魔法陣が出現する。


「召喚系統……転移術式か?」


 魔法陣を見ながらその効果を解析している間に術式は完成したようだ。

 魔法陣の上に単瞳巨人サイクロプスが次々と召喚されていく。


「なるほど、連戦って訳だ」


 龍太刀を使わないでおいてよかった。

 全身の魔力を一気に練り上げる『終奥・龍太刀』は魔力消費が半端じゃない。

 今のこの身体では連発は無理だし、使える術式の回数も激減していく。


 だけど、単瞳巨人サイクロプスが五匹程度なら別に龍太刀なんて必要ないだろ。


「術式合成――【蒼炎球】」


 五本の指先を合わせることで術式を混ぜ、蒼い炎を指先に五つ灯す。

 魔力操作の精度は記憶に蓄積されたものだ。

 転生して肉体が変化しても劣化しない。


 指先の炎を投げつけるように放てば、それらは独立した軌道で弧を描き五匹の単瞳巨人サイクロプスそれぞれの単眼に命中――爆ぜる。

 視界を失った単瞳巨人サイクロプスなんてまな板の上と鯉と等しい。


「つうか、ちょっと強すぎたか……」


 よく見れば、今の一発だけで単瞳巨人サイクロプス共の顔が削れてもう瀕死だ。

 骨が見えてる奴までいる。

 もう多分何しても勝てるけど、どうすっかな……


「あぁそうだ。丁度いいからあれを試しておこう」


 俺は前世で龍の経験を手に入れた。

 その神秘を体験し、体現した。

 本家本元には及ばないが、劣化コピーでもこの魔術は相応の威力を発す。


「――【蒼炎龍咆】」


 龍の息吹ブレスを再現したその術式は、掌より蒼い猛火を発生させ竜巻状に回転させながら前進していく。

 俺の使える炎属性魔術の中では、一番の破壊規模を有する術式だ。


 神々しさすら抱かせるその魔術は単瞳巨人サイクロプス共を飲み込み、その奥のガラスへぶつかってヒビを入れる。

 ヒビより溢れた蒼炎は観客の表情までも青ざめさせていった。



 ◆



「お前! いい加減にしろ! あの闘いの内容で結界を割る必要なんてなかっただろ!」


 試合終了後、ベルナが怒鳴り込んで来た。

 地下牢の鉄格子を挟んでベルナは俺に唾を飛ばす勢いで荒れている。


「相手は倒しただろ? 文句を言われる筋合いはねぇ」

「魔道具で構築した結界を割っただけじゃ飽き足らず、無駄に炎なんか噴出させやがって私の顧客に被害が出たらお前の首一つで済む問題じゃないんだぞ!」

「知るかよそんなこと。俺は奴隷だぞ」

「お前……! 【さっさと平伏せ】!」


 魔力の籠ったその声に呼応するように俺の身体は拮抗の余地すらなくベルナの言葉通りに動く。

 呪言に近い効果を持ち、首輪を嵌めた対象を強制的にコントロールする操作系統術式。

 しかし強制力がかなり強いな。

 これって……


「状況が分かってないようだから説明してやる。お前の首輪には私の隷属術式が組み込まれていて、お前は私の命令には絶対服従なんだよ。自害させることもお前が纏っている身体強化を解除させて拷問することもやろうと思えばできるんだ」


 やっぱりそうか……

 呪言ってのは催眠術に近い。

 それが対象の嫌がる行為であるほどに強制力は弱まるし魔力消費は多くなる。

 だがベルナの術式の強度は、確かに『自害』まで行わせることができてしまいそうだ。


 だが、この首輪にも弱点はある。

 まず一つ、術式自体はそれほど難解ではないということ。俺なら首輪の術式を組み替えて破綻させて破壊できる。

 そして継続的な命令ができないこと。単一の命令で操作できるのは精々数分の行動程度だろう。それに連続で命令すればその分魔力の消費量は増える。


 ようするに、この程度で俺を操れてるなんて片腹痛い。


「やってみろよ?」

「……お前、いいだろう」


 自害しろなんて言おうものなら即座に首輪を破壊してやる。


「奴隷番号14475・ネル――」


 くるか?


「はら」


 はら……?


「【腹踊りを披露しろ】」


 は?

 疑問の答えが出るより早く、俺の身体は勝手に動き始める。

 ベルナの命令を実行するように上着をまくり上げ踊る。


 なにさせられてんだおれ……?


「くくっ、くははは……いいぞ、面白いぞネル。もっとやれ」

「て、テメェ一体何がしたいんだよ……!」

「いやなに、お前の戦いぶりを見ていればお前の魔術師としての力量が私を超えていることは良く分かった。それにお前の態度を見て確信した。その首輪、本当は今すぐにでも無効化できるんだろう?」


 腹を抱えながら俺を見て、目尻の涙を指先で拭うベルナのしたり顔は腹立つ。

 けど、この程度のことなら首輪を外すのはデメリットの方がでかい……


「けれどお前が今までその首輪を外していないことを考えると、脱走奴隷になるのが嫌ってところだろ? できれば私を納得させて奴隷の立場から抜け出そうとしているんだ。なら私はお前が首輪を破壊しないギリギリの責め苦をしよう。私は奴隷商、相手を頷かせる方法は心得ているつもりだよ」

「それがこんなことだって?」

「そんな体勢で凄んでも迫力ないね。心配するな、お前の痴態を見るのは私だけだ。だから私の言うことは聞け。ちゃんとやればご褒美は上げるから。なぁワンちゃん? 次は【三回回ってワン】だ」


 クソ……逆らえねぇ……


「ワン!」

「あははははははははははは!」


 手を叩きながら高笑いして、ベルナは牢の中へ入って来る。


「お前、マジで憶えてろよ……」

「あぁ、忘れないよ。自慢じゃないが私は今まで隷属させて売ってきた全ての奴隷の顔と名前を憶えている」


 鉄格子も何も、俺たちの間には何もない。

 目の前にベルナ・ミカグラが居る。

 仮に俺がこいつを殺そうと思えば、こいつが口を開いて隷属術式を発動させる前に喉笛を掻き切れる。


「お前の目的はなんだ? 首輪を外したいというだけじゃないんだろ?」

「なんでそう思うんだよ?」

「目を見れば分かるさ。私と同じ、呪いのような野心を持っている」


 さっきまでの馬鹿にしたような態度とはまるで違う。

 知的な瞳を俺に向け、凍えるような声色でベルナは俺に問う。


「馬鹿にするなよ?」

「しないよ。私より強い魔術師の言葉で、私の奴隷の言葉なんだから」


 俺にとってそれは、あまねく生涯の全てだ。

 だから、それを否定する奴は許さない。

 首輪に指を掛け、俺はベルナへ言った。


「――俺は、世界最強になりたいんだ」


 ベルナは俺の言葉に目を丸くした。

 けれど、すぐにその表情は温和なものへと変わる。


「そうか、いいだろう。それなら私がお前のパトロンになってやる」



 ◆



 それから一月。

 何度か魔獣と戦わされたが全て完勝した俺を、ベルナは約束通り表の闘技場に出してくれた。


 この街で十本の指に入る強者とマッチメイクだ。

 文句なんてあるはずない。


 あるはずもないが……


「私はネオンって言うんだ。普段は世界中を旅してるんだけど、この街でちょっと腕試ししてみたくなって暫く滞在してる。今日はよろしくね」

「ネル……奴隷だ。よろしく頼む」

「けど酷いよねこの街って。こんな子供をこんな場所に立たせるなんてさ」


 奇跡か幸運か、それとも地獄の入り口なのか。

 蛇の道は蛇というが、最強を目指す道のりには、必ずこの剣が存在するものなのかもしれない。


 紫に近いピンクの髪を持った十五歳くらいの少女のその手には、前世の俺を殺した【聖剣】が握られていた。


 この俺が見間違う訳もない。

 あれは紛れもなくオレを屠った聖剣だ。

 代を重ねる毎に強くなる性質が健在ならば、この女はヨハンより強いってことになる。


 勝てるだろうか? 今のこの弱い身体で。


「君も私が買い取ってあげようか?」

「悪いが俺の権利はベルナが持ってるんでな」

「あの人は嫌いだ。この勝負だって彼女が奴隷の子供を足蹴にしてるところを見て、私から吹っ掛けたんだよ。これに勝てば彼女はその奴隷を解放するって条件でね」


 なるほどな、そういうやり方でのマッチメイキングもしてくれるって訳だ。

 ベルナはパトロンとしちゃアタリだったみたいだな。


 しかしたった一人、奴隷から解放されたところで世界の何が変わると思ってるんだろうか。

 この街には数万人の奴隷が居る。

 おそらくこの国で一番奴隷人口の多い街はここだ。

 そこでたった一人の奴隷を救って満足してるような奴が、何かを成し遂げられるとは思えない。


「棄権しなよ。君みたいな子供を傷つけたくない」


 あの剣を拾うには善性が強くないといけないって条件でもあるんだろうか。

 優しい目で俺を見るネオンは、憐れみで満ちていた。


「……悪いな」


 俺にとってこれはチャンスなんだ。

 龍を屠ったその聖剣の担い手を倒すことができたなら、俺は種としてではなく俺として龍より強いのだと証明できる。


 魔力量でも、魔術への適性でも、特別な喉や、巨体や、翼に頼らずこの女に勝てば……


 ――俺は龍を越えたことになる。


 惜しむべきは、この人生ではまだほとんど研鑽できてないってことだ。


 こいつがヨハン以上に強いなら十中八九俺は負けるだろう。

 だけど、そんな相手との戦いにこそ成長の兆しはあると思うから。


「うだうだ言ってねぇで掛かってこい。戯言は俺に勝ってからにしてくれ」

「そうだよね。その首輪がある限り、君はずっとそのままだ。分かった、私は君を倒して君を救うよ」

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