第7話
それから数日後。文芸部の皆と順調に仲良くなっていたある日。
今日は授業で初めての体育があった。
「うぅ……」
準備運動だけで息を切らし、呻く私の顔をポニーテール姿の明菜ちゃんが心配そうに覗き込む。
「零ちゃん、大丈夫ですか?先生に言って少し休みますか?」
「う、ううん、ありがとう。でも大丈夫。それにしても体育ってこんなにハードなんだね……」
「そ、そうでしょうか……?」
明菜ちゃんは見かけによらず体力があるみたいで、私と違い全く疲れている様子がない。
まだ本題のバレーボールにすら入っていないのに、これでは先が思いやられる。
それでも何とか授業に参加しようとコートへ立ったものの、実際にバレーボールをやるのなんて初めてで、何をしていいのかが分からない。
とりあえず観察しようと、後ろのサーブゾーンに立つ明菜ちゃんに視線を向ける。すると彼女は軽くボールを投げ、力強いサーブを相手のコートへ打ち込んだ。
相手チームの子が上手くボールを取り、高く上がったボールを別の女の子がこちらのコートへ叩き込む。
激しい攻防戦を繰り広げる中、私もどうにかボールを取ろうと手を伸ばしたが、上手く取れずに落としてしまった。
「あ……ごめんね!」
「いいよいいよ、次頑張ろっ!」
微笑んでくれる味方の子達に感謝しながら、次こそはとボールに手が触れたはいいものの、今度は思わぬ方向にボールが飛んで行ってしまった。
「ほ、ほんとにごめんね!!」
「大丈夫大丈夫、そんなに気にしなくていいよー!」
皆のように上手く出来ずに焦るも、味方の子達は嫌な顔一つせずに許してくれた。それが逆に申し訳ない。
遂にサーブ権が私に周り、それくらいは決めようとボールを叩き込む。が、私の放ったボールは力なく飛んでいき、あろうことか明菜ちゃんの頭に当たってしまった。
周りが可笑しそうに笑っている中、慌てて明菜ちゃんに謝る。
「ご、ごめんね明菜ちゃん。痛くなかった?」
「だ、大丈夫です。ボールが柔らかいので痛くないですよ」
「それならいいんだけど……」
結局授業が終わるまでボールを上手く取ることはできず、気を使わせてしまったのか、段々私の方へ飛んでくることはなくなってしまった。自分の不甲斐なさに軽く落ち込む。
「だ、大丈夫ですよ……零ちゃんは頑張りましたよ……!」
隣で明菜ちゃんが励ましてくれるも、申し訳なさで消えてしまいたくなる。
「ごめんね……スポーツは全然ダメなんだ……」
「誰にでも苦手はありますから、あまり気を落とさないでください」
「うぅ……ありがとう」
片付けを終えて教室へ戻ろうとした時、黄色い悲鳴が体育館内に響いた。
「きゃー!時雨くん頑張れー!」
ふと振り返ると、男子の方ではまだバスケットボールをやっている。ちょうど時雨くんがボールを持っているからか、女子の目が釘付けになっていた。
「おぉ……すごい人気」
「本当ですよねぇ……」
だが夢中になってしまうのもわかる程、時雨くんの動きは華麗だった。
小柄な身長と素早さを活かしながら次々にディフェンスをかいくぐり、見事に持っていたボールをゴールの中に入れ、試合を終わらせてしまったのだ。
「すごい……!」
黄色い歓声に混じり、小さな声を漏らしてしまう。運動神経の悪い私には真似出来ない芸当だ。
男子に囲まれて賞賛され、応援してくれていた女子に「ありがとう」と笑う時雨くんがまるでアイドルのように見える。
初めから分かっていたことなのだが、改めて遠い存在なのだと思い知らされた。
私とは違う、何もかもできる完璧な子。
「……」
「どうしました?」
暗い表情をしていたのか、明菜ちゃんが心配そうにこちらを見つめる。言うまでもなくポニーテール姿も可愛らしい。
「ううん、凄すぎて言葉が出なかっただけ。明菜ちゃんが言ってた萎縮しちゃうって気持ち、これを見ちゃうとよく分かるかも」
「そう、ですよね。何もかもできて、性格まで良い。本当にずるいです」
「……そうだねぇ」
目を伏せながら呟く明菜ちゃんを見つめ、頷く。
一方的に友達だと思っているが、時雨くんはどう思っているのだろう。
その日のお昼休み。
明菜ちゃんが図書委員の仕事で呼び出されてしまったため、私は1人でお弁当を食べる場所を探していた。
どこか人の少ない、落ち着ける場所はないかと思っていると、ふと屋上の存在を思い出した。
(そういえばこの学校って、屋上開いているんだよね……?)
気になりながらも未だに行ったことのない場所に足を向け、少しワクワクしながら階段を上る。
屋上周りの階段はとても静かで人気がなく、ドアの向こうからも声はしない。
(ここなら静かに食べられそうかな……?)
ガチャリとドアを開け、屋上に出る。
風が心地よく景色も良い。それなのに、中庭の方が広くて座りやすいからなのか、本当に静かだ。
ここでお弁当を食べようと思っていると、後ろから声をかけられた。
「美琴……?」
振り返ると、建物の影に隠れるかのような位置に時雨くんが座っている。入口からは見えないところにいたため、少し驚いてしまった。
「うぇ?時雨くん?」
素っ頓狂な反応をしてしまい、少し恥ずかしく思いながらも彼に近づく。
「1人なんだ、珍しいね」
「うん、明菜ちゃんが図書委員の仕事に行っちゃって、お弁当食べる場所探してたんだ」
「そっか……」
いつものように笑っているものの、声に覇気がなく、顔色も悪い。頭痛がするのか、右手で頭を押えている。
「大丈夫?頭痛いの?」
「ちょっとね。でも大丈夫だよ」
そう言ってはいるが、よく見ると額に汗をかいており、大丈夫そうには見えない。
「誰か呼んできた方がいい?それとも保健室に行く?」
「ううん、ほんとに平気。それにあんまり人に知られたくないんだ。ありがとね」
「う、うん……そっか」
これ以上は迷惑になりそうだと思いつつも、具合が悪そうな時雨くんを放ってもおけない。少し悩んだ私はいいことを思いついた。
「あ、そうだ……!それなら少し横になる?私の膝でいいなら貸すよ?」
「は……?」
時雨くんに怪訝な目で見られ、そこでようやく気がついた。今の提案はいかがなものかと。
「ご、ごめんね。少しでも楽になってほしかっただけで、やましい気持ちはないの、ほんとに……!」
なんだか余計に怪しく聞こえる言い訳になってしまい、焦っていると、彼はクスクスと笑いだす。
「ふふっ……ほんと、美琴って変な奴」
「へ、変じゃないよ。多分……」
「……でも、あんまりそういうこと言っちゃダメだよ?危ないからね」
「い、言わないよ。私はただ、本当に心配で……時雨くんが辛そうにしているのに、放ってなんておけないし……」
そう言うと彼は力が抜けたように笑い、小声で呟く。
「美琴といると調子狂うな……」
「え……?」
どういう意味かと見つめると、時雨くんは首を軽く横に振り、再び口を開いた。
「じゃあ、膝は貸してくれなくていいけど、横にはなろうかな」
「え、床硬いから余計頭痛くなっちゃわない?ほんとに膝いらない?」
「ふっ……そんなに俺に膝枕させたいの?」
「そ、そんなことは無いけど……」
本当にそんなことは無いのだが、硬い床で寝かせるのもどうかと思う。
それが表情に出ていたのか、時雨くんは真剣に尋ねる。
「……本当にいいの?本気で寝ちゃうよ?」
「う、うん。いいよ?どうぞ」
正座をして時雨くんに向けると、彼は深く息を吐き出した。そして私の膝に頭を乗せ、そっぽを向く。
「……重くない?」
「うん、大丈夫」
「そ……」
今更ながらなんだかドキドキする。さすがに大胆すぎただろうか。
そんなことを思っていると、時雨くんが静かに話しだす。
「……美琴には助けられてばかりだね、ごめんね」
「謝らなくていいよ。それに時雨くんは大切な友達だもん。困ってたら力になりたいよ」
「……ありがと」
「うん、といっても、時雨くんとじゃ釣り合わないのかもしれないけど……」
「なんで……?」
心做しか少し寂しそうに聞かれ、心臓がきゅっとなってしまう。
「えっと、時雨くんはなんでもできて、優しくて、人気者で……私なんかとは全然違うから」
「……いや?俺は美琴が思うほどできた人間じゃないよ」
いつもより低い声でそう言われ、心臓が跳ね上がる。
「もし、本当のことを知ったら、美琴の方が俺の事を嫌になると思うな」
「え……そんなことないよ。時雨くんを嫌になったりなんか」
「……だといいね」
そう言いながらも、時雨くんは諦めたように笑う。本当のこととはなんなのだろう。謎は益々深まるばかりだ。
だが、少なくとも時雨くんは自分を完璧などとはちっとも思っていない。
むしろ、人気者だからこそずっと人前で気を張って、かなりの無理をしているのかもしれない。
思えばずっと誰かといたり、誰かに頼み事をされたりしているような気がする。だから人気のないこんな場所で、1人で隠れるように休んでいたのだろう。
(保健室とかも人いるもんね……)
「時雨くん……?」
「……」
なにか言葉をかけようと思ったが、返答がない。よっぽど疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまったようだ。
友達が多いように見えて、実際に頼れる人はそんなにいないのだろうか。
(……そんなにというか、全然いない?)
静かな寝息を立てる時雨くんを見つめる。寝顔も天使のように可愛いが、そんなことよりも今は心配が勝ってしまう。
熱は無さそうだが、顔色はまだ悪い。
いつから具合が悪かったのだろう。ずっとその事を隠したまま笑っていたのだろうか。
(倒れちゃうよ……)
途端に少し怖くなった。せめて、少しでも安心してくれていればいいのだが。
細くて綺麗な彼の髪をサラサラと撫でる。
(昔よくやってもらったなぁ……)
寝付けない私の髪を撫で、眠れるまでお話をしてくれた人を思い出す。私もあんな風に、時雨くんを安心させてあげられるような居場所になれるだろうか。
そのまましばらく撫でていると、いつの間にか目を覚ました時雨くんが、からかうように笑う。
「……人の頭撫でるの楽しい?」
「わっ……お、起きちゃった?ごめんね」
「ううん、少し眠れたからマシになったよ。ありがと」
そう言って体を起こすも、まだ少し辛そうだ。それに、個人的にはもう少しあのままでも構わないのだが。
「ほんとに?」
「うん、膝枕してくれたおかげだね」
クスクスと笑われ、自分から言い出した癖に顔が真っ赤になるのを感じる。
「なんか、今更恥ずかしくなってきたかも……」
「ふふっ……おもしろ。でも本当にありがとうね」
「う、うん。あの……」
「ん?」
「あんまり無理しないでね。何ができるか分からないけど、私にできることなら力になるから……」
そう言うと、時雨くんは少し迷ったように目を伏せ、やがてからかうように笑った。
「……また膝枕して、撫でてくれるの?」
「そ、それは……わからないけど」
「ふふふっ……冗談。美琴はもう充分、俺の力になってくれてるよ」
真っ直ぐ見つめられ、それが本当なのだとわかる。
「そうかな……?」
「うん、気づいてくれてありがとうね」
「……?うん」
それは何を気づいたことに対して言っているのだろう。分からないままチャイムが鳴ってしまった。
「あ、ごめん。俺のせいでお昼食べる時間なくなっちゃったよね」
「いいんだよ。後で食べればいいだけだし」
「授業中に食べたりしないよね……?」
「さすがにしないよ!」
そんなやり取りをしながら教室へと戻る。
まだわからないことは多いが、時雨くんは間違いなく私の大切な友達だ。
時雨くんが無理をしなくても大丈夫なように、少しでも支えられたらと強く思う。
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