第2章 修行編6 一番大切なモノと二番目の距離
コーチ「じゃあ皆、今日はこれで解散する。身体を冷やさないように汗を拭きとって、着替えて、んで、速攻帰って休め。以上」
5人「ハイ!」
皆大きな声で返事し、ぞろぞろと体育館を後にする。
京一は皆の後ろ姿を静かに見送った。
もしあの時、自分が3ポイントを決めていれば、試合の流れは変わったのだろうか?
点差はもう少し縮んだろうか?
コーチ「天川、悔しいか?」
京一「はい、悔しいです。あんなに点差が開くなんて思っていませんでした」
下を向いたまま、先ほどの試合を思い返す。
両校に実力差があることは分かっていた。
負けることも想定の範囲だった。
だが何としても清里だけは抑え込みたかった。
理由は色々ある。
コーチの期待に応えられなかったこと。
級友の期待に応えられなかったこと。
そして蓮華……。
清里に負けたことが敗戦の悔しさを一層増してゆく。
コーチ「今日の試合で2つのことが分かった。そして1つのことを長谷中に刷り込むことに成功した。その上で天川、お前に1つ伝えることがある」
コーチは京一のまっすぐな眼差しを静かに、ゆっくりと見据える。
コーチ「長谷中のディフェンスは基本“1-3-1”だった。それは実際に戦ったお前もよく分かっているだろう」
京一「はい」
コーチ「あの防御の陣形は、5人全員に高いスキルを要求する。どのチームでもできる陣形じゃない。長谷中ならではだろう。でもな、」
一呼吸を置く。
コーチ「あいつらな、お前がボールを持つと、必ず“ボックスワンゾーンディフェンス”に切り替えてたぞ」
京一「!」
ボックスワンゾーンディフェンスは、相手チームに抜きんでたエースが一人いるときに取る防御の陣形だ。
しかし、ボックスの中央にスペースができるため、そこを突かれると一気に崩れる。
逆に言えば、その一人を抑え込めば勝てると踏んでいる証拠でもある。
その一人とは幹中のエース天川京一。
京一は彼らが自分をそこまで警戒しているとは思っていなかった。
コーチ「後半戦でコッチがやったオールゾーンディフェンスな。あれはお前たちに体力的にもメンタル的にも相当な負荷をかけたと思っている。でもな、おかげで分かったよ」
コーチ「アイツら(長谷中)は清里が崩れたら一気に崩れる」
京一「!」
まさか、コーチからそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
先ほどまで、あれほど圧倒されていたのだ。
コーチがあっさりと相手の核心を見抜いた事に二の句を継げずにいる。
京一「……」
だが思い返せば確かにそうだ。
清里以外の4人は、慎二だけじゃなく、3年の先輩達が抑え込んでいた。
もちろん抜かれて得点されてしまったが、体力を削られるだけの陣形において、そこそこ抑え込めていた。
コーチ「清里に頼りすぎている。というか監督に頼りすぎているな、長谷中は。戦術も動きもパターンが決まっていたよ」
京一「え?」
コーチ「天川、お前がドリブルで切り込むときは“ボックスディフェンス”、それ以外は各自に任せた1-3-1の陣形。攻撃の時はパスカットやツーメンブレークなど一見多彩に見えるが、基本的には清里を中心に攻撃してくる」
京一「……」
言われてみれば確かにそうだ。
コーチ「清里が動いていないときは、激しい攻撃を仕掛けてこない。まるで清里が起動するのを待っているかのようにな。あれは監督の指示だ。選手達は思考停止しているよ」
コーチはそんなことを考えながら、あの作戦を言い渡したのだ。
京一は雲の上の言葉に感心する。
コーチ「今日の試合で、彼らはうちの攻撃パターンと防御パターンを覚えてくれた」
京一「覚えて……ですか?」
コーチ「そうだ。あれだけしつこく、天川にボールを集めて中央突破させたんだ。この次もお前がボールを持ったらボックスディフェンスで来るのは間違いない」
コーチはそこまで言い切ると少し間を置いた。
館内には二人以外もう他の生徒の姿は無い。
シィン。
あれだけ騒がしかった体育館が、今は静まり返っている。
コーチは、少しだけ息を吸い込んだ。
小さな深呼吸である。
コーチ「天川、県大会の決勝戦でアレをやれ」
京一「!!」
ハッと息を呑む。
アレとは何か?
そんなの簡単だ。
あのステップのことだ。
指示するまで出すなと禁じられていた京一のとっておきの武器だ。
コーチ「出すタイミングは俺が指示する。一番いいタイミングで合図するから、その時が来たら、あの奥の手のステップを出せ」
トクン。
京一の心臓が一つ高鳴った。
京一「ハイ!」
二人きりの館内で大きな返事が木霊する。
練習試合で、あれほど大差で負けていながら、なぜコーチが涼しい顔をしていたのか、なんとなく分かってきた。
きっとコーチは負けながら、県大会決勝戦の勝ち筋を読んでいたのだ。
オールゾーンディフェンスを指示しながら、相手の反応と実力を探っていたのだ。
練習試合での負けを相手に差し出すことで、相手の急所を掴む。
それこそが今日の練習試合の目的だった。
コーチ「天川。最後にお前に1つだけ伝えておく」
京一「はい」
コーチの顔をまっすぐに見つめる。
瞬き一つ無い強い眼差しがそこにある。
京一はゴクリと唾を呑み込んだ。
コーチ「お前、全部で100点を取ろうとするな」
京一「!!」
息を呑む。
まるで心の奥底を言い当てられているかのような感覚だ。
コーチ「お前を見ているとな、80点の力しかないのに、100点の結果を取りに行こうとしているように見える。気持ちは分かる。でもな、」
静かに言葉を続ける。
京一の視線を捕えて離さない。
コーチ「本当に欲しいものがあるなら、それが本当に自分の1番欲しいものだったなら、2番手以下は全て捨てろ」
京一「……」
コーチ「そして、本当に欲しいものを手に入れるためだけに自分の力全てを突っ込め」
京一「……」
コーチ「人間は全てを手に入れられるほど優秀にはできていない。そして皆そのことを正しく理解していない。どうでもいい勝負で負けを恐れるな」
京一「……はい」
静かにコーチの言葉にうなずいた。
コーチ「今日の練習試合の勝利はお前の欲しいもののうちの何番目だったか?」
京一「え、と……3番か、4番くらいです」
自校の体育館で実施される練習試合だ。
ましてや、相手は県下ナンバーワンの長谷中。
自ずと力が入る。
京一にとって今日の試合は決勝戦の次に重要だった。
コーチの話の流れから、なんとなく3番か4番に下げてみただけだ。
コーチ「ハハハ、結構上のほうだな。まぁいい。自分たちが通う中学校の体育館での試合だもんな。仕方ない」
コーチ「でもな、俺にとってはな、もちろんバスケのことだけに絞るがな、今日の練習試合での勝利は俺が欲しいモノの100番以内にすら入らんよ」
コーチは、ふーと静かに息を吐きだす。
そんなに下だったのかと、真面目な京一は少しショックを受ける。
コーチ「俺が欲しいのは優勝だ。長谷中を決勝戦で叩き潰す。それだけだ」
京一「はい」
静かに返事する。
コーチ「天川。お前のあのステップな。アレ、全速力で突っ走って一気に後方にぶっ飛ぶヤツ」
京一「は、はい」
コーチ「あれ、中学どころか、高校生の大会でも通用するぞ。とんでもねー武器だ。アレをお披露目したら、お前は一気に有名になる。きっと全国区になるだろう」
京一「え……」
コーチ「まあでも、そうすりゃ注目が集まり、激しいマークにさらされる。そんなマークがついても、お前なら振り切るだけの脚力があるだろうが、鬱陶しいことに変わりはない」
京一「……」
コーチ「だから、まだアレは見せるな。出していいタイミングは俺が言うから」
京一「……はい」
まさかコーチがそこまで自分のことを買ってくれているとは思わなかった。
恐縮するものの、素直に嬉しかった。
こんなに自分のことを認めてくれた人は初めてだ。
コーチ「普通はあんな激しいステップ踏んだら、足首を痛めて歩けなくなる。でもお前の場合は違うな」
コーチは視線を下に向ける。
ちょうど京一の足首の辺り。
コーチ「お前、小さいころ、足が遅かっただろ?」
京一「えっ?!」
思わず大きな声が出てしまう。
まさか、コーチに惨めな小学生時代を言い当てられるとは思いもしなかったのだ。
隠していた自分の過去をあっさり見抜かれ動揺してしまう。
あれは記憶の奥底に沈めて、二度と浮上させたくない屈辱の記憶なのだ。
昔の傷が掘り返されることは避けたい。
だがそんな京一の様子が問に対する答え合わせとなる。
コーチ「やっぱそうか。そうだろうと思った」
京一「……」
完全に見抜かれている。
京一は目を合わせづらくて俯く。
コーチ「まぁそう落ち込むな。それはお前の両親がお前に残したギフトだ。大切にしろ」
京一「?」
ギフト?
それって贈り物って意味?
なんで?
自分の足に感じていた劣等感と真逆のことを言われ、京一は混乱する。
コーチ「お前には、誰にもマネできない強烈な武器がある。それを支えるのが、お前のその異様に発達した踵と足首の骨だ」
京一「踵と足首……」
コーチ「そうだ。成長期に差し掛かった小学生のころは、相当痛かったはずだ。その足の骨が筋肉を押しつぶしながら伸びていくからな」
京一「……」
なぜ、コーチはそこまでのことを言い当てられるのだろう?
確かに、まだ背の低かった小学生の頃、京一は脚が痛くて痛くてまともに走れなかった。
その痛みも、成長期に入って身長が伸びるに従い和らいできたのだが。
コーチ「よく耐えてきたな。辛かったろう?」
京一「コーチ……」
胸の奥が少しだけこそばゆい。
コーチの言葉が京一のコンプレックスに直接触り、そのままでいいと認めてくれている。
嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な気持ちが沸き起こる。
コーチ「これからお前は羽ばたくぞ。皆を見返してやれ。そして、もっと自分に自信を持て。お前は、お前が一番欲しいものを貪欲に狙っていいんだ。誰にも遠慮するな」
京一「……」
コーチ「そして、そんなお前の力を少しだけ俺に貸してくれ。県大会で勝とう。優勝しよう」
コーチは、やさしく微笑んでいた。
京一はそんなコーチに静かに頭を下げた。
身体の奥底に力が少しずつ漲ってゆくことを感じた。
いつの間にか、敗戦による負の気持ちは消え去っていた。
コーチ「今日の作戦と試合で分かったことは、明日の部会で皆に伝える。それを元に、次の準決勝を立て直し、決勝戦に臨むぞ。お前も今日は家に帰ってゆっくり休め。お疲れさん」
コーチの言葉はとても優しげだった。
まるで自分の家族に語り掛けるかのようだった。
京一「お疲れさまでした。失礼します」
丁寧に挨拶して、体育館の出口へ駆け足で向かう。
そんな京一の後ろ姿を眺めながら、最後の言葉を投げかける。
コーチ「天川」
京一「ハイ」
慌てて振り返る。
コーチ「俺は、お前の一番欲しいものが何かは分からん。でもな、お前、1番欲しいものと2番目の間、すっげー離れてんだろ?」
京一「え?」
コーチは笑っている。
コーチ「なんとなく感じる。お前の一番欲しいものは、お前自身の中のとんでもなく深いところにある。お前自身も気づいてねーかもな」
京一「一番……欲しいモノ」
コーチ「普通はな、その辺にいる普通の生徒は、1番欲しいモノも2番目に欲しいモノもごちゃ混ぜになってるもんだ。そういうもんだ普通の学生ってのはな。でもお前は違う。なんとなく分かる。お前一番欲しいモノをずっと心の底に隠しているな」
京一「……」
コーチ「心配するな。責めているんじゃない。俺は、お前のその影の部分に期待しているんだ」
そこまで喋ると、京一を解放した。
心の中の影。
それは何であるのか?
当の京一自身が良く分かっていない。
だがコーチは応援してくれている。
それは間違いなさそうだ。
命一杯戦ってやる。
そして勝つ。
京一は静かに闘志を燃やした。
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