第8話
4月が終わり、ゴールデンウィーク明けの5月の上旬。来週から中間テスト始まる中、文芸部では瀬名くんが嘆いていた。
「進学したばかりなのにテストとか有り得ねぇよ……」
「あはは、そうだね。私も自信ないなぁ……」
勉強をしながら同意すると、時雨くんが呆れたように口を開いた。
「冬樹は放っておくと赤点になりかねないから……」
「え……!?」
驚いて声を上げると、続けて明菜ちゃんも困ったように頷く。
「そうですよ。進学だってギリギリだったのですから」
「そ、そうなの?」
「あははは……その節はご迷惑を……」
瀬名くんが申し訳なさそうに苦笑し、続けて口を開いた。
「由希と、たまに久遠にも見てもらったなぁ……おかげで無事に高校生やれてるよ」
「へぇ……2人共頭良いんだね」
「そんなことないよ。人より少し勉強が得意なだけ」
時雨くんは謙遜しているが、人に教えるのは案外難しい。本当に優秀なのだろうと思っていると、明菜ちゃんがポツリと呟いた。
「本当に、時雨くんはすごいです……」
口元に笑みを浮かべてはいるが、どこか悲しそうにする彼女に対し、瀬名くんが口を開く。
「何言ってんだよ、久遠も充分すごいって!お前のおかげもあって、合格できたんだからな?もっと自信持てよ」
「は、はい……」
それでも元気の無い明菜ちゃんに、今度は時雨くんが言葉をかける。
「冬樹の面倒を1人で見るのは結構大変だから、久遠も協力してくれると助かるな」
「なんだよ、俺の事を厄介者みたいに!」
「そこまでは言ってないけど、実際俺の受験より怖かったよ……」
「うっ、それは……」
「ふふふ……」
2人のやり取りを見て、明菜ちゃんはクスクスと笑う。
(良かった、少しは打ち解けられたかな?)
ほっと胸を撫で下ろしていると、瀬名くんがある提案をした。
「そうだ。今週の土曜日、4人でどこかに集まって勉強しない?」
「どこかってどこ?」
「うーん、俺の家でもいいけど。妹がうるせぇからなぁ」
「え、瀬名くん妹いるの?」
勝手に一人っ子かと思っていたため、少し意外だ。
「おう。俺の1つ下なんだけど、一々騒がしいし、絶対絡んでくるんだよなあいつ……」
「へええ……」
個人的には少し会ってみたいような気もするが、瀬名くんが乗り気では無いらしい。
すると、意外にも時雨くんが名乗りでた。
「じゃあ、俺の家にする?何も無いけど」
「お、まじ?いいの?」
「うん。2人もそれでいい?」
明菜ちゃんと顔を見合せ、2人で頷く。
「じゃあそれで決まりな!土曜日が楽しみだぜ!」
「言っとくけど、遊ぶ訳じゃないからね?」
「は、はい……わかってるって……」
時雨くんにピシャリと厳しく言い放たれた瀬名くんは、ガックリとうなだれる。この2人のやり取りはいつも絶妙で面白い。
(それにしても時雨くんの家かぁ……)
瀬名くんではないが、私も多少テンションが上がってしまいそうになる。彼の家はどうなっているのだろう。私も今から土曜日が楽しみだ。
約束の土曜日。
私は時雨くんの部屋の前に立ち、恐る恐るインターホンを押した。
軽快な音が鳴り響いた後、開かれたドアの中から、私服姿の時雨くんが姿を現す。
黒い長袖のTシャツに、ジーンズといったラフな格好をしており、シンプルながらもとても似合っている。
「いらっしゃい、美琴」
私服姿の笑顔も抜群に破壊力があり、思わず目が奪われた。
「し、私服だぁ……!!」
「ふっ……うん、私服だよ。学校に行くわけじゃないからね」
「そ、そうだよね」
「うん、入って?」
興奮のあまり、意味のわからないことを口走ってしまった私を、家の中に招き入れてくれた。
「お、お邪魔します……!!」
時雨くんの部屋はどんなだろうと、リビングに足を踏み入れた私は、驚愕のあまり立ち止まった。
(え……?)
時雨くんの部屋には、必要最低限のものだけが置いてあり、他は文字通り何も無かった。
ベッドやクローゼットは少し大きいものを使っているが、テーブルも折りたたみ式で、テレビや本棚さえない。
「……」
殺風景な部屋に何も言えず立ち止まっていると、時雨くんが困ったように笑う。
「本当になにもないでしょ?」
「う、うん。時雨くんってミニマリストなの……?」
「そういう訳じゃないけど……別にいらないかなって」
その言葉に少しだけゾクッとした。彼は普段この部屋で何をして過ごしているのだろう。
「まぁ適当に座って。クッションくらいはあるから」
折りたたみ式のテーブルを出し、ベッドの上に置いてあったクッションを4つ周りに並べた。
そこでようやく我に返り、私は手に持っていた箱を時雨くんに差し出す。
「あ……これ、作ってきたんだ。みんなで食べようと思って」
「お菓子?今日は何を作ってきてくれたの?」
「チェリーパイだよ。さくらんぼは今が旬なんだ」
「へぇ、 そんなのも作れるんだ。すごいね」
「えへへ、ホールのまま持ってきちゃったから切り分けないとなんだけど、包丁ある?」
「……ある。と思うよ、多分」
酷く曖昧に答えられ、少し不安になった。
「もしなかったら、私の部屋から持ってくるよ……?」
「うん、ちょっと待っててね」
そう言って彼はキッチンの方へ足を向ける。
改めて何も無い部屋を見回した私は、収納スペースが半分開いていることに気がついた。
悪いと思いつつも、近づいて中を覗くと、そこには使い古された専門書や、参考書がびっしりと詰まっている。
(わ……!)
パッと見どれも折れ目がついていたり、付箋がついていたりしているため、きちんと読んでいることが伺える。
彼の努力の結晶を垣間見た気がして勝手に興奮していると、いつの間にか後ろにいた時雨くんに扉を閉められてしまった。
「あ……」
「あじゃないんだけど……?」
振り返ると、少しムスッとした時雨くんが立っている。やはり勝手に中を見たのはまずかっただろうか。
「ご、ごめんね。開いてたからつい……」
そう言うと、時雨くんはため息をついた。
「はぁ……恥ずかしいから、他の人には内緒にしてね」
「え?でもすごいかったよ?時雨くん努力家なんだね、難しそうな本がびっしり……いったぁ!?」
褒めていたつもりなのに、言い切る前に軽くデコピンを食らわされてしまった。
「な、なにするのぉ!」
「見られた仕返しだよ」
意外と子供っぽいことをする人だなと思いながら見つめると、時雨くんはふっと笑う。
「軽くやったつもりだけど、そんなに痛かった?」
「ううん。大袈裟に言っただけ」
「なんだ、心配して損した」
お互いにクスクスと笑いあっていると、部屋のインターホンが鳴った。
時雨くんと共に玄関へ向かうと、そこには私服姿の明菜ちゃんと瀬名くんが2人一緒に立っていた。
明菜ちゃんは淡いブルーのワンピースに、白いカーディガンを羽織っており、瀬名くんは白いパーカーに薄茶色のカーゴパンツという、それぞれ普段の印象とは違う格好をしている。
「わぁ、私服!」
「そりゃ私服だろ、学校行くわけじゃねぇもん」
「時雨くんと同じこと言われちゃったよ……」
長い付き合いなだけあって、やはり多少似ているのだろうか。
「ふふふ……」
可笑しそうに笑っている明菜ちゃんだが、時雨くんに通されてリビングに足を踏み入れた途端、やはり立ち止まった。
部屋を見てポカーンと口を開けている。
「な、何も無い……」
その反応を見た瀬名くんがケラケラと笑う。
「はは、そりゃそうなる。俺も最初ビビったもん」
「美琴にも同じ反応されたよ」
「だって何もねぇんだもん」
呆然としながらもクッションの上に座った明菜ちゃんは、鞄の中から缶の紅茶を取りだし、時雨くんに差し出した。
「あの、これ……良かったら」
「いいの?」
「はい、家に余っていたものを適当に持ってきただけなので、どういうものなのかは分からないのですが……」
時雨くんは受け取った缶を見て、ぽつりと呟く。
「これ高いやつじゃない……?」
「あ、たしかに、そんな感じのデザインだよな」
「時雨くん、この家ティーポットあるの?」
「それはあるよ」
「そういえば包丁は?」
「あったから大丈夫。とにかくありがとうね、久遠」
「あ、はい。お口に合うか分からないのですが……」
最初の頃より大分和やかに会話ができていることにほっとしていると、時雨くんは紅茶をいれにキッチンの方へ向かった。 私もなにか手伝おうかと立ちあがる。
「美琴は座ってていいよ?お客さんなんだし」
「そう?手伝わなくていい?」
「じゃあ、チェリーパイ切り分けてもらってもいい?」
「うん、分かった」
時雨くんから包丁と人数分のお皿を受け取り、テーブルの上に置いておいた箱を開けた。
「わぁ……!!」
「すごっ、本格的にお菓子屋じゃん」
チェリーパイを見た明菜ちゃんと瀬名くんが歓声をあげる中、慎重にパイを4等分に切り分けた。
「うまそー!」
「本当に。零ちゃんはなんでも作れるんですね!」
「何でもは大袈裟だよ」
そんなやり取りをしていると、時雨くんが人数分のティーカップを持ってリビングへ戻ってきた。とてもいい香りがする。
「やっぱりこれ高いやつだよね……?」
「そうなんですかね、家にいくつかあったから持ってきたのですが……」
「2人ともありがとうね。勉強会と言うより、お茶会みたいになってるけど……」
すると瀬名くんが恐る恐る鞄から、スナック菓子をいくつか取りだした。
「この流れで出したくないんだけど、一応……」
「ふっ……ありがと、冬樹」
お茶会兼勉強会がはじまり、主に時雨くんと明菜ちゃんが瀬名くんに勉強を教えている。
明菜ちゃんが国語と社会を、時雨くんが残り3つの科目を担当していた。
(す、すごい。先生みたい)
私も勉強が苦手な方ではないのだが、教えられるほど得意では無いため、あまり力にはなれなさそうだ。むしろたまに2人から教わる立場にある。
それにしてもさすがと言うべきか、なんというか。2人共分かりやすく説明してくれるため、苦手なところでもすぐに理解ができた。正に最強の味方というやつだろう。
最初は問題が解けなかった瀬名くんも、2人のおかげで徐々に解けるようになってきている。
勉強会が始まって数時間。窓の外がオレンジ色に染まりだした頃、明菜ちゃんが時計を見て立ち上がった。
もう午後の5時を回っている。
「私はそろそろ帰りますね」
「え?もうそんな時間?じゃあ俺も帰ろうかな。俺にしては頑張った方だろ、な?」
「まあ、そうだね。これで赤点にはならないと思うけど……」
まだどこか心配そうにする時雨くんに対し、瀬名くんは苦笑する。
「だ、大丈夫だって。せっかく2人が教えてくれたんだから、赤点は取らないって」
「ならいいけど」
帰り支度を終えた2人を、時雨くんと共に玄関先まで見送る。
「じゃあな、由希、美琴!あ、チェリーパイめっちゃ美味かった!サンキューな!」
「うん、またなんか作って持ってくねー!」
「それではまた月曜日に、お邪魔しました」
「うん、またね」
瀬名くんはヒラヒラと手を振り、明菜ちゃんはぺこりと時雨くんにお辞儀をして外に出る。
扉が閉まる前の明菜ちゃんの表情が、一瞬氷のように冷たく見えたのは、私の気のせいだと思いたい。
「……」
呆然としていると、時雨くんが声をかける。
「美琴はどうするの?」
「あ、片付けてから私も帰るよ」
「別に俺がやるからいいのに」
「何となく、私が気になるだけだから」
そう言って、より一層寂しく見えるリビングに戻った。
「それにしても、時雨くんも明菜ちゃんも勉強教えるの上手だね」
「そう?」
「うん、すごく分かりやすかった」
「そっか、少しでも力になれたなら良かったよ」
片付けをしながら話していると、時雨くんがぽつりと呟く。
「文芸部に入って良かったな」
「……そうだね、私もそう思う」
少なからず同じ気持ちであることが嬉しい。いていい場所があると言うだけで、こんなにも心が軽くなる。
「いつまでも、こういう日が続けばいいんだけどな」
「うん、そうだね」
大切な友達と笑い合えて、お菓子を食べて、勉強を教わって、こんな楽しい日々は今までになかった。願わくば、こんな毎日がずっと続いて欲しい。
そう思いながら、時雨くんと一緒に片付けを終わらせ、家に帰った。
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