第3話 おなかがすいた

 ドラコとシックハックはさらに森を下った。

 ドラコの足取りは軽快だが、その表情はどこか険しい。初めての『外の世界』をただ楽しんでいた彼女の中に、初めて感じる『ある違和感』が生じていた。

「シックハック、腹の中が変だ。ぐるぐるしている」

 ドラコが腹部を押さえ、眉をひそめた。

「なんですって!?」

 シックハックが駆け寄る。その瞬間、ぐぅぅぅぅと間の抜けた音が響いた。

「……それは単なる『空腹』です。食事が必要ですね」

 シックハックは膝から崩れおちた。

「そうなのか。腹の中で炎が燃え尽きそうな気分だ」

 ドラコは真剣な顔をしている。初めての空腹という感覚は未知の衝撃だったらしい。

「地図によれば、村が近いですから、きっと食事にありつけますよ」

 シックハックが地図を広げ、近隣の村を指差した。『竜の影』村と書かれている。

「竜の影……どういう意味だろう?」

「ドラゴンが住む山の近く、影がかかる場所に村がある、ということでしょう。あなたの存在が村の名前になってるんですよ」

「おお、そうか。ふふふ、俺が村の名前に」

 ドラコはそわそわと辺りを歩き回り、ニヤつきを隠せないでいる。

「俺がそのドラゴンだって伝えたら、みんな喜ぶかな?」

「絶対にやめてください」

 シックハックはドラコのマントのフードを深く被らせ、角を隠した。


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 『竜の影』村は森の中に拓かれた、小さな村だった。夕日が木々の間からかすかに差し込み、畑を照らしている。

 2人を迎えたのは整然と並ぶ畑と、整列して働く人々の姿だった。

 ドラコは足を止め、じっと人々を見つめた。訝しげな表情をしている。

「彼らは何をしているんだ?」

「農作業ですよ。穀物や野菜……食料を育てるための作業です」

「ふーん……」

 ドラコは首を傾げた。

「人間ってこんなだったか……? 俺が見てきた人間たちとは、何かが違う……」

 どこか異様なものをドラコは感じていた。畑で働く村人たちは無表情で、まるで操り人形のように同じ動作を繰り返している。

「何か変だ。心がないみたいだ」

「そうですか? 至って普通の人たちだと思いますけどねぇ」

「そうかな……」

 鐘がなった。村人たちは一斉に作業をやめ、村の中央に集まって整列する。その中心には大きな水鏡が置かれていた。

 1人の老人がゆっくりと水鏡に近付く。

「大いなる我らの主よ、どうか我らに道をお示しください」

 老人が水鏡に向かって唱えると、水鏡に文字が浮かび上がった。村人たちはその文字を無言で読み取ると、それぞれまた動き出した。

「あれは何だ?」

「『神託』ですよ。あの水鏡には『神託』、つまり神からの指示が示されるんです。村人たちはそれに従って生活しているんですよ」

「神からの指示? 皆、ただ従うだけなのか?」

 ドラコは首を傾げる。彼女にとって、この光景は異様で、現実味がなかった。

「人間の世界では普通のことですよ。さ、行きましょう。あの老人が村のリーダーでしょう」

 シックハックは水鏡の前に立つ老人へと近付いていく。ドラコは慌てて後を追った。

「村長様とお見受けいたします」

 シックハックは老人の足元にひざまずき、両手を恭しく組んだ。

「私たちはドラゴンの討伐に向かう旅の者です。宜しければ一晩、宿をお借りできましたら幸いです。もちろんお礼はご用意しております」

 ドラコは笑いをこらえながら聞いていた。シックハックはいつもよりも高い音程で、笑顔を維持している。元々細い目がさらに細くなり、開いているのか閉じているのか分からない。まるで別人のような、むずがゆい違和感があった。

「ドラゴン討伐に向かう勇者をもてなすのは、私たちの務めです。どうぞ、英気を養われてください」

 村長の声は丁寧だったが、感情は感じられなかった。

「感謝いたします!」

「私の家へご案内しましょう。こちらへ」

 シックハックの大げさな返事も、村長には届いていないようだった。すでに背を向けて歩き出している。

 ドラコは2人の後を歩きながら、改めて村の様子を観察してみた。村人たちの動きには意志や感情の痕跡が全く見えない。まるで命令を受け取るためだけに存在するようだった。


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 村長は豆と野菜のスープを振る舞ってくれた。

「これが……食事!!」

 ドラコはしばらくスープをじっと見つめていたが、やがて恐る恐るスプーンを持ち上げ、1口すくって口に運んだ。

「~~~~~!!」

 ドラコの両目が大きく見開かれる。無言でシックハックの背中を叩いた。

「落ちついて、落ちついてください!」

 シックハックは激しく咳き込み、苦笑した。

「どうかされましたか……?」

 さすがの村長も怪訝な表情をしている。

「ああ、失礼。こんなに美味しいものを初めて口にしたものですから。過酷な環境で育ったものでして……」

「そうですか。そちらの……剣士の方でしょうか? かなりお若いようですが」

 ドラコの身長では10歳前後の子どもにしか見えない。村長が不思議に思うのも無理はなかった。

「仰るとおり、まだ子どもですが、強いですよ。ドラゴン並みの力を持っています」

「……そうですか」

 村長はそれ以上何も言わず、席を立った。

 シックハックは隣でにやけるドラコに小声で声を掛けた。

「気に入ったみたいですね」

「凄いぞシックハック!! さっきまで燃え尽きそうだった私の炎が、一気に燃え上がった! それから、頭の奥の方がバッと明るくなった感じがする!」

「それが『美味しい』ってことです。『首都』に行けば、もっと色々な美味しいものが食べられますよ」

「楽しみだ……」

 ドラコの口の端からこぼれ落ちたよだれを、スープの皿が受け止めた。

 ふとドラコは、壁に貼られている一枚の張り紙に目を留めた。人相書きだ。彼女がよく知る顔が描かれていた。

 死闘の末、相打ちとなった、剣士ヴィンランドだった。

「知り合いですか? 読みましょうか」

「いや、いい、少しなら読める……」

 ドラコは張り紙から目を逸らさずに答えた。

『反逆者ヴィンランド 必ず捕らえよ』

 張り紙にはそう書かれている。

「ヴィンランドが反逆者? 勇者の間違いじゃないのか?」

 ドラコは立ち上がり、拳を握りしめた。

「シックハック、『反逆者』というのは侮辱の言葉じゃないのか?」

「んん~~~」

 シックハックは困ったように肩をすくめた。

「それは立場によりますね。反逆された側からすれば悪口でしょうが、反逆したい側、支援する側から見れば、名誉な言葉かもしれませんよ?」

「しかし……!」

「どうかされましたか?」

 村長が静かに、部屋の入口に現れた。手には水差しを持っている。水の追加を持ってきてくれたようだった。

「いえ、あの張り紙の人物が気になりまして。少しは見知った顔だったものですから」

「なるほど……ヴィンランドを知らない者はいないでしょうな。それ程の英雄でした……なぜ神に背いてしまったのか……」

 村長は机に肘をついてうつむいた。

「申し訳ない、旅続きで世事には疎いものでして……彼はいったい何の咎でお尋ね者に?」

「高潔なる聖女ファリスを誘拐したのです」

 村長は溜息をついた。

「天上へ上ることが決まっていた聖女を、儀式の前に誘拐し、穢したと。どれほどの功績を持つ英雄であれ、神のものに手をかけるとは、傲慢極まりない……」

 ドラコはすぐさま抗議しようとしたが、シックハックはそれを抑えた。

「ははは、まるで『恋』ですね」

「それを口にしてはいけない!」

 気楽に笑うシックハックに、村長は強い語気で叫んだ。シックハックの閉じられた目が大きく開く。村長は怒鳴ってしまった自分を恥じるように、すぐ落ち着いた口調に戻った。

「失礼しました……その後、彼は恩赦を求めてドラゴン討伐に向かっていると神託に示されております。であればこの村を通る可能性が高いだろうと、村人たちに触れを出したのです」

 突如、激しい足音が外から近付いてきた。勢いよく部屋の戸が開き、数名の村人が駆け込んでくる。

「村長、出た! あいつらだ!」

「またか……」

 村長は眉間に深いシワを寄せ、頭を抱えた。シックハックが寄り添うように近づく。

「村長、いったい何が?」

「魔物です。最近、この辺りに住み着いたらしく、時折このように襲撃があるのです」

 村長はすがるような目で訴えた。

「旅の方、どうかこの村をお救いくださいませんか。ドラゴンのようにお強いのですよね?」

「それは……」

 シックハックはドラコに視線を送った。部屋にいる全員が釣られてドラコに注目する。

「……」

 ドラコは返事をしなかった。座ったまま腕を組んで、動かない。

 シックハックがフードの奥を覗きこむと、ドラコは頬を膨らませ、分かりやすくふてくされていた。

 場に緊張が走った。まさかこの戦士は、この局面で動かないのか……?

「い、一宿一飯の恩!」

 村長が声を張った。

「食事の分は働いてもらいたいですぞ!」

 その言葉をきっかけに、ドラコはゆっくりと腰を上げた。

「『恩』ね……それは確かに、人間として大事なものだ」

 小さな体が巨大な剣を軽々と担ぎあげる。周囲の村人は思わず息を呑んだ。

「1食分、働こうじゃないか。行こう、シックハック!」

 ドラコは勢いよく部屋を飛び出した。シックハックは残された村人たちと顔を見合わせ、苦笑して肩をすくめた。

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ドラコ・クエスト ナム @hyohyotei

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