第7話 緊急招集

 室内に満ちるは、揚げ物と芳醇なカレーの香り。

 伊織は、神妙な趣で椅子に座っている。

 テーブルに両肘を立てて寄りかかり、組んだ両手を口元に持ってきている。

 事態の重さを身体全体で表現していた。

「というわけで、我々掃除サークル<クリーン>は、みまた村に行きます」

 厳かな声でサークルメンバーに告げる。

 緊急召集として、大学敷地内にある部室棟に集った学生たち。

 事態を察知してか、今日は三〇人全員が集っている。

 代表を務める伊織を前に、サークルメンバーたちは顔を見合わせることなく、大半がカレーパンをむさぼっていた。

「代表、これ美味いですよ!」

「すげ~ジューシーじゃないですか!」

「うっわ、ゴロッとジャガイモまるまる入ってやがる!」

「これコーヒーに合うな」

「おかわりください!」

「妹さんをください」

 代表の威厳も何もなかった。

 一応、メンバーから、伊織は慕われている、頼りにされているとだけは補足しておく。

「お前ら話聞け! って誰だ、どさくさに紛れて物騒なこと行ったのは! 俺が黙っていても親父と爺さんが黙ってないぞ! 誰だ! 正直に名乗り出ないと、全員にスコヴィル値一〇万のデスソース入りカレー喰わせるぞ!」

 怒声と呆れを混ぜた声をあげる伊織。

 掃除サークル<クリーン>名物カレーパン。

 学園祭では、売り切れ続出、追加しようと売り切れごめんの伊織お手製の一品だ。

 緊急召集に応じたお礼として用意したのだが、案の定、耳より舌に話題が行っていた。

 なおスコヴィル値とは、辛さの単位であり、正確にはスコヴィル辛味単位。

 参考として、一味唐辛子の原料である鷹の爪の数値は、四万から五万ほど。北にある極限ラーメンは一万六千。若いペアが食べる激辛な焼きそばは四万五千、その地獄は四五万である。

「落ち着け、落ち着け」

 伊織の右隣に座る大男が、たしなめる。

 友がいうならと伊織が、一先ず落ち着いたのを見計らって、当然の疑問を口に出した。

「けどよ伊織。いきなり、その村に行くとか、唐突すぎるぞ?」

 男の名前は、谷口学兎たにぐちがくと

 一八〇超えの体躯、浅黒い肌に、やや色素の抜けて白髪が混じった短髪、Tシャツを大胸筋が内から押し上げ、ズボンですら、太股の鍛え具合がわかるほど張っている。

 学部は異なろうと、伊織とは中学からの友人。体格を活かせるサークルがあるだろうに、友誼に準じて伊織のサークル活動につきあってくれている。

 なお、この筋肉は、単に筋トレ趣味が高じた結果である。

「谷口くんの言う通りよ。伊織くん、メンバーを突然集めて、突然行くとか、計画性の高いきみらしくないわ」

 ゆったりとした口調で、苦言を呈するのは、ショートヘアの女性。

 椅子に座っているだけでもクールな佇まいで絵となっている。黒シャツの上からデニムジャケットを着込み、下もまたデニムズボン。左耳の青いピアスが照明に反射して煌めいている。彼女は虎山真衣とらやままい。伊織より一つ年上の同学年、同サークル内では副会長を務め、カレーで暴走する伊織を戒めるストッパーであった。

「そうですよ。その村、さんまた村ですか? カレーでも冒涜されました?」

「みまた村ね」

 伊織が訂正を入れた女生徒は、川口佳澄かわぐちかすみ。一つ下の後輩であり、虎山真衣の友人だ。

 おっとりした顔つきにゆるふわヘアー、ファンシーなワンピース姿であるが、見かけに反して頭の回転は速く、同サークルにて経理を担当していた。

「冒涜か、冒涜といえば冒涜になるな」

 伊織が節目がちに告げるなり、室内の気温が一度下がるのを誰もが感じ取る。

 日頃は温厚である伊織だが、カレーを冒涜しようならば悪鬼羅刹のごとく怒り狂うからだ。

 実際、高校の学園際にて、当時最高のデキだとしたカレーを冒涜した来賓に対して、殺意マシマシで怒鳴りつけて大問題となる。

 冒涜した理由が、カレーに嫌いな玉ねぎが入っていたからだから、救われない。

 カレーに玉ねぎは旨味を出すのに必須。

 だが、玉ねぎ嫌いの分からず屋のせいで、乱闘寸前となった。

「正確には、藤木家を冒涜した、になるかな」

 伊織の歯切れが悪いのは、過去のこと、当に過ぎ去ったことだからだ。

藤木里桜ふじきりおって画家を知っているか?」

 知らないとメンバーの誰もが忌憚なく首を横に振る。

 中には携帯端末で検索する者もいた。

「名字からして、伊織、お前の血縁者か?」

「うん、親父の妹で、俺の叔母、そして一〇年前、みまた村で行方不明になった人だ」

 誰もが息を呑む。

 ゴクリとカレーパンを飲み込む音がする。

 この大学の経営元である藤木グループの社長に子息が多いのは、同大学では有名な話。

 そも、全員が全員、卒業生であり、実業家なのだから知らぬ者はいない。

 だが、もう一人いたとする事実に、誰もが驚きのあまり静まってしまう。

「どんな人だったの?」

 真衣はゆっくりと当然の疑問を紡ぐ。

「さて、どこから……いや俺が覚えているとこから、が妥当かな」

 記憶の回廊を渡り歩くように、伊織は語り出す。


 一〇年前の日のことを。

 叔母である里桜と最後に過ごした夏の日のことを――

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