第3話 運命を変えた出会い


 幼い頃、アメジアは父親から魔人族グリゴリアスについて幾度となく聞かされていた。


「いいか、アメ。魔人族ってのはな……とにかく恐ろしい奴らなんだ」


 アメジアの父キュクヌスは「騎士パラディン」として魔人族と戦ったことがある人物だった。騎士は命を懸けて魔人族や彼らが使役する怪物たちと戦う職業だ。


 そんなキュクヌスは村では英雄として尊敬され、誰もが頼りにする存在だった。戦場でも活躍して、騎士としてもかなり出世しているらしい。


 だが、その口から語られる魔人族の話は、いつも厳しく、冷たい現実を突きつけるものだった。


「魔人族は、この世界で最も凶悪な種族だ」

 

 キュクヌスは言葉を紡ぐたびに酷く顔をしかめていた。


 それが過去の記憶を掘り起こす辛さから来ているのか、それともただ単にアメジアに真剣に話を聞かせようとしているのかは分からなかった。


「奴らは人類圏の外側のほとんどの領域を支配している。外見こそ人間に似ているが、肉体も魔力も規格外だ。おまけに、奴らは魔獣と呼ばれる凶悪な生物を従え、人間をことごとく敵視している。侵略と殺戮と破壊が奴らの本性だ」


 ただその恐ろしさを伝えようとしていることは確かだった。


 ところが、その恐ろしい話を聞きながら、アメジアは胸が高鳴るのを感じていた。


 凶悪な存在、最悪の覇者、倒すべき脅威。それはアメジアにとって、かつて憧れた物語の「敵」に他ならなかったからだ。

 

「今でこそ神々の結界に守られてるが、遥か昔はそうじゃなかった。魔人族は幾度も人類圏に侵攻して、神代には多くの人が犠牲になったんだ」


 話で語られたのは、血に染まったこの世界の争いの歴史だ。


 人々を襲う魔人族の尖兵である巨大な魔獣。魔人族の魔法が一瞬で騎士たちを吹き飛ばす光景を想起させるもの。中には戦場でのキュクヌスの実体験だと分かるものもあり、アメジアの中で彼の話がますます現実味を帯びていった。


 だが、正直言って、アメジアはその話を怖いとは思わなかった。むしろ、胸が熱くなるのを感じていた。


———戦うべき敵がいる。


 それはアメジアがずっと求めていたものだった。


 前世の平凡な人生とは違う。特別な存在として、何かを成し遂げるための「敵」。


 魔人族という存在は、まさにアメジアが目指す特別な存在になるための道を照らしてくれるものだった。


———僕は転生者だ。この世界では特別な存在なんだ。だから、魔人族も、いつか僕が倒してやる。


 そんな根拠のない自信が、アメジアの中には確かにあった。


 日課の修行で鍛えた筋肉。前世の知識を活用して工夫した魔力の制御方法。すべてが「凡夫」ではない自分を証明するため手にしたもの。これらがあれば———


———魔人族なんて、僕の英雄譚最強への第一歩に刻まれる踏み台にすぎない。


 幼い頃のアメジアはそう思っていた。そして成長していくうちに焦りからか余計に凡夫を拗らせたアメジアは心の中で、いつか自分がこの村を飛び出し、魔人族を倒し、最強の存在になる未来まで思い描いていた。


「いいか、アメ」


 ふと、もうここ数年会っていない父キュクヌスの言葉が脳裏に甦る。

 

「もしも将来、騎士パラディン神聖騎士パラディオンになって奴らと戦う日が来たら、絶対に魔人族を甘く見るな。奴らはただの敵じゃない。次元が違う化け物だ。一人で戦おうなんて、絶対に考えるなよ」


 その言葉に宿る真剣さを、アメジアは幼いながらも感じていた。だが、正直その時のアメジアには響かなかった。


(僕ならやれるさ。だって僕はもう凡夫じゃないんだ。この世界では特別なことができるのだから——)


 忠告を真剣に受け止めるには、この時のアメジアはまだ幼すぎた。そして、この世界のことに少しばかり無知すぎた。


 そして何より———油断、慢心、根拠なき自信、中途半端な実力での浮かれ……前世の凡夫な癖が何も治っていなかった。



 



 そして時を経て。

 魔人族に村を襲われた日——父の口から語られた言葉の意味をアメジアは思い知ることになった。


 目の前に現れたのは、想像のはるか上をいく脅威。


 結界に守られているはずのこの人類圏内の村に、ソレは現れた。


 空に浮かぶその姿はヒト型をしていたが、明らかに「人」ではなかった。禍々しい魔力を垂れ流し、空間そのものを歪ませている。こちらを見下ろすその瞳には、まるで虫ケラでも見るような冷たさが宿っていた。


(これが ……魔人族……ッ!)


 それまで、魔人族に対して抱いていた侮りが、アメジアの中にわずかに残っていた勇気が、一瞬で消し飛ぶのを感じた。


『星よ落ちろ』


 魔人族が振り上げた手の動きに合わせて、空が揺れた。そして次の瞬間、視界に映ったのは巨大な隕石だった。無から一瞬で顕現したそれが、猛烈な速度で落ちてくる。


(星を落とす……?)


 アメジアも流星群やメテオを操る魔法のイメージぐらいは知っている。その浪漫溢れる攻撃をアニメや漫画で何度も見てきたからだ。


 だが、それを実現するには膨大な魔力が必要だ。今のアメジアでは、どれだけ願っても到底発動させること叶わない。


 そのような魔法を魔人族は意図もたやすく発動させて見せた。


(こんなの、どうやったって勝てるわけない……!)


 魔人族との圧倒的な力の差を突きつけられた瞬間、アメジアの心に絶望が広がっていった。


 母を傷つけられて燃え上がった怒りも、村を滅ぼされた憎しみも——あっという間に塗りつぶされていく。


 こんな化け物を当て馬だと思っていたなんて、滑稽な話だ。文字通り別次元の生物だ。


 これまでの13年間の努力で培ったものも、奴を前にしては何の意味もない。


 いや、もはや生物としての「格」が違う。アメジアは力の差をわからせられ、深く思い知らされる。


(結局、僕は……この世界でも凡夫なままなのか……)


 見上げる空から星が落ちてくる。

 転生したこの世界で、強く特別な存在になると誓ったはずなのに。目の前に迫る隕石の影が、そんな誓いをあざ笑うかのように迫ってくる。

 

 状況は最悪だ。

 アメジアの隣には、血まみれの母がいる。先ほど魔人族の攻撃からアメジアを守るために魔力を使い果たし、今にも命が消えそうになっている。


 もう一度目の隕石から身を守った防御魔法を使うこともできそうにない。そして、アメジアの使える魔法では、とても隕石に対処できそうになかった。


「ごめんなさい……母さん」

 

 できることがあるとすれば、せめてこんなに無力で意味のない自分を命がけで守ってくれた母に謝罪をすることぐらい。

 

「……大……丈……夫……母さん、もう少しだけ……頑張るから」


 すると、意識を失いかけていたレダがアメジアの方を向いて微笑んだ。


 そして、僅かに残った力で最期の魔法を発動しようとする。


 魔力を振り絞って、せめて息子を——アメジアだけでも助けるために。


「母さん!?」


 レダの最期の想いと魔力が結びつき、魔法が構築される。


 例え血は繋がっていなくても、それでも母親として大切な愛する子の命を救うために。


 少しでも遠くへ、隕石爆撃による被害の及ばない土地へとアメジアを飛ばすために——レダは魔法を発動させた。


 ただし———


「なら、せめて一緒に!」


 アメジアは気づいていた。

 それが、転移の魔法であると。そして、この転移の魔法が一人分のものだと。おそらくこの魔法が発動した瞬間、自分は逃がされて助かる代わりにもう二度と母と会えなくなるのだと。


 だから、どうしようもないとわかっていながら、アメジアは母レダへと必死に手を伸ばした。


「母さん———」


 けれど、その手が届くことはない。

 魔法が発動する。

 アメジアの身体だけが虹色の光に包まれて、違う座標へと飛ばす準備が完了する。


「どうか……生きて———」


 結局、アメジアはこの異世界で育て愛してくれた、大切な母親を守ることはできなかった。

 

 転生しても相変わらず、な存在のままだった。

 


 

 

———母さんを助けたいか?



 

 その時だった。

 世界が止まった。

 そう表現するしかない——まるで世界が止まったような感覚に囚われた。目の前の光景が静止し、時間の流れが止まったように感じた。


———答えろ。母さんを守りたいか? 助けたいか? 


 そして、突如アメジアの脳内に直接響く声が聞こえた。


 その声の主が誰なのか、何者なのかアメジアには全く検討もつかない。

 

 しかし、その声に対する答えは明白だった。


「守りたい! 救いたい! 母さんに死んでほしくない!!」


 アメジアは反射的に叫んだ。

 今の弱い自分では何もできない。

 それでも、できることならどんな手を使ってでも果たしたい。


 まだ言い足りない感謝の言葉がたくさんある。

 まだ恩返しできていないこともたくさんある。

 だから——こんな形で、母さんと離別するのは嫌だ!


 そう強く思った。


———そうか、そうだよな。


 すると、アメジアの答えを聞いた声の主は。


———なら、少しその身体を貸せ。そうすれば、今から俺がなんとかしてやろう。


 そうアメジアに提案してきた。


「身体を……」


 提案を聞いてアメジアの中に疑念と期待が入り混じる。

 本当に体を明け渡して大丈夫なのか。

 謎の声の主が本当のことを言っているのか。

 何を望んでいるのか、何をしたいのかもよくわからなかった。


 それでも。


「わかった。母さんを助けられるならなんでもする! 貸すよ、僕の身体!!」

 

 母を助けられる可能性があるなら。

 母を救うためならば、どんな提案でも受け入れる覚悟がアメジアにはあった。


 一縷の望みにすがって、アメジアはその声の主からの提案を即座に受け入れた。


———よし、契約は成立だ。これからお前には俺に協力してもらう。その代わりに、今回は俺が救ってみせよう。これから俺のことは……そうだな”ジア”にしよう。これから俺のことはそう呼べ。


「ジア……」


 その声の主は「ジア」と名乗った。

 結局何者なのか、どれほど強いのかはアメジアにもわからない。

 だが、今はその力を信じるしかない。


 だから、アメジアは願った。


「どうか……助けて……母さんを……」


 最後にそう願いを込めて、アメジアは意識を手放した。


「ああ———任された!!」

 





 

 意識が切り替わる。


 眠りについたアメジアの意識から、アメジアに取り憑いた男——ジアと名乗った存在に身体の主導権が移り変わった。


「さて———」

 

 ジアの意識が覚醒した瞬間、世界が震えた。


 アメジアの身体に宿ったジアという存在に畏怖し、怯えるように——あるいは、その存在に歓喜し、祝福しているかのように。


「一時的な肉体の置換を実行。炉心起動。魔力の運用を開始……まずは景気良く、この世界での最初の悲劇はなかったことにさせてもらおう」


 さらに、ジアから解き放たれた膨大な魔力が渦巻いて、瞬く間に世界を塗り潰した。


 そして———


「世界よ———逆行しろ」


 ジアによって時を巻き戻すという大魔法が発動された。

 

 その魔法の力によって間も無く発動するはずだった転移の魔法も、定められていた死の運命も、刻まれるはずの悲劇の歴史も——全てがなかったことにされていく。


「ようやくだ……今度こそ、ようやく俺の願いを果たせる」


 世界の時が巻き戻る。

 母が傷を負う前に、村に隕石が落ちる前の時間に——まだ、誰も死んでいない、村での平穏な暮らしが続いていた時に。

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