第2話 シックハックは犬に食われる
ドラコとシックハックは山道を下り、南に向かうことにした。
「人間の生き方を体験したいなら、オススメは『首都』です。色んな人間がわんさか居るので、人間の何たるかが一通り分かりますよ」
そんなシックハックの方針に沿うことにしたのだった。南に2日も歩けば街道にぶつかり、そこからは1本道だという。
行き先が決まるや否や、ドラコは戦利品として積み上げられた武具の数々を溶岩に沈めはじめた。シックハックが悲鳴を上げる。
「なんでそんな勿体ないことを!!!!???」
この世の終わりを見たかのような叫びだった。
「大地に返しているんだ。俺は戦って生き延び、そして大地に還った。こいつらも同じにしてやろう」
「でも……溶岩に沈めたら、元には戻らないのでは……?」
「それでいい。俺を最後の相手に選んでくれた戦士たちが残したものだ。誰にも奪わせはしない」
シックハックは尚も何か言いたそうだったが、ふと足元の宝石に気付き、猫なで声を出した。
「あのぉ、旅にはお金も必要でして、売れそうなものを少しだけ持ち出すというのは」
「ダメだ。思い出は全部、ここに預けていく」
ドラコがシックハックの肩を掴む。彼は泣きそうな顔で頷いた。
身につけられるものと、黒い刃の大剣は持っていくことにした。シックハックに「剣が大きすぎる」と言われたが、お気に入りなので仕方がない。
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洞窟を抜け、ドラコの眼前に、無限の空が広がった。
しばらくの間、無限の広さに圧倒された。青の深さ、風の香り、すべてが新鮮だった。
「これが、外の世界か……」
彼女の声は震えていた。今まで狭い洞窟で閉じ込められていた時間が、一瞬で吹き飛ぶような感覚だった。
シックハックが隣に並ぶ。
「見るのは初めてですか」
「戦士たちの記憶では見たことがあるが、自分の目で見るのは初めてだ」
「……なるほど」
シックハックはそれ以上、何も聞かなかった。
ドラコは戦士たちの記憶に思いを馳せた。
彼らの魂が散る時、その記憶がイメージとして伝わることが度々あった。心躍る物語たちだった。過酷な修行、仲間との喧嘩、強敵との闘い……皆、波乱万丈な道程を経て強者となり、挑んできたのだと分かった。
その世界が今、眼前に広がっていた。
ドラコは頭上を指さした。
「外は少し寒いが、あの空を飛ぶ炎は温かいな」
「あれは太陽ですよ」
ドラコは太陽を見つめ、眩しさに目を覆った。自然と笑みがこぼれる。
「ああいう炎もあるんだな……」
ドラコは外の空気を胸いっぱいに吸い込み、シックハックに向き直った。
「よし、行こう!」
シックハックは目を細めて、頷いた。
岩山を抜け、森に入ったのは、太陽が頂上に差し掛かる頃だった。木々の隙間から漏れる光が地面に揺れる模様を作り、鳥のさえずりや葉が風に揺れる音が心地よいリズムを奏でている。
ドラコは目を輝かせて辺りを見回した。
「これが森か……!」
その声には抑えきれない興奮が滲んでいた。
「シックハック、早く来い!」
シックハックは息を切らせてよろめきながら、後ろをついてきている。
「森を……! 走らないで……!」
「遅いぞ。早く行こう!」
「ずいぶん……楽しそうです、ねぇ……」
「もちろんだ。洞窟の中にはこんなものはなかった!」
ドラコは腕を大きく振り上げ、木々の間を駆け回る。その動きはまるで幼い子どものようだった。
ドラコはふと目を止めた。地面に生えている緑色の小さな植物。彼女はしゃがみ込み、それをじっと見つめた。
「シックハック、これ、何だ?」
「それは苔ですよ。森の地面や岩なんかによく生えています。触ってみますか?」
追いついたシックハックが苔を突つく。ドラコは恐る恐る手を伸ばし、その柔らかい感触を確かめた。
「ふわふわしている……でも冷たい」
ドラコの目がさらに輝きを増す。彼女は周囲を見渡し、苔の生えた岩や木を見つけるたびに触って回った。
次にドラコが見つけたのは、低い木の枝にぶら下がる赤い実だった。
「これは何だ?」
好奇心を抑えきれずに実を摘み取ろうとするドラコの腕を、シックハックは慌てて掴んだ。
「ああ、それは毒です! 食べるとお腹を壊しますよ」
ドラコは驚いて飛び退った。
「お腹を壊す……! どんな威力なんだ、爆発するのか?」
「食事が上手くいかなくなる、という意味です」
「そうか、人間は食事をするんだったな」
ドラコは神妙に頷いた。
「森には危険がたくさんです。気を付けてくださいよ!」
シックハックの注意も耳に入らない様子で、ドラコはさらに先へと飛び跳ねていった。
道端の苔むした倒木を見つけたドラコは、その上に立ち上がり、両手を広げた。
「これは……何だ? なぜこんなに柔らかいんだ?」
「倒れた木に、苔や小さな植物が住みついたんですよ。すると柔らかくなるんです」
「倒れても、また命が宿るのか。木というのは不思議だな」
驚きと感動がにじんでいた。
さらに進むと、川の音が聞こえてきた。ドラコは音の方へと駆け出し、勢いよく川岸に到着すると、その清らかな流れに目を奪われた。
「これは川だな?」
「そうです。山に染み込んだ雨が集まって流れています。飲んでも大丈夫ですよ」
ドラコは川の水を手ですくい、口に運んだ。
「冷たい!」
ドラコは川に顔を突っ込んだ。
「わはははは、冷たいぞシックハック!」
「はしゃぎすぎて溺れないでくださいよ」
シックハックが苦笑する横で、ドラコは満面の笑みを浮かべて水しぶきを上げていた。
森を進むたびに、ドラコの目は新しい発見に輝いていた。触れたもの、見たものすべてが彼女にとって未知の世界だった。
「こうして見ると、あなたがドラゴンだってことを忘れてしまいそうですよ」
シックハックは目を細めて微笑んでいる。
「俺はドラゴンだ。今は人間だ。両方はダメなのか?」
ドラコは真剣な表情で問う。シックハックは口の端を上げ、笑った。
「いいに決まっている。始まったばかりの人生、好きなだけ楽しみなさい」
ドラコは笑顔に戻った。
「知らないことを知るのは、楽しい」
シックハックはゆっくりと頷いた。
「この世界はあなたにとって、宝箱みたいなものかもしれませんね」
「宝箱! 宝物は大好きだ!」
「急にドラゴンっぽさが出ましたね……!」
笑う2人の周囲で、枝葉の揺れる音が突然、激しさを増した。
シックハックは腰から短剣を抜き、周囲を見渡した。
「何かいますね」
「お? うん、さっきから囲まれてるぞ」
ドラコは呑気に告げた。
「気付いてたんならもっと早く言って下さい!」
「ごめん、大事なことだったか?」
「命に関わりますよ! 何がいるんです!?」
ドラコは改めて耳を澄ませた。
「そうだな、この音の感じ……大きめの犬だな。6匹くらいか」
「野犬か……数が多いな」
2人を囲む音はだんだん近付いてくる。体中に緊張を走らせるシックハックとは対象的に、ドラコは迫る闘いの予感に高揚していた。
黒い大剣――前生の自分に引導を渡してくれた――を包む布を解く。ドラコの身長よりも大きいそれを、彼女は片手で軽々と持ち上げた。
シックハックが目を見張る。
「頼りになりますね……私は戦闘は苦手なんです。任せましたよ」
「いいだろう!」
木々の壁を突き破るように、野犬の群れが飛び出してきた。四方八方から同時に襲いかかってくる。
「フン!」
ドラコは大剣を横薙ぎに振るった。3匹の野犬が悲鳴をあげる間もなく両断される。
「ぐおおおお!」
後方でシックハックがくぐもった声を上げた。ドラコが振り向くと、どうやら初撃はしのいだようだった。1体の野犬が倒れ、もう1体と睨み合っている。
ドラコは振り向きざま、シックハックと相対する1匹を刺し殺した。
「あと1匹!」
「いませんね、逃げた?」
目に見える範囲に動く野犬はいなかった。激しい足音も聞こえない。
だが、ドラコの耳にだけ、かすかな足音が聞こえていた。
「上だ!」
木の上から野犬が飛び出し、ドラコに襲いかかる。ドラコは迎え撃とうと剣を振るったが、長すぎる剣が他の木に食い込み、動きが止まってしまった。
「あ」
ドラコは間の抜けた声をあげた。その一瞬で、野犬の牙はドラコの首元に迫る。
その瞬間、ドラコは突然、地面に押し倒された。シックハックが上に覆いかぶさっていた。野犬は激しい唸り声と共に、彼の首に牙を立てた。ドラコの顔に血しぶきがかかる。
「てめぇ!」
ドラコは倒れたまま野犬を殴りつけた。野犬は木の幹に叩きつけられ、動かなくなった。
「シックハック!」
ドラコはシックハックの下から抜け出し、血が流れ出す首の傷を押さえた。血は止まらない。
「シックハック、死ぬな!」
返事は無かった。口は開いたままで、目は虚ろに虚空を見ている。
もう助からない。
ドラコはシックハックの胸に顔を埋めた。
「ごめん、守ってやれなかった……仲間なのに」
体の中で、知らない感覚が大暴れをしている。激しく下降し、激しく上昇し、収まることがない。やがて爆発しそうな程に膨らんで、体の中から溢れ出した。
静寂が訪れた。
「ぶはぁっ!!」
次の瞬間、シックハックが飛び起きた。
「あー、死ぬかと思った!!」
鼻と口から血を流しながら、シックハックがため息をついた。
ドラコはきょとんと彼を見つめた。シックハックと目が合う。彼は片方だけ、口の端を上げた。
「なんとか生き延びましたね!」
ドラコはシックハックにのしかかった。
「お前、大丈夫なのか!? 死んでたぞ!」
「大丈夫じゃありませんよ、死ぬほど痛かったんですから」
シックハックは笑っている。
「でもねぇ、こんなものは『本当の死』じゃないんです。この世界に、そんなモンは無い。あるのは中途半端な苦しみだけ……」
ドラコはシックハックの傷を確認した。首の傷は概ねふさがっている。本当に大丈夫そうだ。
「良かった……」
ドラコは鼻をすすった。シックハックはドラコの頭に手を置いた。
「心配をさせてすみません。泣かせてしまいましたね」
「泣く?」
シックハックはドラコの目元を拭った。
「これが涙ですよ」
ドラコは目元を拭い、濡れたその指を見つめる。
「そうか、これが涙か」
ドラコはそっと目を閉じた。
「俺にも涙が流せるんだな」
もう一筋の涙がこぼれ落ち、ドラコに笑みが戻った。
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