第4話 藤木の一族

 社長は意気揚々と、孫について語り出す。

「こやつ、今は大学三年生でな。既に社会人となって、内に外にと活躍しとる他の孫みたいに、将来有望なのよ」

 顔を青白くした男は「……はい」「は、はい……」と赤べこのように首を上下に動かすだけだ。

「学業の隙間を狙って、小さい仕事を頼んでおるが、コンスタントにしっかりこなしてくれとるから、もう大助かり。就活する時期じゃが、自ら起業するための下地作りを頑張っておるときた。弁当販売もその一つよ」

(いや弁当は違うだろう)

 つっこみはあえて伊織の心の中で。

 孫自慢を悠々と語る社長。

 聞かされる男からすれば、たまったものではない。

 化け物に遭ったかのように、身体の震えが止まらずにいる。

 孫自慢の一つ一つが、男からすれば、社内での己の立場を崩しかねない呪詛であり、毒だ。

 社長を化け物呼ばわりは失礼だが、実質、西日本では、鬼才と呼ばれる経営手腕に優れた人物。

 福岡土着の老舗企業<藤木グループ>を率いる男。

 東日本どころか、外国の企業と強いコネや伝手があれば、優秀な人材は人種性別問わず引き入れる。

 利があれば良しである一方、害となれば容赦ないと二面性がある。

(仕事の鬼だが、家だと孫に甘い、いや甘いか?)

 伊織は、独白するように記憶の回廊に足を踏み入れた。

 甘いが、仕事は甘くない。

 起業すると聞けば、培われた知恵を授けんと猛勉強という応援を容赦なく叩き込む。

 当人からすれば、成長の後押しだが、応援を受けた従兄弟はとこ親族、ついで婿養子一同、二度とごめんだと口を揃えるのは様式美だ。

 結果として、応援の結果が起業利益に繋がるのだから、先を見通す目は侮れない。

「さてと」

 くどくどと、孫の自慢話を続ける社長を横に、伊織は撤収作業に入る。

 これにて、俺お手製カレー弁当は大好評につき完売御礼。

 他のランチカーは既に撤収している。

 今日は講義がないため、そのまま自宅に直帰である。

(いや、スパイスの補充しとかないと)

 テーブルを畳みながら伊織は思い出す。

 調理器具の清掃、売り上げ金の計上、補充品目の確認と、やることは多い。

 販売のみと思われがちだが、カレーの調理からキッチンカーの運転まで、今回は伊織一人がまかなっていた。

「あ、孫よ」

「まだいたのかよ。カレー冷めるぞ?」

 伊織に呼びかけた社長は、笑顔で男の右肩に左肘を置いている。

 カレーは熱いうちに食べるのが鉄則。

 撤収準備を行う最中でも、孫自慢をあれこれ語っては聞かせていたようだ。

 聞かせられた男の顔は、ぐったりしており、精神的疲労が隠せない。

 ご愁傷様である。

 立場でマウントをとる者は、立場でマウントをとられるのだ。

「片づけが終わってからで結構。後で社長室まで来てくれ」

「お、まさか社長自ら、次期社長に、この俺を指名か?」

 仰々しく両目見開く伊織は問い返す。

 もちろん、冗談ボケである。

 社長の椅子に座る野心はない。

 そも椅子なんて、小さい頃、何度も座ったことがある。

「あっはっは、いつも言っておろうが。社長になりたければ、わしの子たち康太こうた紗織さおり将吾しょうごたけるの四人だけでなく、入り婿の相司そうじくん、康太の子、恭祐きょうや慶介けいすけ、紗織と相司くんの子、勝美かつみ穏美やすみ功美いさみ。将吾の子、琴乃ことの昇真しょうま、そして健の子であるお前が妹の香織かおりを含めて全員を倒せたら、いつでも譲ると言っておろうて」

「わ~お、四天王どころか、右腕左腕揃い踏みの難攻不落ときた~」

 伊織は、演技臭い感嘆の声をあげる

 社長には息子が三人、娘が一人、義理の息子こと入り婿が一人、そして孫が九人である。

 誰もが、内外関係なく企業経営に携わっており、直に関わっていないのは、まだ学生である子供二人ぐらいだ。

 経営にて生じる不仲など親族一同微塵もなく、今ある会社をより良くしようと日々精進と猛進を重ねている。

 親族経営の面が強かろうと、役員の中には非血縁者もいれば、実績を築き上げて婿入りを果たした者もいる。また親族経営の批判と血縁者によるすり寄りを防ぐために、藤木の名字を隠して他の名字で仕事を行っている。

 いわゆるビジネスネームと呼ばれ、作家や漫画家のペンネームのように使用されるものだ。

 あえて業績の悪い支部に出向き、利益を上げて本社に凱旋する。

 簡単そうに見えようと、誰もが相応に成し得るだけの実力者だから、親族優遇だと批判させない。

「とまあ、冗談ボケはこれくらいにして。仕事の依頼? 依頼なら大学の窓口を通してくれよ」

 伊織の通う大学では、社会勉強とアルバイトの形で仕事を紹介していた。

「ん~詳細は来た時に」

 入れ歯など無縁のはずが、どうも歯切れが悪い。

 ひじ掛けにしていた男から離れた社長は、孫に手を振りながらビルに戻っていく。

 見慣れた背中と、歩行ステップが、どこか鈍いと感じるのは孫の自信過剰か。

「やれやれ」

 放心状態の男を放置して、伊織はキッチンカーに乗り込んだ。

 ブツブツと呟いているようだが、モーター音にかき消される。

 そのまま車は地下駐車場へのゲートをくぐっていた。

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