第2話

 翌日、俺は図書館の自習スペースで静かに勉強……のつもりだったけど、正直集中できていない。

 なぜなら俺は、昨日の白石カナが頭から離れないのだ。


「ま、会えるわけないか……あの美人さん、忙しそうだったし」


 そうぼやきながら英語の教科書を開くものの、単語をまるで理解できない。

 そんなとき、ふと視界の端にさっきまで見慣れなかった人影が映る。


 ――あれ、もしかして?


 俺は立ち上がり、そっと視線を向ける。

 そこには案の定、カナの姿。

 茶髪をきっちりまとめたスタイルに、細身のデニム。

 机に英語関連の資料を並べ、黙々と調べ物をしている。

 無駄のない綺麗な姿勢で、彼女がページをめくるたび、サイドでまとめた髪が少しだけ揺れる。


「どうもっス、カナ……さん?」


 声をかけた瞬間、彼女は少し驚いたように顔を上げる。

 図書館の静寂を意識してか、声を潜めながら鋭い目線を向けてくる。


「桜庭……ケンジ君、だっけ? こんな所で何してるの?」


 まあ当たり前に疑問を向けられるよな、俺もそう思う。

 でも俺は、せっかくのチャンスを見逃すわけにはいかない。


「その……もし困ってることがあったら手伝おうかなって思って」


「手伝う? あなた、英語大の苦手って顔に書いてあるじゃない」


「ぐっ……確かにそっスね! でも、重い本を探すとか、資料を棚から下ろすとか、何か肉体労働でも……」


 カナは呆れ顔で小さくため息をつく。

 だけど、俺は諦める気はさらさらない。

 この人、見た目はクールだけど根はすごく頑張り屋さんに思える。

 俺にできることがあれば何でもやりたい……って、今こうして考えてる自分がいる。


 図書館の閉館時間が近づき、室内灯が段階的に消え始めた頃、俺たちはまだ資料の山に囲まれていた。

 どうやらカナが探していた研究論文の一部は、別の棚に隠れていたらしく、俺がそれを見つけたのも偶然だ。


「……これ? 探してたやつ」


「……あ、本当だ。助かった。ありがとう」


 カナは目を伏せながら、ぽそりとお礼を呟く。

 その言葉を聞けただけで、俺はなぜか胸がすっと軽くなった。


 すると、急に薄暗いところから誰かが姿を現す。

 やたら派手な服装に、まるで勧誘員が配るチラシを持った男だ。


「おいおい、図書館でこんなに遅くまで熱心だなあ。楽して稼げる話、興味ない?」


 俺の目の前に突き出されたのは、例の怪しげな高額バイトのビラ。

 見るからにやばそうな雰囲気を醸し出していて、カナは警戒心をあらわにする。


「ごめんなさい、そういうの結構です」


 俺も「ちょっと帰ってくれません?」とキッパリ言い放ち、彼を追い払うように立ちはだかる。


「なんだお前、偉そうに。彼女といい仲か?」


「そういうわけじゃないっスけど……とにかく、帰ってもらっていいですか?」


 男は俺の態度に舌打ちし、名残惜しそうに去っていった。

 俺はカナの方を振り向き、「大丈夫?」と声をかける。


「……ありがとう。助かった」


 彼女は視線をそらしつつも、先ほどより少し優しいトーンだ。

 だけど、照れを隠すように急ぎ足で帰ろうとする姿が、どことなくかわいらしい。


 図書館の外に出ると、すでに真っ暗だ。

 時計を見れば閉館ギリギリの時間。


「じゃあ、また……」


 カナは小さく手を振って去る。

 その後ろ姿を見送りながら、俺はまた彼女のことを意識してしまう。

 変に深入りする必要はない――そう頭ではわかっているのに、心がうずくんだから仕方がない。


「ま、なんとかなるって!」


 夜風が少し肌寒くなった春のキャンパスで、俺は軽くストレッチをしながら歩き出す。

 あのクールビューティーにまた会いたい。

 そんな思いが、なぜか俺の歩幅を軽くしていた。


 そして、その予感はすでに俺の大学生活を大きく揺さぶり始めている。

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