第3章 奇妙な体験2 お茶のソーダ割り


部屋の中は薄暗く、暖色系の淡い照明が一つだけ灯っている。


タバコの匂いに混じって、ラベンダーのような甘い香りが漂っており、独特の雰囲気を醸し出す。

以前はスナックだったのだろう、壁際にはバーカウンターがあり、カウンター越しに丸椅子が5つ設置されていた。


部屋は広く30畳近くありそうだ。

奥にはベッドがあり、誰かが腰かけている様子がシルエットで分かる。

裸の女性が、部屋の奥に向けて語りかけた。


女の人「京介(高見の本名)、天川君が来たよ」

女性はシルエットにそう告げた。

男「ああ」


ユラリ。

薄暗い室内の中、影がゆっくりと動く。


タバコをふかしているのだろう、灯った火が赤いレーザーポインターのように見えた。

京一は、部屋の奥からユラユラと赤い鬼が近づいてくるように感じた。


逃げ出すなら今だ。

今ならまだ間に合う。


ぐっ。

両脚に力を込める。

だが行動を起こすには、京一はこの場の雰囲気にビビって呑まれ過ぎている。


京一「あ……高見さん」

暗がりから露わになった顔を見て気づく。

やはり部屋は間違えていなかった。


高見は上半身裸であった。

無造作に伸ばした髪と、鍛えられた筋肉質な身体が薄明りの中でもはっきり見える。


高見「そこの椅子に座れ」

低い声がそう告げる。

バーカウンターに設置された丸椅子を指さす。


京一「は、はい」

言われるがままに手前の椅子に腰かけた。

スナック仕様なのか、随分背の高い椅子で床に足が届かない。

仕方がないので、足をぶらぶらさせた状態で恐縮することにした。


京一「うぅ……」

思わず緊張の呻き声を漏らしてしまう。


高見「緊張してんのか?」

ぎゅっ。

京一は膝の上に置いた両手を握りしめると、コクリと頷いた。

手の平にじんわりと汗をかいている。

ぬめった感覚が、手の平の発熱と相まって妙に心地悪い。


高見「フン、仕方ねえな。涼子、こいつにも一杯入れてくれ」

タバコの煙を吐き出しつつ、裸の女性に指示を出す。


涼子「分かったわ」

女性の名前は“涼子”というのだろう。

茶色の液体が半分まで入ったボトルを棚から取り出した。


ボトルには黒いラベルが貼られており、白抜きの文字で「JackDaniel」と書かれている。

初めて見る瓶だ。

何だろう?


お茶なら日本語のラベルが書かれているだろうが、アルファベットということは海外製なのだ。

ダージリンティみたいなものだろうか。

苦い飲み物はちょっと苦手だ。

京一はそんなことを思っていた。


涼子「天川君は炭酸好き?」


不意に問われる。

裸の女性、つまりは涼子がカウンター越しに京一に尋ねている。

意地悪そうな顔で笑っているのは気のせいだろうか?


京一「好きです」

嫌いとか、なんとなくネガティブな言葉を言いたくなかった。

全て肯定。

それ以外の言葉は言えない。

そんな雰囲気があったのは事実だ。


涼子「そう。フフフ、じゃあ天川君はハイボールね。京介はロックで」

そう告げると、涼子は透明のグラスを二つ取り出し、かち割り氷を入れた。


カラン。


氷がグラスにぶつかり涼し気な音を鳴らす。

JackDanielと書かれたボトルのふたを開くと、それぞれのグラスに茶色い中身を注いでゆく。


トクトクトク。


湯気の立つ氷の表面を溶かしつつ、茶色い液体がグラスの底に流れ着く。


カチン。


氷のひび割れる小さな音が響く。

グラスの中の液体は人差し指一本分の高さで止まった。


「え、それだけ?」


京一はそう思った。


カチン。

ボトルから注がれた茶色い液体が再び氷を溶かす。

少しだけしか注がないのが良いのだろうか?

京一はなぜかお椀に少ししか注がれない抹茶の姿を思い出した。


京一「(こういうものかもしれない)」

詫び寂びとか……。

そう思うことにする。


緊張で喉も乾いているし、本当はもう少し注いで欲しいのだけれど。

そんなことを思いつつも、口には出さなかった。

涼子はJackDanielを注いだ二つのグラスのうち、片方を高見に差し出した。


涼子「はい、京介はロックね」

それから、もう片方のグラスにソーダ水を注いでゆく。

シュワシュワシュワ。

白い気泡がグラスの壁にびっしりとくっついている。

炭酸水で薄められたお茶は、涼しげだった。


京一「うわぁ、爽やかな感じですね」

素直に感想を述べる。


涼子「フフ、そう?」

ニヤリと笑う。

なぜ彼女が笑っているのか、まだ中学生の京一には理解できなかった。

カチカチ。

涼子はマドラーと呼ばれる黒い棒でグラスの中をかき混ぜる。


涼し気な発砲の音が京一の鼓膜を揺らす。

お茶の炭酸割り。

新鮮で美味しそうだ。


京一「涼し気で良いです」

素直な気持ちを口にする。

京一は涼子の手慣れた様子を興味深げに眺めている。


涼子「はぁい、天川君。今日は暑かったから炭酸を多目にしといたわよ♪」


シュワシュワと気泡が立ち上るグラスを京一に差し出す。

京一は目の前に出されたグラスを感慨深げな表情で見つめる。


京一「なんか美味しそうです」

子供の頃に飲んだクリームソーダー水を思い出したのだ。

毒々しい緑色ではあるが、甘くて、どこか涼し気な香りが漂う飲み物だ。


涼子「お、分かるの? さすが、京介が興味を持った少年だけのことはあるね」

美味しそうと言われて嬉しかったのだろうか、涼子は上機嫌だ。


京一「ありがとうございます。じゃあ、いただきます」

素直な京一は受け取ったグラスを口元に運ぶと、ゴクリと一気に飲んだ。


ブシャァァァァァッッッッ!!


そして、一気にブワッと吐き出した。


京一「がっかっっ! ゲホッゲホッっ! ハァっく! がはっ!」


何が起きたのか一瞬分からなかった。

グラスの中身を一気に飲み込んだ瞬間、喉の奥に焼け付くような痛みが走った。

炎の塊を飲んだのかと思った。


だから瞬間的に飲み込んだものを吐き出そうとしたが、失敗した。

飲み込んだ液体から立ち上る何とも言えない臭気が気管に入り込む。

ゲホッ! ゲホッ!

激しくむせ込む。

京一の顔がみるみるうちに紅潮してゆく。


涼子「あぁ~あ~、天川君、もったいなぁい♪」

勿体ないなどとは全く思っていないだろう。

ニヤニヤしている涼子は、京一がカウンターの上に吹き出した液体を、ダスター(布巾)で丁寧に拭いている。

その間も京一の噎せ返る咳は止まらない。


京一「ゲホッゲホッゲホッ! ゲホッッ!」

液体を飲み込んで10秒くらい経過するのに、未だに咳が止まらない。


京一「ゲホッ! ゲホッ! ゲホッ!」

咳を吐き出すばかりで息が吸えず、喉がゼェゼェと鳴る。

息苦しくて、顔に血が集まってくる。


高見「なんだ天川。知ってて飲んだんじゃねーのか?」

グラスに注がれた液体を一口含む。

それから、ゆっくりと喉元に落としてゆく。


コクリ。

喉仏の辺りで何かを飲み込む音がした。


涼子「えぇ~~。天川君、ハイボールって何か知らないの? ひょっとしてお茶か何かだと思った?」


全て分かっているくせに、まだニヤニヤしたままの涼子が京一を揶揄っている。

京一が中身を誤解していることなど、涼子はとっくに知っている。

知っている上で、わざと度数強めのハイボールを出したのだ。


京一「は……はい。爽健美茶のソーダ割かと思ってました」


爽健美茶。

正直な回答でよろしい。

涼子は思わず吹き出した。


涼子「ぷっぷぷぷ……、爽健美茶? ひょっとしてMacとか?」

笑いをこらえて肩を震わせている。

どうやらグラスの中身は爽健美茶ではなかったようだ。

ならば何なのか?


京一「……」

一瞬、毒を飲ませて殺すつもりだろうかと思ってしまう。


だが殺す相手を自宅に呼びつけるのは不自然だ。

ココが人里離れた場所だったなら分かるけれど……。

京一は緊張していた。


涼子「これウイスキーよ。それのソーダ割り。だいたい10分くらいかけて少しずつ飲むものよ。それを一気飲みするんだもん。私驚いちゃった~♪」

JackDanielと書かれたボトルを持ち上げ、目の前で軽く振ってみせた。


京一が吐き出すことを予想してハイボールを手渡したということだ。

まだ口元をニヤニヤさせているあたり、涼子も大概な性格をしている。


京一「うぅ……」

情けない声が出てしまう。

京一は口に入れた半分を吹き出したものの、残りは飲み込んでしまった。

食道から胃にかけて、カーっと熱くなっている。

初めて感じる感覚だ。


高見「まぁ、残りも飲めよ天川。話はそのグラスを空にしてからだ」

高見は自身のグラスの中身をグイっと飲み干すと、カウンターに置いた。


トン。


ガラス製のグラスが、木造りのカウンターを鳴らす。

トクトクトク。

涼子は空いたグラスに再びウィスキーを注ぐ。

注ぐ量はシングルで、グラスの底から人差し指一本分の高さである。


ウィスキーは大人の飲み物だ。

未成年の子供が飲んでいいモノじゃない。

それ以前に、子供は味の深みも分かるまい。


未成年である京一は、手元のグラスをマジマジと観察している。

まだ液体が半分くらい残っており、炭酸の気泡が時折しゅわしゅわと上昇してゆく様が見える。


高見から「飲め」と言われて、「飲めません」とも言えない。

指示に逆らえば、恐ろしい制裁が待っているからだ。


京一「は、はい」

グラスの中身が爽健美茶ならどれほど良かっただろう。

茶色の液体を恨めしく眺めつつ、京一は勢いよくグラスを一気に空けた。


京一「プハァっ!」

炭酸とウイスキーの刺激で喉奥がヒリヒリする。しかし、お酒と思って飲んだため、今回は咽せ返ることはなかった。


涼子「お、いい飲みっぷりじゃない天川君。そういえばまだ中学生なんだっけ?」

相変わらずニヤニヤして、京一に絡んでくる。


京一「はい……中2です」

再び、胃の奥がカーっと熱くなる。

身体の内側が痛くなるのに、大人はなんでお酒が好きなのだろう。

さっぱり理解できない。


高見「涼子、おまえコイツのことどう思うか?」

涼子「ん、どう思うって、この子のこと?」


問われた彼女は、まだ恐縮したままの京一を指さす。

高見はグラスを見つめたまま、何も答えない。


涼子「どう思うって、まぁ、中学生で可愛い子って思うけど」

胸元まで伸びている髪の毛を指先で摘まむと、くるくる巻いてゆく。

髪の毛は全体的に赤茶けた色でストレートだ。顔立ちは整っており、夜のお店にいそうな雰囲気である。


高見「そうじゃねー、コイツの魂だよ。まだ見てねーのか?」

グラスから顔をあげると、高見は涼子に目配せする。


涼子「あぁ、そっちのほう? まだ見てない」

ふぅーん、といった感じで涼子は京一のお腹の辺りをじぃーっと見つめた。

エクステンションのつけ睫毛がおおきな瞳をいっそう際立たせている。

アルコールが少し回りつつある京一は、涼子の視線に吸い寄せられそうになる。


シィン……。


防音がしっかりされているため、外の音は一切入ってこない。

室内はシーンと静まり返る。


カチャリ。

グラスの氷が溶けて二つに割れた。


ピキン。

さらに表面のひび割れる音。


それから10秒間くらい見つめていただろうか、突然涼子の表情が険しくなった。

視線を京一の腹から徐々に上向け、両目の位置でピタリと止める。

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ヒーローの条件1(修行編) 卑屈を糧にダークヒーローへ、絶世の美ヒロインを死の淵から救うため ななし野和歌 @chaotec

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