第2章 修行編17 対決、明鏡止水
ボールを拾うと高見にパスする。
京一「次もそちらからです」
パン。
ボールを受け取った高見は、相変わらず無表情のままだ。
京一の全身を一通り観察すると、ゆっくりと呟いた。
高見「へぇー、なるほどね」
少しだけ感心した顔になる。
それから、ボールを京一へ投げ戻す。
パン!
京一の手元で乾いた音が鳴り響く。
高見「次もお前からやれよ」
京一に攻撃回を譲る。
1 on 1では、守りよりも攻めるほうが優位に立てる。
先行を譲るということは、自らの立場を不利な状況に置くこととなる。
それでも京一に先攻を譲ったということは、それだけ自信があるからだ。
京一「……はい」
先攻を譲ってはもらったが、相手の出方に不気味な気配を感じる。
高見から発せられるプレッシャーが一段階増した。
タンタン。
タンタン。
京一は一旦ライン外までドリブルで出てゆく。
外側から攻撃を組み立てるつもりだ。
タンタン。
一定のリズムでボールを突く。
するとサークル内から高見がこう告げた。
高見「さっきのお前のプレー、これまでで一番良かったぜ」
顔は相変わらず無表情のままだ。
京一「……」
良かった?
自分のした行為が良いとはとても思えない。
どういうことだろう?
彼の発言の意図が読み取れない。
言葉通りに褒めている訳ではないだろう。
高見「でも、次やったらブン殴るぞ。あっちで倒れている竜二みたいにな」
京一「……」
ゴクリ。
京一は唾を呑みこんだ。
それくらいのことは言われると思っていた。
京一は先ほど、シュートの瞬間に高見のシューズを蹴飛ばしたのだ。
公式戦であれば明らかな反則行為。
それを恐ろしい相手に対してやってのけた。
その結果、シュートを狂わせ、外させることに成功した。
例え相手の神経を逆なでるプレーであったとしても、あのまま得点を決めさせるわけにはいかない。
京一は瞬時にそう判断した。
何故か?
簡単だ。
この勝負に“蓮華”を賭けることになったからだ。
その瞬間から京一の中で己のプレーに関する選択肢の優先順序が入れ替わる。
蓮華を奪われるよりも、高見に殴り倒されるほうがマシだと思った。
高見「来いよ天川。次はどんなプレーを見せてくれる?」
一方の高見は、無表情のままさらなる高いプレーを要求する。
まだまだ物足りない。
そういうことだ。
フリースローエリアの中央に立ち、京一を迎え撃つ。
京一「……」
タンタン、
タンタン、
京一はエリア外でボールをバウンドさせながら、攻撃に移るまでの僅かな時間で次の一手を考える。
ダラダラ考えたところで良い案は浮かばない。
思考を高速回転させながら、無数の“If”をトレースしてゆき、その先の結果を素早く予測する。
実力は相手のほうが上。
力も上。
立場も上。
まともにドリブルで切り込んでも、相手のゾーンに捕まりボールを奪われる。
かといってこの位置からロングシュートを放っても、今の京一のシュート力では決まる確率は半々。
つまり半分の確率で攻撃機会をロストする。
負けているこの状況でそれは避けたい。
だが。
タンタン、
タンタン、
京一「……」
正確に述べれば、完全に自由な態勢で打たせてもらえるなら、かなりの確率で3ポイントシュートを決められる。
それだけの練習を積み重ねてきたのだ。
自信はある。
だが目の前の相手が邪魔して完全なフリーにしてくれない。
今の京一が3ポイントを確実に決めるためには、高見がゾーンに入ってこない絶対フリーの時間が必要だ。
シュート態勢に入ってボールを放つまでの1秒間でいい。
身体二つ分のスペースがあれば十分だ。
京一「……」
タンタン、
タンタン、
ボールは変わらず一定のリズムで音を刻む。
それは無機質な韻を刻んだ。
高見との間合いをどうやって作るか?
シュート態勢に入れば、その瞬間、身体を寄せられ邪魔される。
僅かばかりでいい、時間とスペースを確保するために高見の想定を狂わせたい。
トン、トットット。
京一は3ポイントラインから4歩ほどバックステップする。
タンタン、
タンタン、
ボールは変わらず軽快に跳ねている。
一度もボールを見ることなく、京一はそれをコントロールする。
ちょうどフルコートのセンターラインに相当する場所まで後退すると、静かな視線で高見を見つめた。
京一「フッ、フッ、フッ」
細かく呼吸を刻み、リズムを整える。
高見と京一。
3ポイントラインを挟み、二人の距離はほぼ等間隔に離れている。
京一はボールをバウンドさせながら、フリースローエリアに立つ高見を見つめた。
それから視線を外さぬままに問いかける。
京一「このゲームに勝ったら『蓮華をもらう』、先ほどそう言いましたよね?」
落ち着いた言葉と態度だ。
今の二人に年上、年下の関係は無い。
あるのは攻撃と迎撃。
そして1on1という名のストリートルールのみ。
高見「ああ。言った」
無表情を崩すことなく答える。
京一「それって、どういう意味ですか?」
ダン、ダン、ダン。
僅かであるが、京一が突くボールの勢いが増す。
微妙に回転をつけているのだ。
ダン、ダン。
落下速度に回転速度を加えたことで、地面に衝突する瞬間、ゴムが擦れて独特の音を鳴らす。
高見「意味って?」
相変わらず表情に変化はない。
京一「蓮華を奪って、それから……あいつをどうする気ですか?」
京一はまったくボールを見ることなく、クレーコートにバウンドさせている。
今の彼からボールを奪うことができる者はいない。
類稀なボールコントロール力を持っているからだ。
すぐにでも攻撃に移れるよう、臨戦態勢を敷いて高見の返答を待つ。
高見「俺のモノにするってことは、俺の女になるってことだ。それだけだろ?」
無表情でありながらも、彼の視線は蛇が獲物に狙いを定めたかのように動かない。
グググ……。
その獲物を狩る視線が、逆に京一の神経を研ぎ澄まさせる。
両者は「狩る者」と「狩られる者」の関係では無い。
強いて言うなら、「試す者」と「突き抜ける者」。
そう表現することが正しかろう。
京一「アイツの意思は、関係ないんですね」
二人は互いの視線を外さない。
逸らせば負ける。
ダン、ダン。
コートにはボールが床を叩く音が淡々と響くだけ。
他に一切の音はない。
静寂。
フェンス外の皆は押し黙ったまま、二人の行方を見守っている。
コートの内側で会話されている内容は聞き取れない。
蓮華はただじっと二人の様子を食い入るように見つめる。
高見「意思? そんなものいるのか? 俺の女になるってのに」
淡々と告げる。
ニィ。
そして無表情のまま口元をつり上げた。
高見「それにな、天川。どうせ2、3回ヤレばすぐに言うことを聞くようになるぜ。女なんてそんなもんだろ?」
釣り上げた口元はそのままに京一の両目をじっと見つめる。
彼の視線は京一の奥底の何かを探り出そうとするかのように執拗だ。
両目の奥を抉り取ろうとしているかのようだ。
スゥ……。
それから徐々に視線を下げてゆく。
京一の首元、胸元、腹。
そして再び視線を交わらせる。
シュアッ。
駅ビルに挟まれたコートの上空は晴れ渡り、青空がのぞく。
高見の汗ばんだ上半身は青い光を受け、鍛え上げられた筋肉を隆々と輝かせている。
その強靭な肉体は、若干14歳の京一と比べるまでもなくこの場の強者がどちらであるかを雄弁に語る。
京一「やっぱ……そうですよね」
なんとなく分かってはいた。
だが改めて高見の口からその言葉を聞くと、胸に重石がズンと乗る。
静かな水面に大きな石を投げ込んだ後、ドブンと広がる波紋のように京一の心は乱れる。
京一「フッ、フッ、フッ」
だがそれも一瞬のこと。
細かく刻む規則正しい呼吸が、負の考えを流し去る。
そうだ。
この土壇場に来て、蓮華を高見に奪われたその先を想像したりしない。
それが己の望む未来を導くことが無いからだ。
京一は即座にそう理解する。
蓮華が奪われた後を想像してどうなる?
その望まぬ未来に打ちのめされるだけか?
まだ確定もしていないのに悲しい結末にただ浸るだけか?
京一「違う」
「2,3回やればすぐに言うことを聞くようになる」
その言葉を聞いた後、京一は自分の心の中が逆に静かに落ち着いてゆくことを感じた。
水面に立った波紋はとうに過ぎ去った。
ざわめく感情の起伏は徐々に静まり、今、心に乱れは無い。
静かな水面。
水鏡。
負ければ蓮華を自分のものにするという相手。
望まぬ未来が待っている。
実力も自分より上。
普通にやれば勝てない。
キュィィィンッッ……
それなのに、この状況に反して京一の心は静かに透明に落ち着いてゆく。
いや静かなだけでは無い。
細く、鋭く、研ぎ澄まされてゆく。
心の中で研ぎ澄ませたニードルの先端が、青い太陽光を受けてギラリと光る。
明鏡止水。
京一は静かに自らの心の声に耳を傾けた。
望む結果と望まぬ結果があって、その結末が己の手に握られている。
結論は一つ。
為すべきことも一つ。
京一「ならば」
小さく息を吐き出す。
ダンっ!
ボールが床を叩く。
ひと際大きな音がコートに鳴り響く。
前方にそびえ立つ高見の視線から逃げることなく見つめ返す。
京一「負けられないっっ!!!」
ギュアァァッッ!
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