第6話 閑話 灰髪の少年
「母さん、ただいまー!」
ガチャリとドアを開けて、弟とともに帰宅する。茶色いドアは、それだけ新品で家から浮いている。先週、遂にガタが来た扉を親父とトーアの父親に手伝ってもらって取り付けたものだ。
「おかえりシド、トット。」
「見てっ!ルルの実!!」
「あらあら、今日はご馳走ね」
「きゃい!きゃい!」
弟が誇らしそうに、ルルの実が入った籠を見せる。母さんは嬉しそうに受け取った。母の背中で揺られているコナも嬉しそうだ。
「コナ〜。良い子にしてたか?」
「ぃあ〜!」
最近握れるようになってきた小さな手に、指を差し出しながら問いかければ、嬉しそうな声が返ってきた。俺の妹、まじで可愛い。
こんこん
夕飯の手伝いをしているとノックの音が響いた。
「……さんかしら?今、行きまーす!」
呟いたのは、隣に住むトーアの母親の名前。トーアの家とは、よく庭で採れた野菜や作りすぎたご飯を分け合う家族ぐるみの仲である。
急に、扉へ近づいた母さんの姿に酷く胸騒ぎがした。
悪い予感。いや、これは確信だ。
母さんが泣きながら、鞭を打たれ、何かを叫んでいる。
鮮明な光景がフラッシュバックし、母さんを止めようと体を動かそうとした。けれど、体は沼に沈むように全く動かない。
嫌だ、嫌だ、いやだ
手を伸ばす。
「ダメだ!!!」
「……大丈夫」
暖かくて柔らかい感触が掌を包んだ。
目の前には、天使がいた。
母さんが言っていた。死んだ人は、天使のところに行くって。それほど綺麗だった。透き通った白金の髪に伏し目がちな目に陰を落とす長いまつ毛。薄い水色の眼は、心配の色が浮かんでいた。
バクバクと音を立てていた心臓が、びっくりした衝撃で落ち着いていく。
それと同時に、ダンジョンでの出来事を思い出す。そう、確かあの野郎に捨て駒にされて、でも、誰かが俺の前にいたような……
「……僕は、死んだんですか?」
「いいや、君は生きてるわ。よく頑張ったわね」
俺の手を包んでいた手が離れ、優しく頭を撫でられる。ふわりと柔らかい匂いが鼻腔を掠めた。俺と殆ど変わらない少女に見えるのに、彼女からは母さんのような温かさを感じた。
同年代の女の子に何考えてんだ、俺。
少し気恥ずかしくなり、視線を落とせばあり得ないものが目に入った。
「……はね?」
少女の背中や腰からは小さな羽が生えていた。正面からでは殆ど見えなかったが、彼女が腰を浮かせたことで視界に入ったのだ。
「そうよ。ここは私の家。君が瀕死状態だったから、勝手に治療して連れ帰させてもらったわ」
彼女は羽をぴこぴこ動かしてみせると、ベッドのサイドテーブルに置いてあったコップに水を注ぎ、俺に渡してくる。
うわ、なんだこのコップ。ほぼ透明なガラスに透かし模様が入ってる上に薄い。これ、とてつもない高級品だろ!
コップを持つ手が震えたが、なんとか落とさないように両手で力を入れすぎないよう握りしめる。もはや、生まれたての頃のコナより、慎重に触っている。それでも、渡された水を飲まないわけにもいかず、口を付ければ、この世のものとは思えない美味しさだった。
「……!!」
夢中で飲み干し、しばし陶然とする。ただの水じゃないのか、飲むと元気が湧いてくる不思議な水だった。
「だいぶ落ち着いたみたいね」
ハッとして、隣に少女がいたことに気がつく。こんなにも存在感があるのに、完全に忘れかけていた。水に夢中になりすぎだろ。
そして、ようやく回り始めた頭で、命の恩人にお礼の一つも言っていないことに気がついた。
「あの、この度は助けていただきありがとうございました」
母さんから教えてもらった丁寧な口調で、最大限の感謝を伝える。体はうまく動かなくって、不格好にベッドから降転がり落ちて、頭を地につける。こんな言葉や態度、あいつらの為には使いたくなかったけど、少女には使いたいと、そう思った。
「うん、礼は受け取るわ。さぁ、顔を上げてベッドに戻りなさい。貴方から聞きたいことがあるけれど、まずは体を休ませることが先決よ。次に目が覚めた時に、人を寄越すから」
少女はくるりと指を回すと、俺の体が勝手に浮きあがりベッドに寝かしつけられる。
そして、水で元気になったのは一時的なものだったのか、急激に眠気が襲ってくる。ふかふかのベッドは雲のようで、本当は死んでるんじゃないかと少し不安になった。
意識が落ちる直前、死ぬ直前のあいつらの事を思い出した気がした。
日の光で目が覚める。レースの布越しに柔らかい光が部屋に入ってきていた。
そういえば、昨日は部屋が明るかったけど昼では無かったのか。そっと気配を伺っても部屋に誰かいる気配はない。
もそりと起き上がり、自分の体を確認すれば打ち身や切り傷はあるものの塞がり始めていた。最近は生傷が絶えなかったから、ここまで治りかけの傷口を見るのも久しぶりだ。というか、常に縛られていたような圧迫感が無くなってる?
慌ててベッドサイドに置かれた鏡を覗けば、首元にあった禍々しい首輪のような呪詛は消えていた。これは、天使様がやったのか?久しぶりの自由になった体で、自分の腕に爪を立てる。
痛い。
あの呪詛があったときは自傷を禁じられており、自傷しようとしても体が硬直して傷つけることは出来なかった。
首に手をあてて、ギリギリと首をしめる。
「っぐっ…………、はっ、ははははははっ」
乾いた笑いが漏れる。あんなに、死ねなかったのに。死にたかったはずなのに。いざ死ねると分かると、なぜか自分の首を絞めることはできなかった。同時に眼からは温かいものが頬を伝っていく。
涙を流して、どれほどの時が経っただろうか。数十分だった気もするし、一瞬だった気もする。ある程度泣くと頭もスッキリしてきた。部屋をぐるりと見渡せば俺の家が入りそうな程広い部屋だとわかった。
「天使様は貴族だった……?」
俺は平民だし、貴族のことなんか知らないけれど、あの野郎はよく自分の家は貴族よりも凄いのだと自慢げに語っていた。けどきっと、この部屋は、あの野郎が話していた何よりも凄いんじゃないだろうか。だって、天使様が家主だもんな。
レースの布をそっとどけ、窓から外を見れば中庭だった。ここは3階だろうか?中庭には花々が植えられ、隅々まで管理されていることが伺えた。
コンコン
「おはようございます。入っても宜しいでしょうか?」
若い男性の声が扉の向こうから尋ねてくる。そういえば、天使様は人を寄越すって言ってたな。
「は、はい!」
思わず声が裏返った。こんな貴族みたいな対応された事ない。
扉を開けて入ってきたのは、柔らかい黄土色の髪に若草色の目をした男性だった。
「ここにいる間、貴方様のお世話をさせて頂きます、スフェンと申します。これから宜しくお願いいたします」
優雅に頭を下げるスフェン様に慌てる。
「ちょ、か、顔を上げてください!俺、平民でスフェン様みたいな人に頭を下げられるような身分じゃないんです!」
「左様ですか。しかし、ここで外の世界での身分は関係ありません。貴方様は陛下が連れ帰った方。我々にとっては、その事実が重要なのです」
「んな……」
思わず言葉を失う。彼の眼は、何を言ってもこの態度を崩さないという意思がひしひしと感じられた。
「ふむ。しかし、お客様を疲れさせてしまってはいけませんね。お名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」
「お、おれは、シドルク」
「では、シドルク様」
「シドルクで!」
「……シドルク君。これ以上は、ご容赦ください。そして、私のことはスフェンとお呼びください」
「い、いやスフェンさ…ん。」
なんとか様づけをやめてもらうことに成功した。けれど、如何にも良家の出でありそうなスフェン様を呼び捨てにすることなんか出来るはずもなく、さん付けで許してもらう。
「では支度が出来たら、そこのベルでお呼びください。朝食を持って参ります。着替えはクローゼットに入っていますので、お好きにお選びください。あ、お着替えのお手伝いは……」
「必要ないです!!」
「かしこまりました」
カチャリと小さな音を立てて、スフェンさんは部屋から出ていった。
揶揄われたのだろう。静かになった部屋で、一つ深呼吸をして気持ちを切り替える。気持ちを切り替えるのは得意だ。そうしないと、生きては行けなかったから。
取り敢えず、クローゼットを開けて中身を確認する。家にも母さんが嫁入り道具として持ってきたクローゼットがあったっけ。あいつらに押収されてしまったが。
中身を見れば、綺麗なシャツとズボン、上着がいくつか入っていた。その中から、着やすそうなものに袖を通した。
「うっま…!!」
1人用の鍋に入ったスープを吸った柔らかいパン粥。ほかほかと湯気を立てて、食欲を刺激してくる。中には野菜がたっぷりと入り、素材の味がよく出ていた。味は少し薄めだが、久しぶりのまともなご飯だからか、その優しい味が体に染み渡る。肉が無いのが残念だけど我儘は言えないな。
スフェンさんが持ってきてくれたご飯は、今まで食べてきた中で1番味的に美味しかった。最初はテーブルマナーも分からず、味がしないかと思ったが、気を利かせてくれたのだろう。スフェンさんは配膳だけすると、食べ終わったら下膳しに来ますと言って、部屋から出ていった。
汁一滴も残さないようにスプーンで最後まで掬い食べ終わる。
俺だけこんな良い思いしていいのかな……
腹がみたされ、心に余裕が出来ると途端にあいつらの事を思い出した。カビたパンや床に捨てられた残飯を分け合いながら、なんとか一緒に耐えてきた仲間たち。生きている事を伝えたら、きっと喜んでくれるだろう。それに、ここの人たちも悪い人じゃなさそうだ。
もしかしたら、俺たちの現状を知って助けてくれるかも。
淡い希望が胸中に宿る。これだけ、大きな屋敷に住んでいて、施しを与えられるのだ。そうだ。助けてほしいと言ってみよう。
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