二. 八月二四日(金) 一七時〇五分


「それで、じゃあこのメンバーで肝試しに行きます」

 幹事の龍生が一同の中心で声を張る。肝試し当日、八月二四日の一七時、二年E組の教室に来るよう言われていた。清掃委員会の仕事を終らせて教室に寄ってみるとどうも仁奈子が一番遅かったらしい。

 龍生の話は業務連絡的で退屈だった。練馬ねりま区内の光が丘公園で実施、と伝えるだけでごちゃごちゃと喋っている龍生ただ一人が気分上々といった態様だが、仁奈子を含む他のメンバーはとても威勢がいいとは言えない。薄黄色い歯を惜しげもなく見せている龍生は、自分の話がひどくつまらないとはちっとも思っていないらしい。

 しかし、と仁奈子は思う。「E組で行く」と聞いていたし、実際クラスで行くものという心持であったのに、この教室には仁奈子を含め一四人しか来ていない。しかも、その一四人も、実質的には一三人。上履きの色からして明らかに上級生と思われる人物が一名混じっているのだ。「E組で行く」が全くの嘘であったことより、クラスのまとまりのなさにため息をつきたくなった。

「まあこういう要領だから。光が丘駅A3出口に九時集合で。モノホンは出ないと思うけど怖い人いる?」

 肝試しに行く決心をすでにしている人たちに向けて、意味のない質問を繰り出す龍生。推定先輩がまっすぐ手を挙げた。

「あれ、先輩。怖いんすか」

 もう笑ってしまっている龍生は、ほとんど裏声の調子で「先輩」に返答をした。「先輩」は二秒ほど考える仕草をとって、龍生を鋭く睨みつける。獲物を見る目だった。

「龍生よ、私がオバケだかオマルだかわけの分からぬものに恐怖を覚えるわけがないだろう。お前じゃあるまいしな。面白くない話を便々と続ける龍生に質問がある。質問のために手を挙げた」

「先輩」は淡々と話を続けようとしている。凛然として感情の高低を感じさせない平坦な調子で、冗談のつもりなのだろうがちっとも味がしない。不快だと宣言しているようなものである。本来質問タイムではないが、強制的に質問タイムとなった。スッと仁奈子たちに顔を向ける。

「まず、私のことだが、紫月しづきだ。三年A組に所属している。龍生とは小学校からの幼馴染でな、その縁で今日の肝試しも誘ってもらった。とにかく、よろしく」

 紫月は軽くお辞儀をして、すぐに顔を上げた。

「これはどうでもよくて、肝試しの話。何も出ないってのはないんじゃないのか」

「どういう意味すか」

「どういう意味も何も、何も出ないってのはないんじゃないのか」

 紫月はそのまま黙ってしまう。

「よく分かんないけど」

 口を開いたのは帆花。普段は闊達かったつ標榜ひょうぼうしている帆花も、心なしか小さくなったように思えた。ただ、彼女は何か気掛かりな物事があると原因を解明するまで気を鎮められない性分である。そこらへんの主婦のごとき野次馬根性を持っていた。

「それって、光が丘公園にオバケが出るって言いたいんですか」

 わずかに震える声に泳ぐ視線。仁奈子は容赦ない斜陽を浴びている木々に目を逸らした。

「別にオバケが出るなんて思っていないが。だいたいオバケは存在するのか? 見た覚えがない」

 沈黙。強烈なミンミンゼミの鳴き声が窓の向うからする。うるさい。あっつい。

「そもそも私が言いたいのはオバケ云々ではない。そうやって夜にふざけて公園の中なんか歩いていたら、厄介な事に巻き込まれるんじゃないか、という切実な懸念だ。男子だけならまだしも、女子がいるからな。違うか、龍生」

「いや、それはそうなんですけど」

「あと、別に私も信じているわけではないし、幽霊などという非科学的なものは存在しえないともちろん私は思っているが、みんなはこの話聞いたことあるだろう? 歩く女」

 歩く女――インターネット上の掲示板で話題になっている怪談のこと。夜遅く、街にはコートを着た女が歩いているらしい。季節に関係なく薄茶色か、くすんだ白色のコートを着ていると言われるが、実際に害が出たといった報告はない。ただ、いずれの目撃談もおそろしい顔で周りを睨みつけている点で共通している……とはいえ、そりゃ女なんてどこにでもいるし、大方、そこらの気が違った一般人だろう、と仁奈子は一蹴していた。しかし、この「歩く女」は意外と歴史があって、近頃隆盛の匿名掲示板「2ちゃんねる」開設以前からとくに関東近辺で集中的に目撃されていることまで仁奈子は知っていた。

 だとしても「歩く女」は単なる噂、くだらぬ流言るげんに過ぎない。こんな尊大な態度を取っている紫月が案外瑣末な噂を気にしていておかしいや、と思って帆花に向き直ると完全に色を失っている。そういえば帆花は怖いものが大の苦手であった。この肝試しに進んで参加した事実自体冗談じみている。

「もしも何かに巻き込まれても、誰も責任取れないから。そこはハッキリさせた方がいい。遊び半分で行けば、必ず後悔する」

 慣用句に「若気の至り」があるが、若いからといって何でも済む話ではない。若いやつは若いなりに責任を自覚し規範に従うのが相当である、と紫月は喝破して、一同はおそるべきド正論の威圧に潰えそうになっていた。

「……えっとまあ、じゃあ、と、とりあえず解散で。光が丘駅のA3出口、九時集合なんで」

 最初の勢いはどこへやら、龍生は一番乗りに教室を後にした。彼に続いてクラスメートが続々と消えていく。紫月も流れに遅れまいとぎらつく黒鞄を手に取り、スカートを翻して駆けて行った。

 ――スカート

 意識していなかったが、紫月も女子だった。肩にかからない程度の黒髪と、スラヴ系の中性的な顔立ち。泰然自若として物怖じしない態度と、低く鋭い声色。仁奈子は、紫月の背中で靡いているセーラーの後襟を目で追っていた。

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