第2話 異世界転移

 VRが発達した2XXX年。VRゲームでは、五感の刺激も可能になり、視覚はもちろん嗅覚や触角まで再現されていた。しかし、あまりに高度な技術により、現実世界への健康被害が続出。VRでの味覚と痛覚は制限され、その他の感触に関しては、健康被害を産まない程度に制限されたのだった。

 例にもれず、私が遊んでいる『ダンジョン王国』も圧倒的なリアル度と面白さ、それを上回るUIの悪さで物議を醸しながらも、離れることが出来ないダン王の魅力に取りつかれ、十年も遊んでいるヘビーユーザーである。

 とにかく、VRで正常な味覚を感じることが出来るのは医療目的の認可を受けた物だけのはずである。


 だから、この感覚を得られるのは可笑しいのだ。臣下たちの前で乾杯を終えた私は、腰から力が抜けるように玉座へと座る。無意識に動いた4対の羽がふんわりと私の背中を支えてくれる。


 今はイベント中のため、メニュー画面を開くことが出来ない。


 歓声が上がる会場では、各々パーティーを楽しみ始めていた。

 手元を凝視する。手にはパーティーに相応しい黄金色のシャンパンが注がれた優美なグラス。

 雰囲気を楽しむためだけに入れられた、本来は薄い微妙な味しかしない飲み物のはずだ。


 もう一度、口をつける。やはり、舌に伝わる気泡の感触。鼻に抜ける匂い。味。全てが本物であると伝えてくる。それも今まで飲んだことがないレベルで極上の。


「どうかされましたか?ミア様」


 隣に控えていた夜色の髪を持つ美青年が、心配そうに声をかけてくる。 味がする事が可笑しいなんて話、ゲーム内の存在であるエーヴィヒカイトには言えない。


「まさか、飲み物に違和感が!?」


 まずい。返答に窮して、誤解させてしまった。


「……違うわ。それよりも」



 ピピーッ ピピーッ ピピーッ 


「エマージェンシー。エマージェンシー。現在、天空城の転移が確認されました。警戒レベル3。障壁への攻撃、飛行物体は確認されていません」


 大音量でアラートが鳴り響く。

 警戒レベル3は、即応的な危機的状況ではないが、危機的状況に発展する恐れがある場合だ。会場が一瞬にして静まり返り、各々が臨戦体制へと移行する。一部の臣下は既に退出し、確認に向かっていた。


「エーヴィ、結界」


 アラートに反応し、私に結界を張ったエーヴィヒカイトに結界を解くように声をかける。


「ですが」

「私は自分でも結界を張れるわ。それよりも、現状を整理してカミュを除く十天を会議室に。緊急会議をの準備を」


 心配そうなエーヴィヒカイトに仕事を頼めば、私情は鳴りを潜め冷静な宰相としての顔に切り替わる。それを確認し、私の動向を窺っている臣下達にも声をかけた。


「皆もパーティーは中止。各自持ち場に戻り、現状の確認を行いなさい。各々警戒は怠らない事。いいわね?」

『はっ!』


 椅子から立ち上がり、会場に背を向ける。私が退場することを察したエーヴィヒカイトが声をあげた。


「ミアクロティラ陛下のお帰りである!」


 会場はエーヴィヒカイトに任せ、品位を損ねない出来る限りの速さで会場を戻っていく。私が早く退場しないと、皆動けないものね。

 後ろのドアが閉まったことを確認し、ドアのすぐそばに控えていた巨躯の老紳士へ伝言する。


「私は自室に行くわ。会議の用意が出来たら呼んで頂戴」

「かしこまりました、お嬢」


 私の身長の倍はありそうな背丈に大岩を思わせる図体。その体を腰から折り曲げ、ロマンスグレーの頭を深々と下げる。深みのある渋い声を後に、自室へと転移した。




 自室の最も奥まった場所にある寝室へと転移する。寝室とは思えない広い部屋には、ダブルキングサイズのベッドが真ん中に設置されている。天蓋に着いたカーテンは一級品の絹布とレース。床に敷かれた毛足の長い絨毯はふかふかで、いつもは感じないその柔らかさを足裏に伝えてくる。


 目の前の空中を一撫で。目の前に現れたのは見慣れたメニュー画面。

 ちなみに、この世界は通常のゲームのようにUIを常に視界に置くことは出来なくなっており、メニュー画面を開かなければ自分のHPやMPの残量を確認できない仕様である。ただし、自身の感覚的にHPやMPが減少すると怠くなったり動きにくくなる為、感覚だけで残量を把握することも可能だ。この点だけは、ユーザーからかなりの批判が飛んでいたが、結局改善されることは無かった。まぁ、視界は良好だし、慣れればどうということはない。

 そのメニュー画面を開き、左下にあるドアマークのログアウトボタンを押す。


ポチッ ポチポチポチポチ 


 しかし、何度押しても反応することは無い。嫌な予感がしながらも、GMコール画面を開き、メッセージを書き送信ボタンを押す。


[ERROR 404]


「……送れない」


 ログアウトも出来ない。GMコールも送れない。つまり、この世界から脱出手段が無いということ。


 いや、一つだけあった。


 VRゲームは脳波を読み取り、刺激を与えているゲーム機である。そして、このゲーム機には必ずついている機能がある。感覚制限だ。異常な脳波を感知した際に、無理やりVR空間との接続を遮断する機能である。ただし、これを行うには余程の脳波でなければならない。戦闘系のVRは元々興奮状態になりやすいため、許容範囲が広いのだ。そして、先程飲み物の味を感じたときの驚き程度では、機能しなかった。


「……痛みしかない、かな」


 防御貫通の付いた手ごろな短刀のため、インベントリを探す。そして、その中に見慣れないものを発見したのだった。


「これは、手紙?」


 入っていたのは一通の黒い封筒。説明欄は文字化けしていて読むことが出来ない。慌てて、全てのストレージを確認するも、これ以外不審なものは入っていなかった。


「開けるしかない、か」


 インベントリから取り出して見れば、黒の封筒に銀色の紋章が箔押ししてある。女神にオリーブの実、天使の羽が描かれているそれは、私の国ルエーゼ皇国の国章。

 危機察知のパッシブスキルには何の反応もない。一応、危険感知のアクティブスキルも使用し、危険がないことを確認した。

 天蓋付きのベッドに移動し腰を掛けて、封を開く。


「……日本語?」


 現れたのは、一枚の便箋。黒い紙に、白いインクで綴られている。そこに書かれていたのは、日本語で書かれた文章だった。ダン王では、ゲーム内文字が登場する。しかし、ここに書かれているのは日本語。困惑しながらも、手紙を読んでいく。


______________________


親愛なる ミアクロティラ・ルエーゼ様へ


 この手紙を読んでいるということは、転移が上手くいったということでしょう。とても喜ばしいことです。


 貴女様の事だから、現実の世界という別世界を気にしている事かと思います。ですが、安心してください。あちらの世界の貴方はそのままです。貴方という存在が、こちらの世界に戻ってきただけです。


 よくわかりませんよね。ふふ、実は僕も詳しくはないんです。

 ただ、貴方が生きている事それだけが僕たちのたった一つの願いで、これが届いたということはそれが、叶ったということ。


 いつかお会いできる日を楽しみにしています。

______________________


 差出人は不明。ただ、この文章を読んだとき、嘘ではないのだろうと直感した。

 いくらVRとはいえ、質感などに多少の違和感は存在していた。ぽふぽふと、腰を掛けているベットを叩く。中の羽毛の感触までわかる。そして、何より、ベッドサイドに置いてある果実水を口に含む。


「……甘い」


 味覚制限があり、薄すぎる味しか感じられなかったものが、食べ物としての味を感じ取ることが出来ている。


 そして、記憶。

 現実世界に居たことや、自身がクリエイターの仕事をしていたこと、家族が居たことなどは覚えている。しかし、その詳しい内容が朧気で、遠い記憶を思い出しているように輪郭が掴めない。

 そのせいなのか、あちらの世界に戻りたいという感情が湧かないのだ。まるで、こっちの世界で生きてきた自分と別の自分があちらの世界で生きていたような感覚である。

 こういうのって、多重人格とか解離性障害っていうんだっけ。でも、きっと違う。この手紙に書かれていることを全て信じることは出来ない。けれど私の意識は、この世界のミアクロティラ・ルエーゼとしてのものでいいのだろう。


チリン


 雅な鈴の音が寝室に響く。自室の出入り口へ移動すれば、本日担当の天使メイドがドアを開けお辞儀をする。


 開いたドアの前に立っていたのは、先程伝言した老執事のリオヴェルであった。


「全員の準備が整いました」

「ご苦労様、リオ。それでは、行きましょう」


 羽で浮遊し、リオヴェルの大きな肩に腰掛ける。いつもの癖で座っちゃたけど、ゲームじゃないと少し恥ずかしいような。いや、そんなこともないか。

 後ろには、先程のメイドが歩いてついてくる。リオヴェルは、ある扉の前で立ち止まると、ゆっくりとしゃがみ込み私を降ろした。

 白い扉に緻密な彫刻が施された美麗な扉。その扉をメイドが開ける。


 一歩先はファンタジーと近未来が交じり合った光景だった。壁面には青いラインが淡く発光し、真ん中には半円状に机と椅子が置かれている。重厚な木製の机と同材質に濃青色の革張りの椅子が12脚。机には青いラインが走り、中央には丸い球体が発光している。


 各々椅子から離れ、臣下の礼を取っている人数は9人。全員いることを確認し、自身の椅子に着席する。


「皆、楽にせよ」

「「はっ!」」

「リオヴェルも十天として参加」

「かしこまりました、お嬢」


 皆に声をかけ着席させ、いつも通りに私の斜め後ろに控えようとしたリオヴェルにも着席を命じる。そして、司会を務めるエーヴィヒカイトが口を開いた。


「それでは、只今より十天緊急御前会議を開始する」









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る