4「龍生」
龍の身体に転生し記憶を取り戻してから十年が経った。
最初は転生術式で人間以外になることもあるのだと驚きはしたが、年月が経てば慣れるものだ。
それよりも今はメリットの方に目が行く。
この身体は実に素晴らしい。
人間には真似できない膂力。
人間では到達できない魔力総量。
そして人間と同等かそれ以上の脳機能。
種族としての性能があらゆる面で人間を越えている。
唯一の欠点はこの身体では剣術を扱えないということだ。
俺の今の身体は四足で身体を支える必要がある。
翼を使えば剣のような武器も持てないことはないだろうが、バランスが悪すぎて実用的ではない。
しかし魔術師としての能力で言えば、この肉体は全ての前世の全ての肉体の性能を越えている。
それに前々世で終奥・龍太刀を物にし、前世でそれをしっかりと扱えるようになった俺にはこれ以上どうすれば剣士としての腕が上がるのか分からなくなっていた。
だから丁度いい。
魔術師としての力量向上にはヒントがある。
前世の最後に使った魔力の逆流だ。
あれは主に脳に多大な負荷をかける。
統制できる魔力の限界値を大きく超えた術式の使用。
それは自殺と等しいレベルの捨て身だった。
仮にあのまま生き残っていたとしても魔力不全などの致命的な欠損を負っていただろうことは想像にかたくない。
しかしあの状態の力は凄まじかった。
俺の目指す最強の姿に限りなく近かった。
あの状態をノーリスクで常時再現できれば、俺は最強へ至れる。
そんな確信がある。
幸いこの肉体では欲情するということがない。
それに龍に対する性欲もあまりない。
おそらくドラゴンという種族が長寿なためにそういう感覚が乏しいのだろう。
これなら好きなだけ修練できる。
強くなることだけに集中できる。
そう――思っていたのに……
この十年、色々な者がやってきた。
縄張り争いのために現れた魔獣や他の龍。
それに俺を倒すことを目的とした冒険者たち。
しかし、今の俺は高い魔術の理解を持つ龍だ。
そんな木っ端に負ける性能はしていない。
全て蹴散らした。
なんとなく人間はあまり殺さなかったが、それが災いしたのだろう。
人間は俺の寝床の傍に村を作った。
俺が居る限り低級の魔獣は姿を現さない。
そんな環境にメリットを見出したのだろう。
そして遂には……
「お初にお目にかかります。ナスベ村のヨスナと申します。偉大なるドラゴン様の供物として我が身を献上いたします」
上質な巫女服のような着物を纏った少女がやってきた。
俺が住む暗い洞窟の中を一人で進んで来たのだろう。
その表情には隠しきれぬ恐怖が見える。
「俺は供物なんて望んでないけど?」
そう話しかけると彼女は目をパチクリとして唖然としていた。
ドラゴンが話すとは思わなかったのだろう。
そもそも龍と人では言語体系が違う。
敢えて人の言葉を習得し音の魔術で再現するような暇人もとい暇龍は中々希少な部類だろう。
驚いている少女を無言で見つめていると、少ししてから彼女は深呼吸をして話し始めた。
「我が村はこの洞窟から二千歩程のところにあります。この辺りは脅威となる魔獣が多数跋扈する魔境でしたが貴方様が君臨されたことによって多くの魔獣が姿をくらませました。しかし貴方様が居なくなればまた元に戻ってしまいます」
「だから俺にずっとここに居ろって?」
理屈は分かるし、別にこいつに言われなくてもそうするつもりだ。
この洞窟に来ないなら敢えて破壊なんかしない。
けどこいつや村人にはそんな確証がないんだろう。
村の安寧のために俺が必要。
でもそれがいつ消えるか分からない。
そんな状況は精神的によろしくない。
だからこいつを送ってきた訳だ。
クソだな人間。
「必要とあらば我々はなんでも差し出します。食料でも魔核でも書物でも女でも……」
「そうか。じゃあ食料でいい」
何か出さないと気が済まないならそれでいいだろう。
飯を獲りに行く手間が省けるならそれに越したことはない。
このヨスナという女は俺の研鑽の邪魔にしかならないから帰って貰おう。
「私は貴方様の供物として恥ずかしくないように様々な教育を受けました。礼儀作法や料理から魔術に至るまで……なのでどうか、貰っていただけませんでしょうか?」
「必要ない」
そう言うと彼女は涙を流し始めた。
そして懐より一本の小刀を取り出す。
「では、私にはもう生きる意味はありませんね」
小刀が彼女自身の首へ向く。
とめどなく溢れる涙が首を伝い、齢十五にもなっていなさそうなその白い手はカチカチを震えていた。
「付与――【軟化】」
ヨスナが手に持った小刀は、彼女の首に当たってもその肉を切り裂かなかった。
皮膚に当たった刃の方がぐにゃりと曲がり、完全に攻撃性を失っていた。
「どうしてですか……?」
生きる意味か……
そんなことは考えたこともない。
俺は最初の人生からずっと、ただ最強になりたくて生きている。
だから嫌いなんだ。
自分の命に、自分の人生に、意味なんか求める奴が。
生きることに意味があるってことになっちまったら――最強に至るためにはそれに足る理由が必要ってことになっちまったら――
俺はきっと、最強になれないから。
「お前は何がしたい? 村から逃げたいのなら俺の翼でお前を大きな街まで届けてやろう。お前を一人こんなところに来させた村人が憎いのならこの息吹で村を焼き払ってやろう。お前の望みを叶えてやる。それでも死にたいと願うのか?」
俺はヨスナに変えろと言っている。
自分が生きる理由を。
簡単に変わってしまうならそれは、生きる意味なんて高尚なものじゃないから。
「何を仰っているのですか? 私は最初から貴方様の物になりたくて今この場所に立っています。ただそれだけが私の生きる理由です」
あぁ――
「グルルルルルルルォォォォォォォォ!!!!!!」
心底俺は、こいつを変えてやりたい。
俺は力を求める。
しかしそれは何かを成すためじゃない。
俺自身の満足のためだ。
だからお前の生き方は認められない。
きっとこれは俺の中にある膿だ。
思えば俺はいつも……前世でも、前々世でも、前々前世でも、俺は誰かのために戦っていた。
誰かを守って死んでいた。
それこそが俺が未だ最強へ至れぬ理由。
それこそが俺の弱さだ。
ならば、こいつを欲望の底に堕として、俺は悟りを手に入れよう。
人間の本質は誰かのために生きる聖人ではなく、自己満足のために生きる獣であると証明し俺は俺を認めよう。
「いいだろう、お前を俺の物にしてやる」
「ありがたき幸せ。粉骨砕身、貴方様のために働きたく思います」
そう言ってヨスナは俺に土下座した。
◆
それからヨスナは俺が住む洞窟で暮らし始めた。
俺が魔術の鍛錬をしている間に大鍋に飯を作り、俺が読書をしている間に近くの川辺で水浴びを済ませ、俺が寝ている時は隣で寝た。
最初の方はその生活に慣れるのに四苦八苦していたようだが、一月も経てばヨスナも俺も慣れていた。
だが俺の目的はこいつを使用人にすることじゃない。
俺の目的は……
「ヨスナ、見ての通り俺は財宝を幾つも持っている」
「はい。ドラゴン様に相応しい財の数々であらせられます」
「お前は最近よくやっているな。お前のお陰で俺も鍛錬に集中できる」
「勿体ないお言葉にございます」
「よし、褒美を取らせる。この中から好きな財宝をお前にくれてやろう」
金銀財宝、それは人にとって重要な価値を持つ。
守銭奴なんて揶揄することもあるが、そんなことを言っている人間だって全員が金を使って生活している金の奴隷だ。
その金を生み出す財宝に目が眩まぬ者は稀だ。
特にこんな何も持っていないような小娘ならなおのこと。
「要りません」
「なんだと?」
「私はここでこうして貴方様に仕えることだけが使命です。故に財など不要です」
「そうか……」
忌々しい女だと思った。
だがこんなことで諦められない。
絶対にヨスナに欲を抱かせてやる。
「何か欲しい物は無いのか? なんでも叶えてやるぞ」
「では魔術を習ってもよろしいでしょうか?」
「魔術か……興味があるのか?」
「はい、いいえ……」
どっちだよ。
しかしこれはいい傾向だ。
確かに欲というのは叶える手段あってこそ。
力を持たぬ者の欲は相応に矮小だ。
だったらこいつを一流の魔術師にして、より多くの欲を抱かせるのも悪くない。
「私はドラゴン様がどうして魔術の鍛錬をしているのかが気になるのです」
「俺が魔術を極めようとすることに何の疑問がある?」
「ドラゴン様は現時点で偉大で絶大な存在です。なのにどうして魔術の研鑽などするのでしょうか? それ以上に強大な存在になることに意味などあるのでしょうか?」
「自己満足以外に意味なんてあるか。生を得たんだから自分を満足させて死ぬ以外に選択肢なんてないだろ」
「自分を満足……私は皆さんから他人に尽くすことこそが至上の喜びであると教えていただきました。社会の一員としてその役割に沿った行動を果たすことで満足感を得ることができると……」
「そりゃそいつ等がお前を使って得するための理屈だろ」
「ですが私はそれ以外を知りません」
くだらねぇ。
それ以外に感想がねぇ。
「魔術、ちょっとはできるんだろ?」
「はい」
「そうか、その歳で多少でも使えるなら才能があるってことだ。教えてやるよ」
「ありがとうございます」
ヨスナはペコリと頭を下げる。
その無表情を俺は心底気持ち悪く思った。
「基礎から行くか」
「はい」
「魔術には系統と属性が存在する。分かるか?」
「はい。召喚・付与・操作・結界の四種類の系統。そこに炎・水・風・土・雷・氷・闇・光の八種の属性を掛け合わせ、イメージによって形にする。それを術式と呼びます」
「まぁ八十点ってとこかな。属性は八種じゃない。極僅かではあるがそれ以外の属性を覚醒させた人間は存在する」
「固有属性というものですか? しかしそれは体系化されていない未知数の魔術であると聞いたことがあります。再現性は乏しく、やろうと思って真似できる芸当ではないと」
「まぁそうだな。だがそれは今の人間の知識量では属性の法則を完全に理解できてないってだけだ。魔術師とは奇跡を扱う者なんだから『あり得ない』とか『不可能』とかそういう思考回路は邪魔でしかない」
だからこそ、俺は前代未聞の『転生術式』を完成させることができたのだから。
「そういうものですか……」
「そういうもんだ。だから属性の説明は省く。無限にあるものを一つ一つ説明するなんて無駄以外のなんでもない。自分の得意な属性さえ理解してれば取り敢えずはそれでいい」
ヨスナが上げた基礎的な魔術属性は全て修練によって習得することができる。
しかし未分類の固有属性は才能に大きく左右されていると言われている。
けど、これは嘘だ。
固有属性だって修練で習得できる。
だけど誰も属性ごとの習得方法を確立できていない。
だから今の魔術理論では基本属性八種と固有属性という風に分けて考えられている。
だが俺も習得方法を確立できてる訳じゃない。
そんなの九つ目の基本属性の発見者として歴史に名が残るほどの偉業だし。
「魔術師にとって理解しておくべき項目は系統の方だ。自分の得意な系統を理解し、それに近い魔術を覚える」
そして作る。それが魔術師である。
「系統の意味は分かるか?」
「はい。『召喚』は魔力と引き換えに異界から物質や現象・生命を呼び出す術です」
ヨスナの指先に火が灯る。
調理用の時に多用している魔術だ。
「『付与』は物質や現象に超常の効果を込める術です」
火が消えると同時に逆の手に握った石が発光する。
石に光を付与するのは初級の魔術の中ではかなり難度の高い部類だ。
この速度で実行できるなら及第点だな。
「『操作』は物体の形状や性質、加わっている力の指向性や量を変化させる術です」
石の光が消え空中に浮遊する。
動かした指先に連動するように石も空中を揺蕩う。
「『結界』は決められたルールを強制する領域を作成する術です」
どうやら結界の術があまり得意ではないようだ。
この系統は言葉だけの説明に抑えられた。
まぁ四系統の中じゃ一番難しいからな。
「聞いたのは俺だがよく知ってるな……」
なんというか教科書的な回答だ。
ちゃんと教育を受けてる感じがする。
「貴方様を不快にさせぬようにと村長から教育していただきましたので」
「村長ね……そうか」
「不愉快でしょうか……?」
不愉快だ。
こんな子供を生贄にする村人も、それを黙って受け入れるこいつも。
だがそれをこいつに言っても意味はない。
「魔術の話を続けるぞ」
「はい」
例えば俺の火球の術式は『召喚』の系統がかなり濃い。
しかし飛ばす過程で『操作』の系統も同時に扱っている。
無意識的な領域の演算だが魔術師は自分の魔術に耐性を持つ。
それは『結界』の系統の術式処理をしてあるからだ。
このように一つの術式に置いても色々な系統を同時に用いる場合が多い。
簡単に言ってしまえば、術式とは属性を様々な系統の力を使って目的の効果に集束させる術である。
料理で例えれば、属性が食材で系統が調理法ってところだな。
そんな魔術師としての基礎的な部分から、俺はヨスナへ講義を始めた。
すると時間はあっという間に過ぎていった。
◆
齢十五にもなってなかったヨスナは大人と呼べる歳になり、その魔術の力量もかなり成長していった。
生活にも慣れて、俺たちは並んで飯を食うようになり、村人からの献上品である書物を一緒に読んで意見を交わすまでになった。
「お前そんなにでかかったっけ?」
「貴方様の方がずっと巨体ではありませんか」
「
「貴方様と出会って五年、貴方様から魔術を学んで分かったのです」
「何が?」
「貴方様は天才です。龍という種族である以上に魔術への高い理解とその授業から見え隠れする実戦経験の豊富さ。人では決して抗えない絶対の存在が努力までも身に付けてしまえば、それはもう勝てる訳はないんです。だから私の成長なんて貴方様が関心を持つ必要はありませんよ」
「何だそれ、嫌味かよ?」
「どういう意味ですか?」
こいつの魔術師としての力量は相当に上がっていっている。
それでも、龍の身体能力を超えることは絶対にないだろう。
「ヨスナ」
「はい、なんでしょうか?」
「俺も怖いよ」
「え……」
「俺は龍に生まれたから最強なのだと、それが結論になることが怖いんだ」
人の身では龍には勝てない。
龍に転生した今この瞬間は、俺がどれだけ転生しどれだけ研鑽を重ねても到達できない領域の強さなのかもしれない。
だとしたら、俺にはこれ以上の研鑽は意味がない。
龍に生まれる。
それだけが強さなのだとしたら……
俺の今までの努力は……俺のこれからの生涯は――全て【無意味】なんじゃないか。
俺の目指す世界最強は龍すら軽く屠れる存在だ。
けれど龍になってみて分かる。
種族の壁は大きい。
人の百年の努力を、龍は一息で無に帰してしまう。
でも。
「種としてではなく、俺は俺として強くなりたいんだ」
見開いた瞳でヨスナは俺を見ていた。
転生のことを知らないこいつからしてみれば俺の言っていることは荒唐無稽だろう。
でも、なんとなく言いたくなった。
「貴方様……ネル様……」
初めて名前で呼ばれた気がする。
「私に機会をくれませんか?」
「なんのだよ?」
「貴方様の教えは龍に生まれたから湧き出たものではないと思います。だから私が魔術師として人の身で龍を討てば、それはきっと貴方様の力が種の力ではないという証明になると思います」
「馬鹿言うな。お前がそんなことする理由がどこにある。お前はただの村人だろうが」
どうしてだ。
なんでそんなに他者のために生きられる。
「私がネル様のためになることをしたいと思っているからです」
意味が分からない。
「お前は心底気持ちが悪い女だ。どこまで行っても自己犠牲か……」
「嫌です」
「あ?」
「貴方様に気持ち悪いと言われるのは……嫌です……」
それはやっぱり俺には意味の分からない物言いだった。
しかし今までのどんな言葉よりも、それはヨスナの『自分』を感じる言葉だった。
他者貢献。その性質が俺にまでその魔の手を伸ばそうとしているのを感じる。
けれど何故だろうか。
何故、こうも心地よく感じてしまう……
「悪かった。もう言わない。だから下がれ」
「え?」
「客だ」
この洞窟にヨスナ以外の人間がやってくるのは何年振りだろうか。
「邪魔をするよ」
薄汚れた外套を身に纏った男が一人。
男は一本の剣を持っている。
身嗜みに気を使わない献上品なんてあり得ない。
武器を持った献上品なんてあり得ない。
誰だこいつ……
「僕はディアル。龍にこんなことを言っても意味はないかもしれないが、君はやり過ぎだ。村から大量の食糧と貴重な書物を献上させ、それだけでは飽き足らず幼い少女まで攫った。だから僕はナスベ村の村長より要請を受け、邪龍を打倒させてもらう」
俺の存在を利用して魔獣の危機なくこの辺りの開拓を勝手に始めたのは人間の方だ。
書物も食料も
ただの押し売りで人間が安心するためのものだ。
だが、そんな説明を……邪龍と断じる俺の説明をこの男が理解してくれるとは考え辛かった。
それに、人が龍を討つのに理由なんか必要ない。
爪も牙も鱗も目玉も、人にとっては高級素材だ。
それだけで狩る理由には十分だ。
だから理屈とか理由なんか関係ねぇ。
「そうかい勘違い馬鹿、村長から何を吹き込まれたのか知らねぇけど、俺の邪魔をするなら死んでくれ」
それが自然の摂理って奴だ。
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