第3話 今年のバカンは危険




今年のバカンはいつもとは違う。


女や子ども、お年よりは避難した方が良いという噂がある。

「避難なんかしなくていい」という人と、「今すぐ内陸の親戚にところに行きなさい」という人がいる。


トミの周りでもこの話でもちきりだ。


稲荷町のお姉さんたちも避難した人がいる。

だから、残った者は忙しくて大変なのだそうだ。



おばあさまに気をつけなさいと言われたけれど、本当にそう。


バカンでは恐ろしい事件が続いていた。


去年の5月には、長府藩の偉いお侍が、政治的な理由で蓋井島(ふたいじま)に流される刑罰を受け、その島で「尊王攘夷(そんのうじょうい)」を唱える人たちに殺されてしまったという出来事があった。

おばあさまはその方の奥様と交流があるので、「怖い世の中」と耳をふさいでいる。


本当にペリー来航以来、ここバカン(今の山口県下関市)でも、思いがけない事件が続いていて、恐ろしいと思うことがしばしばおこる。

 

西には春らしい白くて優しい太陽がある。


海の向こうには九州の小倉の山が見える。


海沿いの街道は、旅人でにぎわっていた。


トミはきらきら光る海面を見ながら歩いた。今日の海は穏やかだ。

その時、不思議な物を見た。


海面に何か浮かんでいる。きれいな着物、長い髪。


ここは壇之浦。源平の合戦に敗れ、幼い安徳天皇と共に海に身を投げた平家の女たち。

美しい着物を着ていたため海の底の竜宮城まで沈むことができず、波間に漂い流れ着いたと言われるこの海岸。


ここには海流のせいで、亡くなった人が流れ着く。

源平の合戦の絵巻を見ているのかしら。


もしかして、あれは、本当の人?


トミは海岸に駆け寄り叫んだ。

(人だ!!)


「ああ、大変です。人が浮いている!!」


波間に揺れて寄せる長い髪、そしてその白い手。波に揺られて沈んでは浮く。


気づいた男たちが、海に入り引き上げてくれた。


着物の裾から白いふくらはぎが見える。


袖がめくれ腕が見え、頭が引き上げられ髪から水がしたたり、顔が見えそうなとき

トミは目をつぶった。


同じ年頃の娘だわ。


誰なんだろう。


旅人か、バカンの人か。


「ひゃあ。かわいそうに」


女の声が後ろから聞こえた。


たちまち野次馬に囲まれた。


野次馬の中に知った顔が来た。


伊藤のじい様! 

町の顔役なのに、この頃は笠をかぶって正体を隠していらっしゃる。

お供の男児が目を見開いた。


「じい様!女の人が、死んでいる」


「ああ、そうだな。文吉、役所まで走れ。誰でもいいから来てくれと」


文吉と呼ばれた男児は駆けだした。土埃が舞った。



トミはあまりにも無残で、見ることができなかった。

きれいな花柄の着物と長い髪。

目を閉じていても思い出すと、震えがくる。


伊藤のじい様がそっと肩を抱いてくれた。


「あの人、誰でしょうか」


「若い娘のようじゃ」


「見たことのある娘ですか?」


「あ、ああ。あれは、亀山八幡宮の茶店の娘」


「ええ?! 梅ですか?」


「いやいや、壱の茶屋の娘じゃろう」


「えええ?! おハナちゃん?」


「そうかもしれんし、違うかもしれん」


亀山八幡宮の茶店を取り仕切るおタカさんとお茶子の梅が走ってきた。


「梅は見ちゃダメよ」

梅をぎゅっと抱きしめた。


おタカさんがむしろをはがして顔を見る。

そして、すぐに目を伏せた。


「ああ、ああ、ハナ。どうしてこんなことに。お前、泳げなかったのかい?ああ、こんなことになって、死んだお母さんにお詫びのしようもない」


この言葉は涙を誘った。


「お前は、本当によく働いてくれた。きっと極楽に行けるよ」


おタカさんは、濡れるのもいとわずに抱きしめ、髪を直し、頬を撫でた。


その姿は本当の母子のようで、涙が止まらない。


「おタカさん、おハナちゃんがいなくなって、茶店はどうするの?」


三軒茶屋の中で一番繁盛していたのがハナの茶店。


梅がおタカさんにしがみつき、ハナの体を一緒に撫で、トミの涙を誘った。


見ると周りの人も、声をあげて泣いていた。



伊藤のじい様は、そっと野次馬の後ろにトミを連れて行ってくれた。


お役人がむしろをかけた。


「誰が最初に見つけたんだ?」


「あの娘です」


野次馬が一斉にトミを見た。


「娘、名は何という」


「トミです」


「トミ、お前がやったのか?」


「いえ、見つけただけです」


「どうして見つけることができたんだ」


「海を見たらきらきらしていて、よく見たら着物が見えて」


そんなことしか答えられなかった。


浦庄屋の原右衛門さんが今になって走ってきた。


「ああ、トミさんですね。知っていますよ、旅籠の娘さん。少し前までバカン小町と言われていましたね。そういえば、この頃は死んだハナがバカン小町と呼ばれていた。ずい分もてはやされて、茶店にも人だかりができていたそうな、……もしや」


「え?」


「ハナがもてはやされて、嫉妬に狂ったか?」


「とんでもありません。ただ、波間に揺れた着物を見て、周りの人にお知らせしただけの事」


野次馬たちは話を聞いてどう思ったのか、ひそひそ話をしていた。

(このままじゃ、わたしがおハナを殺したことになってしまう)


じい様を見ると、腕組みしていた。


「文吉、旅籠まで走って行って、誰でもいいから呼んで来てくれんか」



しばらくすると、お父様お母様が走ってきた。

「トミーー!!」

文吉から何と聞いたのか、死んだのはトミだと勘違いしたようで、真っ赤な顔で走ってきた。遠目にトミを見つけ、安堵した表情を見せた。


そして、お父様はむしろの下のハナに手を合わせた。


お父さまがお役人と話をした。


「いったん旅籠に帰してください。娘に話をよく聞いてお知らせいたします。逃げも隠れもしません。私は旅籠の主でトミの父親です。夜にでもお越しください」


「承知した。後ほど必ず行くので、神妙に待っておれ」


お役人は周りの他の人たちに話を聞き始めた。


お父さまの後ろをお母様と並んで家に向かって歩いた。


すると前方から伊藤の若奥様が走ってきた。大きな声で叫んでいる。


「ご隠居さーーん。ああ、よかった。ご無事でなにより」


若奥様は肩で息をした。


「ご隠居さん、厄介ごとに巻き込まれたって聞きましたよ。家から出ないでくださいってあれほど言っていたのに。ドザエもんがあがったのですってね。もう、今のバカンは昔とは違うんです。いつ人が殺されてもおかしくない。外出はおやめくださいよ」


「あ、ああ」


「ご隠居さんにもしものことがあって、葬式を出すようなことになったら、お殿様を始め、お偉い方々も参列しなくちゃならないんですからね。皆様にどれだけご迷惑をかけることになるか。今年は、こんなにばたばたしているのですから、葬式を出すなんてことは世間様にご迷惑です。私の身にもなってください。私が、叱られるんですからね」


すごい勢いでまくし立てるお嫁さんに、伊藤のご隠居さまは何も言えないようだ。

ご隠居さんも文吉も下を向いて、ばつの悪そうな顔をしている。


ご隠居さんも文吉も、気の毒だわと思った時、今度はトミの父親が口を開いた。


「嫁入り前の娘が、お取り調べを受けるとは……あってはならぬこと。トミも今から外出禁止だ」


(ええ??!!)

「待って、お父様。今日はおばあさまに来なさいと言われて……」

「問答無用!外出禁止だ」


お父さまもお母様も、伊藤の若奥様とうなずき合っている。



(旅籠の仕事を朝から晩まで手伝っている。外出は私にとって大事な気晴らしだったのに。

でも、おかしい。怖がりなおハナちゃんが海に落ちるはずがない。それに、あんなきれいな着物着ている理由がわからない。倹約令で派手な着物はご法度なのに。何もないのにあの着物は着ない。なぜだろう?なぜ、おハナちゃんは海で死んでしまったのだろう?)


トミはやるせない気持ち、そして納得できない気持ち。


ハナ、どうして死んだのか、絶対に調べるからね。


ハナ、悔しいよね。ハナ、待っていて。

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