ドラコ・クエスト

ナム

第1話 ドラゴン、人間に転生する

 ドラゴンは瀕死だった。

 尻尾は切り落とされ、角も1本失っている。片目も潰された。目が霞むほど血を失ってしまっている。

 相手は強敵だった。巨大な剣を軽々と振るう剣士と、致命傷でも瞬時に癒やしてしまう回復術師の2人組。無尽蔵の力を持つかのように何度も攻め込んできた。

 永遠に続くかと思われた闘いを制したのは自分だ。剣士は倒れ、動かない。回復術師は杖にすがり立っているが、魔力は尽きている。

 術師は震えながら睨みつけてきた。命尽きるまで戦う覚悟なのだろうが、もう何もできないようだ。

 殺すことは容易い。だが、それでいいのだろうか? ドラゴンは迷っていた。

「俺の勝ちだ」

 術師の目が見開かれる。ドラゴンが喋れるとは思わなかったのだろう。戦士たちとの長い戦いの中で、自然と身に付けた能力だった。

「お前だけでも引き返せ。傷を癒やし、再び挑めばいい。俺は待っている」

 術師は呆然としたが、やがて微笑んでみせた。

「騎士道を知る相手に倒されたのなら、勇者ヴィンランドの最期に相応しいわ。お礼を言わせて」

 術師はよろめきながら倒れた剣士へ歩み寄り、その顔をゆっくりと撫でた。

「でも、これで終わりなの。一人で生きることはできないのよ。彼が死んでしまった時、私も死んだの」

 その言葉には抗えない重みがあった。ドラゴンは何も言い返すことができなかった。

「優しいあなた、お願い。私たちを最後まで一緒でいさせて」

 術師は再び立ち上がり、ふらふらとドラゴンに近付いていった。最後の力を振り絞り、杖を振りかぶる。

 ドラゴンは口から炎を吐いた。2人の体は焼き尽くされ、灰となって消えていった。

 ドラゴンは闘いの跡を見つめた。黒光りする見事な大剣。杖に収まっていた赤い宝石。これまでの戦利品たちと比べても遜色のない、素晴らしいものだ。

 だが今回はさらに一つ、不思議な遺留品がきらめいていた。先程から、術師の体内に見えていた、不思議な輝き。

 それは魂の輝きだった。

 術師は2つの魂を持っていた。一つは本人のものだろう、大きく温かく、力強い魂。その影にもう一つ、小さくて弱い、しかし鮮烈に輝く魂が隠れていた。

 大きな魂は肉体とともに消えていった。しかし、この小さい方は、何が起こったのか知らないとばかりに場に留まり、所在なく揺れ動いている。

 なんとなく、泣いているように感じた。突然一人になってしまって、不安なのかもしれない。

 人間はいつでも仲間と一緒だ。今日の相手ほど強力なチームは初めてだが、人間は仲間と一緒にいる時こそ、強い。

 ドラゴンには無い強さだ。

「そうだな。一人は悲しいよな」

 今すぐ誰かが抱きしめてあげなければいけないような気がした。ドラゴンは小さな魂に近付こうとした。

 しかし突如、強烈な眠気に襲われた。限界が近い。今回の戦いは相打ちと言うべきかもしれない。

 急速に意識が薄れていく。転生の時が近い。

 最期に一言だけ、小さな魂に告げた。

「こっちにおいで」


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 薄暗い洞窟を、ランプの光を頼りに男が歩いていた。

 疲れ果てた中年男、シックハックは完全に迷子だった。

「地図が間違っていたのか? いや、私が間違えたんだろうな……」

 ランプの燃料は残り少ない。このまま暗闇に包まれたらおしまいだ。

 恐ろしい想像に血の気が引いた時、遠くで何かが光った。

「溶岩か?」

 溶岩が噴出するポイントは地図にも記載されている。何かの目印にできるかもしれない。シックハックは歩みを進めた。

 広い空間に出た。奥の方では溶岩が池のように溜まり、赤く輝いている。暗い洞窟の中をずっとさまよってきたシックハックにとっては、天国のような明るさだった。

 シックハックは地図を見た。こんなに特殊な空間なら地図にも記載されているだろう。道を修正する手がかりになるはずだった。

「ここだ!」

 該当しそうな箇所はすぐに見つかった。地図にはこう記されている。

『ドラゴンの住処 キケン!』

 シックハックは周囲を見渡した。床や壁には巨大な爪痕が多数刻まれている。壁際には剣、鎧などの武具や、魔道具らしい宝石などが積み上げられており、多くの戦士たちがここで "何らかの理由で" 装備品を手放してきたことが伺えた。

 シックハックは物陰に隠れて観察を続けた。間違いなくここはドラゴンの住処だろう。しかしその気配はない。溶岩の中で眠っているのか……?

「お前は誰だ?」

 突然後ろから声を掛けられ、シックハックは驚きのあまり岩に頭をぶつけた。

(ドラゴンに気付かれる!!)

 シックハックは恐る恐る溶岩の池を覗いた。どうやら動きはないようだった。

 一息つき、背後の人物に抗議しようと振り返ったシックハックは、再び驚きのあまり飛び上がり、今度は後頭部を岩にぶつけた。

「……大丈夫か?」

 しばらくの間、シックハックは痛みと驚きで声を出すことができなかった。背後にいたのは全裸の少女だった。

 何かを言おうとして手をバタバタと振るが、何の言葉も出てこない。

 少女は不敵な笑みを浮かべた。

「面白い奴だな。お前も戦士なのか?」

 ようやくシックハックは言葉を取り戻した。小声で叫ぶ。

「静かにしてください、ドラゴンに気付かれます!」

「ドラゴン?」

 少女は首を傾げた。シックハックは周囲を注意深く見渡している。

「そう、ドラゴン! ここはドラゴンの住処です。この世界最強の生命体。爪のひと薙ぎ、尻尾の一振りが致命傷。その炎は私たちの体を跡形もなく焼き尽くす! 出会ったが最後、ションベン漏らしながら来世の幸福を祈ることしかできない、恐怖の権化です!」

「そんなに褒めるなよ、照れるだろ!」

 少女はシックハックの背中を叩いた。彼の体は2メートルほど飛び、地面を転げ回った。

 少女は倒れた男に駆け寄った。

「おい、生きてるか?」

「な、なんとか……」

 シックハックは咳き込みながら体を起こした。

 そして、彼は見た。少女の頭には、小さいが確かに、角が生えている。

「……ドラゴン?」

 シックハックの声は震えていた。

 少女は自信たっぷりに胸を張り、答えた。

「そうだ。俺がここに住んでいるドラゴンだ」

 シックハック言葉を失った。目の前の少女が何を言っているのか理解できない。

 目をこすり、もう一度じっくり観察する。普通の人間にしか見えない。全裸であることを除けば。

 だが、先程の異様な腕力は、人間のものとも思えなかった。

「いやいや……そんなわけが……ドラゴンってのはでっかい爬虫類みたいな」

 シックハックは頭を抱えた。

「確かに、今の俺は小さい。さっき転生したばかりなんだ」

 少女が言い放った。

「いやそっちじゃなくて」

 シックハックは山積みになっている戦利品の中から、表面が鏡面になっている盾をひっぱりだした。

「ほら、見えます? どうみても人間でしょう」

 少女はシックハックから盾を奪い取り、食い入るように見つめた。

「人間だ……」

「でしょ」

 夢中で鏡を見つめる少女の後ろでは、トカゲのような尻尾が左右に激しく揺れている。

 少女はシックハックに向き直り、堂々と告げた。

「どうやら俺は人間になってしまったようだな。理解した」

「理解が早いですねぇ……」

 シックハックは荷物からマントを取り出し、少女に掛けた。

「おお、服か! 服を着るのは初めてだ」

 少女は端を握ってひらひらと遊びはじめた。

「そうか、俺は人間になったんだな……!」

 シックハックは目を細めた。赤い光に照らされて踊る少女の姿は、この世のものとは思えないくらい美しかった。

「それよりもお前はどうしてここにいるんだ?」

 少女は遊ぶのをやめ、シックハックに近付いた。

「俺を倒しに来たのか?」

 シックハックは全力で首を振った。

「滅相もない! 私は戦士ではありません!」

「じゃあ何故、俺の所へ来た? ここに来るのは、俺の財宝を狙う奴か、俺と闘いたい奴だ」

 少女がシックハックに詰め寄る。シックハックは目を逸らした。

「私はただの商売人です。旅の途中、ここに迷い込んでしまったんです。それだけです」

「ふうん、そうか」

 少女は面白そうに笑った。

「お前、面白い奴だな。お前の旅に俺も連れていけ」

 シックハックは驚きの声を上げた。

「えっ、あなたをですか?」

 少女は得意げに頷いた。

「長い間、戦士たちを相手にしてきたが、やはり人間は面白い。もっと詳しく知りたいと常々思っていたんだ。人間の世界がどんなものか……せっかく人間になったんだ。今生は人間として生きてみたい」

 シックハックは慌てて後ずさった。

「まぁ、それはご自由にされたらいいと思いますが、私と一緒である必要はないでしょう? 私といても面白いことは何もありませんよ!」

「連れていってくれないのか?」

 少女はシックハックの腕を掴んだ。みしり、と骨が軋む音がする。

「いやー突然、人に優しくしたくなってきたなぁ! 袖すり合うも他生の縁ってね! 私で宜しければお力になりましょう!」

「ありがとう」

 少女は満面の笑顔を浮かべた。

「じゃあ、決まりだな。俺たちは仲間だ」

 シックハックも痛む腕をさすりながら、頬をほころばせた。

「お前、名前は何ていうんだ?」

「改めまして、私の名前はシックハック。諸国を旅しながら商売をしている者です。あなたのお名前を伺っても?」

「俺はドラゴンだ」

「ああ……」

 シックハックは顎に手を当てて考え込む。

「シックハック、困っているのか?」

「あー、その、ドラゴンというのは種の名前であって、あなたの名前ではないんですよ」

「そうなのか」

 少女は視線を落とした。

「だったら、名前で呼ばれたことは無いな。ずっと一人だったから」

「ああああ、いや、いいんですよ! 人間社会でドラゴンなんて名前、きっとあなたしかいませんから! ええ!」

 シックハックの慰めも虚しく、少女はしばらく俯いていたが、やがて勢いよく顔を上げた。

「シックハック、お前が俺に名前を付けてくれ!」

「私がですか!?」

 後ずさるシックハックに少女が詰め寄る。

「そうだ。お前は仲間だ。俺を一番多く呼ぶのはお前だろう」

 目を輝かせて迫る少女に、シックハックは人差し指を立てた。

「では『ドラコ』という名前にしましょう」

「お前、今、ものすごく適当に決めなかったか?」

 ドラコはシックハックに更に迫った。シックハックは口の端を片方だけ上げ、笑う。

「名前ってのはシンプルで分かりやすいのがいいんですよ」

「そういうものか」

 ドラコはシックハックの目の奥を覗き込んだ。

 魂の輝きを映すドラゴンの瞳に、彼の奥底で蠢く魂たちが見えた。無数の、どす黒い魂たち。

 ドラコはもう一度、笑った。

「本当に、人間は面白いな。そう思わないか? シックハック」

「どうでしょうねぇ……」

 シックハックは肩をすくめた。


 こうして、2人の長い旅が幕を開けた。

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