第6話 警告

「伊織、白川に気をつけろ」

 唐突に告げる祖父の眼光と口調が鋭い。

 あれは、他企業からケンカをふっかけられた顔だ。

 しかし、伊織の記憶にある白川たる男は、策謀謀略を行うような男ではないはずだ。

 何事も誠実に、ひとつひとつ丁寧に仕上げていく男。

 備えよ常にと、積極的な面がある男。

 叔母の里桜が、白川に惚れ込んだ要因だったりする。

 今経営している企業とて、家具の中古販売から始め、信頼と実績を築き上げた結果だ。

「お前さん、疑問に思ったはずじゃ。何故、今になってわしが白川の名を出したか」

「そりゃね」

 疑問に答えるように祖父がデスクの上に置くのは、古ぼけた金属の鍵であった。

 年期が入っており、作りも簡素。

 今の鍵と比較して防犯に対して心許ない。

「どこの鍵? ここのじゃないでしょ?」

「うぬ、金庫の……あの洋館にある金庫の鍵よ。今まで行方不明だったが、つい最近、家の、里桜の部屋から見つかった。てっきり村の連中が隠し持っておると思ってたんだが」

 金庫、金庫と伊織は記憶の回廊を下って過去を想起する。

「ああ、あの金庫か。執務室の壁に埋め込まれている古くさくて大きな金庫」

 館に元からあった金庫のはずだ。

 祖父曰く、明治期の物だからこそ、金庫は頑丈であり、下手な鍵師でも開けられない。

 洋館ごと解体して回収する手もあるが、重量はかなりあり、下手に破壊すれば、中の絵に悪影響が及ぶ可能性もあった故、今まで放置せざる得なかったと。

「金庫の中身を回収する算段をつけていた時よ。どこから聞きつけたか知らんが、白川の奴、自ら名乗り出おった」

「ふ~ん」

 祖父の顔は真面目だが、反して伊織の顔は半眼で呆れていた。

「元婚約者なんだよ、あの人。ちょくちょく叔母さんと一緒に来ていたし、二人の思い出の品でも金庫に入れてたんじゃないの?」

 カレーバカな伊織だろうと、他人の色恋沙汰や交際に気づかぬ野暮な性格はしていない。

 記憶に残る二人は、本当に相思相愛だった。

 大切な物を保管する金庫だからこそ、中に入れていた可能性は高い。

「というかさ、爺さん、なんでそこまで白川さんを警戒してんだ? 確かに元婚約者だし、叔母さんの件もあるけど、誠実な人だよ?」

「昔はのう。だが今は違う」

 学生の目では見えぬ気づかぬ点があるのか、企業経営者としての色相が祖父から色濃く出ている。

 嫌悪、ではない。

 血縁者としての経験から、伊織が導き出す色の答えは疑念だ。

「疑ってるの?」

「わしの勘がどちゃめちゃ叫んでおる。あの男、みまた村で何かしでかすぞ!」

 両目を見開いて断言する祖父。

 対して伊織は、今なお冷ややかな半眼であった。

 女の勘は当てになりそうだが、老人の勘はどうなるか。

 経験から培われたのならば、バカにできないが、私念も混じっているため当てとするのは危険でしかない。

「根拠は?」

 家族との縁は深かろうと、ボケとは無縁の祖父。

 警戒するのは、警戒するだけの根拠があるのだろう。

「まず、あやつの会社、いや個人資産の流れ。あやつ、五年も前だが、縁もゆかりもない男の借金を一括で返済しておる。それも二億よ、二億!」

 額を聞くなり伊織は、両目見開いてしまう。

 経営順調だとしても、個人で気軽に出せる額ではないはずだ。

「連帯保証人でもないのに?」

「うむ、加えて血縁どころか友人知人の線もないときた。怪しいとわし独自の情報網で、その男を調べてみたが、見事に雲隠れしよった。白川に問いつめても個人的なことだと突っぱねられたよ」

 警戒に値する理由であった。

「あれ、ならどうして突っぱねないの?」

 伊織に走る一つの疑問。

 社長たる社会的地位を使えば、断るのは容易いはずだ。

「あやつ、近々結婚するのよ」

「そう、なんだ……」

 伊織から漏れ出た声は、悲しいような、嬉しいそうな、相反する二つの感情が混じっていた。

 いつまでも過去に縛られては未来に進めない。

 口では簡単だが、人は簡単に前を向けるほど単純ではない。

 失った人に対する冒涜であり、裏切りだと批判されかねないからだ。

「本当に別れを告げるために、自分にやらせて欲しいと臆することなくわしに言いおった」

「不謹慎だけどさ、ドラマだと、結婚した後に、ひょっこり再会しそうだけど」

「孫よ、不謹慎だが、わしもそう思ったよ」

 肩の力を抜くように祖父は、イスの背もたれにもたれながら深いため息をひとつ。

「わし個人としては、里桜のことを忘れて、普通に暮らして欲しいが……」

「それだけ叔母さんを愛していたってことでしょう?」

 ちらりと、伊織は壁際に飾られた写真を見た。

 藤木家の面々が一同に集った集合写真。

 血縁者だけに親兄弟の顔つきは、そっくりさんの率が高い。

 年齢差がなければ、誰が誰かと見る者は混乱していたはずだ。

「というわけで、鍵はお前に預けておく。さくっと村に行って、さくっと金庫の中身を回収してきてくれ」

 決定事項につき、伊織に断る権利はないようだ。

「ただ気をつけろよ。あの村は、藤木の家を嫌い、いや憎悪レベルで嫌っておる。トラブルのひとつやふたつ、向こうからぶつけてくるぞ」

「だろうね」

 伊織は諦観気味に嘆息するしかない。

 トラブルを愛さなくとも、トラブルが愛してくるパターンは多い。

 かつて、みまた村は、とある村おこしを計画していた。

 だが、その村おこしを藤木家に潰された。

 村おこしを潰された逆恨みを、村人たちが忘れていないなら、恨み節を物理でぶつけてくる可能性は――高い。

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