5「龍と人」


 破魔の剣と呼ばれる魔道具がある。

 魔術や魔獣といった魔力で形成される存在を断ち切ることができるその剣は、魔術師や魔獣との戦闘においてかなり有効な対抗手段である。


 ディアルと名乗った青年が持っていた剣は、それと非常に酷似した特性を持っていた。


 龍の鱗に傷を付け、龍の爪を受け止める。

 そんなことができる剣士はきっと『終奥・龍太刀』を編み出したあの師範代くらいのものだろう。

 しかしこの剣はそんな偉業を担い手に達成させる。


 ただし、それは剣が特別であるということでこいつは別に特別なことはない。


「どうしてこんなことをする? 村人たちがお前に何をした!」


 強いて言えば正義感が人一倍強いってことくらいだろう。


「【蒼炎】付与」


 青い炎を纏った掌でディアルを叩き潰す。

 幾ら破魔の剣と言っても一気に無効化できる魔力量には限りがある。

 ならその出力を越えた一撃を叩き込めばいいだけだ。


 龍の力を持ってすれば、ちょっとした魔道具を持った半端な剣士を叩き潰すことなんて、至極簡単なことだった。


「殺したのですか?」

「あぁ、間違いなく死んだ」


 魔術師としても剣士としても大した奴じゃない。

 ただ、剣が特別だっただけ。

 それだけなのに、自分の力だと勘違いした馬鹿だった。


「まだだ……」


 なのに……俺の付与した爪を真面に食らったはずなのに、男はゾンビのように立ち上がった。


「は?」


 どうなってやがるこいつ。

 人間なんて圧死する膂力だったはずだ。

 人間なんて灰になる火力だったはずだ。


 なんで立てる……?


「困っている人がいる限り、僕は何度でも立ち上がる」


 もう一度、蒼炎を付与した掌で押しつぶす。

 ちゃんと当たってる。ちゃんと燃えてる。なのに……


「まだまだだ。この剣が輝く限り、僕は――!」


 まさか、こんな奴に使わされることになるとはな。

 龍の身体能力によってのみ行使することができる魔術的な到達点。

 その一撃の秘密は呼吸にある。


 龍は呼吸するだけで詠唱を行える特殊な喉を持っている。


 いわゆる『ブレス』と呼ばれるその一撃は、龍という種族が先天的に保有する超火力の術式である。


「下がってろ、ヨスナ」

「はい」


 洞窟の奥へ下がらせたヨスナを目視し、俺はブレスの構えを取る。


 この洞窟は天蓋に穴が空いていて、そこから日差しが少し差し込んでいる。

 これなら酸素不足でぶっ倒れることもないだろう。


「痛みを感じるってことは不死身って訳じゃねぇんだろ」


 もし本当にどんな攻撃も無効化できるなら、もっと自分の不死性を加味した特攻をかませばいい。

 痛みを感じたり、それに顔を歪めるのは、自分が不死身じゃないって分かってるからこその反応だろう。


 こいつの命は無尽蔵じゃない。

 焼き尽くしてやる。


蒼炎龍咆グルルルルゥゥゥ!!」


 蒼い炎の奔流は洞窟の壁を削り拡張しながら出口まで一直線に放出される。


 悉くを焼き尽くすその一撃は山に風穴を開けるほどの威力を持つ。

 人間なんて灰も残らない火力のはずだ。


「ァァ――」


 満身創痍には違いない。

 もう生きていることが不思議なほどの黒焦げだ。

 しかし、それは小さく呻いている。


 黒々しい肉塊になっても、まだ命を保っている……


「なんなんだお前……」

「邪龍よ、憶えていろ。僕が倒れたとしてもこの剣の輝きが失われる訳じゃない」


 そう言ってディアルと名乗った男はこと切れた。

 その横に落ちていた剣を拾い上げようと近づくと、それは光に包まれ消失を始める。


 一体なんなんだこの剣。

 それにこいつの耐久力。


 常人じゃないのは確かだ。


「大丈夫ですか、貴方様……」

「あぁ、かなり強かったが殺した。問題はない」


 疑問はあるが死人に口なしだ。

 脅威は去った。今はそれでいい。


「ヨスナ、少し寝る」

「かしこまりました」


 龍の身体は人間に比べて少し燃費が悪いところがある。

 使用する術式が強力すぎるから仕方ないことだが、魔力を大量に消費した後は強い睡眠欲に襲われるのだ。

 それでも、龍が内包する絶大な魔力を考えれば丸一日も休眠すれば魔力を全回復させるこの身体の魔力効率は破格な部類だろう。



 ヨスナとの暮らしも十年以上が経過する頃。

 俺はこの生涯において目標となる魔術を一つ思い描いていた。

 それを完成させるにはまだまだ先は長いが転生術式に比べれば難易度は低い。

 龍の長大な寿命があれば直に完成させることができるだろう。


 しかしこれでいいのだろうか。

 龍という長命種に転生したことで、俺の焦りや時間の感覚がどんどん緩やかになって行っているような気がする。


 前人未到。世界最強。


 当然の如く、それに至ったものはこの世にいない。

 今の最強を越えることが世界最強の絶対条件であるからだ。

 だから本当はもっと焦るべきなのだろう。


「貴方様、見てください」


 声を掛けてきたヨスナの爪が鋭く伸びていた。

 それは主に『操作』の系統に当たる身体変質の魔術だ。

 俺の見る限りヨスナは操作系統が得意なように見えたからその修練をさせていた。


 基本的な治癒術式を覚えたあとは、自分の肉体の一部を変化させる術式を教えていたがどうやらものにしたらしい。


 しかしそんなことはどうでもいい。

 俺に魔術を見せてきたヨスナの口角が少し上がっていることが俺には衝撃的だった。


「嬉しいのか?」

「どうなんでしょうか……でも、貴方様にこの魔術が使えるようになったことを早く言いたくなりました」

「そうか……」


 ヨスナにはおよそ感情という物がなかった。

 カラクリ的に言われたことを熟すだけの女だった。


 そんなヨスナが笑っていた。

 それはきっと何かしらの欲がこいつに芽生えてきたということなのだろう。


「よくやったな」

「ありがとうございます」


 指先でその頭を撫でると彼女は照れるように俯いた。


「来客のようだ。少し出てくる」

「分かりました。いってらっしゃいませ」


 龍の肉体の成長に伴って魔力感知の範囲が上がっている。

 今では洞窟の周囲三百メートルほどの魔力の動きを感知できるほどだ。

 一体この身体がどれだけ強くなるのか予想もできない。


 数カ月に一組程度だが、俺の巣にやってくる生物はいる。

 王国軍だとか、冒険者だとか、他の魔獣だとか。

 全部蹴散らしてもまだやってくる。

 俺には理解不能だが、英雄願望というアホな思考回路だ。


 だが、その人物の登場は意味不明だった。


 洞窟の外の荒野で待ち受ける俺の前に現れたのは、黄金の光を灯す一本の剣を携えた青い鎧の勇士だった。


「お前が邪龍だな。私はアルリア、お前の命を絶つ者だ」


 長い金髪を揺らす女は俺にそう宣言しながら剣を構える。


 驚くべきは、その剣はディアルと名乗った男が持っていた物と全く同じものだった。

 見た目も、内包された効力も。


 所持者が死ぬとどこかに転移する効果でもあるのか?

 それを偶然拾ってまた俺の前に現れた?

 あり得るか? そんなこと……


「その剣、どこで手に入れた?」

「流石だな。龍の身でありながら言葉を発し、あまつさえこの剣の威力を理解するか。これは私が女神より授かった邪を絶つ聖剣だ」


 女神より授かっただと……?


「世迷言の類には興味がないぞ。神なんて存在しない。存在したとしても人のために力を行使するなんてあり得ない」

「邪龍如きに神の何が分かる? 問答無用、行くぞ。聖光剣!」


 剣の輝きが一層強まる。

 魔獣としての勘が告げている。

 あれは何かやばい……


 アルリアはディアルと名乗った男より総合的に強かった。

 ディアルよりも早く、ディアルよりも力強く、ディアルよりも少し優れる剣術を持っていて、ディアルと同等の不死性を持っていた。


 それにあの剣も厄介だった。

 光を強めたその剣は魔術を断ち切る。

 ブレスを含めた俺の魔術を防ぐ盾としても機能していた。


 オーガロードに及ばない程度ではあるが、強敵の部類だった。

 それは魔獣特攻のあの剣があれば、オーガロードにも立ち回り次第で勝算が生まれるほどに。


 小指一本。

 それがこいつを殺すのに支払った代償だ。


「クソ……まだだ……私が死のうともこの剣の輝きは絶たれない」


 まただ。担い手が死ぬと、剣は光に包まれて消えて行く。

 まるで死んだ宿主から抜け出る寄生虫のように。


 洞窟へ戻るとヨスナが食事を作って待っていた。

 彼女は俺を見ると焦った表情で駆け寄ってくる。


「貴方様……その傷は! 今すぐ治癒を!」

「やめろ。無駄な魔力消費だ」


 この傷は癒せない。

 まさかあの剣にこんな効果があるとは思ってなかった。

 あれはただの破魔の剣じゃない。

 まさしく聖剣と呼ぶにふさわしい魔への特攻を持つ剣だ。


 斬った魔獣の遺伝子の破壊。

 それがあの剣に込められた真の効果だ。


 俺の斬り飛ばされた右前足の小指は、遺伝子情報ごと抹消されている。

 だから肉体を正常な状態に戻す治癒魔術は意味を成さない。

 今この状態こそが俺の正常だと肉体が定義付けられてしまっている。


 断面を更に斬って自己治癒術式を掛けることで傷口は塞いでいる。

 血が流れ続けているなんてことはない。

 所詮生存には問題ない程度の傷だ。


「しかしどうして……貴方様のような強大な存在を傷付けられる力なんて……」

「奴が言うには聖剣の力らしい。お前も五年くらい前に一度見ただろ? あのディアルとかいう男が持っていた剣と同じものだ。あの光は魔獣にとっては呪いに等しい」

「呪い……!」

「だがもう倒した、問題ない……」

「本当にそう思っているのですか? 二度、同じ剣を持った者が現れたのです。三度目も四度目もないと言い切る保証などあるのですか?」

「また現れたとしても所詮剣が強いだけだ。剣士が雑魚なら大したことはない。この効果は理解したし、次は傷も受けずに倒せばいいだけだ」


 そうだ。

 確かにさっきの女の戦闘能力は最初の男よりも高かった。

 力も素早さも、おそらく身体強化の術式の練度が前の奴より上だった。

 それに剣士としての技量も……


 だがそれはたまたまそれなりの腕の剣士だったってだけだ。

 あれ以上の強さの剣士なんて早々いない。

 それこそ俺の七度の人生でもあれ以上に強い剣士となると剣聖タガレ・ゲンサイくらいしか出会ったことはない。


「まぁ心配すんなよ。例え俺が死んだって、お前は村に戻って暮らせばいいだけだろ」


 俺がそう言うと彼女は無機質な声で小さく「はい」と答えた。



 ◆ それから更に年月は経過する。



「お前は変わらないな」


 既に四十代のはずのヨスナの姿はまだ二十代にも見える。


「貴方様に教えていただいた魔術のお陰です。操作系統、主に治癒術の応用によって細胞を若く保っています。多少は寿命も延びると思いますが貴方様には遠く及びません」

「それはどうだろうな……」


 あれから三度、あの聖剣を持った者が現れた。

 どういう原理かは定かではない。

 しかし、あの剣の持ち主は代を重ねるほどに強くなっていく。


 身体強化の練度も。

 使用してくる魔術の種類も。

 その破魔の性質すらも。

 代を重ねるごとに光を強くして輝き続ける。


 俺の身体には多くの傷がついている。

 あの剣によって付けられた傷は再生しない。

 まだ致命傷となる傷は負っていないがそれでも、次はどうなるか分からない……


「そのようなこと、言わないでください……」

「なんでだ? 俺が死んだ方がお前にとっては都合がいいだろ。村人たちに申し訳なく思う必要なく村に戻れる」

「もう村には戻れません。私はもう龍に捧げられた巫女ではなく龍に従う魔女になってしまいましたから。村人にとっては村に税の徴収に来る悪女です」


 たった二十年、されど二十年か。

 こんな辺境の村人の寿命なんて五十年かそこらだ。

 世代が変わり感謝の気持ちを忘れるのには十分な時間なのだろう。

 それに村の規模も増して街と言えるくらいには大きくなっているらしい。

 それだけ人が集まれば、邪龍オレに対して悪感情を抱く者も多く居て当然だ。


「でも村人全員がそう思ってる訳じゃないだろ。真実を話せばきっと受け入れて貰えるさ」

「嫌ですよ。貴方様を傷つける剣の担い手を送り込んでくるあんな村、戻りたいなんて思いません」

「なんだよそれ、お前俺の彼女かなんかなの?」

「いいえ。私は巫女です。生涯を貴方様に捧げた私は、人の男を知らずに朽ち果てる。最初からそういう定めです。でも、私はそれでいいのです。だから望みを一つ、言ってもいいでしょうか?」


 あぁ、ずっと俺はお前からその言葉を聞きたかったんだ。

 他者のためではなく、自己のためを思う欲の形成。

 それでこそ人足り得る。


「どうか、私と一緒に逃げてくださいませんか?」

「逃げる?」

「はい。その巨大な翼で、あの剣の光が届かぬ果てまで」

「どうして? お前にとって、俺はなんだ?」

「唯一、私を一個の生命として扱ってくれた、最賢にして最優にして最強のドラゴンです」


 ヨスナはぎこちなく微笑んでそう言った。


 最強……それは俺の目指す場所。

 それは何度転生しても辿り着くと誓った極致。


 俺はいつの間にか目指す場所に到達したのか?

 俺より強い存在などこの世界に存在するのか?

 確かにヨスナの言うことは最もな気がする。


 俺ほどに魔術を修めたドラゴンがいるとは思えない。


 ドラゴンでないのなら、俺に勝てる奴なんているとは思えない。


 だが、やってくる幾人もの聖剣所持者が刻一刻と俺を死に近付けているのは事実だ。


 数人の聖剣所持者に俺は追いつめられている。

 それが本当の最強の姿なのだろうか?

 一対一なら必ず勝てる。

 だが一対二なら、一対百なら、負けるかもしれない。

 それが……そんなものが本当に、俺の目指した『最強』なのだろうか。


「最強か……」


 ここで満足するべきなのだろうか?

 もう転生などやめて世界最強の龍になったことを誇りと抱いて死ぬべきなのだろうか。


「お前の操作術式を見せてくれないか?」

「構いませんよ」


 ヨスナの身体が変貌していく。

 爪と牙が伸び、爬虫類のような瞳が形成され、身体を覆う鱗のような物を纏い、蜥蜴のような尾と蝙蝠のような翼が形成される。


 その姿は異形でしかなかった。

 怪物と呼んで相応しい化物だった。


 人より逸脱したその姿に至るヨスナの魔術師としての技量は、操作術式という領分だけで言えば俺に勝るとも劣らない。


「凄いな。お前は天才だよ」

「貴方様に教えていただいた魔術の知識があればこそ。しかしまだ足りません。私の目指す理想には遠く及ばない未完の力です」


 そんな力を持っていても、まだ向上心は絶えないのか。


 このまま聖剣の所有者が強くなり続ければ何れ俺よりも強くなるだろう。

 このままヨスナの技量が高まって行けば操作術式の領分では俺は完全に負けることになるだろう。


 それのいったい何が、最強足るのか――


 人の身でも龍に勝ることができる……

 あの聖剣とヨスナの存在は俺にそう思わせるには十分だった。


「悪いなヨスナ、俺は逃げない。寧ろ戦いたいんだ」


 俺は見たい。龍が人に負けるその瞬間を。


「客だ。少し出てくる」

「待ってください貴方様!」


 ヨスナの言葉を無視して俺は洞窟から外に出て行く。

 傷だらけのその身体に鞭を打ち、矮小なる人との戦に望む。

 ただ『龍殺し』という奇跡が起こることを信じて。


「待って、置いて行かないで……ネル様……」



 ◆



「君が邪龍かい?」


 あの聖剣を携えたその男は青い瞳を俺に向け、俺に問いかけてくる。

 剣士としての覇気も、魔術師とてしての聡明さも、双方を持ち合わせたようなその男は、冷静な口調で言う。


「ナスベ村の村長に頼まれて君を討伐しに来た。でも、本当に君は邪龍なのかい? 村長の話では君は村から物資を献上させているそうだけど、別に君の方からそれを申し出たって記録はなかった。村長の家にあった貢物のリストは飢饉の時は貢物は減っていたし、裕福な時は増えていた。人すら捧げたって記録はあったけど、それも最初の一回だけだ」

「それで?」

「疑問なんだよ単純に。本当に、君が村に貢物を求めたのか? もしかして村人の方が自発的に献上し始めたんじゃないのか? 自分達の安全と安心のために。それが口伝で捻じ曲がったんじゃないのか? だって君はナスベ村ができてから数十年、村に何の被害も出していない」


 今度は随分と真面な奴が来たものだ。

 いや、龍を目の前にして真面で居られるほうが愚直になってしまう人間よりも余程狂っているようにも思えるな


 しかし……今の俺の目的は、お前に俺を理解して貰うことじゃない。


「人間」

「なんだ。龍よ」

「俺と戦うのがそんなに怖いか?」

「……」

「うだうだ言ってないでかかってこい。殺してやる」

「……そうか、いいだろう。僕の名はヨハン。この剣の輝きに懸けて、君を滅そう」


 光の灯るその聖剣を俺に向ける。

 過去五度の担い手よりも輝きは更に強まっている。


 対して俺は、過去五度の対戦で付けられた癒えぬ傷を幾つも負っている。


「――聖光剣」

「付与【蒼炎】」


 俺の爪と奴の聖剣が鍔迫り合う。

 火花を散らし互いの灯を押し付け合い。


 数秒の後、光の決着は俺の敗北に終着する。


「まずは爪一本だ」


 膂力も速度も技量も、過去の担い手よりもずっと強力だ。


蒼炎龍咆グルルルルゥゥゥ!」


 俺の最大火力。

 龍の持つ至高の魔術。

 それすらも――


「【魔理断概ディスペルスラッシュ】!」


 一刀の元、俺の放った全霊のブレスは完全に割断され、そして消失した。


「この技は術式そのものを割断する。どんな魔術であったとしても切っ先に触れさせることができるのなら無効化することができる対魔戦闘における最強戦術だ」

「最強ね……」

「あぁ、僕は相手が魔術師か魔獣なら絶対に負けない自信があるよ」


 そりゃ凄い。

 俺は『終奥・龍太刀』こそが剣術の到達点だと思っていた。

 けれど、それ以外にもそんなに凄い剣技が存在するんだな。


 だがな――


「ははっ」


 噴き出すように笑みを浮かべる俺を、ヨハンは黙って見つめている。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

「負けを自覚して全てを諦めた笑み……には見えないね」

「お前如きが最強な訳ないだろ。最強って言葉はそんなに安くない」

「そうか。それじゃあどうするんだい? 君の魔術も君のブレスも僕には通用しない」

「そうだな。魔術師でも魔獣でもお前には勝てないなら俺は――【剣士】になることにするよ」


 ずっと考えていた。

 龍の身体は成長するだけで絶大な力を得ることができる。

 だが、俺にとって龍という種族には明確な弱点がある。


 俺が鍛えた剣術を使えないってことだ。


 ヨスナに魔術を……操作術を教える傍ら、俺もある術式の開発をしていた。


 ヨスナの魔術師としての成長に呼応するように、この術式は完成度を高めていった。


 ヨスナは俺の弟子ではあるが、この術式に関して言えばヨスナは俺の師匠である。


「――【人化の法】」


 俺の身体がどんどん縮小していく。

 四足は二本足と二本腕へと姿を変え、長く鋭い爪も牙もどんどん小さく纏まっていく。


 文字通り、それは人間になる魔術だ。


「なんだ……その魔術は……」

「お前の剣技は凄いよ。龍のブレスほど強大な魔術を斬るなんて聞いたこともない。だがな、それは発動中の術式を割断するという能力であって、その効果は完了した術式までは及ばない」

「何を言っている……」

「操作術は物体の形状や性質を変化させる魔術だ。そこまでの術式で、変化が終われば魔力的な作用はもう働いていない状態に落ち着く。要するに、肉体の性質を変化させ終わったこの状態を斬られても、龍の状態に戻ったりしないってことだ」


 同様に操作術によって龍の鱗で造った衣を纏い、爪と牙と角を混ぜて造った剣を携える。

 これで変化は終わりだ。


「余り僕を嘗めるなよ……」

「嘗めてねぇよ」

「龍が人に化けて剣を使う? やってみればいいさ、剣術というのは奥深く長い研鑽によって強まるものだ。龍に生まれた君が極められる訳もない」

「確かにそうだな。龍の生涯しか知らないのなら、俺には剣術を極めることはできなかっただろうし、そんな発想も湧かなかったことだろう」

「どういう意味だ……?」


 だが俺には今世を含めて七度の記憶がある。


「まぁ、事実はやり合えば分かることだろ?」

「確かにね」


 互いに剣を構え、激突と共にそれを打ち合う。

 勝ったのは俺の方だった。


 ヨハンは俺の腕力を受け切れずに吹き飛んでいく。


 龍の膂力。龍の重量。

 龍の身体能力を人間の形に押し込めたこの肉体は、常人の数倍の身体能力をデフォルトで持っている。


 それに加えて、龍の持つ莫大な魔力の循環により身体強化を行った俺の筋力は人間の枠を超えた力を持っている。


「終奥・龍太刀」


 追撃に放ったその奥義を、ヨハンは魔理断概で迎え打つ。

 終奥・龍太刀とて魔力によって攻撃している以上あの割断効果は及ぶ。

 しかし、今の一撃を見て理解したはずだ。


「どうやって龍の身でそこまでの剣技を修めたと言うんだ?」

「そりゃ努力だろ。お前とは違うんだ」

「どういう意味だ!」


 初めて声を荒げたヨハンが、加速して俺の目前に迫り、剣を振り抜く。


 ギリギリで回避しながら笑みを向けて俺は語る。


「お前だって分かってるだろ? お前の実力の殆どはその魔道具の力だ」


 ヨハンが無尽に放ってくる剣戟を避け、受け流し、弾きながら、俺は言葉を続ける。


「魔獣の遺伝子を破壊する力も、術式を無効化する力も、そしてお前が有するその剣の腕すら……」


 こいつの剣術はでき過ぎだ。

 この若さでその力量に至るなんて、どれほどの天才だとしても通常の方法ではあり得ない。

 それにこいつの剣術は、今まで俺に挑んで散っていった聖剣所持者の物とかなり似ている。

 それを発展させたような剣術だった。


 おそらく、この聖剣は過去の所有者の剣術を記憶している。

 それを何らかの方法によって次の所有者に継承させているのだろう。

 加えて、代を重ねる毎に魔力による身体強化は増し、聖剣に魔力を蓄えることで担い手の才能以上の術式を行使させ、極めつけはその破魔の光すら代を重ねる毎に強化されていっている。


 じゃなきゃ俺に挑んで来た聖剣所持者が強くなる一方だった説明が付かない。


「お前はただ剣を手に入れただけの雑魚だ」


 代を重ね剣術を継承したのだとしても、それでも未だその力量は人生を繰り返し剣術を研鑽した俺には及ばない。


 俺に向かって振り下ろされた聖剣と思い切り打ちあえば、奴の手首の方が先に悲鳴を上げたらしく、聖剣を弾き飛ばすことができた。


 頼みの綱の聖剣を取りこぼしたこいつに、最早俺への対抗手段はない。


 終わりだ。


「お前は研磨だけに人生を使うべきだった。自分が最強になろうとなんて思わずに、次の担い手のために剣を磨き続ける生涯を送るべきだったんだ」

「……違う」

「けど気持ちは分かるぞ。男だもんな。自分が最強になりたいよな」

「違う。この剣は魔獣を斬ることで光を強める。だから……」

「だとしてもだ。お前でも勝てる弱い魔獣にのみ挑むべきだった。これは自分を最強だなんて過信し、龍にまで挑んだお前の間違いが引き起こした結果だ」


 俯いたヨハンを見ていると可哀相に思えてくる。

 ただの凡人がたまたま手に入れた剣の性能に酔って調子に乗っただけ。

 けど、そんなの仕方ないことだろう。

 誰だって他者を圧倒できるような力を手に入れれば少しは調子に乗ってしまうものだ。


 元凶はこいつじゃなくて、あの聖剣の方だ。


「違う……」

「往生際が悪いぞ」

「確かに僕はあの聖剣がなければ何もできない弱虫だ。そんなこと分かってる。けど、所詮僕は幸運であの力を手に入れた凡俗なのだから、だからこそ……この力で人の役に立つことをしなくちゃいけないと思ったんだ」


 そう言ったヨハンの手元に、いつの間にか弾き飛ばしたはずの聖剣が握られていた。


 転移術式?

 そうだ、あの剣は所有者が死ぬと同時に逃げるように消えて行く。

 あれは剣自体に転移術式を発動させる機能があるってことだ。


「ッ……!」

魔理ディスペル――」


 油断した。この距離じゃ回避は不可能。

 魔力障壁も割断されて終わりだ。

 あの一撃は魔獣の遺伝子を破壊する。

 人間の肉体に変化したと言っても俺の本質は龍だ。

 食らえば即死。


 だったら、引けないのなら、押すっきゃねぇ!


「終奥――」


 俺にも敵にも互いを殺す方法がある。

 俺にも敵にも互いを殺す理由がある。


断概スラッシュ!」

「龍太刀!」


 その条件を満たす物だけを『戦い』と呼ぶ。


「やるじゃねぇか、ヨハン」

「そっちこそ」


 終奥・龍太刀がヨハンの身体を通り、脇から腰に掛けてを完全に絶ち切る。

 ヨハンは斬撃の途中で魔理断概ディスペルスラッシュの軌道を変えた。

 俺と打ち合わねば、俺の一撃が命中すれば死ぬと分かっていたはずだ。


 にもかかわらず、その一撃は自分を守るためではなく俺を倒すために放たれた。


 俺の胸に突き刺さった聖剣の一撃は、俺の内臓の遺伝子を破壊する。


 再生は不可能。

 即死ではないにしても、長く時間を置かずして俺は死ぬ。


「悪かったな」


 上半身と下半身に分かれ、背を地面に付けたヨハンに向かって俺は謝罪の言葉を吐く。


「この期に及んで、いったい何を謝るって言うんだい?」

「お前は弱くない。なんせ龍殺しの英雄だ」


 聖剣を手にしたというそれだけの理由で俺を殺せるだろうか。

 いいや、そんな訳はない。俺はそんなに弱くない。


 こいつが俺を打倒したのは、こいつの努力と想いが成した偉業だ。


「どうしてだろうね……どうして邪龍に褒められるのがこんなに嬉しいんだろうね」


 その重症で会話が成り立つのも聖剣の力なのだろうか。

 しかし、延命はできても回復が可能な傷ではない。

 数十秒か数秒か、残された僅かな時間でヨハンは俺に己の想いを告げる。


「僕には才能なんて無かったんだ。剣術も魔術も並みで、自分に才能がないと分かるとやる気が失せて別のことを始めた。僕の人生は逃げる一方だったんだ」

「そうか……」

「意味が欲しかった。こんな僕でも誰かを幸せにできるんだって思いたかった」

「お前は龍を倒したんだ。誰だってお前に感謝するさ」


 俺が死ねば、きっとまたこの場所は魔獣の住処になる。

 けれど、俺という龍を打倒した英傑にそんな事実を伝える気にはならなかった。


 勘違いで龍を殺してしまった愚かな男ではなく、勇猛果敢に龍へ挑み打倒した英傑として死んで欲しかった。


「そうかな、そうだといいな……」


 そう言ってヨハンは死んだ。

 聖剣も既に消失している。


 俺の魂には火が灯っていた。

 人が龍を打倒するその瞬間を、この目で、一番近い場所で見届けたのだから。

 聖剣にできたのだ。ヨハンにできたのだ。

 俺にだって龍を殺せるはずだ。

 いいや、そんなこともできずに最強など名乗れるはずもない。


 俺は転生する。

 種としてではなく、俺は俺として頂に立つ。

 その決心と確証と共に、俺は仰向けに倒れた。


「どうしてですか……どうして……」

「ヨスナ……」


 翼を背負う彼女が俺の前に着地し、俺の身体を抱いていた。


「来たのか……」

「ずっと貴方様があの剣の担い手と戦う時には見に来ていました」

「そうだったのか。魔力を隠すのも上手くなったんだな。けどなんでだ?」

「心配だったからです。死んで欲しくなかったからです。でも、私如きじゃ手も魔術もでない戦いだった。悔しいです、悔しくてたまりません……私がもっと早く龍になれていたら……」


 あぁ、そうか……

 お前のあの姿は、俺と同じ龍になろうとした結果なのか。

 気が付かなかったよ。


「なんで、龍になろうなんて思ったんだ?」

「もっとずっと貴方様と……ネル様と一緒に居たかったんです……ごめんなさい、ごめんなさい、私が欲張りだから罰が当たったんです……」

「それは違う。人間ってのは多かれ少なかれ欲を抱いているものだし、それは悪いことじゃない。俺はお前の欲が嬉しい。もっと欲張りに生きて欲しい。俺もそうするから」

「分かりました、私はもっと欲張りになります。欲望のままに生きていきます。だから死なないでください。お願いします。一人にしないでください」


 ヨスナの瞳から大粒の涙がボロボロと流れ、俺の衣を滲ませる。


 龍と人。俺たちは相容れぬ存在だったはずだ。

 けれど、今の俺はお前と同じ姿をしている。

 それがどうしてか心地よかった。


 人化の法。それは人になる魔術。

 でもなんで……俺はそれを極めようと思ったのだろう。

 元々は魔力の逆流状態を維持する方法を模索しようと思っていたはずだ。


 けれどいつの間にか、俺の魔術研究は路線を変えていた。


 理由は一つしか思い浮かばなかった。


「俺が人になる魔術を作った理由と、お前が龍になる魔術を作った理由は同じだった。それが知れて嬉しいよ」


 龍になろうとした人。

 人になろうとした龍。


 俺たちはいつの間にか、互いと同じ時間を行きたいと思うようになっていたらしい。


「ごめんな。俺は死ぬ」

「嫌です……嫌なんです……」

「我儘言うなよ。そうだな、お前がちゃんと欲深い子になれたらまた会いに来てやるから」


 おかしな話だ。

 龍には性欲なんてないのに。

 龍には人を守る理由なんてないのに。

 龍にはたった一人の人間を愛おしく思うような、そんな思考回路は存在しないはずなのに。


「本当ですか?」

「あぁ、本当だ」

「絶対ですよ」

「あぁ、絶対だ。だからな?」


 何度も、何度も、彼女は涙を拭ってぐちゃぐちゃになった半龍の顔を歪に歪めて笑みを作った。


「……貴方様を……ネル様を……ずっと、お慕いし申しておりました」


 あぁ、満足だ。



「さようなら」



 だって、ヨスナのこんなに笑った顔を見れたんだから。


 瞳を閉じれば、もう俺の意識はこの身体には戻ってこないのだろうという確信があった。


 けれど、絶対的な眠気が俺の意志とは無関係に俺を最後の眠りへといざなっていく。


 あぁクソ、もうちょっと生きたかったな。




 俺は死んだ。

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