第2章 修行編1 蓮華からチョコをもらった男、慎二
コーチ「天川、無駄に力が入っている。もっとリラックスして打て」
シュート練習を精緻に観察していたコーチがそう告げる。
京一「はい!」
ヒロイン蓮華を殴ってしまったバレンタインデー。
あれから3年が過ぎた。
天川京一。
物語の主人公であり、ヒーロー候補は市立
所属する部活動はバスケ部。
エースで2番ポジションを任されている。
トントン。
スッ!
エンジ色のバスケットボールが空中に放たれ、円弧を描く。
バァン!
しかし、ゴールリングの淵に弾かれ、ネットを揺らさない。
京一「はぁ、はぁ、はぁ」
バスケ部の練習は既に終わっている。
京一はコーチの指示を受けて居残り練習に励む。
天井のハロゲンライトに照らし出された体は、発汗によってキラキラと輝く。
額の汗を腕で拭うと、再びボールを放つ。
キュキュ!
トン!
赤いゴールリングに向かってボールが宙を舞う。
今度の軌跡は素直で良い。
パスン!
思った通り、リングの中央をスッポリ通り抜ける。
京一「よし!」
体育館に気合の声が響く。
京一は3ポイントシュートの練習をひたすら繰り返す。
もう200本以上は投げた。
成功確率は半分。
練習であれば敵もいないし、落ち着いた状態でボールを投げ込める。
だが本番ではこうはいかない。
相手チームのディフェンスが執拗に邪魔してくる中、小さなリングに投げ込まねばならない。
整った体勢では打てず、難易度はぐっと増す。
京一「はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸を整えると、僅かばかりの間、目を閉じる。
不安定な体勢のまま、しかも高速で移動しながらシュートを放つ自分の姿をイメージする。
ぐっ。
両目を開くと、ボールを額の上に構え跳躍した。
キュキュ! トン!
フワリ。
京一の身体が宙に浮かび、最高点に達した瞬間ボールを放つ。
だが今回は軸足にやや体重が残ってしまう。
グラリ。
身体がやや右側に傾く。
軌跡が悪い。
バァン!
やはりボールはリングに弾かれた。
京一「ハァ、ハァ、ハァ……」
3ポイントシュートは難しい。
体幹の軸合わせ、両腕の力加減と跳躍のタイミング。
さらにはボールを放った後の身体のフォロー。
全てが整い初めてシュートは成功する。
無数にある組み合わせの中から、正解の一本を瞬時に選び取らねばならない。
京一「ハァ、ハァ……」
目の前に、ぐわんと大きな壁が立ちはだかる。
無数の中の一つ。
容易に超えられない高い壁だ。
京一「ハァ、ハァ、クッ……」
余りの困難さに気が滅入る。
それでも折れる訳にはいかない。
京一は幹中のエースだ。
エースの諦めは敗北に直結する。
京一「ハァ、ハァ」
ジワリ。
ひたすらボールを投げ込む顔に不安が滲む。
コーチ「天川、お前シュートをめちゃくちゃ難しく考えてるだろ? 身体のあらゆる部分を整えて、タイミングをピッタリ合わせなきゃ入らない、とか思ってそうだな」
京一「は、はい。そう思っています」
正直に答える。
するとコーチは笑みを浮かべた。
コーチ「そうじゃない。ゴールへ向かうボールの軌跡は無数にあるんじゃない。身体の調整だって同じだ。両手両足、体幹の軸、それらの組み合わせは限られている。1つ、2つしかないんだよ。シュートの時はその1つ、2つを選べばいいだけだ」
京一「は……はい!」
元気は良い。
だがよく分からないという顔だ。
コーチ「まぁ、今は分からんのも無理はないがな。無限の組み合わせを、せめて100通りの組み合わせにまで絞れ。そうすりゃ入る確率は1/100になるだろ? でもそれじゃまだ確率が低いよな。だったら組み合わせを10まで絞れ」
京一「10分の1……ですか……ハァ、ハァ」
コーチ「そうだ。そうすりゃ寝転がってボールを投げても入る確率は1/10、つまり10%になる。けっこういい数字だろ?」
京一「は、はぁ……でもさすがに寝転がっては……」
コーチ「ばぁか、例え話だよ」
京一「は、はい!」
コーチ「でも確率10%じゃまだ低いよな?」
京一「はい」
中学生のトップクラスチームにおける3ポイントシュートの成功確率はだいたい30%だ。
確率10%はまだまだ低すぎる。
コーチ「もっと確率を上げたきゃ、組み合わせを3つか4つにまで絞り込め。そうすりゃ結構な高確率で決まるぞ」
京一「は、はい……」
返事はしてみたものの、コーチの言葉は頭にすっと入ってこない。
組み合わせの数を絞り込む方法が分からないのだ。
コーチはそんな京一の気持ちを見透かす。
コーチ「ハハァン、組み合わせの数をどうやって減らせばいいんだって顔してんなぁ、お前」
ニヤニヤしている。
京一「はい!」
元気の良い返事。
京一は真面目な性格だ。
言われたことをそのままに受け取る。
そんな正直者に対してコーチはフッと笑う。
コーチ「ま、ひたすら練習するしかねーのさ。無限の組み合わせを3つ4つまで絞り込むためには、無限の組み合わせを実際に試してみろ。そして1つ1つを身体に覚え込ませろ。そうすりゃ、いざってときにピンポイントで正解を選び出せる」
コーチは難しいことをさも簡単なことのように伝える。
それが出来れば苦労はしない。
京一「はい!」
再び元気の良い返事が館内に響いた。
理解した事はただ1つ。
とにかく練習。
練習。
そして練習。
これしか無い。
キュキュッ!
タン!
ボールをゴールめがけて次々に投げ込んでゆく。
毎日200球、300球は当たり前。
部活の終わった後の体育館でひたすら居残り練習をこなしてゆく。
休日もそうだ。
ゴールリングがあれば何時間でもシュート練習をこなす。
京一は真面目な性格だ。
決して手を抜かない。
練習も試合も変わらず本気で取り組む。
シュート練習は、ただボールを投げ込むだけじゃない。
一投一投、記憶に刻んでいくのだ。
そうやって無数の組み合わせの1つ1つを身体に覚えこませてゆく。
京一「ハァ、ハァ、ハァ」
一度やった組み合わせは二度と忘れない。
その時の身体の動きを頭の中で復唱して、メモリに保存していく。
そうやってボールの軌跡と体の動きの組み合わせを1:1で紐づける。
体育館の匂い、ゴムが酸化したボールの匂い、床とシューズが擦れて鳴るイルカのような鳴き声、そしてボールが空を舞う軌跡。
それらを一つも漏らすこと無く己の5感で感じ取る。
心地よい。
バスケに関する全てが心地よいのだ。
そしてその心地よさこそが、無限にある組み合わせの中から、たった一つの正解を導き出す。
京一「ここが僕のリングだ」
京一は少しずつ自信を取り戻していった。
今は中学2年生。
小学校を卒業すると、そのまま地元の公立中学校(幹中)に進学。
そして即バスケ部に入部した。
1年生の頃は、補欠メンバーとして必死に練習を重ねた。
真面目な性格のため、練習の一切で手を抜くことが無い。
お陰でみるみるうちにバスケの腕前が上達していき、1年生の後半にはレギュラーポジションを獲得した。
バスケの花形、2番シューティングガードポジションである。
身長はグンと伸びて、今は175cmを超える。
小学生時代の低身長、低運動能力が嘘のように、京一はメキメキと力を付けた。
かつて苦しんだ足の痛みは、いつの間にか消え失せた。
コーチ「天川、シュート打つ瞬間、お前の両腕は別の生き物になる」
京一「別の生き物……ですか?」
コーチ「そうだ。常に両腕の力を抜いておけ。そして自由に泳がせろ。もし両腕が身体の一部になったと思ったら、そのシュートは失敗だ。打つ直前に止めて他のメンバーへパスしろ」
京一「はい!」
両腕を意識した瞬間、シュートは失敗。
成功するシュートは両腕が勝手に動く。
そう理解した。
コーチ「よし、シュート練習のあとはステップやるぞ。お前の得意な例の急旋回、まずは20本やってみろ」
京一「はい!」
次の練習に移る。
ダンッ!
京一は全力で前方に走り込む。
グングンと加速し、空気を切ってゆく。
ビュォン!
耳元で鳴る風切り音が心地よい。
ダンッッッッ!!
そして床を激しく踏みつける。
ブワリッ!
その直後、京一の身体は進行方向と真逆の向きへスイッチした。
クン!
不連続な動きだ。
方向転換は急峻であればあるほど良い。
相手がついて来られないからだ。
だが言い換えればソレは自重の何倍もの負荷を両脚にかけることになる。
必然、足首への負担は増す。
普通の選手はこれができない。
京一は他のチームメンバーにはない独特の足の形を持っていた。
身長が著しく伸びたことに伴い、足のサイズが大きくなった。
また指先も大きく開く。
つまり地面への接地面積が広いのだ。
足裏の面積が広ければ、より強い力を地面に伝えることができる。
さらに小学生の頃、痛くて思うように走れなかった足首は、身長が伸びるにつれて痛みを消失させ、代わりに柔らかい関節と強靭な筋力をもたらした。
両足を床につけたまま膝を前屈させれば、足首は前方方向へグニャリと曲がり、膝小僧が床につく。
脚は異様なほどに撓る(しなる)。
左右に折り曲げても同様。
傍目に気持ち悪くなる程だ。
これが普通の生徒にはできない。
小学生の頃思うように走れず、散々苦しめられてきた足の痛みが、成長と共に京一に大きなギフトをもたらした。
コーチ「相変わらず、すっげぇなソレ」
京一の急旋回を観察しつつ、心底感心する。
これは両親からのギフト(贈り物)に違いない。
さらに瞬発力も著しく高い。
中学2年生の段階で、京一の垂直飛びは75cmを超えていた。
今後さらに伸びるだろう。
コーチ「天川、最高到達点で両腕を解放しろ。お前の脳味噌から切り離せって意味だ」
京一「はい!」
元気よく返事すると、その場で跳躍してボールをリングに放つ。
グン!
それは美しい円弧を描き、ゴールリングに触れることなく、ネットにすっぽり収まった。
コーチ「よし、それでいい。あと30本繰り返せ」
京一「はい!」
何度も何度も急旋回、跳躍、最高到達点でのシュートを繰り返していく。
一つ一つの動きと結果を体に染みつかせているのだ。
そして、そのほとんどがゴールネットを揺らすようになる。
コーチは満足そうな顔で京一を眺める。
相当な逸材だ。
コーチ「天川」
京一「はい!」
コーチ「お前、そのステップはまだ試合では使うなよ」
京一「え? あ……はい」
京一の顔にクエスチョンマークが浮かぶ。
せっかくの武器なのだ。
次の試合から即使うよう指示されると思っていた。
コーチ「そのステップはうちの奥の手だ。だからまだ使うな。使う時は俺が指示する。それまで待て」
コーチは京一に視線を合わせると、諭すように告げる。
京一「分かりました。コーチが指示するまで試合ではやりません」
素直に従う。
きっとコーチには考えがあるのだ。
秘密兵器ということだろうか?
ヒーローモノの漫画の展開を思い浮かべる。
京一はなんだがむず痒くなった。
バン!
すると体育館の入口扉が開き、バスケ部の仲間が駆け寄って来た。
慎二「お! 京一やってんなあ~」
同級生の慎二だ。
小学生時代からの親友。
3年前のバレンタインデーで蓮華からチョコレートをもらった少年。
少なくとも京一はそう思っている。
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