第2章 修行編5 敗戦。それなのに100点ですか?



コーチ「なかなか止められないな、清里は」


レギュラー5人「すみません!」

2分の休憩時間にコーチが選手たちにアドバイスを送る。


コーチ「天川、お前アイツ止められそうか?」

改めてコーチが京一に問いかける。


京一「は、はい!」

少し迷ったが、大きな声で返事した。

まさか出来ないなどとは言えないだろう。

コーチはそんな京一の様子を見て、大方のことを察する。


コーチ「慎二、天川をフォローしてやれ。前方にスペースが作れないとシュート精度が落ちてしまう」

慎二「はい!」


コーチ「とにかく天川にシュートを決めさせろ。それができれば徐々に流れが変わってくる。攻めの戦術はまだ変えるな。引き続き天川にボールを集めて、中央から攻め込め」

幹中レギュラー5人「はい!」


コーチ「ディフェンスも変えなくていい。自陣に攻め込まれたら清里には天川が張り付け。抜かれてもいい。必死で喰らいつけ。あいつはお前より上だ。勝とうと思うな」

京一「はい!」


全員真剣な顔をしている。

コーチの言葉は何よりも重く、絶対だった。


清里のほうが自分達より実力が上。

そんなことは分かっていたが、面と向かって言われれば京一だってショックだ。

でもそんな感情を入れる隙間はない。


ここは自分たちのリング。

同級生が応援に来てくれている。

たとえ練習試合であっても格好悪い姿は見せられない。


ぐっ……。

まるで自分自身を縛るかのようにして、京一をはじめ皆そう思った。


そして、コーチはそんな皆の様子を理解したまま、緊張をほぐすといったメンタル面の手は一切打たなかった。

攻守とも戦術は一貫していた。



ピーーっ!



第2クォーターが始まる。


京一はとにかくゴールを決めることに必死になった。

ドリブルで相手陣地へ切り込むことを何度も繰り返す。


3回に1回の割合でシュートは決まるが、それ以上の確率で長谷中は得点を重ねてゆく。

両校の得点差はジリジリと開く。


嫌な流れを変えるためには3ポイントシュートがいい。

成功させるためには、相手との間に十分な間合いが必要だ。


密着した状態からシュートを決められるほどの実力は京一にはまだ無い。

どうすれば必要な間合いを確保できるか?

短時間で必死に考える。


ボールを受け取ってから時間を置いてはダメだ。

相手との間合いを確保したままボールを受け取り、そして、即座にシュート態勢に入る。

今の自分にはこれしか手段がない。


京一は自分の可能性を縛り付けるようにしてそう思った。

硬い思考の元に導かれる結論である。


京一「慎二、なるべくフリーの時間を作るから、隙をみてパスをくれ」

そう耳打ちする。

慎二「ああ分かった」


第2クォーターに入り、二人ともシャツは汗でぐっしょり濡れている。

額からも大粒の汗が滴り落ちる。

京一は熱を帯びた両腕で額の汗を拭う。

館内は両校選手の熱気が籠り、蒸し暑い。


京一「フゥ……フゥ……フゥ」

ふと前方の清里を目にする。

この気温にこの湿度だ。

清里だって暑いはずだし、苦しいだろう。


だがしかし、清里の額に汗粒は浮いていない。

それどころか、まだシャツも十分に濡れていないように見える。

まるで全力を出していないかのようだ。


京一「……そんな」

清里の様子を確かめて後悔する。

彼の涼しそうな顔なんて知らないほうが良かった。

気持ちも身体も重くなるだけだ。



タンタン!

タンタン!


長谷中の攻撃ターン。


ドン!

1番、長身のポイントガードが高速ドリブルで京一たちの陣地へ切り込んでくる。


高瀬「う!」

寺田「くっ!」

猪島「な!」


これが滅法速い。

清里ではないため、京一は1番をマークしていない。

だから、センターの猪島も高瀬も寺田も1番の動きにつられてしまう。

そこにチームとしての隙ができる。

反対方向に立つ清里はまったくのフリーだ。


慎二「先輩! 反対側!」

慎二がガタイのいい5番、センター猪島に向かって叫ぶ。

猪島は僅かに後ろを振り返る。

その瞬間だった。


シュン!


1番が対面の清里めがけて高速パスを放った。

それは矢のように素早く伸びて、寺田と高瀬の脇を抜け、清里の両手にすっぽり収まる。

京一は清里に背を向けていた。


京一「しまったっ!」


清里の前方には余裕がある。

落ち着いて3ポイント態勢に入る。


慎二「打たせるな!」

京一「くっ!」


京一は清里のそばに駆け込み間合いを詰める。

ボールを奪い取ろうと猛然とダッシュしたのだ。

だが勢い余る。


バシン!


清里の上体にぶつかり、身体ごと彼を弾き飛ばしてしまう。


京一「っ!!」


やってしまった……という顔。


ピィーーーっ!


審判「ファウル!」

身体をぶつけてしまうことでファウルを取られた。

清里にフリースローのチャンスが与えられる。


2階席から「あぁ~」と落胆の声がする。

京一は顔が上げられなかった。


タッタッタ。


慎二が京一のもとに駆け寄る。

慎二「落ち込むな、仕方ねー」

京一「あぁ……」

京一はそう答えるのがやっとだ。


清里は、2本のフリースローをいとも容易く決める。

さらに両校の点差が開く。


京一はどうすれば良いのか分からなくなってきた。

何をやっても彼に止められてしまう。

むしろ、自分がボールを持って攻め込むほどに、清里にチャンスと見せ場を与えてしまう。


このままじゃマズイ。

大差で負けかねない。

自分たちの学校の体育館で、同級生の見守る中、惨めに負けてしまう。


そんなの嫌だ。

流れを変えなくちゃ。

強くそう思う。


だが3ポイントはもう何度も阻止されている。

同じやり方ではまともに打たせてすらもらえない。


京一「クソっ!」

毒づくことで苦しい気持ちを吐き捨てた。

目の前の清里がとても大きな存在に見える。

美しく整った顔立ちをしている。

それは京一が望んでも手に入らないものだ。


京一は清里との距離が果てし無いものに感じられた。

自らの思考を縛ってしまう京一の良くない面が現れる。




第2クォーターは何とかボールキープに専念し、慎二や高瀬にボールを回しつつレイアップシュートを何度か成功させた。

だがそこが限界。


京一達がシュートを1本決めるたびに、長谷中は3ポイントを2本決めてくる。

点差は開く一方だった。

皆の額に大粒の汗がにじむ。

無駄に身体に力が入るから、必要以上に体力を削られていく。


慎二は第2クォーターが終わった段階で、肩で息をしていた。

体力不足がここにきて響く。


58対27

すでにダブルスコア。

2階の観客席から、徐々に声援が小さくなってゆく。

これが県下トップの長谷中との実力差なのだ。

京一は己の無力を感じた。


だが敗色濃厚なこれまでの流れで、幹中コーチは表情を一切変えなかった。

ただ、静かに、何かを射貫くような眼差しで試合を見つめていた。

その姿は異様ですらあった。



ピィーー!



第2クォーターが終わり、5分の休憩時間となる。

選手はそれぞれの陣営に戻り、給水しながら後輩から受け取ったタオルで汗をぬぐう。

5人のメンバーを集めて、コーチが後半戦の指示を出す。


コーチ「後半戦はオールゾーンディフェンスに切り替える」

5人「?!」


5人だけでなく、幹中の部員全員がハッと息を呑む。

信じられない戦術変更の指示だった。


既に相当な得点差が開いてしまっている。

京一はこの差を縮めるために、徹底的な攻撃態勢を敷くと思っていた。

だが、コーチの指示は違った。


オールゾーンディフェンス。

それは全てのコートを使って、相手5人をそれぞれ各個人がマンツーマンでマークする徹底的な防御の陣形だ。


攻撃と違ってディフェンスは相手の出方に合わせて自分の身体をコントロールする必要がある。

相手がフェイントを使ってくれば尚のこと、それに応答するために相手以上に体力を使う。

つまり体力消耗が極めて激しい。

それをオールゾーンで徹底して実施するのだ。

並みの体力ならば試合中に潰れてしまう。

ましてや後半戦。

攻撃のための体力は全く残らないであろう。


つまりコーチは、大きな点差を残したまま「守って負けろ」と指示しているのだ。

級友達の見守る中で負け試合をするなど、中学生の5人にとっては屈辱的だ。

それでもコーチの指示は絶対だ。逆らおうなどとは微塵も思わなかった。


5人「ハイ!」

皆、大きな声で返事した。

そして、後半戦のコートへと散ってゆく。


5人のうち最も体力の低い慎二はすでに肩で息をしている。

この先の時間をオールゾーンディフェンスで守りきれるか分からない。

それでもやるしかない。精一杯に。

そして後半戦が開始される。



ピィーーーッ!



京一たちは必然的に長谷中の猛攻にさらされた。

彼らが得点を重ねるたびに、2階の観客席で応援する同級生たちは溜息をついた。

長谷川中学は昨年度の県大会の覇者だ。

全国でもベスト4に勝ち上がった強豪校。

幹中より実力が上であることはあらかじめ知られていた。


普通にやれば負ける。

それでも皆、奇跡が見たかった。

幹中だって県内では強豪の一角である。

互角の面白い勝負を期待していたのだ。


だが始まってみれば現実は異なった。

京一は引き続きマンツーマンで清里を徹底マークした。

素早いドリブルに必死で食い下がった。

彼のフェイントに何度も引っかかる。

そのたびに抜かれ、会場からため息が漏れた。


シューズが床を擦って鳴らす音の中にあって、京一の耳にはっきり届く。

悔しかった。

何とかしたかった。

でも出来なかった。



最後の第4クォーターに入る。

慎二はすでにバテている。

肩で息をしながら、両ひざを両手でついて、かろうじて立っている状態だ。

センター猪島も相手ポイントガードのマンツーマンブロックで疲弊している。

とても攻撃モードに切り替える余力は無い。


清里は、まるで妖精であるかのように、コート上を縦横に舞った。

そのたびにゴールネットをボールが揺らす。

スコアは、75対30。

圧倒的な差がついた。



ピィーーッ!!!



そして試合終了の合図。


ドスン。

慎二は倒れこむようにして床にひれ伏した。

京一も肩で息をする。

猪島も寺田も高瀬も両手を膝について俯いていた。


ポタポタポタ。

頭部の汗が雫となって額から流れ落ちる。


そして、清里はじめ長谷中の5人は悠々とした姿で自陣に戻り、他のベンチメンバーとハイタッチを交わした。

敵陣、長谷中のコーチは表情を変えないままに5人の選手たちに少しばかりの指示を出すと、幹中のコーチに向かって会釈した。

コーチもそれに応えて会釈する。


圧倒的な実力差に思えた。

この後、勝ち進めば決勝戦で彼らと対決する。


いや、そもそも、こんな状態で決勝戦まで勝ち上がれるのだろうか?

京一は肩で息をしながら、2階席の同級生たちに申し訳ない気持ちで一杯になってしまう。

顔を上げることが出来ない。


試合にボロ負けした5人は、とぼとぼと歩いてコーチのもとに集まった。

皆、一様に顔を下に向けていた。

控えの選手たちも暗い顔をしている。

エース5人が必死で戦って、ボロボロに負けてしまったのだ。

ショックを隠せない。


さぞコーチもショックを受けているだろう。

ここからどうチームを立て直すというのか?

皆、重たい気持ちになる。


だがしかし、コーチの顔は飄々として明るかった。


これほどの大差で負けたにも関わらず。

不甲斐ない試合をしたのだから、厳しく叱責されるものと思っていた。

しかしコーチの口から飛び出た言葉は、京一達の予想を裏切るものだった。


コーチ「よぉし! お前達よくやった。よく頑張った。それでいい。今日の試合でいい」

大きな声でそう告げながら、敗戦のショックで沈む5人を激励する。


5人「?」

どういうことだろう?

部員全員の顔にクエスチョンマークが浮かぶ。


コーチ「お前らも今日の試合は辛かっただろう。でもよくやった。俺の中では、今日のお前ら100点だ。もちろん100点満点のテストでだ」

5人「ハイ!」

全員顔をあげてコーチの言葉に応答する。


コーチ「長谷中、やっぱ強かったなぁ。でも俺にはお前らのほうが上に見えた」

5人「へ?」


全員キョトンとする。

コーチは何を言っているのだろう?

全く分からない。

ただ、単純に敗戦を慰めている訳でも無さそうだ。


コーチ「詳細は明日説明する。今日はもう帰宅してゆっくり休め。身体をしっかり休息させろ」

5人「ハイ!」


コーチ「特に慎二、お前、帰りにマックに寄って2階の女子生徒たちとイチャイチャすんなよ。すぐに帰宅して風呂に入って、しっかり休め」

慎二「ハイ」


慎二は少し不服そうな顔をしたが、すぐに返事した。

マックに寄ってだべるほどの体力は残っていない。

そんな力が残っていれば、先ほどの試合で全て使い切っている。

今は家に帰るより、この場に倒れこんで天井を見上げたままに寝そべりたかった。

それほどに疲労していた。



コーチ「それから天川。お前はちょっとここに残れ」

京一「は、はい……」

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