第1章 未熟編10 主語の無いラブレターを書いてしまう

バレンタインデーの昼休み、キミを校舎裏に呼び出すことが僕の役目となった。

キミに直接声をかけることは躊躇われたので、手紙をそっとキミの机に入れることにした。


僕は生まれて初めてラブレターを書いた。

バレンタインデーなのだから「男の僕らが告白するのは変だ」という僕の意見は却下された。

仕方がない。


キミ宛に友達のラブレターを書くことは辛かった。

手紙を書くのだ、キミのことを少なからず考えなきゃ出来ない。

キミの声、コトバ、仕草、香り、全てが僕の胸を苦しめた。


言葉を選りすぐり、文を紡ぐ。

幼いながらに知っている好きな言葉を並べてみた。

「……」


少しだけ楽しくなった。

でもこの言葉たちは全部慎二のもの。

それが辛かった。


起承転結なんて知らない僕は、長い前置きをダラダラと書いたあと、好きな給食のメニューと、好きなバスケットボール選手の名前とチーム名を書く。

そして最後に付け足すように、この手紙の目的である一文で閉じる。


最後の一文に主語はない。

このあと書き加えることもない。

主語として、慎二の名前も僕の名前も書いていない。


「主語のない手紙……」

これをいつキミの机の中に入れるか?

当日の朝早くに登校して入れるのでは遅い。

きっと僕と同じような奴がいる。


前日の放課後、最後まで教室に残った。

誰もいないのを確認してからキミの机の中に手紙を入れる。


初めて触るキミの椅子と机は、この教室にあって特別なモノに見えた。

キミはこの手紙を読んで何と思うだろう?

当たり前のように届くその他の告白と同様に、記憶に残らないのかな……。

それともキミの心を射止め、慎二と結ばれてしまうのかな……。

どちらの結末も僕は嫌だった。

行き場をなくした気持ちは、赤い夕暮れの教室の中、消えることなく燻ぶった。



★-----★-----★-----★-----★-----★



バレンタインデーの当日は、朝から教室全体がどこかソワソワしていた。



男子は女子の、

女子は男子の一挙手一投足に敏感になる。


空中でピンっと張られたロープの上を渡るような緊張感。

時折、恥ずかしそうにした女子が、人気のある男子の下に歩み寄る。

赤くて可愛い包みを手渡すのが見えた。

誰もいないところでそっと渡すなんて、そうそうにできるコトじゃない。

だから渡す姿を見られてしまう。


慎二も数人の女子達から可愛い包みを渡されていた。

でもキミが誰かに包みを渡そうとする様子は無かった。


1、2限目が過ぎ、15分の中休みが過ぎ、3,4限目が過ぎてもキミは動かない。

呼び出したのは昼休み。

まだ少し時間がある。


キミは必ず誰かにチョコレートを渡す。

僕は確信していた。


なぜならば登校時、キミの手提げ袋の中にチラリと可愛い色の包み紙が見えたから。

僕とキミの登校はたまに重なる。

僕はその包み紙を見たとき、胸が張り裂けそうになった。

キミがどんどんと遠くに離れてゆく気がした。

時間では解決できない遠い隔たりを感じた。


僕は必死に「ソレを君からもらえたならば……」という願いを押し殺した。


昼休みになった。

僕は自分の机を見つめたままに、キミの気配だけを必死に探した。

キミを目で追う事はしない。


カタン……。

ほどなくして、キミが立ち上がると教室から出て行った。

全員がキミの背中を追う。

僕は下を向いたまま両拳を握り締めた。


キミは校舎裏に向かったんだ。

そこで慎二に会って、あの赤い包みを手渡すんだ。


机の木目に沿って頭の中がグルグルまわる。

渦の中心に引きずり込まれて窒息しそうになった。

硬く握り締められた拳の中で、右手人差し指の爪が手のひらの皮を破った。

血が滲む。


時間なら、止まってくれ。

取り戻せるのなら、キミに「行くな」と言うから。

あの手紙の主は僕だと告げたい。

それが叶わないのなら、校舎裏なんてなくなってしまえ。

お願いだから慎二に包みを渡さないでくれ。

誰からの告白も受け入れないでくれ。


全身に力が入ったままで昼休みの30分間を過ごす。

身体はガチガチに固まっていた。

キミはそんな僕のことを知るはずもなく、予鈴直前に戻ってきた。

慎二もキミから少し遅れて戻ってきた。

僕は二人の手元を見る事はしなかった。



教室の窓の外の世界を見つめることで息を継ぐ。

苦しい。

叶わない願いなら、最初から望まなければいいのかな。

全ての希望を捨て去り、暗い夜道に生きればいいのかな。

それすらできない僕は醜い芋虫だな……。


5限目の授業が終わる。

6限目の授業が終わる。

教室の掃除が終わり、帰りのホームルームが終わり、バレンタインデーは終了する。

この日、僕は、誰からも声をかけてもらえなかった。

僕にチョコレートを渡す女子は誰もいなかった。


当たり前だ。

女子も男子も、皆、別の世界の人のように思えた。

僕は皆と同じこのクラスに在籍しながら、自らの存在を希薄に感じた。


別世界の人たちの中、その頂点にいるキミのことが天女に見えた。

蝶にすらなれない芋虫は、かぐや姫の住む月を見上げることすら叶わない。

だって顔を上に向けられないんだから。





帰りのホームルームが終わると、僕はなるべく早めに教室を出た。

最後まで残るなんて惨めなことはしたくなかった。

誰かからチョコレートをもらえると僅かでも思っていたことを、皆に気づかれたくなかった。

その誰かにキミを思い描いたなんて絶対知られたくなかった。


「……」

一人きり、誰もいない図書室で夕方まで時間を潰した。

誰もいない図書室は外の温度と変わらず寒かった。

それでも僕は図書室の椅子に座ってじっと我慢した。

皆のいる通学路を歩きたくない。


帰り道は一人が良い。

泣いても誰にも見られないように、一人で歩いて帰りたい。

時計の短針が“5”の位置にくるまで、僕は図書室の椅子に座っていた。


程なくして、壁に備え付けられたスピーカーから帰宅を促す校内放送が流れ始めた。

シンとした室内は思いのほか冷たく寒い。

ぎゅぅっ……。

でも全身に力の入ったままの僕の身体は暑いくらい。


一人きりの図書室を後にする。

僕の周囲には誰もいない。


廊下はひんやりとしていた。

心地いい。

真冬の2月にあって、僕の身体は火照っていた。

熱があるのかもしれない。


階段を下りる足音が固いモルタルの壁に反射し、トントン、と響く。

窓から見える外の景色は赤い夕暮れ。

やがて黒に染まる赤い空は、今の僕の心の在り様を写し出していた。


一人で歩く。

僕の傍には誰もいない。

下駄箱で上履きから運動シューズに履き替える。

無造作に投げた僕のシューズは、誰もいないこの空間に大きな音を響かせた。




「京一、強い男になりなさい」




何処かで母さんの声がしたような気がした。

母さん……お母さん……。

僕の心の柔らかい部分に、母さんを亡くした日の記憶が蘇って来る。

どこまでも優しい母さん。

とても綺麗だった母さん。


母さんの顔が、黄色く変色していった日の記憶。

消毒液臭い部屋で、最期の言葉を交わした記憶。

母さんの両腕と胸からチューブが抜かれた瞬間の記憶。

静止音に変わった心音計測器。

動かない世界。

冷たくなってゆく体温。

蓮華という名前の母さん。

蓮華という名前の母さん。

蓮華という名前の母さん。


僕の両目は熱く、熱く、熱していった。

全身の血液がたぎり、ギュゥと心臓に集まってゆく。

だめだ、泣いちゃだめだ。

泣いたら強い男になんてなれない。

涙よ、お願いだから出てくんな!



シューズを履き終え、下駄箱の外に出る。

2月半ばの冷たい風がまぶたと頬を冷やす。

僕は空を見上げようとした。


「あっ! あのっ! ……京くんっ、今、ひまっ?」


「っ?!」

涙を見られた?!


そう思った。

だから僕は、咄嗟に両目を拭い、平気な顔を無理やり作った。

突然の呼び声に驚くよりも素早く、僕は心の大切な部分に何重もの鍵をかけた。


ガチガチガチッ!


母さんのことを反芻していた。

今だけは誰にも僕の時間を邪魔してほしくなかった。

けれども、それを邪魔した声の主は、僕の中に無理やり割り込み、不安を煽る。


誰もいないはずの下駄箱の先に、予想すらしない人が立っていた。


「……蓮華」




☆-----☆-----☆-----


「ヒーロー、京一のステータス」

1、覚醒までに消費した時間 

          :9か月間を消費


2,ヒロインの残り時間  

       :5.5年マイナス9か月間


3,ヒロイン?それとも母親?:

(母)☆★★★★0☆☆☆☆☆(蓮華)


4,卑屈さ     :レベル4を維持

5,嫉妬心  :レベル3から4へ上昇


6,新たに取得したスキル 

    :ラブレターの文才、レベル1


☆-----☆-----☆-----

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