第3章 奇妙な体験1 青鬼トップの自宅
横浜駅界隈の繁華街。
そこは西口が栄えており夜になると肩が触れるほどに賑わう。
居酒屋が立ち並ぶが、路地を一つ入ればキャバクラや風俗店がひしめき、客引きの黒服が道のコーナーに立つ。
仕事帰りのサラリーマンやサークル活動で飲み歩く大学生の集団が密集しており、この辺りをうろつく中学生は見当たらない。
京一は携帯の地図アプリで高見の自宅を表示すると、繁華街の路地を二つ奥に入った雑居ビルの3Fに向かった。周囲はアルコールとタバコの混じり合った独特の匂いが立ち込めている。
京一「この辺かなぁ……」
自信なさげに呟いてみるが、応えてくれる声は無い。
「ウィ~っ」
「ひっく……」
「ゲハハハッ」
下品な笑い声の中で、制服を身に着けたままの京一は浮いている。
酔っ払い「おっ? アンちゃん、高校生?」
ネクタイを締めたスーツ姿の男が近寄って来る。
顔は真っ赤ですでに出来上がっていた。
京一「あ……いえ、違います」
中学生です。
そう言いたかったが、口にはできなかった。
酔っ払い「ひっく……ウィ。ふぅ~ん大学生かぁ~」
京一「え?」
酔っ払い「おまえ演劇部かぁ? 制服着て飲み会とはいい気なもんだなぁ。ヒック……」
京一「演劇部……」
制服を着ているから、何かのコスプレと間違えられたのだろう。
酒臭い酔っ払いは、京一の肩をパンと一つ叩くと、そのまま繁華街の中に消えてゆく。
ヨタヨタ歩く後ろ姿を見送りながら、京一はなぜが父親のことを思い出した。
京一「休日の父さんみたい……」
おもむろに呟く。
京一の父親の名前は京吾。
“京”の字が同じだ。
きっと、自分の名前から一文字取ったのだろう。
あの父親のことだから、そうであるに違いない。
京一は酔っ払いの後ろ姿がビルの陰に消えるまで目で追っていた。
そして完全に姿が消えると、溜息をつく。
京一「ふぅ……」
父親には帰宅が10時過ぎになると伝えてある。
準決勝で勝ったこともあり、駅前のMacで試合後の反省会をやると伝えたところ、あっさり納得してくれた。
あまり京一に干渉してこない父親のため「遅くなるなよ」と言われただけである。
この辺りは面倒臭くなくて良い。
トン、トン、トン。
場違いな雑居ビルの狭い階段を上り、3Fに到着する。
階段の先には、ひび割れた床置きの広告塔に、スナックの名前が書かれていた。
赤、青、ピンク。
さっと見たところ、三つの扉の前にそれぞれの広告塔が置かれている。
スナック雅。
OWL。
卵クラブ。
京一「卵クラブ……ここだけなんか気になる……」
そう思ったが、深く考えないことにした。
きっと扉の内側は、お姉さんが座ってくれるスナックなのだろう。
そう思うことにした。
怪しいネオン光が乳白色に輝き、まぶしい。
そんな広告看板の最奥に、明かりの無い扉が一つだけあった。
昔はスナックを経営していたのであろう、スチール製のドアノブをした重たそうな扉だ。
京一は扉の前までテクテクと歩いてゆく。
ネオンの広告塔の前を通り過ぎる時、内側からカラオケで熱唱するオッサンの声が微かに漏れていた。
何の歌だろう?
中学生の京一にはさっぱり分からない。
ブゥン、チチチ……。
誘蛾灯の青い光が足元を照らす。
時折、高圧線の淵に触れた羽虫が、ヒラヒラと力なく垂れ落ちてゆく。
青白い光の下には無数の害虫達の死骸が集まっている。
京一は目的の場所に到着すると、改めて携帯の地図アプリを開き、自分の位置を確認した。
間違いない。
ここが青鬼のトップ、高見京介の自宅である。
ゴクリ。
唾を呑み込む。
京一「もう入ってもいいのかな……」
時刻は夜の8時である。
遅刻するわけにもいかないので、とりあえず呼び鈴を鳴らしてみることにした。
ポチ。
扉の右側にある丸いボタンを押し込むと、古いプラスチックの擦れる音がした。
防音扉のせいでチャイムが鳴ったのかどうか全く分からない。
しばらく扉の前で待ってみるが、ドアの開く気配が無い。
京一「チャイムが壊れているのかも」
ポチ。
仕方がないので、もう一度押してみる。
だが押したところで、カチッという感覚が指先に返ってこないため、正しく押せたのかイマイチ分からない。
もう少し強く押すべきか?
そう思ってはみたものの、ピンポンピンポンと何度も呼び鈴が鳴っていたなら、急かしていると思われそうだ。
場の雰囲気に気おくれしている京一は、扉の前で固まってしまう
京一「どうしよう……」
辺りには、古い油とタバコの煙の混じり合った独特の匂いが漂っている。
中学生の京一が佇むには、場違いに過ぎる。
さらに隣のスナックから、オッサンの熱唱の音が変わることなく漏れ聞こえてくる。
オッサン「うぃ~あぁ~~まぁ~~ぎぃぃ~ごぉええぇぇ~っ」
陽気な声だ。
デュエットだろうか?
ひしゃげた声のため、男なのだが女なのだか分からない。
京一は身を固くしたまま、扉の前で立ちすくむ。
もう2分くらい待ったであろう。
相変わらずドアは閉じられたままだ。
酔っ払いのオッサンが背後を通り過ぎてゆく。
オッサン「うぃっ……うっうっぷ」
そのままゲロとか吐きそうな勢いえづく。
気味が悪い。
居心地も悪い。
京一「……」
自宅へ来いと言われた以上、このまま帰るわけにもいかない。
もしも指示を無視して帰ったならば、次の日拉致され、駅前コートに無理やり連行される気がした。
そして柱に体を縛り付けられて、ダーツの代わりにナイフを投げつけられるのだ。
ビュン! ビュン! カッ!
身体のギリギリ外側を狙って投げられたナイフは、ほとんどが背後の壁に刺さってゆく。だが、一つくらい狙いが逸れて内側に入り込むナイフがありそうだ。
ブス!
刺さる。
京一の脳裏にその映像が生々しく再生された。
京一「うぅ……」
絶対に痛いだろう。
とんでもなく痛いに違いない。
出来ることなら、逃げ出したい。
今なら間に合うんじゃないのか?
このままバックレて、二度と外に出なければ逃げ切れるってことはないだろうか?
流石に自宅まで怖い人たちがやって来ることも無いだろうし……。
京一はここから逃げ出すことを考え始めた。
今ならまだ間に合う。
仮に見つかったとしても、路地を走り抜けて駅構内に入り込めばセーフだ。
駅係員に助けを求めれば、屈強な警察官がすぐにもやって来るだろう。
京一「うん、そうだ」
心が決まる。
最後にもう一回チャイムを押してみよう。
それでも反応がなかったら、このままバックレる。
「チャイムを押して随分待ちましたが、誰も出てきませんでした」
いざとなれば、この言い訳が使える。
京一は心を決めた。
そして最後のチャイムを押そうと手を伸ばした瞬間である。
ギィ……。
重たい音をさせて扉が開いてしまう。
京一「え、えぇぇ?」
思わずやり切れない表情になる。
まさか扉が開くとは思ってもみなかったのだ。
というか、このまま逃げ帰るつもりであった。
開くことは想定していなかった。
だが開いたものは仕方がない。
京一は扉に向かって慌てて挨拶する。
京一「あ! てっ天川といいますっ。その、高見さんに来いと言われて……」
深いお辞儀を終えて顔を上げる。
その瞬間絶叫した。
京一「うあっっっ! あっすっ、すっすいませんっっっ!」
ズバッ!
悲鳴に近い声を上げると、ドアの前から慌てて立ち去る。
ここにいてはいけない。
本能的にそう思った。
なぜならば、目の前に素っ裸の女性が立っていたからだ。
京一「(部屋を間違えたっ!)」
突然のことで心臓がバクバクと鳴る。
とてもイケナイものを見てしまった気がする。
許されないというか、禁域というか、不貞というか。
とにかくヤバい。
ヤバいのだ。
京一はこのまま逃げ出そうと思った。
ところが素っ裸の人に呼び止められてしまう。
女の人「あ、待って。キミ、天川君でしょ?」
やや掠れ気味の声。
名前を呼ばれれば身体は自然と反応する。
ビィン!
条件反射だ。
体が固まった。
京一「あっ、はいっ。て、天川です」
逃げ出す途中であった京一は、その場で棒立ちの姿勢になる。
逃げ足は停止し、しどろもどろになりながらも返事する。
京一「そのっ、あのっ……すいません」
非は無い。
だが、裸を見てしまったことに対する罪の意識が、謝罪の言葉を述べさせた。
女の人「フフフ。なぁに? 君、まだ中学生じゃない。可愛いぃ♪ ふふ」
裸の女性は京一の全身をつぶさに観察している。
思ったより背が高いと感じたのだろう、足元から頭のてっぺんまでをジロジロと視線を這わせるように見ていく。
ゴクリ。
京一は息とも唾とも判別つかない何かを呑み込んだ。
女性の年齢は20代前半くらいであろうか?
細身で綺麗な人だ。
京一は口をパクパクさせている。
何かを言わねばならないのに、何も言葉が出てこない。
どうしようもない。
女性の素肌は上気しており、色と香りを纏い艶っぽい。
目のやり場に困った京一は、視線をアチコチに飛ばす。
京一「あ、あの、えと……こちらは、その、高見さんのお宅でしょうか?」
不自然に視線を逸らしたまま尋ねる。
女性は先ほど「天川君」と言った。
名前を知られているということは、きっと目的の場所で間違いない。
女の人「フフ。そうよ。はやく入りなさい」
女性は綺麗な手をヒラヒラさせて手招きする。
京一「は、はい」
女性の首から下は極力見ないようにする。
だがそれでも艶めかしい乳房がどうしても視界に入ってしまう。
ぷるん。
手招きに合わせて、フルフルと揺れる様が見えた。
京一「……(うぅ)」
何かとんでもない罪を犯した気持ちになってしまう。
これ以上視界に入れてはならない。
仕方がないので、部屋の天井を見ながら中に入っていくことにした。
自分が場違いな所にいるとの思いを益々強める。
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