一章 凡夫、決意編

第2話 平穏の終わり

 人類圏歴3013年6月20日、三週目の風のアイギスの日。

 

 それは、転生者の少年が異世界に転生して十三年ほどの月日が経った頃。


 その日も少年はいつものように、日課の修行をこなしていた。


 修行内容は重力負荷付き感◯の正拳突き——転生できたことに感謝し、凡夫にならないために行っている修行の一つだ。


 ちなみに魔法で身体をドーピングして音を置き去りにする速さで行っているので、時間はそんなにかからない。

 

「9998……9999……10000……!」


 ついに一万回目の突きを終えた瞬間、達成感と共に全身の筋肉に疲労が広がった。


 地面には滝のように滴り落ちた汗で水溜りができていた。そこには、端正な顔立ちの少年の姿が映っている。

 

 少年の容姿はかなりいい。

 

 金髪に紅い瞳、整った顔立ち——中性的で美少年と言えるだろう。


 日課の鍛錬がもたらした引き締まった筋肉が確かに少年が男であることを物語っている。


 だが、それさえ見えないように服で隠してしまえば、十分に男の娘として性別詐欺をはたらくこともできそうだ。


 ところが———


(特別なのは、まだこの外見だけ……他はまだ全然凡夫だ)


 頭を拗らせていた少年は、あまり容姿のことを気にしていなかった。そんなものより力に執着していた。


(第一に最強の力、第二に無限の魔力、第三に最強の魔法、第四に最強の筋肉……容姿は二の次。凡夫と決別するためにも、とにかくまずは特別な力が必要なんだ!)


 そんな拗らせたことをいつも考えていたからだ。


 少年——アメジアの脳内には、この異世界で凡夫な存在を脱却することしか頭になかった。


 「凡夫」の定義は曖昧だ。

 

 まあとにかく何の取柄もない、何もできない弱くて存在価値がない存在が生まれた時から大嫌いだった。


 同時に、そんな凡夫な存在の対局に位置する特別な存在に対して強く憧れを持っていた。

 

 強ければ凡夫ではないというのが、アメジアの持論だった。


 そして、アメジアにとっての「最も特別な存在」とは「最強」の存在だ。


 どんな敵も粉砕する。どんな悲劇も粉砕する。どんな困難も粉砕する。そんな存在になりたかった。


 これまでの13年間、アメジアはその最強を目指して修行の日々を送ってきた。


 幼少期から、前世の知識を駆使して鍛錬に励んだ。筋トレ、母から学んだ重力操作の魔法を利用した重力負荷の訓練、独自の魔法のイメージトレーニングや魔力操作法……etc。


 その努力の甲斐あって、実は百年以上生きているハーフエルフの母を除けば、村の大人たちを含め、アメジアに匹敵する実力者は今現在もうこの辺りにはひとりもいない。


 半年前までは、模擬戦では互角の実力の一歳上の義姉もいたが、その姉も今は聖都の学園に通っていて村にはいない。


 よって、この世界の人間の中でも歳の割にはかなりの実力者だ。神童と言ってもいい。


 だが——それでもアメジアは凡夫な存在と決別できているとは思っていなかった。


 転生してからの十三年間で、凡夫を脱却できたと証明できることを何一つとして成し遂げていないからだ。






 

 アメジアが転生したのは異世界の「人類圏」という神々の結界で守られた安寧の地だった。


 その人類圏の西側半分を支配しているアルゴス聖教国という国の辺境のアルヒ村でアメジアは育った。


 人類圏内には魔物や怪物もいない。迷宮もない。


 村での生活は自給自足。畑で育てた作物を収穫し、家畜を育て、狩りをしながら日々を紡いでいく。村の生活は平和な異世界スローライフそのものだった。


 魔法の力でさえせいぜい畑に水をやったり、収穫物を運んだりといった地味な用途で終わってしまう。


 平穏で安全な生活。それは神々の結界に守られた人類圏ならではの恩恵だ。


 ところが、この平穏のせいでアメジアの目標は叶わずにいた。


 偉業を果たせる場所や、戦って粉砕できる相手がいなければ、そこらにいる凡夫とは違うと証明しようがないからだ。


「はあ……どうせなら魔人族グリゴリアスと戦えたらなあ……」


 溜息をつきながら、アメジアは空を仰いだ。

 

 結局、今の自分にできることといえば、日課の凡夫にならないための修行ぐらい。

 

 でもせっかくだから、この世界で手に入れた力を試してみたい。派手に魔法を使ってみたい。


 例えば、人類の脅威を炎の嵐で焼き尽くすような、魔法の威力を存分に発揮するような戦いに興じてみたいと思った。


 その相手として思い浮かべたのが、この異世界に存在している魔人族グリゴリアスという種族だった。


 魔人族は人類圏の結界の外の世界を支配している種族であり、人類や亜人族を脅かす存在として知られている。


 まさに人類の脅威であり、倒したら英雄になれる敵——とアメジアは考えていた。


「魔人族……こいつらを粉砕すれば、もう凡夫じゃないと証明できる」


 聞けば、魔人族は人間より遥かに強靭な肉体と膨大な魔力を持っているとか。


 そんな種族を粉砕できれば、流石に凡夫ではないと言えるだろう。


 早く戦ってみたい。


 敵を粉砕して凡夫ではなくなったことを証明したい。


 だが現実は厳しい。


 魔人族と戦うには、まず人類圏の結界の外に行く必要がある。だが、普通の人間がそこに足を踏み入れることは許されていない。


 実力があると証明された特別な存在——「騎士パラディン」や「神聖騎士パラディオン」にならなければならない。


 だが、その道のりは決して短くない。騎士や神聖騎士になるには、聖都の学園で四年間の厳しい訓練を受け、優秀な成績を収めなければならないからだ。


「……まあ、一年後には僕も神聖騎士学園に通うんだ。その時まで我慢しよっと」


 結局、アメジアは派手に戦いたい衝動を抑え、母に頼まれた畑の水やりに戻ることにした。


 村での暮らしは退屈だ。でも、この村には思い出の場所もたくさんある。だから、村のことは嫌いではない。


 実の両親が不明で、名前が書かれた紙とともに村の入口に捨てられていたアメジアを拾い、育て見守ってくれたのがこの村で生まれ育った今の家族と村の人たちだった。


 特に、ハーフエルフの母レダ、人間の父キュクヌス、義姉のオリヴィアの三人家族は、アメジアにとってかけがえのない存在だ。


 石造りの小さな我が家や、村外れの花畑でオリヴィアが笑顔で花冠を渡してくれた記憶、村の子供たちと遊んだ川や山など。アメジアの心の中に深く刻まれている場所もたくさんある。


「……まあ、今はこうしてのんびりしてるのも悪くないか」


 そう呟きながら、アメジアは魔法で畑の作物に水を注いだ。


 この時はまだ先のことだと思っていた。


 村を出るのも、魔人族と戦うのも。


 その内凡夫ではなくなるとも思っていた。


 一応転生者だし、修行も幼い頃から欠かさずに行ってきたから。


 もう暫く続くと思っていた。この平穏で素晴らしく普通な日々が……。


 

 

 


 


 けれど、穏やかで平穏に満ちた異世界での日々は、突如として無情にも終わりを迎えた。


「!?———!!!!!」


 先程まで畑で穏やかな笑みを浮かべていた母親が、突然何かを察し、青ざめた顔で何事かを喚きアメジアを押し倒して身体ごと覆いかぶさった。


 瞬間、突如として村全体が巨大な影に覆われた。


 その時アメジアは、まるで、世界が震えているような、全てが押しつぶされるような、そんな恐ろしい感覚に包まれた。


 そして、網膜を焼くほどの光に世界が包まれて、一拍遅れて凄まじい轟音と衝撃波が襲いかかる。


 突然の事態にアメジアは酷く混乱した。だが、その破壊をもたらしたものを、一瞬だけ目にすることができた。

 

 それは、巨大な星だった。


 空からこの村目がけて降ってきた、莫大な質量と灼熱を纏った隕石。


 それは、なんの前兆もなく空に出現し、この村へと降り注いだのだ。


 ただ、そんな超常的な天災に遭いながらもアメジアは無事だった。


 アメジアの母親——レダが優秀な魔法使いだったからだ。

 

 レダはエルフという魔法に高い適正を持つ種族の血を半分引いていた。彼女が咄嗟に高位の防御魔法を発動させていたおかげで、アメジアは隕石が落下した衝撃から身を守ることができたのだ。


「無……事……アメ……」


 それでも、流石に無傷というわけにはいかない。


 衝撃がやんだ後、力なく覆い被さる母の腕から這い出したアメジアが目にしたのは、生命の痕跡など何処にもない、かつて村があった変わり果てた惨劇の跡地と、防ぎきれなかった衝撃と熱を一身に浴びて瀕死の重症を負った母レダの姿だった。


「母さん!?」

「逃げて……アメ……そんな……!?」


 瞬間、再び、上空に蓋をするように巨大な星が出現した。


 絶望は終わらなかった。



 


『ふん、まだ生き残りがいたか』

 

 村の上空。そこにはいつの間にか禍々しい魔力を放つ存在が佇んでいた。


 背から翼のようなものを生やし、縦に開いた爬虫類のような瞳孔と血のように赤い髪の男。

 

 羽織のような独特な趣のある衣を身に纏うその男は、まるで虫でも見るような目で生き残りの二人——アメジアとレダの姿を見下ろすと、底冷えするような声で再び呪文を紡いで魔法を発動させた。


『星よ落ちろ』


 瞬間、膨大な魔力が天に渦巻く。

 そして、再び、地に落とすための灼熱と膨大な落下のエネルギーを纏う隕石が生成され、生き残った親子目がけて降り注いだ。


「忌むべき混血が煩わせやがって……凡人種もろとも一刻も早く消え失せろ」


 男は人間ではなかった。


 人に近しい外見をしていながら、その肉体強度は人間とは比較にならない程強靭で、纏う魔力も桁違いのもの。

 

 それは遥か昔から存在する、この世界の人間にとっての脅威。


 本来なら人類圏を守る結界内には決して出現するはずのない存在。


 魔人族と呼ばれ、恐れられている人間とは似て異なる存在だった。


 そして、村に隕石が落ちたのも偶然などではなく、魔法によって意図的に行われた隕石爆撃。


 この世界の人類の敵による、あまりにも過剰で無慈悲な攻撃魔法だったのだ。


 魔法の規模が違った。

 強さの次元が違った。


 そんな魔人族を相手にアメジアに出来ることは、ただ落ちて来る巨大な灼熱の隕石によって赤く染まった空を眺め、蹂躙される時を待つことだけだった。


 この日、村人の命も、生まれ育った家も、思い出の場所も、村にあったアメジアの大切な全てのものが魔人族によって奪われた。

 

 そして、己の弱さを——凡夫さを思い知らされた。

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