第2章 半グレ、青鬼編9 残酷なルール


タンタン、タンタン。


京一はボールを小刻みに地面に打ち付ける。

音の周期に乱れは無い。


ベンチに腰かけたままの高見と、その隣で呻く伸悦をチラリと見る。

二人ともこちらを見ている。

一人はタバコ咥え悠々とした態勢で。

もう一人は左手をかばいながら青白い顔で。


京一「クッ……」

それから中央に立つ太一へ向き直す。

ボールを2度、3度とコートの床でバウンドさせる。


やるしかない。

選択肢は無い。

勝たねば金髪の左手が切り落とされる。

昨日は彼らにいたぶられ、写真を奪われた時は激高もした。

だが彼の左手が落とされる様は見たくない。


京一「行きます」

告げる。


グン!


同時に3ポイントエリア内へとドリブルで侵入してゆく。

二人の距離は5メートル。

センターサークル中央では、太一が腕組みしたまま微動だにせず立っている。


京一「……」


グン!

京一はギアを一段階引き上げ、彼の右横を抜き去る。


蹴りが飛ぶか?

拳が飛んでくるか?

そう予想して、太一の位置から身体1つ分のスペースを空けてやや大周りする。


グン!

太一を抜き去る瞬間、彼の動きを見逃さないよう視界の隅で捉えながら突き進む。


京一「……」

だが意外なことに太一に蹴りかかる様子も殴りかかる様子もない。

それどころか、未だに正面を向いたまま腕組みをしている。

何だというのか?


京一は不気味な静けさに恐怖を覚えたが、その感情に囚われることなくゴールリング下までドリブルして綺麗なレイアップシュートを決めた。


スパン!

2対0


小気味よい音をさせてリングを通過したボールがコートに落下し2度3度とバウンドする。

京一はそれを拾い上げると、未だ中央に仁王立ちしている太一に向かって投げた。


京一「次はそっちからです」

しかし、太一は動かない。


コツン。


京一の投げ渡したボールが太一の背中に到達した瞬間、まるで後ろ側が見えているかのように上半身を回転させると、肘でボールをコツンと突いた。

ボールは再び京一の手元に跳ね返ってきた。


太一「次もお前からだ」

そう告げると、相変わらず仁王立ちの姿勢で突っ立つ。

京一は何が何だかわからないまま、突き返されたボールを受け取ると、再びコートの外へと走り出る。


タンタン。

タンタン。


グン!


それから再びドリブルで中へと切り込んでゆく。

次の攻撃も自分からで良いらしい。

ならば、そうなのだろう。

京一は太一の左側を抜いてゆく。


グン!

隣を駆け抜ける時、蹴りが飛んでくることを警戒したが、今回も太一はまったく動かない。


京一「……」

そのまま邪魔されることなく綺麗なシュートを決める。


パスン。

4対0


再びゴールリングを通過したボールを拾い上げる。

それから今度は太一の正面まで歩み寄り、ボールを触接手渡そうとした。


京一は真面目で律儀だ。

得点を決めれば攻守交替。

そう思っている。

しかし、太一はボールを受け取らなかった。


太一「次もお前からやれ」

そう述べるだけだ。


京一「え? ……は、はい」

太一の意図のつかめぬままに、京一は再びドリブルを始める。



タンタン。

タンタン。



今度は彼との間合いを気にすることなく横を抜いてゆく。

やはり今回も太一は動かない。

そして京一はあっさりとシュートを決めた。

6対0

京一「……」


どういうことだろう?

このまま全く動かない気だろうか?

そんなはずはないのだが。

不安になる。


ベンチに腰かける高見をチラリと見た。

相変わらずの無表情である。

ただ、隣で苦しんでいる伸悦は複雑な表情で太一の姿を見ていた。


京一「……なるほど」

そういうことか、と納得した。


“太一は伸悦をかばっている”


真面目な京一はそう理解した。

だって当たり前だろう。

伸悦は太一の配下にいるメンバーだ。

彼を庇うことには納得感がある。

このまま何もせず、勝敗を譲るということなのだ。


だがその結果、太一はこの場所の支配権を失うことになる。

随分大きな代償だ。

でもその代わり、配下の金髪は救われる。

そのことが京一の持つ感性にフィットした。

随分と甘い考えである。


京一はベンチに腰掛けタバコをふかしている高見を再度見る。

すると、高見は無表情を崩してニヤニヤしていた。


京一「?!」

その瞬間、背筋がゾワリとするのを感じた。


高見「来るぞ」

京一「え?」


ブオンッ!

高見がそう言うや否や、京一の背後からものすごい勢いで巨大な影が突進してきた。

凄まじい威圧感を瞬時に感じ取り、京一は思わず身体を硬直させてしまう。



ドクンっっ!!!



京一の心臓が2段階ほど大きく跳ね上がった。

太一の太い腕が伸びて京一の心臓を突き抜け背中から飛び出したのだ。

いや、

少なくともそう感じるほどの激しい突きだった。


ズン!

京一の身体は2メートルほど後方に弾き飛ばされる。

ドスン!

そのままコートに倒れ込む。


京一「?」

一瞬のことで何が起きたのか全く分からない。

ただ心臓の辺りを激しく殴られたことは確かだ。

痛みは時間差をもって訪れる。

衝撃が肺を突き抜け、横隔膜に届くころ、京一は強烈な痛みに襲われた。

目の前が暗転しそうになる。


京一「ぐぅっっがっっ……っがっっっ! あぁっぁっ!」


声にならない嗚咽。

それが喉から飛び出す。

衝撃から数秒たっただろうか、遠くに霞んでみえるゴールリングのほうへ太一が走り込み、シュートを決める様子が見えた。

ひと際大きな体が軽快に跳躍している。

京一は両手で胸を押さえたまま、最低限の酸素を体内に取り込むためになんとか息をする。


京一「ハァ……ハァ……ハァ」

荒い息遣いがコートに響く。

太一はリングを通過したボールを再び拾い上げると、それを京一に投げ渡すことなく再びシュートを決める。

それをさらにもう一度。

スパン、と乾いた音を鳴らしてボールがリングネットを通過する。

6対6

心臓を突き殴られた直後、立ちどころに3本のシュートを決められた。


京一「なんだ……よ……そ、れ」

未だ引かない胸の痛みを堪えながら、京一はヨロヨロと起き上がる。

太一はそんな京一にボールを投げ渡した。


太一「次はお前からだ」

一言だけ述べ、再びフリースローエリアの中央に仁王立ちする。

京一は未だに痛む胸を左手で押さえながら上体を起こすとボールを受け取る。

パン!


京一「クッ……」


前回同様に乾いた音がしたが、その衝撃が胸に伝わりズキンと痛んだ。

このまま何もせずに勝たせてくれると勘違いしていたため、まったく防御姿勢を取ることなく突きを胸の中心に入れられた。

24歳の太一に対して、京一はまだ14歳。

10年も年が離れれば、大人と子供の違いがあるだろう。


京一「ハァ……ハァ……ハァ」


京一はこの試合を降りて楽になりたいと思った。

とにかく痛くて苦しいのだ。


チラリとベンチの伸悦を見る。

先ほどまでの複雑な表情と変わり、悲痛な顔をしている。

これが太一の戦い方なのか?

そうであれば伸悦は最初からそのやり方を知っていたはずだ。


それでも期待していたのかもしれない。

自分のボスがあえて負けることで、自分を守ってくれると。


だがその淡い希望は打ち砕かれた。

未だ彼の左手はベンチの上にナイフで突き刺されたままであり、鮮血を垂れ流す痛々しい状態が続く。


太一「伸悦、悪く思うなよ。俺はこのコートをあんなガキに獲られるわけにはいかねーんだよ。ここは俺のリングだ。俺のリングで俺は鬼の役目を果たす。俺が勝てばお前は左手を失うが、死ぬわけじゃねー。我慢しろ」

冷酷に言い放つ。


伸悦は青白い顔のまま太一を恨めしそうに見ている。

一方の京一は胸の痛みによる恐怖で全身が強張る。

このままではとても目の前に立つ強大な相手と戦えない。

気持ちで負けているからだ。

それでも休むことなく勝負は続行される。

逃げ出したい気持ちを押し殺し、京一は再びドリブルを開始する。


タンタン、タンタン。


中央に仁王立ちする太一の傍には二度と寄らない。

身体3つ分くらいは離れているであろう。

太一との間に大きなスペースをとって横を抜けてゆく。

今回も彼は動かない様だ。

京一はそのままゴール下に駆け込んだ。

その瞬間である。



ダンっっ!



大きな音が辺り一面に響き渡った。

太一が右足を大きく振り上げ、地面に叩きつけたのだ。

激しい音が鳴り響く。


ビクン!


先ほどの強烈な記憶がある京一は、反射的に反応してしまう。

そのためボールコントロールを失いドリブルのリズムが乱れた。

その様子を太一はニヤニヤした顔で眺めている。


京一は慌てて態勢を立て直すとゴールリング直下に走り込み、ノーマークのままレイアップシュートを決めた。


パスン。

ボールがネットを通過する。

8対6


そして、リング下に転がるボールを拾い上げると、恐る恐る太一に渡そうとした。

投げ渡せばいいのだが、そんな気持ちになれなかった。

単純にビビっているのだ。


太一「次もお前からやれ」

仁王立ちした姿勢のまま、太一は見向きもしない。

先程とまったく同じ展開である。


このまま動くことなく、点差が開いたところで激しい蹴りやパンチを飛ばしてくるのだろう。

そして動けず苦しむ京一を横目に、点差を埋めてゆく。

これが太一の戦い方なのだ。


そう、京一が痛みで動けない時間を使って、点差を埋める……。


京一「……あ」

ここでようやく気づく。


このまま点差が開いていけば、差分を埋めるために太一はより長い時間を必要とする。

2点差なら10秒で済む。

だが、4点差に開けば必要な時間は2倍の20秒だ。

そしてその時間こそ、京一がコートに蹲って動けない時間となる。


京一「そ……そんな……」


つまり点差を拡げてしまうほど、より激しい力で殴り飛ばされるということだ。

今はまだ2点差。

シュート一本分を決める程度の時間で済む。


京一は手元のボールに視線を落とす。

これをゴールリングへ投げ込めば、この後に襲われる痛みは、シュート二本分の時間を稼ぐための長さになってしまう。

さらに6点、8点と差が開けば開くほど、益々激しい攻撃に晒される。

先程は6点差の開きで、呼吸ができず視界が暗転したほどだ。

8点差に開いた場合はどうなってしまうのか?


京一「うぅ……」

ボールを恨めしく見つめる。

バスケットボールをこんな気持ちで眺めたことは初めてだ。

この勝負に京一が勝つためには、太一に10点差をつけねばならない。


10点差だ。

10点差なのだ。


京一「10点って……そんな……」

困難さにようやく気づく。

点差が開けば開くほど、より激しい暴行を受ける危険に我が身を晒すということだ。


その恐怖に打ち勝ち、10点差をつけねば勝てない。

そんな無謀な勝負を挑まれているのだ。

このまま負けてしまえば良いのだろうか……?


ブンブン!


京一は頭を真横に振る。

負ければベンチで苦しむ伸悦は、左手を切り落とされる。


そんな姿は絶対に見たくない。

京一は絶望的な状況に突き落とされる。


ブルブル……ブルブル……。

ボールを持つ手が震える。

心に沸き起こった恐怖と動揺は隠せない。


高見「……」

一方、ベンチに座る高見は相変わらず無表情のままタバコをふかす。

そして中央に立つ京一の様子を観察している。


何かを探っている。

そんな表情だ。


京一「そんな……こんなのって……あんまりだ……あんまりだよ」

ここから逃げ出すことはできない。


激しい暴行の恐怖に打ち勝つのか?

恐怖に負けて伸悦の左手が切り落とされる瞬間に立ち合うのか?

自分のことだけを考えるならば、さっさと負けてしまえばいい。

伸悦の手が切り落とされても、自分が苦しむ訳じゃない。


ドクン! ドクン! ドクン!


逃げの考えが浮かぶ。

胸の痛みはまだ引かない。

ジンジンと鈍痛が残り続けている。

だが……。


京一「違う……」

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