第2章 修行編14 対決、高見京介 vs 天川京一

蓮華をこの男の前に来させてはいけない。

何をされるかわからない。

仮に何かあったとき、自分では蓮華を守れない。


先程、蓮華に「来るな!」と叫んだ。

蓮華は気づいただろうか?


いやそれより、京一の行為を高見という男が見逃すとは思えない。

制裁が来る。


京一「ぐっ……」

身構える。


いきなり殴られたり蹴られたりしても、ダメージをなるべく減らしたい。

全身の力を抜いて筋肉をリラックスさせていれば、多少は衝撃も和らぐ。

小学生の頃にいじめられていた京一は、このあたりの対応が自然と身についていた。


だがあの強烈な拳を顔面に喰らったら、どうなってしまうだろう?

少なくとも鼻の骨は折れる。


それだけで済むだろうか?

済むはずがない。


高見「そんなに慌てるなよ。別にお前を潰すつもりはねーよ。琴野って女にも手を出したりしねーさ」


そう告げながらも、視線は京一の両目の奥に定めている。

何かを探ろうとしているようだ。


高見「でもな」


ゴクリ。

京一はつばを呑み込む。


スゥ。

高見の両目が急速に細まってゆく。

京一の中に何かを見出したようだ。

誰にも聞こえない声で静かに告げる。


高見「へぇー……おまえ、不思議な色してんだな」


そう言うと、改めて京一の全身を頭の先からつま先までゆっくりと観察してゆく。


京一「……」

この場所の時間が止まったような気がした。


シンと静まり返る。

あたりを包む空気の動きも止まる。

風が流れない。

淀む。

まるで濃密なゼリーでできた空間に身体を閉じ込められたように感じる。


京一「はぁ……はぁ……はぁ」


呼吸一つ吐き出すことが重たく感じる。

間違いなく、高見と呼ばれる男がこの場を支配している。


高見「弱ぇな、天川」


蛇のように湿って重たい視線は、未だ京一の全身を捕えて離さない。

無表情のまま、高見は「弱い」と告げる。


京一は彼が何を言っているのか分からなかった。

弱いなんて今更なことである。

彼らより自分のほうが遥かに力に劣る。

当たり前だ。


高見「おまえ、今から俺と勝負しろ」

京一「え……?」


ドクン。


突然の宣告に心臓が大きく脈打った。


京一「勝負って、バスケですか?」

高見「ああ、1 on 1だ」

「おぉ」

コート中央に立つ二人を興味津々に見つめる外野から歓声が上がる。


「高見さんって、もともと青葉のシューティングガードだった人でしょ? バスケ、超うまい人じゃなかった?」

どこからともなく、そんな声が聞こえた。


京一「え?」

青葉?

シューティングガード?

バスケが上手い?


京一の頭にいくつものクエスチョンが浮かび、パンと弾ける。

青葉といえば、全国的なバスケ強豪高校の一角である。

インターハイやウィンターカップなど全国クラスの大会に何度も出場している。

そこで有名になった選手はそのまま実業団に入り、プロとして活躍するほどだ。


本気でバスケをプレーしている選手なら誰もが知っている超強豪。

そこでシューティングガードを張っていた。

それが事実なら、目の前に立つ高見という男はとんでもないプレーヤーということになる。


高見「おい竜二!」

コートの外側でボーっとしていた竜二を呼びつける。


竜二「はい!」

萎縮した声で返事し、高見のもとに駆け寄った。

先ほどまでの舐めた態度とは大違いだ。


高見「で、さっきの3 on 3のとき、アイツは何を賭けたんだ?」

竜二「え? アイツはなんか、母親の写真を賭けましたよ。最初は2千円札出してきたんすけど、それより写真のほうがすっげー大事そうだったから、そっちを無理やり賭けさせました」


高見「ふぅん。お前ら賭けに勝ったら、その写真どうするつもりだったんだ?」

無表情のまま竜二を見下ろす。


竜二「いやまあ、母ちゃんの写真が大事とか、すっげーマザコン野郎だったから、目の前で写真焼いて泣かしてやろうかって、へへ。高見さんも見ませんか? アイツ、まじ怒りましたよ。写真を伸悦に奪われたときにダッセー顔で」


竜二はヘラヘラしながら高見にそのときの様子を説明する。

この流れで高見の力を借りて京一をボコボコにしたいのだ。

何しろ、先ほどまでの3 on 3では負けかけていた。

あのまま試合を続ければ、むしろ自分たちが賭けの対価を支払わねばならない。

もちろん竜二達にそんなつもりは全く無かったのだが。


高見「フ……」

薄ら笑いを浮かべる。


竜二もそんな高見の様子を見て、少しだけ肩の力を抜いた。

そして次の瞬間、上半身を硬直させたまま、背中から仰向けに倒れた。

その様子はまるで、壁に立てかけてあった木材が支えを失い地面に倒れ込むようだった。


ガツン!


さらに後頭部がコンクリートの地面にぶつかる。

良くない倒れ方だ。

口から声は一切漏れ出さない。


シィン……。


外野も含めて全員が静まり返る。


ビクンッ、ビクンッ、ビクンッ


竜二は両腕を真上に突きあげたまま、カエルがひっくり返った恰好で痙攣している。

完全に白目をむき、意識は無い。


高見「伸悦。その写真さっさと天川に返せ」

淡々とした声である。


伸悦「は、はい……」

素直に返事すると鼻血を拭う。

それからポケットに入れていた写真を取り出し、京一に手渡した。


京一「……あ」

この状況に呆然としていた京一は慌てて受け取る。

写真に写っている母の顔に傷は入っていない。


まずは良かった。

写真が手元に戻りホッとする。


だが、目の前で何が起きたのか理解できない。

高見は3人のリーダーと思われる存在だ。

仲間同士のはずだ。

それなのに仲間の顔面を渾身の右ストレートで打ちぬいた。

まるでボクサーが相手を沈めるために放つハンマーパンチのようだった。


高見「悪かったな。うちの連中がヒデェことしたみたいで」

ペコンと頭を下げる。

表情は一切動かない。


京一「あ……あぁ、はい」

あまりの展開に言葉が思うように出てこない。


高見「で、俺と勝負してくれよ。1 on 1で」

黒いTシャツを脱ぐ。


グンッ。


下から筋肉質でよく鍛えられた上半身が露になる。

まるで強靭なバネでも仕込まれたような身体で、一切の無駄がない。

そこから放たれた拳が竜二をたやすく殴り倒せたことが容易に分かる。


京一「……はい」

無警戒に提案に乗ってしまう。

雰囲気に圧されてしまったのだ。


トン、トン、トン。


高見は上半身裸のまま片手でボールを掴むと、手慣れた様子でバウンドさせながらコート中央へ歩いてゆく。


太陽の光を背中に背負い、長めの髪が神々しく輝く。

単純なブリーチでは出せない赤茶けた色だ。

地毛なのかもしれない。


彼には3人とは異なる独特の雰囲気がある。

あえて表現するなら威圧感ではなく、圧倒的な存在感。

オーラというほうが正しかろう。

この場を支配しているのは紛れもなくこの男だ。


京一は彼の合図に従い、センターサークルまでトボトボと歩いてゆく。

逃げることはできそうにない。


ヒュゥ……。


高層ビルに挟まれ、圧縮された風がコートを駆け抜ける。


高見「……」

京一「……」


コートには高見と京一の二人だけが立つ。

フェンスの外には徐々に若者が集まり始め、もう20人くらいいる。

皆、今から何が始まるのかと興味深々な様子である。


だがコートの二人を囃し立てる者はいない。

高見の存在感に圧倒されているためだ。


京一「……あの、何か賭けなくてもいいんですか?」

恐る恐る聞いてみる。


高見「ん? なんだお前、そんなこと気にしてんのか? いらねーよそんなの」

1 on 1の対価は不要。

あっさり告げる。


何か凄いモノを賭けさせられるのだと思っていた京一は、その答えにホッとした。

だがそれならば、彼はなぜ自分と勝負したいのだろう?

理由が分からない。


京一「はぁ……」

高見「俺はお前と1 on 1をやりてーだけだ。どうせ俺のほうが上なんだろうが、まあいいさ。本気で来いよ。俺も少しは本気でやるからさ」


そう告げると、京一にボールをパスした。


シュアッ!


矢のような軌跡だ。


パンっっ!


受け取った京一の両手から小気味よい音がした。

直線的で美しい軌跡に無駄の無い動き。

それだけで、相当の実力者であると読み取れる。

青葉のシューティングガードであったという噂は本当なのだろう。


京一「フゥ……」

静かに呼吸を整える。


タン、タン

タン、タン


ボールを突く規則正しい音が静まり返ったコートに響く。


タン、タン

タン、タン


聳え立つ高層ビルの壁面に反射して、音が2重に重なり合う。


タン、タン

タン、タン


ボールを一定のリズムでバウンドさせながら、京一の姿勢が前傾する。

ぐっ。

それが試合開始の合図となった。


ドン!


京一は正面に立つ高見に向かい、ぶつかるような速度でドリブルを開始した。


1 on 1だ。

誰にもパスできない。

目の前の彼をフェイントで抜き去り、レイアップシュートを放つしかない。

逆にシュートを打たずボールを奪われてしまえば、一気にピンチに陥る。

どうするか?


刹那の狭間に思考する。

このままシュートを打たせてくれるだろうか?


京一「そんなはずは無い」


ダン!

京一は突然、突進を止めてゴールリングと並行に駆け出した。


スゥ。

高見も京一の動きに着いてゆく。

しかし、自らの進行方向を決められるオフェンス(京一)がスピードで勝る。

二人の間に、身体2つ分のスペースが出来る。


京一「(いける!)」

頭ではなく、肌で感じたシュートの感覚。


タン!


右足を軸にして素早く反転すると、その場で小さくジャンプした。

そのままゴールリングに向かってシュートを放つ。

エリア内から放つ2ポイントだ。


スパン。

ボールは綺麗な円弧を描き、ゴールリングの真ん中にすっぽり収まった。


「おぉ」

フェンスの外側から感嘆の声があがる。


2対0

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