第6話

 翌日の放課後。

 明菜ちゃんと今日から文芸部の部室となる、図書室の資料室へ来ていた。

 小さな室内の中には机と椅子が4つずつ置いてあり、本棚には卒業生のアルバムや、卒業文集などが並べてある。

 日当たりが悪いため、電気をつけないと少し見えにくい。


「時雨くんと瀬名くんはまだみたいだね」


「そうですね、少し待っていましょうか」


 明菜ちゃんの言葉に頷き、昨日の夜作ったクッキーを紙皿の上に並べた。少し多く焼きすぎただろうか、袋の中にまだ沢山残っている。


「わぁ……!美味しそうですね!」


「えへへ、良かったら2人が来る前に味見してもらえないかな?」


「それじゃあ1枚、いただきますね」


「うん!どうぞどうぞ」


 明菜ちゃんは紅茶味のクッキーを手に取り、丁寧に口に運ぶ。

 自信が無い訳では無いが、やはりこの瞬間はドキドキしてしまう。


「……美味しいです!すごい!上品な甘さなのに紅茶の風味がきちんと感じられます!」


 どうやら気に入ってもらえたようで、少し興奮気味に褒めちぎられた。

 明菜ちゃんが嬉しそうにしていると、私も自然と笑顔になってしまう。


「良かった、作った甲斐があったよ。まだ袋に沢山あるから、遠慮しないで食べてね」


「はい!ありがとうございます!」


 続けて明菜ちゃんがバニラのクッキーに手を伸ばすと、資料室のドアが開き、瀬名くんが姿を現した。


「よっ!お2人さん!って、それ美琴が作ったクッキー?」


「うん、そうだよ」


「美味そー!!早速俺も食っていい!?」


「もちろん!食べて食べて!」


「いっただっきまーす!」


 瀬名くんはココアのクッキーを手に取り、口に運ぶ。モグモグとしばらく味わった彼はやがて目を輝かせた。


「うま!!やっぱ美琴天才!!めっちゃうま!!」


 大袈裟だが、本心から思ってくれているであろう感想を言われ、ほっとする。


「良かった!……あとは時雨くんだけか」


 彼はどんな反応をするだろう。甘いものが好きと言っていたが、私のお菓子は気に入ってくれるだろうか。


「いやもう、由希が来る前に食っちまおうぜ」


 瀬名くんは冗談ぽくそう言い、クッキーに手を伸ばす。


「そうですよ。食べちゃいましょう」


 珍しく明菜ちゃんがその冗談に乗り、やはりクッキーを手に取っていた。


「あはは……」


 まだかなりの量が残っているため、時雨くんの分が無くなることは無いと思うが、2人とも食べきらんばかりの勢いで次々に手を伸ばしている。

 すると、瀬名くんが思い出したかのように口を開いた。


「あ、そだ。お前らのクラスの学級委員て誰になった?」


「あぁ……それがですね……」


 明菜ちゃんが手を止め、気まずそうに私の方を見る。


「はい……私です」


 恐る恐る手を上げると、瀬名くんは少し意外そうな反応をした。


「あ、美琴なんだ。俺てっきりまた由希がなったのかと」


「ま、まあ。色々ありまして……」


 事情を説明すると少し長くなるため割愛すると、瀬名くんは何かを察したのか、納得したように頷く。


「そっか。じゃあ、学級委員会の時はよろしくな」


「え、もしかして……」


「おう。俺もなんだ、一緒だな!」


 そう言って笑う瀬名くんが救世主のように見え、私は思わず特大の本音を漏らした。


「……っ!よかっったぁぁ……!」


「お、おう?そんなに不安だったのか……」


「不安だよ。大勢の人の前に立つのとか苦手だし、クラスをまとめるなんてとてもじゃないけど……」


「よくやろうと思ったな……」


「流れ的に仕方なかったというか、なんというか……」


 曖昧に応えると、瀬名くんは少し可笑しそうに笑う。


「わかるようでわからんけど、困ったことがあったら言えよ。俺は中学の時に1度やってるし、多少は力になれると思うからさ」


「ありがとう……!」


 瀬名くんの頼もしさに感謝していると、ようやく時雨くんが姿を現した。


「ごめんね、また遅れちゃった」


「よー由希、今度は何から呼ばれてたん?」


「理科の先生に実験器具片付けるの手伝わされちゃって……」


 時雨くんは困ったように笑った。本当にこの子はいつも忙しそうにしている。


「あ、このクッキーって美琴が作ったやつ?結構無くなってるけど……」


「お前が遅いのが悪い!」


「……」


 一瞬、時雨くんから怖い笑顔を向けられた瀬名くんが、小声で「こわ……」と呟いた。

 が、時雨くんは何事も無かったかのようにいつもの笑顔を貼り付けた。


「無くなる前に俺も食べていい?」


「う、うん、ていうかまだまだ沢山あるし、なくならないよ……?」


「良かった。じゃあ、いただきます」


 時雨くんが最初に手に取ったのは、バニラ味のクッキーだった。こうやって見ると好みがわかるような気がする。

 少し緊張しながら眺めると、彼はほんのりと顔を綻ばせた。


「おいし……」


「ほ、ほんと?」


「うん、これ本当に美味しいよ。ありがとう美琴」


 柔らかな表情でそう言われ、ほっとする。どうやら社交辞令ではなく、本気でそう言ってくれているみたいだ。


「よかったぁ」


 こうして皆に喜んでもらえると、今日は何を作ろうかと張り切ってしまう。


「そうだ、お礼にこれあげるよ」


 そう言って時雨くんがバッグの中から取り出したのは、またしてもブラックコーヒーだった。


「これ、また飲めなくて困ってるだけだよね……?」


「……バレた?」


「うん。まあ、ありがたくもらうけどね?」


 イタズラっぽく笑いながら差し出してきたコーヒーを受け取り、プルタブを開ける。

 すると、瀬名くんが呆れたように口を開いた。


「お前なぁ、そういうのは断われよ」


「せっかくもらったのに断るのも申し訳なくて……」


「わかるけどさぁ」


 2人のやり取りを見ながらゴクッと1口飲み、さっきから黙っている明菜ちゃんに視線を向けた。

 やはり時雨くんが来ると萎縮してしまうらしく、俯いてしまっている。

 少しでも打ち解けてもらえるように、明菜ちゃんに話題を振ってみた。


「ねぇ、明菜ちゃんってなんの本読むの?」


「……え?あ、色々読みますけど、今日はこれです」


 明菜ちゃんがバッグから取り出した本を見て、この話題にしたことを後悔した。


「……!!?」


 言葉を詰まらせている私に気づかない明菜ちゃんは、黒い表紙の本について語りだす。


「『闇に堕ちる』という小説で、2年前に話題になっていた本ですね」


「そ、そうなんだー」


「なんでも中学生が書いたらしく、暗く救いようのない内容らしいですよ」


「へ、へぇ……すごいね」


「そうですよね!読書家の間でもかなり高い評価をもらっていて、私も今から読むのが楽しみなんです!」


「お、面白いといいね……」


 明菜ちゃんから目を逸らし、必死に相槌を打った。その小説の内容はよく知っている。

 何故なら、それを書いたのは私だからだ。


(ど、どうしよう。言えないよぉ……!!)


 幸いにもペンネームを使っていたため、バレることはなさそうだが、なんとも気まずい。

 読書家が評価しているとは言うが、個人的にあれは駄作だ。私の感情が入りすぎている。


「へぇ、2年前に中学生ってことは、高校生になってる可能性もあるよな」


(ギクッ……)


 瀬名くんに痛い事を言われ、嫌な汗が背筋を伝う。


「たしかに、そうですよね。私たちと同じ歳ということも有り得るのでしょうか?」


「ど、どうなんだろうね……」


 早くこの話題が終わることを祈っていると、向かいに座る時雨くんと目が合ってしまった。

 彼は不思議そうな表情で私を見た後、どうしたの?というように首を傾げる。


(ま、まずい。時雨くんに気づかれちゃう……)


 ただでさえ表情に出やすいというのに、時雨くんが、今の私を見たら気づいてしまう。

 私は平静を取り戻すように、ブラックコーヒーを飲んだ。


「……美琴?大丈夫?」


 時雨くんに声をかけられ、私は慌てて話題を逸らすことにした。


「う、うん、大丈夫!そんなことより!良ければ時雨くんと瀬名くんの連絡先教えてくれないかなぁ!?」


「あー、そうだな。美琴とはしてなかったもんな」


「うん、それはいいけど……」


 まだ何か言いかけていたが、時雨くんは諦めたようにバッグからスマホを取りだした。

 メッセージアプリに2人の名前が追加され、こんな状況でも嬉しくなってしまう。


 ようやく部活らしく読書をしようとなり、本を開いたが、やはり明菜ちゃんが気になって仕方がない。

 彼女は真剣な表情でページをめくっている。


(気、気まずい……)


 なんだか過去の私の心を覗かれているようで落ち着かない。

 お父さんへの罪悪感から、少しでもお金の助けになればと思って出版の誘いを受けたのだが、やめておけばよかっただろうか。


 上手く集中できないまま本を読み続け、その日の学校は終わりを告げた。

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