第2章 修行編18 対決、奥の手

京一の声はフェンス外の蓮華にもはっきりと聞こえた。

叫ぶや否や、京一はフリースローエリアで待ち構える高見に向かって猛然と突き進む。


グンッッ!


京一の動きにつられて、高見も駆ける。


ズガン!


両者の進むベクトルがその前方で衝突する。

京一はすかさずギアチェンジして、さらに加速度を高めた。


ギュギュギュッ!

2nd、3rd、さらにその上のドライブ。


高見「速い」

思わず口にする。

素直に思ったことだ。


京一は速い。

それも相当な速度だ。


ギュギュギュァン!

京一の身体がギュンギュンと容赦なく加速してゆく。


3ポイントラインを中央に挟み、二人の距離が急速に縮まる。

フェンス外の観衆「!!」


このまま突き進めば二人が衝突してしまう。

誰もがそう思った。


それでも二人は加速を一切緩めない。

さらなるギアチェンジ。


ギュゥンッッ!

加速。

加速。

加速。



オーバーザトップ。



僅かコンマ数秒の時間の後、京一は自身の脚力のギアをトップスピードに引き上げた。


クンっっ!


京一の上半身が一段下方に落ちる。


シュン!


黒い矢のような影となってコート上を疾駆する。

高見は最高速度で突進する最中、微かな変化すらも見逃すことなく捉え、京一の次の動きに備える。


高見「……」

右か、左か、あるいは中央か。

僅かでも先に動けば、その隙を突かれ抜かれてしまう。


一瞬の勝負。


先に次の動き出したほうが負ける。

高見は最高速で加速してくる京一の足元に意識を向ける。


ただし視線は京一の両目から外さない。

足元は視界の端で捉えるのみ。

そして、京一が3ポイントラインの踏み越える僅か手前に達した瞬間だった。





ズドンっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!





コート内外に凄まじい音が響き渡る。

高見「っ?!」


京一の両脚が地面を叩きつけた。

そして舞い上がる。


高見「(3ポイントか?!)」


そう思った瞬間、高見は前方へ向いた己の加速を急停止して、鉛直上向きに力のベクトルを変えた。


ズドン!


地面を蹴って、上空めがけて思いっきり飛び上がったのだ。

京一に3ポイントは打たせない。

そのために間合いを詰めて身体を密着させる。

シュートを打つためのスペースは与えない。

そう行動した。





高見「なっ?!」





この試合が始まって何度ボールを取り交わしたであろう。

次の瞬間、一切変わることのなかった高見の無表情が初めて崩れた。


右か、左か、中央か。

そのいずれかであると思っていた。

だから3ポイントラインを挟み、上空へと跳躍した。

高見と京一との身体の間に隙間はなく、密着しているはずだった。


しかし、互いに跳躍した二人の間には、ゆうに身体2つ分以上のスペースができあがっていた。


高見「くっっ!」

京一「……」


高見は3ポイントラインの直上へ跳躍した。

京一は3ポイントラインを飛び越える手前で最高加速のまま跳躍した。

少なくとも高見にはそう見えた。


凄まじい加速であったから、着地点は慣性力で前方へ伸び、フリースローエリアまで達するはずだった。

故にそれを邪魔するように鉛直上向きにジャンプすれば、互いの身体がぶつかり、まともな3ポイントは打たれない。

そのはずだった。

身体ふたつ分のスペース。

いや、三つ分か?


高見「(何が起きた?!)」


地面から両脚の離れた高見は、上空で身体三つ分引き離されたまま、京一の跳躍をただ見つめることしかできない。


ビュァン! ビュァン! ビュァンッ!


激しい跳躍に伴い風を切る音がビュンビュンと耳元で鳴る。

京一の身に着けているTシャツがバタバタと風を切り裂き、音を鳴らす。


クンッ!


京一はまるでエビが逆に反りかえったような姿勢で体を命一杯反らしていた。


跳ね上げた両脚の踵が背中に触れるのではないか?

そう思えるほどに美しく撓っている。

その姿は両翼をもった大鷲がコートを飛び立つかのようにさえ見えた。


京一は地面に両足を叩きつけた瞬間、後方へ飛んだ。

あの凄まじい加速の最高速度から一瞬で後方へ切り返したのだ。

前方への加速を相殺して、なお後方へと高く高く舞い上がる。

床を叩いた瞬間、両脚にかかる負荷はどれほどだったのか?


シュン! シュン! シュン!


圧縮された空気が、二人の間を吹き抜ける。

高見は前方を舞う京一に対して、何もできない。

着地するまで、結末を見届けるしかない。

高見を大きく引き離した京一は悠々と跳躍の最高到達点に達する。



シュン!シュン!シュン!



京一「見えた!」


その瞬間、京一の脳裏に自身の手元からゴールリングへと伸びる無数のボールの軌跡が重なり見えた。

それは、まるで光の線が互いに競い合いながらゴール中心を目指しているかのようだった。


ダラリ。


両腕の力を抜く。

まるで上半身から切り離したかのように自由に稼働させる。


シュートを邪魔するものは誰もいない。

遥か上空で弧を描く、最も美しい一本を選択する。


逆海老反りのようにしなっていた上半身にはバネが元に戻るための凄まじいエネルギーが蓄積されている。

それを一気に解放する。


グンっ!


上半身を前方へ「く」の字に曲げるようにして戻し、その勢いで手元のボールを一本の軌跡の上に丁寧に乗せた。


京一「ハッ!」


ギュォっ!

その瞬間、ボールは高く高く舞い上がり、このコートの上空の青空をオレンジ色が切り裂いてゆく。

そして美しい円弧を描き、


スパンっ!

静かにゴールリングを通過した。



タンっ

軽やかな音をさせて京一が跳躍点の遥か後方へと着地する。

高見との距離は京一の身長以上に離れていた。


互いに全速力で加速、突進し、3ポイントラインを挟んで跳躍した。

高見は垂直上方へ、京一は垂直後方へ。

しかし、2つの跳躍の軌跡は明らかに異なっていた。


フェンス外の観衆「おおっっっ! なんだいまのっ!?」


至る所からどよめきが沸き起こる。

この瞬間の京一のプレーは、明らかに高見のそれを上回っていた。


トントン、トトト……。


ゴールリングを通過してボールはコートに転がり静止している。

高見は京一を見つめている。

京一も高見を見つめている。

違いの視線が、クレーコートの上で重なる。

9対9のイーブン。


高見「すげぇな。なんだ今の?」

再び無表情に戻り、先ほどのプレーの詳細を問う。


京一「……奥の手です」

そう告げる。


いつか漫画で読んだ。

主人公が最後の手段として放つ一手を奥の手と呼んだ。

その言葉を京一も使った。


高見は先ほどの京一のプレーを思い返す。

あれだけの速度で突進しながら、一瞬にして跳躍方向を反転させた。

どれほどの負荷が両脚にかかっていたのか?

そしてそれに押し負けないために、どれほどの筋力が必要であるか?

理屈ではなく感覚で理解した。


高見「……」


このプレーを見てしまった。

今後は京一の動きを予測する時間が必要になる。

たとえ僅かであってもその時間を京一に与えてしまえば、フェイントで自分の左右を抜き去るだろう。

試合の流れを変えてしまう、厄介な技だと思った。


高見は己の優位性が一瞬のプレーで崩されたと即座に理解した。

フッ。

少しだけ笑いがこみ上げてきた。

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